2015年9月26日土曜日

音楽の力 -ニーチェの言葉から-

音楽を聞かれますか。私は聞きます。1日のうち、何度も。何かをしながら気分に合ったものを「ながら聞き」することがほとんどですが、ゆっくり腰をおろして集中して聴くこともあります。主に聴くのは英語圏のロックかポップス。ジャズを聴いたりすることもあります。クラシックもほんの少し。

音楽のことを考えると、いつも圧倒されるような気がします。言葉では「音楽を聴く」という表現を遣いますが、実際のところ、音楽は耳だけで聴いていない。皮膚だとか、関節だとか、全身で受け止めているような気がします。そして、音楽を受け止めている私の全身は、音楽を聴いている私よりも、随分賢く有能であるようです。



"God has given us music so that above all it can lead us upwards. Music unites all qualities: it can exalt us, divert us, cheer us up, or break the hardest of hearts with the softest of its melancholy tones. But its principal task is to lead our thoughts to higher things, to elevate, even to make us tremble… The musical art often speaks in sounds more penetrating than the words of poetry, and takes hold of the most hidden crevices of the heart… Song elevates our being and leads us to the good and the true."                
(神は我々に音楽を与えてくださった。何よりもまず、我々を高みに導くために。音楽はすべて合わせ持っている。我々を称えてくれ、慰めてくれ、励ましてくれる。あるいは、頑なになった心を、憂いのある柔らかな音色でほどいてくれる。しかし、最も大切な働きは、我々の思いをより高いものへと導いてくれることだ。気持ちを高め、心を震わせる。音楽は、多く、音をつかって、詩の言葉よりも、心の深くにまっすぐに訴えてくる。そして、心の中の見えない隙間を捕らえてしまう。歌は我々の存在を高め、善きこと、真実のことへと導いてくれる。)
これは、BrainPickingsで紹介されていた、 ニーチェ(Nietzsche) の言葉です。思うに、音楽を聴いている私は、おそらく私の意識なのでしょうが、音楽を受け止めている私の全身は、不随意筋や自律神経や無意識なんかが内在する、私の意識を超えた私自身なのではないでしょうか。だから、分析して理屈をつける前に、この曲を好きだ・嫌いだが、先にすとん、とわかってしまうし、どんなに無名であろうと、ルックスに恵まれてなかろうと、その人の奏でる音楽が本当に何かを伝えるものであれば、それをきちんと受け取ることができてしまう。「私」が疲れていたり、落ち込んでいたりしている時でも、音楽は受け止められ、私は癒されたり励まされたりしてしまう。「私」を超えた私につながるチャネルを持つ音楽が、神から与えられたものだ、とするニーチェの言葉には、なんだか納得がいきます。

ところで、Amy WinehouseのHalf Time という曲。ニーチェの言っていることに、とても似ていると思いませんか?

The quoted parts are from:
Nietzsche on the Power of Music https://www.brainpickings.org/2015/09/18/nietzsche-on-music/?
Half Time エイミー・ワインハウス (Amy Winehouse)http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2015/07/half-time-amy-winehouse.html

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