2014年12月17日水曜日

トルーマン・カポーティと文体の話

学生時代、田辺聖子さんの著書を徹底して読んだ時期があります。1人暮らしをしていた頃で、休日ともなると、目覚めてベッドの中から起きだしもせずに、眼鏡をかけて本の続きを開く。お腹がすいたな、と思ったころに起きだして、適当に何か食べて雑用を済ませた後、近くの本屋に行き、新しい「田辺聖子の本」を仕入れてくる。お風呂に入って夕食を食べたら、早めにベッドに入って、新しい「田辺聖子の本」を読み始め、睡魔に襲われるまで夜更かしをして読む。・・・という調子で、ずーっとエンドレスに読み続けました。当時文庫として書店で手に入るものが、100冊前後あったでしょうか。全て読み尽くしたと思います。何を思ってそんな生活を送っていたのか。ひとえに楽しくてやっていた、としか言いようがありません。子供たちがゲームにはまっている状態と同じだったと思います。人間観察の視線の鋭さなど、内容的にはっと気づかされることも多々ありましたが、それより何より、ドライブのある文章の、文体にのる楽しさ。それだけに突き動かされるようにして、読み続けたと思います。味わうべきは文体にあり。このことを、とことん体験した時期だったと思います。

村上春樹さんはまだ若い高校時代に、トルーマン・カポーティの文章を読んで、世の中にこんなに美しい文章があるのか、と感動したそうです。へえ、と思って私も何冊か、手に取ってみたのですが、そこは哀しい外国語。意味はわかったとしても、田辺聖子の文体に、村上春樹の文体に、夢中になるあの楽しさは、英語の文章ではなかなか味わうことはできませんでした。

フォローしている The Paris Review 誌(The Paris Review@parisreviews) のツイートに、そのトルーマン・カポーティのインタビューの記事が紹介されていました。トルーマン・カポーティは、文体についてこう語っています。


INTERVIEWER:
Can a writer learn style?
(作家は文体を学習することができますか?) 
CAPOTE:
No, I don’t think that style is consciously arrived at, any more than one arrives at the color of one’s eyes. After all, your style is you. At the end the personality of a writer has so much to do with the work. The personality has to be humanly there. Personality is a debased word, I know, but it’s what I mean. The writer’s individual humanity, his word or gesture toward the world, has to appear almost like a character that makes contact with the reader. If the personality is vague or confused or merely literary, ça ne va pas. Faulkner, McCullers—they project their personality at once.
(いや、文体は意図的に努力してそこにたどり着けるものではないと思う。自分の目の色がその色なんだってことと同じだよ。つまるところ、文体っていいうのは、その人そのものだからね。しまいには、作家の人格というのは、作品に大いにかかわることになる。人格というのは、品の無い言葉だね。わかっているよ。でもぼくが言いたいのは、そういうことなんだ。作家個人の人間性とか、世の中に対するその人の言葉や姿勢とかが、ほとんど性格のような感じで出てこないようでは嘘なんだよ。それで、読者と関係を作っていくわけだから。もし、人格がはっきりしなかったり、混乱していたり、単に文学の上のことだったら?ソレハナイ。フォークナーだって、マッカラーズだって。人格が、即、浮かび上がっているじゃないか。) 
INTERVIEWER:
It is interesting that your work has been so widely appreciated in France. Do you think style can be translated?
(カポーティさんの作品が、フランスで多く読まれているというのは、おもしろいですね。文体というのは、翻訳が可能なものだと思われますか?) 
CAPOTE:
Why not? Provided the author and the translator are artistic twins.
(もちろんだよ。作家と翻訳家が文芸の世界で双子だった場合、ということだよ。)
文体がその人そのもの、というのはよくわかる気がします。その人の見たもの、聴いたもの、信じるもの、あらゆる体験の全て。その人の持つテンポやリズム、息の長さ、その全てを投じて、文章というものは書かれ、文体が形づくられる。だからこそ、そこに夢中で飛び込む人を受け止めるほどの、包容力を持つのではないでしょうか。

