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2016年9月28日水曜日

小さなものたちに感謝

いつもポッドキャストの配信を楽しみにしている On BeingのブログにThree Gratitudesという詩が紹介されていました。キャリー・ニューカマー(Carrie Newcomer) というアーティストの書いた詩だということです。毎日眠る前に、今日感謝したいことを3つ挙げる。そういう詩です。


Every night before I go to sleep
I say out loud
Three things that I'm grateful for,
All the significant, insignificant
Extraordinary, ordinary stuff of my life.
(毎晩眠る前に、
声に出してみる
感謝しているものを3つ
生活の中の、ありとあらゆる、重大なこと、些細なこと、
特別なこと、普通のこと) 
(中略) 
Sunlight, and blueberries,
Good dogs and wool socks,
A fine rain,
A good friend,
Fresh basil and wild phlox,
(明るい陽射し、ブルーベリー
賢い犬、ウールのソックス
小ぬか雨
仲の良い友達
新鮮なバジル、野に咲くフロックス) 
My father's good health,
My daughter's new job,
The song that always makes me cry,
Always at the same part,
No matter how many times I hear it.
Decent coffee at the airport,
And your quiet breathing,
(おとうさんの健康
娘の新しい仕事
何度聞いても、いつも同じところで
涙が出てしまう歌
空港で飲めた、まともなコーヒー
それからあなたの静かな呼吸) 
(中略) 
My library card,
And that my car keeps running
Despite all the miles.
And after three things,
More often than not,
I get on a roll and I just keep on going,
I keep naming and listing,
(私の図書館のカード、
もう長距離を走っているのに、
走り続けてくれる私の車、
そして、3つ言ってしまっても
たいていいきおいづいて、とまらなくなって
まだまだリストは続いていく) 
Until I lie grinning,
Blankets pulled up to my chin,
Awash with wonder
At the sweetness of it all.
(やっとにっこりして横になる
毛布を首までひっぱって
不思議なきもちでいっぱいになる
そのすべてがなんてやさしいんだろうと)          

この詩を読むと、何だかすごくあたたかく、嬉しい気持ちになります。詩の中に挙げられているのは、ごく当り前の日常的なものがほとんどです。でも、どれもこれも、遠く離れた異国で、全く違った職業を持って生きている私の生活の中にもあって、同じように感謝したくなるものばかりだということが、すごく不思議です。世界中のどんな人も、陽射しや雨や犬や友達というようなものに取り囲まれて、1日を過ごしている。そして、そんなありふれた小さなものたちに支えられてこそ、私たちの生活は成り立っているのだということに、あらためて感動してしまいます。

今日という日も、一杯のコーヒーや、雨上がりの雲の切れ間、耳を傾ける音楽や、誰かにかけてもらった「ありがとう」という言葉に彩られた、やさしい1日でした。そういうものに感謝したいと思います。感謝するって、うれしい気持ちにさせてくれるものに対して持つものなんですね。

The quoted part is from
Three Gratitudes BY CARRIE NEWCOMER
http://www.onbeing.org/blog/carrie-newcomer-three-gratitudes/8902


2015年9月26日土曜日

音楽の力 -ニーチェの言葉から-

音楽を聞かれますか。私は聞きます。1日のうち、何度も。何かをしながら気分に合ったものを「ながら聞き」することがほとんどですが、ゆっくり腰をおろして集中して聴くこともあります。主に聴くのは英語圏のロックかポップス。ジャズを聴いたりすることもあります。クラシックもほんの少し。

音楽のことを考えると、いつも圧倒されるような気がします。言葉では「音楽を聴く」という表現を遣いますが、実際のところ、音楽は耳だけで聴いていない。皮膚だとか、関節だとか、全身で受け止めているような気がします。そして、音楽を受け止めている私の全身は、音楽を聴いている私よりも、随分賢く有能であるようです。



"God has given us music so that above all it can lead us upwards. Music unites all qualities: it can exalt us, divert us, cheer us up, or break the hardest of hearts with the softest of its melancholy tones. But its principal task is to lead our thoughts to higher things, to elevate, even to make us tremble… The musical art often speaks in sounds more penetrating than the words of poetry, and takes hold of the most hidden crevices of the heart… Song elevates our being and leads us to the good and the true."                
(神は我々に音楽を与えてくださった。何よりもまず、我々を高みに導くために。音楽はすべて合わせ持っている。我々を称えてくれ、慰めてくれ、励ましてくれる。あるいは、頑なになった心を、憂いのある柔らかな音色でほどいてくれる。しかし、最も大切な働きは、我々の思いをより高いものへと導いてくれることだ。気持ちを高め、心を震わせる。音楽は、多く、音をつかって、詩の言葉よりも、心の深くにまっすぐに訴えてくる。そして、心の中の見えない隙間を捕らえてしまう。歌は我々の存在を高め、善きこと、真実のことへと導いてくれる。)
これは、BrainPickingsで紹介されていた、 ニーチェ(Nietzsche) の言葉です。思うに、音楽を聴いている私は、おそらく私の意識なのでしょうが、音楽を受け止めている私の全身は、不随意筋や自律神経や無意識なんかが内在する、私の意識を超えた私自身なのではないでしょうか。だから、分析して理屈をつける前に、この曲を好きだ・嫌いだが、先にすとん、とわかってしまうし、どんなに無名であろうと、ルックスに恵まれてなかろうと、その人の奏でる音楽が本当に何かを伝えるものであれば、それをきちんと受け取ることができてしまう。「私」が疲れていたり、落ち込んでいたりしている時でも、音楽は受け止められ、私は癒されたり励まされたりしてしまう。「私」を超えた私につながるチャネルを持つ音楽が、神から与えられたものだ、とするニーチェの言葉には、なんだか納得がいきます。

ところで、Amy WinehouseのHalf Time という曲。ニーチェの言っていることに、とても似ていると思いませんか?

