2017年4月14日金曜日

「小さな喜び」を大切にできる能力 ーヘルマン・ヘッセの言葉からー

物事を何もかも完璧にすることはできないでしょう。1日は24時間しかないし、そのうち何時間かは必ず眠らなくてはいけません。自分の関わる全てのことを、自分が理想とする形で進めようとすると、どこかで無理が生じてくる。仕方がないから、様々な観点から、この件はこのくらいでおさめるのがベストであろう、と思われる「落としどころ」を見定めて、そこで手を打つことにする。その決定には自分の性質や価値観、それまでの経験などが映し出されていることと思います。

そうして、あることだけが極端にならないように、何かに無理が生じないように、かといって、それが怠惰や臆病にすり替わってしまわないように気を付けながら、うまくバランスを取っていく。それが人生というものではないでしょうか。

Brainpickingsの投稿に、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)の文章が取り上げられていました。ヘルマン・ヘッセといえば、『車輪の下』が有名ですが、先に思い出すのは、中学校の教科書で読んだ短編『少年の日の思い出』の方でしょうか。Brainpickingsの記事の中で、ヘッセは物事に適度に取り組んで、毎日の生活に小さな喜びを見つけることの大切さについて語っています。

「Hermann Hesse」の画像検索結果
                            

”The ability to cherish the “little joy” is intimately connected with the habit of moderation. For this ability, originally natural to every man, presupposes certain things which in modern daily life have largely become obscured or lost, mainly a measure of cheerfulness, of love, and of poesy. These little joys … are so inconspicuous and scattered so liberally throughout our daily lives that the dull minds of countless workers hardly notice them. They are not outstanding, they are not advertised, they cost no money!”
「この『小さな喜び』を大切にできる力というのは、ものごとをほどほどにすることと深く関わっています。というのは、元来誰にでも普通に備わっているはずのこの力が前提としているのは、現代の日常生活では、ものすごく見えづらく、それどころか、損なわれてしまったような物事、ちょっとしたほがらかさとか愛情とか詩だからなのです。こういう数々の小さな喜びは、あまり目立たない上に、毎日の生活のあらゆる場面に、大いに散らばっているので、感覚の鈍っている多くの労働者は、ほとんど気づくことがないのです。目立たないし、知らされないし、お金もかからないのだから!」 
”Just try it once — a tree, or at least a considerable section of sky, is to be seen anywhere. It does not even have to be blue sky; in some way or another the light of the sun always makes itself felt. Accustom yourself every morning to look for a moment at the sky and suddenly you will be aware of the air around you, the scent of morning freshness that is bestowed on you between sleep and labor. You will find every day that the gable of every house has its own particular look, its own special lighting. Pay it some heed if you will have for the rest of the day a remnant of satisfaction and a touch of coexistence with nature. Gradually and without effort the eye trains itself to transmit many small delights, to contemplate nature and the city streets, to appreciate the inexhaustible fun of daily life. From there on to the fully trained artistic eye is the smaller half of the journey; the principal thing is the beginning, the opening of the eyes.”
「とにかく一度試してみてください。木とか、大きく広がる空などというものはどこにでも見ることができるものです。青空である必要もない。何らかの方法で、太陽の光はいつも、光そのものを感じさせてくれます。毎朝、少しの間、空を見る習慣をつくってください。すると、自分の周りにある空気に、眠りと仕事の合間に、朝の新鮮な香りが自分に与えられていることに、ふと気づくようになるでしょう。毎日、家という家の屋根がそれぞれに違った形をしていたり、独自の照明があるのに気付くでしょう。ちょっと注意してみてください。その日の残りが、何だか満ち足りていたり、自然と共にあることを感じられたりするのがわかるかもしれません。そのうち少しずつ、一生懸命にならなくても、目が鍛えられて、たくさんの小さな喜びを伝え、自然と街の通りについて考え、毎日の生活に尽きることのない楽しさを感じるようになるでしょう。今いるところから、十分に鍛えられた芸術家の目にたどりつくまでは、そう遠くない道のりです。大切なのは、始めることです。まず、目を開いてみることなのです。」
忙しくしていると、つい後回しにしてしまいがちですが、"Cheerfulness, love and poesy "(ちょっとしたほがらかさとか愛情とか詩) などというものは、本当に毎日の中で大切なものだと思います。現役世代で仕事が忙しい。フルタイムの仕事と育児や介護のかけもちをしている。皆それぞれに、心にも時間にも余裕はないものですが、それでも、人生のどの段階でも、それを手放してはいけないと思う。また、その大切さや意味をきちんと次世代に教えて、子ども達がちゃんと、"the fully trained artistic eye" (十分に鍛えられた芸術家の目)を持つようにしてあげる。そして、その大切さをお互いに保障し合うような社会にしようと努力するのが、大人の義務ではないかと思います。

The quoted part is from

"Hermann Hesse on Little Joys, Breaking the Trance of Busyness, and the Most Important Habit for Living with Presence" from brainpickings.