それにしても、いずれ、英語で書かれた文章でも、その文体を夢中になって楽しむことができるようになる、というのが私の悲願です。そうなった時には、田辺聖子や村上春樹のような、自分にとってかけがえのない文体を持つ著者と運命の出会いを果たし、その翻訳をしてみたい、というのも、私の数年来の夢です。そんな日がいつかやってくるといいな、とわくわく、きょろきょろして、毎日を過ごしています。

引用:The quoted part is from;

Truman Capote, The Art of Fiction No. 17, Interviewed by Pati Hill, in The Paris Review No. 16, Spring-Summer 1957 http://www.theparisreview.org/interviews/4867/the-art-of-fiction-no-17-truman-capote

2014年12月1日月曜日

生き方を伝えるビル・エヴァンズの音楽

ジャズのことを深く理解しているわけではないのですが、それでもジャズの名盤なるものが、いくつも私のiPodに入っていて、時折、そのタイトルをタッチすることになります。ビル・エバンズのピアノはその選択肢のいくつかであって、わりに頻繁に耳にしているように思います。何かをじっと考えているような、少し気難しい、そして丁寧な演奏にじっと耳を傾けると、そうだ、私に足らないのは、こういう風に物事に丁寧に向き合うことなんだよな、と思えてきます。


"Most people just don’t realize the immensity of the problem and, either because they can’t conquer it immediately, think that they haven’t got the ability, or they’re so impatient to conquer it that they never do see it through. If you do understand the problem then you can enjoy your whole trip through."
(ほとんどの人は、問題の大きさに気づかないし、しかも、すぐに問題を克服できないということは、才能が無いからだと思ってしまったり、問題を克服するまでの辛抱ができなくて、途中で断念してしまったり。問題がいかなるものか理解できたら、それを克服する旅も楽しめるのに。) 
"It is true of any subject that the person that succeeds in anything has the realistic viewpoint at the beginning and [knows] that the problem is large and that he has to take it a step at a time and that he has to enjoy the step-by-step learning procedure. They’re trying to do a thing in a way that is so general [that] they can’t possibly build on that. If they build on that, they’re building on top of confusion and vagueness and they can’t possibly progress. If you try to approximate something that is very advanced and don’t know what you’re doing, you can’t advance."
(どんな分野にしろ、何かに成功している人というのは、最初から、現実的なものの見方ができている。そして、問題というのは大きなもので、1度に1歩ずつ進んでいかなければならないし、一歩ずつ進む学びを楽しまなくてはならない、ということを知っている。ごく一般的なやり方で進めようとしても、一般論を足場にするのは無理だ。もしそんなところに立ち位置を定めてしまったら、わけのわからない、曖昧模糊とした状況に立つことになってしまって、進歩することはできないだろう。ものすごく先進的なことに近づこうとするのなら、自分が何をやっているのかがわからなければ、前にすすむことなどできないのだ。)
いつもお世話になっている、Brainpickings (http://www.brainpickings.org/) で紹介されていた、ビル・エヴァンズの文章ですが、なんだかすごくよくわかる気がして不思議でした。私の毎日は、ジャズピアノを聴くことはあっても、演奏することなど全く考えられない、別世界だというのに。「一般論は役に立たない」という彼の説が、みごと一般化しているような。

でも彼の言う通り、問題というのは、確かに、たいてい手におえないほど大きいし、しかも1つ1つが、それぞれ個別の文脈の中で起こるもので、一般的な解決方法など、なかなか役には立たない、というのは本当だと思います。あるべき姿に一足飛びに到達することを夢見て、がむしゃらに突き進んでみても仕方がない。問題を現実的に捉えて、理解可能、かつ、達成可能なサイズに細分化して、それを一つ一つ解決しながら進んで行く。一歩一歩という地道さが大変そうではあるけれど、それを楽しみつつ辛抱強く進むことが大切だ、と。この思慮深さ、この着実さが、ビル・エヴァンズの生きる姿勢であり、音楽には、生き方がそのまま映し出されるものなのかな、と思わされました。

引用:The quoted part is from Brainpickings
Universal Mind of Bill Evans: The Creative Process and Self-Teaching
http://www.brainpickings.org/2014/10/30/the-universal-mind-of-bill-evans/?utm_content=bufferafc6f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年11月15日土曜日