The quoted parts are from:
Nietzsche on the Power of Music https://www.brainpickings.org/2015/09/18/nietzsche-on-music/?
Half Time エイミー・ワインハウス (Amy Winehouse)http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2015/07/half-time-amy-winehouse.html

2015年6月27日土曜日

変わっているを抱きとめる ―エド・シーランのスピーチから―

以前の投稿で、女優のエミリ・ブラントが子供のころ、吃音に悩まされていた話をnprのインタビューで語っていたのを取り上げました。そのエミリ・ブラントがエド・シーランをAmerican Institute for Stuttering(米国吃音協会)に呼んで表彰しています。というのも、エド・シーランも幼いころ、吃音があったということなのです。

エド・シーランは表彰式のスピーチの中で、幼いころは顔にあざがあったり、大きな青い眼鏡をかけなくてはならなかったり、片方の耳の鼓膜がなかったり、ととにかく問題だらけで、吃音なんて、自分の問題の中では、どうってことないほどだった。とにかく変わった子供だったと言っています。
But I got heavily into music at a young age, and got very, very into rap music—Eminem was the first album that my dad bought me. I remember my uncle Jim told my dad that Eminem was the next Bob Dylan when I was—say what you want, it’s pretty similar, but it’s all just story-telling. So my dad bought me the Marshall Mathers LP when I was nine years old, not knowing what was on it. And he let me listen to it, and I learned every word of it back to front by the age I was ten, and he raps very fast and very melodically, and very percussively, and it helped me get rid of the stutter. And then from there, I just carried on and did some music,...
(でも、僕は幼いうちに音楽にものすごくのめりこんだ。特にラップにはすごくすごく夢中になった。エミネムが父親が買ってくれた初めてのアルバムだった。その時、おじのジムが父に言ってたよ。『エミネムっていうのは、次のボブ・ディランらしいぜ』って・・・何でも言ってくれていいよ。かなり似てるけど、これは全部物語を語っているようなものなんだ・・・って。で、父親がエミネムの『マーシャル・メイザース』というLPを買ってくれたってわけだ。僕が9歳の頃のことだ。何なのかもわからなかったはずだけど、僕にそれを聞かせてくれた。僕は10歳になるまでに、アルバムの始めから終わりまで一言一句すべて覚えてしまった。エミネムはものすごい速さで、でもきれいなメロディーにのせて、そして、打楽器でもうつようにラップするけど、おかげで、僕は吃音を無くすことができたんだ。そのあと、そこからそのまま続けて、音楽をするようになった・・・) 
 ...It’s just to stress to kids in general is to just be yourself ‘cause there’s no one in the world that can be a better you than you, and if you try to be the cool kid from class, you’ll end up being very boring,...
(「・・・子どもたちみんなにちゃんと言っておきたいのは、ただ、自分らしく、ということだよ。だって、世界中の、君以外の誰も、もっと良い「君」にはなれないんだから。クラスのかっこいいやつみたいになろうとしたら、将来つまらないやつになって終わり、だよ・・・」)

5月10日に公開された"Photograph"のミュージックビデオを観ると、確かに、青い大きな眼鏡をかけて、音楽に夢中になっている男の子の姿が映し出されていて、このスピーチの中でエドが言っていることは、その通りなのだとわかります。そして、幼いエドを捉えているカメラのアングルから、彼の家族がどれだけ温かく彼を見守っていたかもよくわかる。夢中になって何かやっているエドを邪魔しないように、遠巻きに見つめる視線。どの角度から見た時が、一番可愛いかもよくわかっていて、いつもエドを見つめていたことを思わせます。エドの自分らしさはまず、家族に抱きとめられていたのだと思う。だからこそ、エドは、何があろうと、決してぶれることなく自分でも自分らしさを大切にすることができたのだ、という気がします。さらに、そんな「自分らしさ」を十分に育てて、ミュージックシーンで開花させている現在の姿を見ると、困難はあるものだし、そこで過たず正しい道筋を選んで、その場所で何かを積み上げることこそが何より大切なことで、また、それこそが自分なりの人生なのだ、などと思ってしまいました。・・・それにしても、エミネムのラップで吃音を克服した、というエピソード。いい話ですよね。

The quoted part is from:
Ed Sheeran to Kids Who Stutter: Embrace Your Weirdness in TIME

2015年2月14日土曜日

ハリー・ニルソンの Remember に思う -映画『ユー・ガット・メール』から-


映画『ユー・ガット・メール』 (You've Got Mail)の一場面から、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)のRememberという曲を知るようになりました。ゆっくりとした美しいメロディーで、歌詞がわりにはっきりと発音されるので聴き取りやすく、初めて聴いた時から、すぐに意味に心を捉えられてしまいました。



"...Remember life is just a memory
Remember close your eyes and you can see
Remember, think of all that life can be
Remember

Dream, love is only in a dream
Remember
Remember life is never as it seems
Dream..."
(「思い出してごらん 人生とはただの記憶なのだから
ほら、目を閉じると 見えるだろう
そうだ、人生がどんなふうなものなのか
思い出してごらん

夢みたいなものだよ 愛も夢を見てるようなものだよ
そうだよ
思い出してごらん 人生はそうだと思っているのとは違うかもしれないよ
夢みたいなものだよ・・・」)


人生とはただの記憶だ

そう聞いて、そうかと思い、また、本当にそうだと、何度かこの言葉を思い返してきました。

歴史に名を残す人や出来事というのはありますが、それは特別なケースで、多くの人生は、その時代を形成する一翼を担っているとしても、いずれは消えてなくなっていく、単なる記憶に過ぎないものだと思います。また、それで十分だともと思います。歴史に残る大きな出来事が「善きこと」だとは限らないからです。

自分という1人の人間からみても、晩年になると、或は、最期を迎えると、自分の人生を振り返ることになるでしょうが、その時には、多くの細かい事柄は消え失せて、自分の人生の中で、印象的な出来事や、大切な人のことだけを思うだろうと想像します。今、私の周りを囲んでいる実体のあるものも皆、すべて実体を持たない記憶だけになってしまう。

理解というものはつねに誤解の総体にすぎない

この言葉は、村上春樹の『スプートニクの恋人』という本の中にあった一節ですが、私たちが、自分の人生だと捉えているものは、同じ時間を共有した他の人の認識とは異なる、大いなる誤解の総体だと言えるのかもしれません。そう考えると、自分の持つ記憶も、実際の過去の出来事なのか、夢なのかさえ曖昧になってくるような気がします。

人生が単なる記憶-しかも、自分の誤解の総体による-記憶なのだとすると、やはり、大切なのは他の人がどう思うかということではなく、常に自分がすべてをどう意識するか、ということに尽きると思います。相手がどうあれ、自分が誰かを愛していれば、その意識だけで人生は十分充実する。いずれにせよ、愛は夢を見てるようなもの、なのですし。バレンタインデーにそう思いました。



