2016年2月14日日曜日

Love Is a Learned, Emotional Reaction.

バレンタインデーが近づくと、「愛」について考えさせるような情報が、やはり巷にも増えてくるせいか、自分としても何となく「愛」について思いをはせてしまいます。そして目に留まったのは、 brainpickings で紹介されていた、心理学者の Barbara Fredrickson (バーバラ・フレデリクソン) のこの言葉です。
"Most of us continue to behave as though love is not learned but lies dormant in each human being and simply awaits some mystical age of awareness to emerge in full bloom. Many wait for this age forever. We seem to refuse to face the obvious fact that most of us spend our lives trying to find love, trying to live in it, and dying without ever truly discovering it."
(私たちのほとんどは、ずっと、愛情というものは、学習されるようなものではなく、一人一人の人間の内に眠っていて、何か神秘的なことが起こってそれが呼び覚まされ、やがて開花する時が来るのを待っているのだ、とそういう態度のままでいます。多くの人は、その時が来るのを永遠に待ち続けている。人生を、愛情を探して、愛情の中で生きようと努力し、とうとう本当に見つけることなく死んでいくのだという、明白な事実を拒んでいるかのようです。)
"Love is a learned, emotional reaction. It is a response to a learned group of stimuli and behaviors. Like all learned behavior, it is [affected] by the interaction of the learner with his environment, the person’s learning ability, and the type and strength of the reinforcers present; that is, which people respond, how they respond and to what degree they respond, to his expressed love."
(愛情というのは、学習することで身につく感情反応です。それは、学習されたひとまとまりの刺激と行動に対する反応です。学習して身につけるあらゆる行動同様に、それは、学習者の環境、能力、どんな繰り返しがどの程度あるか(つまり、自分の表現した愛情に対して、どういう人が、どんな風に、どの程度反応してくれるか)等との相互作用に大いに影響されます。)
え。さて、自分は「愛」を学習したことがあっただろうか。少なくとも、意識的には無いような気がします。百歩譲って無意識に学習をしてきたとして、あなたの学習の到達度はいかほどか、と問われたら、はなはだ自信はありません。
 そしていろいろな疑問も湧いてきます。その「愛」というのは、男女間の?家族とか、友人とか、果ては博愛とか、そういうものも含まれるのか。含まれるとすると、それぞれの「愛」は同じものなのか、違うものなのか。生きていく上で、「愛」は大切なものだということはわかっています。たとえ、「愛」の学習がこれまでに足りなかったとしても、では、「愛」を感じずに生きていけと言われると、それは厳しいことのように思えます。
 もらってばかりでは申し訳ない。自分からも差し出さないと、と思うものの、人に与えることの難しいこと。何をやっても間が悪いような気がするし、いらないかも、邪魔になるかも、かえって迷惑かも、と、用意しているもの(物であれ気持ちであれ)を、しまい込んだままにしてしまいがちです。時に、本当に親しい身内にさえそうしてしまう自分は、「愛」の偏差値は相当低いに違いない。さっと、タイミング良く、相手を幸せな気持ちにしてくれる人がたまにおられますが、一体どのようなしくみになっていて、どんな学習をつまれたのか、見当もつきません。
"To love without knowing how to love wounds the person we love. To know how to love someone, we have to understand them. To understand, we need to listen."
(愛し方を知らずに愛することは、愛する人を傷つける。誰かを愛する方法を知るためには、その人を理解しなくてはならない。理解するためには、耳を傾ける必要がある。)

これは、同じ brainpickings で紹介されていた、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンの言葉です。愛し方、と思うと結局どうすればよいのかよくわからないけれど、よく相手を理解しなさい、ということなら、なんとなく手がかりがつかめるような気がします。
 もう、人生の折り返し地点を曲がってしまっているというのに、誰にも何も満足にしてあげることのできない不甲斐ない自分ですが、こうなったら、もう、ティク・ナット・ハン氏の言葉を全面的に信じて、何はともあれ学習を積んで、相手を理解することにかけては、他の追随を許さない、間違いなしの力をつけ、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう人に私はなりたい、と思います。

The quoted parts are from:
"The Science of Love: How Positivity Resonance Shapes the Way We Connect " in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2013/01/28/love-2-0-barbara-fredrickson/
"How to Love: Legendary Zen Buddhist Teacher Thich Nhat Hanh on Mastering the Art of “Interbeing”"in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2015/03/31/how-to-love-thich-nhat-hanh/