テイラー・スウィフトの変身

テイラー・スウィフトの新しいアルバム『1989』が、アメリカで2014年10月27日(月)に発売されました。なんと、翌日火曜日には、既にミリオンセラーを記録したということなのですが、これ以前に、発売1週間でミリオンセラーを記録したのは、やはりテイラー自身の2012年のアルバムRedだったのだそう。凄まじい人気ぶりです。

そのアルバムからの1枚目のシングル、Shake It Off を聴いてみんな驚きました。これまでのカントリー調を脱ぎ捨てて、よりポップな方向に大変身を遂げています。そんなこともできるのか、とか、カントリーはどうなっちゃうの?とか、様々な声が聞こえてきます。お姫様のようなドレスを着ていたり、あくまで可愛いアイドルだった前作までのイメージをぶち壊して、敢えてへたっぴなダンスを披露して、捨身というよりむしろ、はじけてしまって楽しんでいるような感じ。アメリカでも日本でも、男女を問わず、イメージチェンジといえば、セクシー路線に走るのが定石のようなのに、この変身は新しい。すっかりテイラー・スウィフトを見直してしまいました。アルバムの発売当日に、エド・シーランが、

 ”Go grab yourself @taylorswift13's new album, it just came out and it's stellar -  http://smarturl.it/TS1989(すぐにテイラー・スウィフトの新しいアルバムを買っておいで。今日でたばかり。素晴らしいよ)

とツイートしていました。エドが知らせなくてもみんな知ってるよ、
一緒にツアーを回ったからかな、律儀な人だな、と思っていたのですが、それだけじゃない。きっと、本当に素晴らしいと彼も思ったに違いないという気がします。

アメリカの公共ラジオ"NPR"からも、テイラー・スウィフトの、新しいアルバムについてのインタビューを知らせるツイートが流れてきました。

”We are dealing with a huge self-esteem crisis. These girls are able to scroll pictures of the highlight reels of other people's lives, and they're stuck with the behind-the-scenes of their own lives. They wake up and they look at their reflection in the mirror, and they compare it to some filtered, beautiful photo of some girl who's really popular and seems like she has it all together. This is not what you and I had to deal with when we were 12. It's so easy and readily available to compare yourself to others and to feel like you lose.”
(女の子たちみんなの自尊心は、今、危機的な状況にあっていると思うんです。こういう女の子たちって、画面をスクロールして他の人の生活のハイライトシーンばかり見る、そういうことが可能です。そして、自分自身の生活では、「撮影裏話」みたいなところにいて、行き詰っている。朝起きて、鏡の中に写っている自分を見て、その姿を、誰か他の女の子の、選び抜かれた美しい写真と比べるのです。その女の子はすごく人気があって、何もかもすべて手にしているように見える。こういうのって、私たちが12歳の頃には考えなくてよかったことです。他の人と比べて、ものすごく簡単に、安易に、負けたような気分になってしまう。) 
”I'm 24. I still don't feel like it's a priority for me to be cool, edgy, or sexy. When girls feel like they don't fit into those three themes, which are so obnoxiously thrust upon them through the media, I think the best thing I can do for those girls is let them know that this is what my life looks like. I love my life. I've never ever felt edgy, cool, or sexy. Not one time. And that it's not important for them to be those things. It's important for them to be imaginative, intelligent, hardworking, strong, smart, quick-witted, charming. All these things that I think have gone to the bottom of the list of priorities. I think that there are bigger themes I can be explaining to them, and I think I'm trying as hard as I possibly can to do that.”
(私は24歳です。でもいまだに、カッコイイ、今っぽい、セクシーとかいうのは、私が優先したいことではありません。女の子たちが、自分がこの3つのどれにも当てはまらないような気がしていても、メディアが鬱陶しいほど押し付けてくるのです。私がこういう子たちにしてあげられることは、「私の生活はこうなんだよ」って知らせてあげること。私は自分の生活が大好き。でも、自分が今っぽいとか、カッコイイとか、セクシーだとか思ったことはありません。一度もです。そんなの全然大切なことじゃないし。想像力がある、知的、頑張り屋、強い、賢い、機転が利く、魅力的。そういうことの方が大切です。こういうことって、これまで、優先順位の下の方になってしまっていたんじゃないかと思う。もっと大きなテーマがあって、そっちを女の子たちに伝えてあげることができるんじゃないかと思います。精一杯がんばって、そうしてるつもりなんです。)
彼女の曲を聴いて、歌詞を読んでいつも思うのは、この人はなんと真面目な人だろうか、ということです。不器用なほど生真面目だと思います。うっかりすると見逃してしまうような、小さな足跡、何かの兆しみたいなものを、怠ることなくいつもいくつも拾い集めていて、それを紡いで詩を編んでいく。隠したり、ごまかしたり、偽ったりするのは、どうしてもどうしても、許せない。だから、おそらく、過去の自分の恋愛に真正面から向き合って、ごまかしたり、偽ったりした相手を責めて・・・。そんな風にして曲を作っているのではないでしょうか。