引用:The quoted part is from the song "Remember" by Harry Nilsson

http://www.songlyrics.com/harry-nilsson/remember-christmas-lyrics/#rEXGSwh3GpfxsJ4C.99

2014年12月1日月曜日

生き方を伝えるビル・エヴァンズの音楽

ジャズのことを深く理解しているわけではないのですが、それでもジャズの名盤なるものが、いくつも私のiPodに入っていて、時折、そのタイトルをタッチすることになります。ビル・エバンズのピアノはその選択肢のいくつかであって、わりに頻繁に耳にしているように思います。何かをじっと考えているような、少し気難しい、そして丁寧な演奏にじっと耳を傾けると、そうだ、私に足らないのは、こういう風に物事に丁寧に向き合うことなんだよな、と思えてきます。


"Most people just don’t realize the immensity of the problem and, either because they can’t conquer it immediately, think that they haven’t got the ability, or they’re so impatient to conquer it that they never do see it through. If you do understand the problem then you can enjoy your whole trip through."
(ほとんどの人は、問題の大きさに気づかないし、しかも、すぐに問題を克服できないということは、才能が無いからだと思ってしまったり、問題を克服するまでの辛抱ができなくて、途中で断念してしまったり。問題がいかなるものか理解できたら、それを克服する旅も楽しめるのに。) 
"It is true of any subject that the person that succeeds in anything has the realistic viewpoint at the beginning and [knows] that the problem is large and that he has to take it a step at a time and that he has to enjoy the step-by-step learning procedure. They’re trying to do a thing in a way that is so general [that] they can’t possibly build on that. If they build on that, they’re building on top of confusion and vagueness and they can’t possibly progress. If you try to approximate something that is very advanced and don’t know what you’re doing, you can’t advance."
(どんな分野にしろ、何かに成功している人というのは、最初から、現実的なものの見方ができている。そして、問題というのは大きなもので、1度に1歩ずつ進んでいかなければならないし、一歩ずつ進む学びを楽しまなくてはならない、ということを知っている。ごく一般的なやり方で進めようとしても、一般論を足場にするのは無理だ。もしそんなところに立ち位置を定めてしまったら、わけのわからない、曖昧模糊とした状況に立つことになってしまって、進歩することはできないだろう。ものすごく先進的なことに近づこうとするのなら、自分が何をやっているのかがわからなければ、前にすすむことなどできないのだ。)
いつもお世話になっている、Brainpickings (http://www.brainpickings.org/) で紹介されていた、ビル・エヴァンズの文章ですが、なんだかすごくよくわかる気がして不思議でした。私の毎日は、ジャズピアノを聴くことはあっても、演奏することなど全く考えられない、別世界だというのに。「一般論は役に立たない」という彼の説が、みごと一般化しているような。

でも彼の言う通り、問題というのは、確かに、たいてい手におえないほど大きいし、しかも1つ1つが、それぞれ個別の文脈の中で起こるもので、一般的な解決方法など、なかなか役には立たない、というのは本当だと思います。あるべき姿に一足飛びに到達することを夢見て、がむしゃらに突き進んでみても仕方がない。問題を現実的に捉えて、理解可能、かつ、達成可能なサイズに細分化して、それを一つ一つ解決しながら進んで行く。一歩一歩という地道さが大変そうではあるけれど、それを楽しみつつ辛抱強く進むことが大切だ、と。この思慮深さ、この着実さが、ビル・エヴァンズの生きる姿勢であり、音楽には、生き方がそのまま映し出されるものなのかな、と思わされました。

引用:The quoted part is from Brainpickings
Universal Mind of Bill Evans: The Creative Process and Self-Teaching
http://www.brainpickings.org/2014/10/30/the-universal-mind-of-bill-evans/?utm_content=bufferafc6f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年11月15日土曜日

テイラー・スウィフトの変身

テイラー・スウィフトの新しいアルバム『1989』が、アメリカで2014年10月27日(月)に発売されました。なんと、翌日火曜日には、既にミリオンセラーを記録したということなのですが、これ以前に、発売1週間でミリオンセラーを記録したのは、やはりテイラー自身の2012年のアルバムRedだったのだそう。凄まじい人気ぶりです。

そのアルバムからの1枚目のシングル、Shake It Off を聴いてみんな驚きました。これまでのカントリー調を脱ぎ捨てて、よりポップな方向に大変身を遂げています。そんなこともできるのか、とか、カントリーはどうなっちゃうの?とか、様々な声が聞こえてきます。お姫様のようなドレスを着ていたり、あくまで可愛いアイドルだった前作までのイメージをぶち壊して、敢えてへたっぴなダンスを披露して、捨身というよりむしろ、はじけてしまって楽しんでいるような感じ。アメリカでも日本でも、男女を問わず、イメージチェンジといえば、セクシー路線に走るのが定石のようなのに、この変身は新しい。すっかりテイラー・スウィフトを見直してしまいました。アルバムの発売当日に、エド・シーランが、

 ”Go grab yourself @taylorswift13's new album, it just came out and it's stellar -  http://smarturl.it/TS1989(すぐにテイラー・スウィフトの新しいアルバムを買っておいで。今日でたばかり。素晴らしいよ)

とツイートしていました。エドが知らせなくてもみんな知ってるよ、
一緒にツアーを回ったからかな、律儀な人だな、と思っていたのですが、それだけじゃない。きっと、本当に素晴らしいと彼も思ったに違いないという気がします。