彼女が中・高生だった頃、カントリーが好きなことでいじめにあったこともある、という話を聞いたことがありますが、たとえ、ダサかろうがからかわれようが、自分の好きな音楽を偽ったりごまかしたりなんて、彼女にできるはずはない。誰が何と言おうと、やっぱり彼女はカントリーが大好きで、自分がカントリー歌手であることに誇りと喜びを感じている。マスに流されることなく自分の考えで進んでいく、そのまっすぐな姿勢が、結局彼女の一番の魅力なのではないか。そう思いました。

引用:The quoted part is from:

2014年11月1日土曜日

「アートの言語は母語ではない」-ジャネット・ウィンターソンの言葉から-

以前どなたかが、人のツイートやYouTubeのおすすめを見ても、良いと思えなかったり、笑えなかったりすることはよくあり、人と人とは違うものだと痛感する、と言われているのを聞いたことがあります。たとえ、母語が同じ人同士であっても、趣味や興味、専門分野、仕事や生活が違えば、使う言語も違ってくる。言語が違えば、認知の受け皿になるものが変わってくるわけで、そうなると異なる人間同士、共有できないものがあっても、当然といえば当然だといえるでしょう。いや、言語の違いよりも先に、そもそも認知自体が人それぞれに異なっているから、どんな言語をもってしても、お互いを共有できない、ということなのかもしれませんが。


     
いつも、心に響く文章を紹介してくださるbrainpickings (http://www.brainpickings.org/) のツイートで、superb(素晴らしい)という言葉と共に、以下の文章が紹介されてきました。
"I had fallen in love and I had no language. I was dog-dumb. The usual response of “This painting has nothing to say to me” had become “I have nothing to say to this painting.” And I desperately wanted to speak. Long looking at paintings is equivalent to being dropped into a foreign city, where gradually, out of desire and despair, a few key words, then a little syntax make a clearing in the silence. Art, all art, not just painting, is a foreign city, and we deceive ourselves when we think it familiar. No-one is surprised to find that a foreign city follows its own customs and speaks its own language. Only a boor would ignore both and blame his defaulting on the place. Every day this happens to the artist and the art."
(私は恋に落ちてしまった。でも、何も言葉が出てこないのだ。バカみたいに呆然とするほかなかった。「この絵は何も語りかけてこない」と思うとたいてい、「この絵について、何も語ることはない」という言葉が後に続くものだが、そんなことはない。私はどうしても何か語りたかったのだ。ずっと絵に見入るというのは、異国の街に立つのと同じことだ。どうしても話したくて、やけくそで、キーワードを1つ2つ、さらに単語を並べてみて、少しずつ沈黙を破る。アート、ただ絵画だけでなく、全てのアートは、異国の街だ。どこも似たようなものだと思うと、裏切られる。外国では皆、その街のしきたりに従って、その国の言語を話す。そのことに誰も驚いたりはしない。言語にも慣習にも注意を払わず、自分が相手にされていないと咎めるのは、単なるマナー違反だ。毎日、アートとアーティストには、こういったことが起きているのだ。) 
"We have to recognize that the language of art, all art, is not our mother-tongue."
(アート、あらゆるアートの言語は、自分の母語ではない。このことに気づかなくてはならないのだ。)
この文章は、Jeanette Winterson というイギリスの作家が書かれたということですが、「異国の街」というメタファーが美しく、気が利いていて、本当に superb です。芸術作品というのは、ある人の認知がそのまま色や形で表現されるわけで、共有するものが見つからない、見つかったとしても、それを言い表す言葉がみつからない、というような事態は、起こってもけして不思議ではない。アートを前に、心を動かされたり、衝撃を受けたりするものの、それをどうすることもできず、途方にくれてしまうような、あの気持ち。「あらゆるアートの言語は自分の母語ではない」と考えると、妙に納得です。