アメリカの公共ラジオ"NPR"からも、テイラー・スウィフトの、新しいアルバムについてのインタビューを知らせるツイートが流れてきました。

”We are dealing with a huge self-esteem crisis. These girls are able to scroll pictures of the highlight reels of other people's lives, and they're stuck with the behind-the-scenes of their own lives. They wake up and they look at their reflection in the mirror, and they compare it to some filtered, beautiful photo of some girl who's really popular and seems like she has it all together. This is not what you and I had to deal with when we were 12. It's so easy and readily available to compare yourself to others and to feel like you lose.”
(女の子たちみんなの自尊心は、今、危機的な状況にあっていると思うんです。こういう女の子たちって、画面をスクロールして他の人の生活のハイライトシーンばかり見る、そういうことが可能です。そして、自分自身の生活では、「撮影裏話」みたいなところにいて、行き詰っている。朝起きて、鏡の中に写っている自分を見て、その姿を、誰か他の女の子の、選び抜かれた美しい写真と比べるのです。その女の子はすごく人気があって、何もかもすべて手にしているように見える。こういうのって、私たちが12歳の頃には考えなくてよかったことです。他の人と比べて、ものすごく簡単に、安易に、負けたような気分になってしまう。) 
”I'm 24. I still don't feel like it's a priority for me to be cool, edgy, or sexy. When girls feel like they don't fit into those three themes, which are so obnoxiously thrust upon them through the media, I think the best thing I can do for those girls is let them know that this is what my life looks like. I love my life. I've never ever felt edgy, cool, or sexy. Not one time. And that it's not important for them to be those things. It's important for them to be imaginative, intelligent, hardworking, strong, smart, quick-witted, charming. All these things that I think have gone to the bottom of the list of priorities. I think that there are bigger themes I can be explaining to them, and I think I'm trying as hard as I possibly can to do that.”
(私は24歳です。でもいまだに、カッコイイ、今っぽい、セクシーとかいうのは、私が優先したいことではありません。女の子たちが、自分がこの3つのどれにも当てはまらないような気がしていても、メディアが鬱陶しいほど押し付けてくるのです。私がこういう子たちにしてあげられることは、「私の生活はこうなんだよ」って知らせてあげること。私は自分の生活が大好き。でも、自分が今っぽいとか、カッコイイとか、セクシーだとか思ったことはありません。一度もです。そんなの全然大切なことじゃないし。想像力がある、知的、頑張り屋、強い、賢い、機転が利く、魅力的。そういうことの方が大切です。こういうことって、これまで、優先順位の下の方になってしまっていたんじゃないかと思う。もっと大きなテーマがあって、そっちを女の子たちに伝えてあげることができるんじゃないかと思います。精一杯がんばって、そうしてるつもりなんです。)
彼女の曲を聴いて、歌詞を読んでいつも思うのは、この人はなんと真面目な人だろうか、ということです。不器用なほど生真面目だと思います。うっかりすると見逃してしまうような、小さな足跡、何かの兆しみたいなものを、怠ることなくいつもいくつも拾い集めていて、それを紡いで詩を編んでいく。隠したり、ごまかしたり、偽ったりするのは、どうしてもどうしても、許せない。だから、おそらく、過去の自分の恋愛に真正面から向き合って、ごまかしたり、偽ったりした相手を責めて・・・。そんな風にして曲を作っているのではないでしょうか。

彼女が中・高生だった頃、カントリーが好きなことでいじめにあったこともある、という話を聞いたことがありますが、たとえ、ダサかろうがからかわれようが、自分の好きな音楽を偽ったりごまかしたりなんて、彼女にできるはずはない。誰が何と言おうと、やっぱり彼女はカントリーが大好きで、自分がカントリー歌手であることに誇りと喜びを感じている。マスに流されることなく自分の考えで進んでいく、そのまっすぐな姿勢が、結局彼女の一番の魅力なのではないか。そう思いました。

引用:The quoted part is from:

2014年10月16日木曜日

自分自身にとことん向き合う ~スティングの言葉から~

ここで声を拾っているような、作家や画家やミュージシャン、いわゆるアーティストと呼ばれる人々は、常に、新しい作品を生み出して世に問うて、それで生計を立てておられるわけですが、そのような人生はいかに厳しいものであろうかと、いつも思います。私の好きなStingも70年代に音楽活動を始めてから、既に40年にも及ぶキャリアを持っていることになりますが、そんなにも長い間、第一線で活躍し続けるというのは、どれだけ大変なことでしょうか。2014年3月のTED Talkで、長いスランプに陥って曲が書けなくなり、その後見事にミュージカルThe Last Shipで、曲作りを復活させた時の経験を語っていました。そして、先日、その3月のTEDTalkに基づいたインタビューが、NPRのTEDRadioHourで放送されたという、Stingのツイッターが流れてきました。



RAZ:
When you think of the word creativity, like, how would you define it?
(クリエイティブな力、ということを考えた時に、たとえば、その言葉をどう定義しますか?)
STING:
(Laughter) How would I define creativity? For me, it's the ability to take a risk. To actually put yourself on the line and risk ridicule, being pilloried, criticized, whatever. But you have an idea that you think you want to put out there. And you must take that risk.
(笑い:クリエイティブな力をどう定義するか、だって?僕に言わせると、それは、リスクを取る能力ということだね。バカにされたり、晒し者になったり、批判を受けたり、そんな感じで、実際に自分自身を危険にさらすことになる。でも、世に送り出したいと思うアイディアがある。で、リスクを取らなければならないってことになる。)
RAZ:
Do you feel pressure to be creative all the time?
(常に、クリエイティブでいなければならないことに、プレッシャーを感じますか?)
STING:
I think you're always under, you know, a little bit of pressure, you know. You're... From vanity maybe, you know? You want to be, you know, still relevant after all of these years and then you look at your peers and they're doing well. And you compare yourself with them so there is a bit of that. But, you know, I try and go into a deeper place inside me that is much calmer and it's irrelevant whether I'm successful or celebrated or not. Where my true happiness lies It's got nothing whatever to do with any of that. It's basically just comfort in being who I am. And it's deeper. It's at a deeper level.
(いつでも、少しプレッシャーを感じているものだと思うよ。たぶん、ちょっと見栄をはるんだろうね。長年やってきてるし、まだ、存在意義を感じていたいんだよ。仲間たちはというと、みんなちゃんとやっているし。で、自分と彼らを比べたりしてね。すると、やはり、プレッシャーはあるものだよ。でも、僕は、自分の中にあるもっと深い場所に行ってみるんだ。ずっと穏やかで、自分が成功しているかどうか、とか、有名かどうかなんて関係ないところ。そこには、自分の思う本当の幸せがあって、成功や名誉なんかとは関係が無い。ただ、もう、僕が僕らしくいられて、安心できる。もっと深くて、意味のあるレベルでね。)