引用:The quoted part is from;
http://www.brainpickings.org/2014/10/27/jeanette-winterson-art-objects/?utm_content=bufferba634&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年10月16日木曜日

自分自身にとことん向き合う ~スティングの言葉から~

ここで声を拾っているような、作家や画家やミュージシャン、いわゆるアーティストと呼ばれる人々は、常に、新しい作品を生み出して世に問うて、それで生計を立てておられるわけですが、そのような人生はいかに厳しいものであろうかと、いつも思います。私の好きなStingも70年代に音楽活動を始めてから、既に40年にも及ぶキャリアを持っていることになりますが、そんなにも長い間、第一線で活躍し続けるというのは、どれだけ大変なことでしょうか。2014年3月のTED Talkで、長いスランプに陥って曲が書けなくなり、その後見事にミュージカルThe Last Shipで、曲作りを復活させた時の経験を語っていました。そして、先日、その3月のTEDTalkに基づいたインタビューが、NPRのTEDRadioHourで放送されたという、Stingのツイッターが流れてきました。



RAZ:
When you think of the word creativity, like, how would you define it?
(クリエイティブな力、ということを考えた時に、たとえば、その言葉をどう定義しますか?)
STING:
(Laughter) How would I define creativity? For me, it's the ability to take a risk. To actually put yourself on the line and risk ridicule, being pilloried, criticized, whatever. But you have an idea that you think you want to put out there. And you must take that risk.
(笑い:クリエイティブな力をどう定義するか、だって?僕に言わせると、それは、リスクを取る能力ということだね。バカにされたり、晒し者になったり、批判を受けたり、そんな感じで、実際に自分自身を危険にさらすことになる。でも、世に送り出したいと思うアイディアがある。で、リスクを取らなければならないってことになる。)
RAZ:
Do you feel pressure to be creative all the time?
(常に、クリエイティブでいなければならないことに、プレッシャーを感じますか?)
STING:
I think you're always under, you know, a little bit of pressure, you know. You're... From vanity maybe, you know? You want to be, you know, still relevant after all of these years and then you look at your peers and they're doing well. And you compare yourself with them so there is a bit of that. But, you know, I try and go into a deeper place inside me that is much calmer and it's irrelevant whether I'm successful or celebrated or not. Where my true happiness lies It's got nothing whatever to do with any of that. It's basically just comfort in being who I am. And it's deeper. It's at a deeper level.
(いつでも、少しプレッシャーを感じているものだと思うよ。たぶん、ちょっと見栄をはるんだろうね。長年やってきてるし、まだ、存在意義を感じていたいんだよ。仲間たちはというと、みんなちゃんとやっているし。で、自分と彼らを比べたりしてね。すると、やはり、プレッシャーはあるものだよ。でも、僕は、自分の中にあるもっと深い場所に行ってみるんだ。ずっと穏やかで、自分が成功しているかどうか、とか、有名かどうかなんて関係ないところ。そこには、自分の思う本当の幸せがあって、成功や名誉なんかとは関係が無い。ただ、もう、僕が僕らしくいられて、安心できる。もっと深くて、意味のあるレベルでね。)