Stingは、やがて、10年にも渡り、何も曲が浮かんでこないという、Writer's Block 、いわゆるスランプに陥ったそうです。

RAZ:
 I mean, so what did you do? I mean, how did you break out of it?
(それで、どうなさったんですか?つまり、そこからどうやって抜け出したのですか)
STING:
 I thought well, you know, maybe my best work wasn't about me (laughter). Maybe my best work was when I started to brighten the voices of other people or put myself in someone else's shoes or saw the world through their eyes. And that kind of empathy is eventually what broke this - writer's block we'll call it. Just by sort of stopping thinking about me, my ego, and who I am, and actually saying let's give my voice to someone else.
(考えてみると、そう、最高の作品というのは、自分のことを描いたものではなかったんじゃないか、と。(笑)おそらく、最高の作品とは、自分以外の人々の声に光を当て始めた時、あるいは、他の人の立場から、その人の視点で世界を見た時に生まれるんじゃないか、ってね。そういう他者への共感が結局、この、いわゆる「スランプ」を抜け出すきっかけになった。自分のこと、自我というか、自分らしさというか、そういうものを考えるのを止めて、他の誰かに声を貸そうとすることで、ね。)

ここで引用しているのは、インタビューの中のほんの一部ではありますが、このStingの言葉から、創作活動というのは、とことん自分と向き合う、つらい作業だということがわかります。クリエイティブであること、というのは、自分自身を危険にさらすこと、であり、クリエイティブでいなくてはならない、というプレッシャーを乗り越えるには、そんな危険の届かないずっとずっと深いところに立つことだと語っています。

社会の中で生きていると、どうしても、トレンドだとか、他人の評価だとか、損得だとか、そういったものに惑わされがちで、「自分が本当に好きなこと」とか「自分が自分らしくあること」が、本当は何だったのかわからなくなってくるような、そんな気がします。でも、カッコよく見せようとか、バカにしやがって、とか、そんなことに気を取られずに、外野の声が届かない奥深くの場所で、自分らしさとか、自分にとっての幸せに没頭する・・・。これは、クリエイターではない、私たちにも大切なことではないでしょうか。

そして、さらに、Stingがスランプから脱出できたのは、他者の視点に立って世界を見た時だったというのは興味深い。自分自身ととことん向き合った最後には、とうとう、自分自身を超えて、他者へと辿り着くのだ、という事実は感動的ですらあります。さすが、Sting!

引用:The quoted part is from "How Do You Get Over Writer's Block?" by NPR/TED STAFF
October 03, 2014 8:37 AM ET   http://www.npr.org/2014/10/03/351545257/how-do-you-get-over-writer-s-block

2014年10月1日水曜日

一瞬の歌声に込められた意味 ~ジェフ・バックリーの言葉から~

半年くらい前のことだったでしょうか。毎日、更新を楽しみにしている、洋楽の歌詞を和訳するサイト、『およげ!対訳くん』で、ジェフ・バックリーの歌うHallelujah(ハレルヤ)を初めて聴きました。

   http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2014/03/hallelujah-leonard-cohen-jeff-buckley.html

この曲は、オリジナルはレナード・コーエンによるもので、ジェフ・バックリーはカヴァーをしているということなのですが、丁寧に演奏されるギターの音に導かれた、彼の歌声にひきこまれました。そして、「歌唱力」とはなんだろうということに思いを馳せてしまいました。声が美しい、声量がある、音程が安定している・・・。歌がうまいと感じるときに、いろいろな要素があると思うし、歌がうまいミュージシャンといえば、亡くなった方まで数え上げれば、枚挙にいとまがないものですが、それでも、このジェフ・バックリーのハレルヤは特別です。この圧倒的なヴォーカルの力はどこから生まれてくるのか。なぜ、こうも美しく、しんと胸に響いてくるのか。

先日、Brain Pickingsに、ジェフ・バックリーのインタビューが取り上げられて、この疑問の答えがわかったような気がしました。




"[What I want to communicate] doesn’t have a language with which I can communicate it. The things that I want to communicate are simply self-evident, emotional things. And the gifts of those things are that they bring both intellectual and emotional gifts — understanding. But I don’t really have a major message that I want to bring to the world through my music. The music can tell people everything they need to know about being human beings. It’s not my information, it’s not mine. I didn’t make it. I just discovered it."
(僕が伝えたいことには言葉なんて無い。だから、言葉で伝えることはできない。僕が伝えたいのは、シンプルに、伝えようとしなくても伝わる感情みたいなもの、そういうものだ。そういうものは、ありがたいことに、知性と感情の両方に届いてくれて、「共感」を与えてくれる。でも、僕は、音楽を通じて、世界に何かものすごいメッセージを伝えたい、なんて思ったりはしていない。僕たちに、人として生きていくのに、知らないといけないことを教えてくれるのは、音楽の方なんだ。「僕が伝えたいこと」じゃない。僕からではない。僕が作り出したわけではなくて、僕はただ、探し出しただけなんだ。) 
"It’s just that, when you get to the real meat of life, is that life has its own rhythm and you cannot impose your own structure upon it — you have to listen to what it tells you, and you have to listen to what your path tells you. It’s not earth that you move with a tractor — life is not like that. Life is more like earth that you learn about and plant seeds in… It’s something you have to have a relationship with in order to experience — you can’t mold it — you can’t control it…"
(人生の本質っていうのは、つまり、ただ、こういうことだ。人生は特有のリズムを持っている。そして、誰も自分のやり方を、押し付けるわけにはいかないんだ。人生がこちらに伝えてくるものに耳を澄まさなくてはいけない。自分の進む道がこちらに伝えてくることに、じっと耳を傾けるんだ。トラクターを使って、切り開いて行く大地。人生はそんなものじゃない。そうではなくて、しっかりと確かめながら、種をまいていく。どちらかというとそんな大地だ。関わりを深めながら、経験をつみ重ねていくべきもので、勝手にねつ造したり、コントロールしたりなんかできないんだ。)

ジェフ・バックリーの言葉に、音楽にすべてをかけて、真剣に向き合った彼の姿がうかがえます。このハレルヤという曲も、詩の内容は、わりに抽象的で、様々な解釈が可能になりそうですが、聞き流したりせずに、心を落ち着けてじっと歌声に耳を澄ましていると、人を愛するということに付随する歓びや哀しみ、諦念が、どうしようもなく歌声ににじんでいるようで、受け入れているのか、抗っているのかわからなくなるような、なんともいえない気持ちになって、心を動かされます。1990年代に、将来を嘱望されていたのに、水泳中に30歳の若さで溺死してしまった(ウィキペディア)ということですが、短い人生の歌声の一瞬一瞬に、音楽に対する、洞察、理解、信頼、畏れなどがこもっていて、それが彼の歌に、他のミュージシャンにはない、圧倒的な深みと陰影を与えることになったのではないか。そんな気がします。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月3日水曜日

エド・シーランのセカンド・アルバム「X](マルティプライ)に思うこと

かの小林克也氏が、彼の番組の中で、「2枚目のジンクス」と言われるのを、しばしば耳にします。デビューアルバムで大ヒットを果たすものの、そこで力尽きてしまってセカンドアルバムがもうひとつふるわない。そのようなケースはよくあるらしい。しかし、幸いなことにエド・シーランにはそんなジンクスは、何の意味も持たなかったようです。

2011年のデビュー・アルバム「+」(プラス)は、申し分のないアルバムでしたが、2014年6月25日に発売された、エド・シーランの2枚目のアルバム「×」(マルティプライ)は、それを上回る素晴らしい出来栄えになっています。のびがあって透明で、なおかつ表現力のある歌声は相変わらず聴きごたえがあるし、日常の中の、誰も気づかないような小さな事柄を切り取って、心を伝える繊細な詩も感動的。ギターも打ち鳴らせばラップもしてみせる万能ぶり。ファレル・ウィリアムズを迎えたり、新境地を開拓することにも余念がない。17に及ぶ楽曲が収録されているのに、「これは、まあまあ」というようなものはなく、どの曲も充実しています。



エド・シーランのツイートは、彼の飾らない「男の子」っぷりが魅力で、ついフォロワーになってしまいました。食べ物のツイートがあったりします。メロン、とか、すいか、とか、チキン、とか。ただそれだけの短い言葉に、すごくうれしそうな様子がにじみ出ていて、ツイートというのも不思議なものだ、と思います。そして、そういうツイートをずっと追っていると、ここ2年くらい彼がいかに頑張ったかが、わかるような気がします。テイラー・スウィフトのREDツアーにずっと同行していた時期もあったし、なんだか激太りしていた時期や、朝から晩までプロモーションに奔走していることもありました。ここ2年間のエドの格闘が、この2枚目のアルバムに結実したのだ、と、そう思います。

ギター1本で歌う音楽小僧の魂はそのままに、「ものすごく売れてやる」という健全な野心も持ち合わせているようで、臆することなく、ポップな要素を取り入れたり、自分の中の暗い部分を暴露するような曲も作ったりしている。そんな風でいても、彼の核となる部分はいささかも損なわれることは無いようで、相変わらず、肩の力の抜けた人の好さそうな表情を見せている。そんなエドを見ていると、この人はもっと成長する。まだまだ、何かを取り込む土壌を持っている、と思わされます。

“I did everything last year,” he said exhaustedly. “Everything. Everything wrong and everything right. It was a very important year.” At one point, he moved to Los Angeles for a relationship, only to be dumped the day he arrived: “I literally landed from Canada, it ended, then I went to the house and unpacked my stuff.”
(「昨年はとにかく全部やったよ。全部、だよ。間違っていることも全部だし、正しいことも全部。ものすごく大事な1年だった」エドは疲れ切った様子でそう言った。ある時は、恋人のためにロサンゼルスに移動したのに、着いたその日に捨てられた。「大げさに言ってるわけじゃなくて、本当に、カナダから到着して、関係が終わって、家に帰って荷物をほどいた、そんな感じだった。」) 
He continued: “I was in a situation where something was presented to me that I never thought would ever be possible. I felt like I had to do it, I should not let this go, and I know now that things on the surface aren’t always what they are.”      (そして、こう続けた。「そんなことあり得ないだろう、っていうようなことが、目の前に差し出されてる、そんな状況だったんだ。ただもう、やっておかなくちゃ、このままにしておくものか、そう思えたよ。で、今わかるのは、表面に見えているものだけでは、本当のことはわからない、ってことだ。」)
「良いことも悪いことも、目の前に差し出されたものを全て」やり、その経験を活かしきる。エドのように、私の人生にも様々なことが差し出されてきたし、今もこれからもそれは続くはずだと思う。正しいのかも、間違っているのかも、差し出された時点では、その意味はわからない。意味がわからないから、少し怖くもある。でも、振り返ってみると、本当に大切なことには、不思議と何か勇気のようなものがわいてきて、よくわからないままに「えいや」で飛び込んでしまっているような気がします。そして、それが、その後の流れに決定的に結びついているように思います。それは「頑張り」を強いられる困難の始まりであると同時に、飛躍へのチャンスになるということなのでしょうか。エドのセカンド・アルバムから、そんなことを思いました。

引用: The quoted part is from;
Jon Caramanica. "Ed Sheeran, lighter and Wiser, releases 'X'."The New York Times. 2014.
http://www.nytimes.com/2014/06/22/arts/music/ed-sheeran-lighter-and-wiser-releases-x.html?smid=tw-nytimes&_r=0

2014年5月6日火曜日

ジャスティン・ティンバーレイクが語るファレル・ウィリアムス

タイム誌が選ぶ恒例の、『世界に最も影響力のある100人』2014年版の中に、ファレル・ウィリアムズ の名前が挙がっていました。確かに最近の彼の活躍ぶりを思うと、100人の中に入らないはずがない。Get Lucky, Blurred Lines, Happyなど、彼が関わった音楽は、ぴちぴちとはねていた魚が、水を得て勢いよく泳ぎだすように、「今」という時間の中で、生き生きとした輝きを放つような気がします。


そのファレルについての文章を、ジャスティン・ティンバーレイクが寄せているのですが、この文章がまた素晴らしい。ファレル・ウィリアムズとの初めての出会った時の自分自身の気持ちが的確に描写されています。しかも、その描写からファレル・ウィリアムズの人となりも同時にはっきりと浮かび上がってくるのです。