Stingは、やがて、10年にも渡り、何も曲が浮かんでこないという、Writer's Block 、いわゆるスランプに陥ったそうです。

RAZ:
 I mean, so what did you do? I mean, how did you break out of it?
(それで、どうなさったんですか?つまり、そこからどうやって抜け出したのですか)
STING:
 I thought well, you know, maybe my best work wasn't about me (laughter). Maybe my best work was when I started to brighten the voices of other people or put myself in someone else's shoes or saw the world through their eyes. And that kind of empathy is eventually what broke this - writer's block we'll call it. Just by sort of stopping thinking about me, my ego, and who I am, and actually saying let's give my voice to someone else.
(考えてみると、そう、最高の作品というのは、自分のことを描いたものではなかったんじゃないか、と。(笑)おそらく、最高の作品とは、自分以外の人々の声に光を当て始めた時、あるいは、他の人の立場から、その人の視点で世界を見た時に生まれるんじゃないか、ってね。そういう他者への共感が結局、この、いわゆる「スランプ」を抜け出すきっかけになった。自分のこと、自我というか、自分らしさというか、そういうものを考えるのを止めて、他の誰かに声を貸そうとすることで、ね。)

ここで引用しているのは、インタビューの中のほんの一部ではありますが、このStingの言葉から、創作活動というのは、とことん自分と向き合う、つらい作業だということがわかります。クリエイティブであること、というのは、自分自身を危険にさらすこと、であり、クリエイティブでいなくてはならない、というプレッシャーを乗り越えるには、そんな危険の届かないずっとずっと深いところに立つことだと語っています。

社会の中で生きていると、どうしても、トレンドだとか、他人の評価だとか、損得だとか、そういったものに惑わされがちで、「自分が本当に好きなこと」とか「自分が自分らしくあること」が、本当は何だったのかわからなくなってくるような、そんな気がします。でも、カッコよく見せようとか、バカにしやがって、とか、そんなことに気を取られずに、外野の声が届かない奥深くの場所で、自分らしさとか、自分にとっての幸せに没頭する・・・。これは、クリエイターではない、私たちにも大切なことではないでしょうか。

そして、さらに、Stingがスランプから脱出できたのは、他者の視点に立って世界を見た時だったというのは興味深い。自分自身ととことん向き合った最後には、とうとう、自分自身を超えて、他者へと辿り着くのだ、という事実は感動的ですらあります。さすが、Sting!

引用:The quoted part is from "How Do You Get Over Writer's Block?" by NPR/TED STAFF
October 03, 2014 8:37 AM ET   http://www.npr.org/2014/10/03/351545257/how-do-you-get-over-writer-s-block

2014年10月1日水曜日

一瞬の歌声に込められた意味 ~ジェフ・バックリーの言葉から~

半年くらい前のことだったでしょうか。毎日、更新を楽しみにしている、洋楽の歌詞を和訳するサイト、『およげ!対訳くん』で、ジェフ・バックリーの歌うHallelujah(ハレルヤ)を初めて聴きました。

   http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2014/03/hallelujah-leonard-cohen-jeff-buckley.html

この曲は、オリジナルはレナード・コーエンによるもので、ジェフ・バックリーはカヴァーをしているということなのですが、丁寧に演奏されるギターの音に導かれた、彼の歌声にひきこまれました。そして、「歌唱力」とはなんだろうということに思いを馳せてしまいました。声が美しい、声量がある、音程が安定している・・・。歌がうまいと感じるときに、いろいろな要素があると思うし、歌がうまいミュージシャンといえば、亡くなった方まで数え上げれば、枚挙にいとまがないものですが、それでも、このジェフ・バックリーのハレルヤは特別です。この圧倒的なヴォーカルの力はどこから生まれてくるのか。なぜ、こうも美しく、しんと胸に響いてくるのか。