"When I decided to work on my first solo album in 2002, Pharrell was the first musician I spoke to. I was 21 and ready to say something to the world. But I needed someone to help me translate exactly what that something was. I knew from our first conversation that he was that person." 
(2002年に初めてソロアルバムに取り掛かることを決めたとき、僕が最初に相談をもちかけたのがファレルだった。僕は21歳で、世界に「何か」を問う覚悟はもうできていた。でも、その「何か」とはいったい何なのかを正確に翻訳するために、誰かに手伝ってもらう必要があった。そして、その誰かとはこの人のことだ、と最初の相談の時からすぐに僕にはわかった。)
"I will never forget how free and fun those sessions were. There were no rules, loads of laughs and music being created that made you feel like you could levitate. The collaboration I have with him is like no other. He made me fearless, and I’ve carried that with me the rest of my life."
(あの時のセッションがどんなに自由だったか、そして、どんなに楽しかったか、けして忘れることはないだろう。面倒な決まりなんてなくて、笑いにあふれていて、音楽がどんどん生まれて軽々と宙を舞っているような感じがした。ファレルと一緒にやるのは、他の誰とやるのとも違う。ファレルと一緒だとこわいものなんかなくなった。そして、それは、今でも僕の財産となっている。) 
"That’s what Pharrell does. He injects that vibrant energy into the music in a way that you can feel. Whether it’s the chord changes that remind you of another time or the melody that instantly grabs you, you are transported to another place. You smile, you dance, you clap along. His music actually does make you happy."
(ファレルがするのはつまりそういうことだ。いきいきとしたエネルギーを音楽に注ぎ込む。しかも、みんなが感じとることのできるやり方を使って。それは、昔を思い出すようなコード展開かもしれないし、すぐに心をつかむようなメロディかもしれない。いずれにしても、みんな、別のどこかにもっていかれてしまうのだ。思わず笑顔になって、体が動いて、手をたたき出してしまう。ファレルの音楽は、その通り、みんなをハッピーにしてしまうのだ。)


才能あるアーティスト同士、こうして一緒に関わり合いながら、そこからお互いに何かを見出し、何かを得てそれをさらなる力に変えてますます大きくなっていくのに違いない、そう思えた文章でした。

引用 The quoted passages are from

2014年3月2日日曜日

アダム・レヴィ―ンのツイートから

アダム・レヴィーン Adam Levine は、アメリカのバンド、マルーン5 Maroon 5 のヴォーカリストで、ウィキペディアによると、「業界随一の色男としても知られており、大勢のハリウッドセレブとの浮名を流している。」だということです。


ツイッターで彼のアカウントをフォローするようになったのは、マルーン5の音楽が好きだから、というのは、もちろんですが、2012年11月の大統領選の頃、彼が明確にオバマ支持を表明していたのが、興味深く思われたから。以来、ずっと彼のフォロワーのままでいます。時々入ってくるツイート、これがなかなかおもしろい。彼が「業界随一の色男」というのも、なんだかわかる気がします。アダム・レヴィ―ンのツイートから、彼の魅力について考えてみることにします。

1:堂々としていて押し出しがいい
6 Dec  "I will never apologize for having opinions." 
「意見があるってことで、謝ったりはしない」 
3 Jan "When someone tells me "grow up" I always answer with, 'why?' "  
「誰かに『大人になれよ』って言われたら、いつもこう答えることにしている。 『どうして?』」
3 Jan  "New Years resolution: be more awesome."      
「新年の抱負:今よりもっとスゴイやつになること」

2:なかなか鋭い洞察力
13 Dec   "The only thing cooler than not liking 'cool music' is not even knowing what 'cool music' is." 
「『カッコイイ音楽』は好きじゃない、というのよりもカッコイイ場合が1つだけあって、それは、どういうのが『カッコイイ音楽』かなんてわからない、っていう時」 
15 Jan   "BE an artist. Don't claim to be one. It just never sounds good. 'I'm an artist.' "  
「アーティストには『なる』ものだ。自分はそうだ、と『言う』ものじゃない。『オレはアーティストだ』と自分で言って、いい感じに聞こえたためしはない」 
31 Jan   "Optimism and delusion are two TOTALLY different things."  
楽観と幻想の2つは、まったく別物だ」
15 Feb   "It seems like life's most poetic moments never occur when you want them to. I guess that's part of what makes them poetic."  
「人生で最高に詩的な瞬間というのは、起こって欲しいと思っても起きるものじゃないみたいだ。そういうところがあるからこそ、詩的なんだろうな」

3:小さな男の子みたいにかわいい
29 Nov "I want a baby tiger."  
「トラの赤ちゃんが欲しい」
26 Feb "I want blueberry pancakes with tons of butter and maple syrup. And I want them NOW."  
「バターとメープルシロップがたっぷりかかった、ブルーペリーパンケーキが食べたい。しかも、今すぐに」

4:謙虚に自分を客観視して、たまに自己嫌悪に陥ったりしている姿が共感を呼ぶ

13 Mar "Why do we idolize celebrities? If you guys knew how lame most of them were you'd be amazed. Myself included. So lame."  
「何で、有名人を崇拝するんだろう?もし、そのほとんどが、どれだけつまらないかわかったら、きっと驚くぜ。自分もその一人だけど。ものすごい退屈なやつだよ。」 
24 Sep "by the way,  im NOT an artist. i sing in a band and i make music with my friends."    
「ところで、オレはアーティストなんかじゃない。バンドで歌って、友達と音楽作ってるだけだ」
27 Sep "The thing about idiots is that they don't know they're idiots. Which is why it's so easy for me to sleep at night."  
「バカについて言えるのは、バカには自分がバカだってことがわからないってことだ。だから、オレは夜、すぐ眠れるんだ」

先日、久しぶりにツイートが入ってきたな、と思ったら、連続ツイートで、しかもなんだか元気が無いご様子。
Feb. 26, 2014   "So crazy. Every time I hear @blakeshelton talk on the show, I'm just amazed by his wisdom. I would choose him as my coach." "These sneak peaks*really show off how ridiculous I am as a person…" "Every time I lose an artist to another coach on The Voice, I pick up People Magazine to remind myself I'm sexier than they are." "I actually have the audio recording of the Voice audience yelling "ADAM" and it plays on loop in my house 24/7"  "Did ya'll see me roll on the floor after I won that?!?!?! I'm so crazy… but seriously, I'm crazy." 
(「ああ、ダメだ。ブレイク・シェルトンがこの番組で話すのを聞くと、いつも、ブレイクの賢さにびっくりするんだ。オレだったら、コーチにブレイクを選ぶ」「こういう本音って、自分が人間として、どれだけバカかってことを、さらしてしまう・・・」「『ヴォイス』で別のコーチに負けるといつも、雑誌『ピープル』を手に取って、やつらよりもオレの方がセクシーだっただろ、って自分に言い聞かせるんだ」「『ヴォイス』のお客さんたちが『アダム!』ってかけ声をかけてくれてる録音テープだって持ってる。家では、それを年中無休でエンドレスで、かけてるよ」「勝った時は、床を転げまわってしまうのは、みんな見て知ってるだろ?おかしいよな。・・・いや、マジで、オレはおかしい」
ブレイク・シェルトンを尊敬して、自分はダメだと落ち込んで、そして、気を取り直すために、「もっともセクシーな男性」に選ばれた『ピープル』を手に取って・・・。スケールの差こそあれ、自信(の無さ)、自負と自己嫌悪の渦巻く、あの複雑な嫌な気持ち、誰しも経験があるところではないでしょうか。しかし、何もそこまで、正直に自己開示しなくてもよさそうなものなのに、そのままツイートしてしまうあたり、なんともアダムらしい。あるがままの自分を、まずは、自分で受け止める。その上で、まるごと等身大で体当たりしてくる。そんな彼の在り方が、アダム・レヴィ―ンの一番の魅力なのかもしれません。

引用 Adam Levine's twitter account: 

2014年2月1日土曜日

ブルース・スプリングスティーンのインタビューから

先日、ツイッター上に流れてきた言葉に、ふと目がとまりました。
興味を引かれるままにリンクを辿っていくと、それは、米国の公共ラジオNPRで1月15日付
取り上げられていた、ブルース・スプリングスティーンのインタビューからの言葉でした。 



Ann Powers: 
I love the dream aspect of what you do. And I'm wondering if you can talk about the role of what dream and fantasy play in what you do. 
(されているお仕事に、「夢」のような側面があるのが好きです。作品の中で夢や想像がどんな役割を果たしているか、教えていただけませんか。)  
Bruce Springsteen: 
It's everything, of course.  I mean, that's all we're doing, really, we're living in the world but it's all sort of dreams and it's all illusion. It's theater; it's not real. We're making up stories, you know, and people tend to run into you and believe you are your characters.  And I suppose the funny thing is the longer you go, you do become sort of some version of them.  You both diverge from them, you know, you live, but you also permanently inhabit that geography and that mental space and so you do morph a little bit. We do become what we imagine. 
(それが全てなんだよ。当然だよ。というか、僕たちがやってることはそれだけだよ、本当に。僕たちはこの世界に生きているんだけど、この世界はすべて夢みたいなもので、すべては幻想なんだ。ドラマであって、現実ではない。僕たちは物語を作っているだろう?そして、みんなはその中にこちらの姿をみてしまう。そして、僕たちのことを、こちらが設定した登場人物そのものだと信じてしまうんだ。そして、おもしろいと思うのは、ずっと、そんなことを続けていると、なんとなく、その中の誰かに本当になってしまうってことだよ。本当の自分も虚構の自分も、どちらもそこから派生したものになるんだ。自分の人生を生きている。その一方で、別の地平、しかもそれは(実体のない)精神的なもの、そういう空間に、永遠に存在することになってしまって、さらにそのことが、自分自身を少し変えてしまう。僕たちは、自分が想像するものになるんだ。)
作家や漫画家、作詞家など、創作に携わる方々が、「作品の登場人物はフィクションであって、
自分の人格とは違うのだ」と弁明されるのを、これまでに、幾度となく目に(耳に)したことが
あります。しかし、このブルース・スプリングスティーンの「自分の作りあげたフィクションの世界に、
やがて自分が影響を受けてしまう」という見方。これはなかなかおもしろい。創作が産み落と
された時には、単に虚構であったものが、時の洗礼を受けることで、図らずも自分自身の実在に
働きかけるようになる。

最近、巷でサッカーの本田圭佑選手の、小学校時代の卒業文集が話題になっていると
聞きました。「世界一のサッカー選手になる。」「セリエAに入団します。レギュラーになって、
10番で活躍します」と書いていたそうで、前人未踏の、おとぎ話のような少年の夢が、15年
という時を経て、まさに実現してしまう。この驚愕の事実を思うと、"We do become what we
imagine."(「僕たちは自分が想像するものになるんだ。」)と語ったブルース・スプリングスティーン
の言葉が、にわかに現実味を帯びてくるように思いました。



2013年10月20日日曜日

My First Time

ブログに手を出すことにしてみました。理由は2つ。ここ1年ほど、ツイッターに手を出していて、いろいろな人のツイートに目を通す毎日を送ってきました。ツイッターでは、すべてを英語で行うことにしています。そうすると、「ん?ちょっと待って」と言いたくなることがよくある。ちょっと立ち止まって考えたくなるような言葉に、ちょくちょく出会うのです。そして、そういう言葉を拾って、日本語で考えたくなる。ツイッターには文字数の制限があるし、そもそも英語を使うことにしてしまっているので、立ち止まって日本語で考えるのにはとても不向きです。日本語で考える場が欲しかった。

もう1つは、Kimbraの"kimbra's catacombs"というブログです。2013年10月17日の投稿に、ブログの背景が記してあるのですが、それにすっかり影響を受けてしまいました。


"I have created this blog ‘the catacombs’ as a collection of thoughts, authors’ wisdom, song seeds (including demo’s & sketches from the making of VOWS) and various inspirations I have come across. This is a blog about the beautiful people, authors, artists, words & moments of transcendence that have inspired me and urged me to create out of an overflowing sense of love, duty and the need for expression." 
(このブログ「カタコーム(墓地)」は、思想とか作家の言葉とか、歌の種(私のアルバムVOWSを作った時のデモとか企画なども)、そのほか私がこれまでに出会って刺激を受けたいろいろなものを集めて作りました。美しい人、作家、アーティスト、言葉、それに我を忘れてしまうような瞬間。そういった、私に刺激を与えたり、何かを表現したい、表現しなくては、表現するのが大好き、というようなあふれる思いをかきたててくれるもの。これは、そんなものたちについてのブログなのです。) 

自分の心に響いたものを、記憶にとどめておきたい、もう一度味わいたい、誰かに伝えたい、そんな気持ちは、才能あふれるKimbraならずとも、誰もが持つということなんでしょうね。・・・というわけで、ハイ、ブログです。

引用 The quoted part is found in:
"Kimbra's Catacombs"http://kimbramusic.tumblr.com/post/64353641326/a-bit-of-background