先日、Brain Pickingsに、ジェフ・バックリーのインタビューが取り上げられて、この疑問の答えがわかったような気がしました。




"[What I want to communicate] doesn’t have a language with which I can communicate it. The things that I want to communicate are simply self-evident, emotional things. And the gifts of those things are that they bring both intellectual and emotional gifts — understanding. But I don’t really have a major message that I want to bring to the world through my music. The music can tell people everything they need to know about being human beings. It’s not my information, it’s not mine. I didn’t make it. I just discovered it."
(僕が伝えたいことには言葉なんて無い。だから、言葉で伝えることはできない。僕が伝えたいのは、シンプルに、伝えようとしなくても伝わる感情みたいなもの、そういうものだ。そういうものは、ありがたいことに、知性と感情の両方に届いてくれて、「共感」を与えてくれる。でも、僕は、音楽を通じて、世界に何かものすごいメッセージを伝えたい、なんて思ったりはしていない。僕たちに、人として生きていくのに、知らないといけないことを教えてくれるのは、音楽の方なんだ。「僕が伝えたいこと」じゃない。僕からではない。僕が作り出したわけではなくて、僕はただ、探し出しただけなんだ。) 
"It’s just that, when you get to the real meat of life, is that life has its own rhythm and you cannot impose your own structure upon it — you have to listen to what it tells you, and you have to listen to what your path tells you. It’s not earth that you move with a tractor — life is not like that. Life is more like earth that you learn about and plant seeds in… It’s something you have to have a relationship with in order to experience — you can’t mold it — you can’t control it…"
(人生の本質っていうのは、つまり、ただ、こういうことだ。人生は特有のリズムを持っている。そして、誰も自分のやり方を、押し付けるわけにはいかないんだ。人生がこちらに伝えてくるものに耳を澄まさなくてはいけない。自分の進む道がこちらに伝えてくることに、じっと耳を傾けるんだ。トラクターを使って、切り開いて行く大地。人生はそんなものじゃない。そうではなくて、しっかりと確かめながら、種をまいていく。どちらかというとそんな大地だ。関わりを深めながら、経験をつみ重ねていくべきもので、勝手にねつ造したり、コントロールしたりなんかできないんだ。)

ジェフ・バックリーの言葉に、音楽にすべてをかけて、真剣に向き合った彼の姿がうかがえます。このハレルヤという曲も、詩の内容は、わりに抽象的で、様々な解釈が可能になりそうですが、聞き流したりせずに、心を落ち着けてじっと歌声に耳を澄ましていると、人を愛するということに付随する歓びや哀しみ、諦念が、どうしようもなく歌声ににじんでいるようで、受け入れているのか、抗っているのかわからなくなるような、なんともいえない気持ちになって、心を動かされます。1990年代に、将来を嘱望されていたのに、水泳中に30歳の若さで溺死してしまった(ウィキペディア)ということですが、短い人生の歌声の一瞬一瞬に、音楽に対する、洞察、理解、信頼、畏れなどがこもっていて、それが彼の歌に、他のミュージシャンにはない、圧倒的な深みと陰影を与えることになったのではないか。そんな気がします。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月17日水曜日

大切なものは行動することによってのみ手に入れることができる~レイ・ブラッドベリの言葉から~

Ray Bradbury(レイ・ブラッドベリ)は主に、SF小説を書いたアメリカの作家です。残念ながら、2012年6月5日にすでにお亡くなりになっていますが、作品がいくつか映画化もされた人気作家でした。私自身は、SFはほとんど読まないので、作品を読んだことはありません。しかし、Brain Pickingsのツイッターで、この彼の書いた一節を目にしました。


この短い文章を読んで、子どもが生まれて赤ん坊の世話に追われていた時に、おばあさんに言われた言葉を思い出しました。「子どもが可愛いというのは、子どもの世話に苦労するから可愛いのだ」と、そのようなことでした。言われてみればその通りで、もしも、子どもを育てるのが何の我慢も時間も労力も必要のない類のことであれば、子どもに対する思いももう少しあっさりしたものになりそうです。実際に自分の手で胸で、子どもを丸ごと抱えるから、目を離すことなく、心を砕くから、膨大な時間をそこに費やすから、自分が子どもの一部になり、子どもが自分の一部になる。そういうことだと思いました。

"The farmer who farms creatively and happily is a man that knows every stalk of wheat or corn that comes up on his land because he has tilled these fields, because he has planted the seed, because he has picked the fruit, because he has painted the barn… So we belong only by doing, and we own only by doing, and we love only by doing and knowing. And if you want an interpretation of life and love, that would be the closest thing I can come to." (新しいものを生み出して、喜々として農業に従事する農家というのは、すなわち、自分の農地に生えている、あらゆる麦の、あるいはトウモロコシの茎一本一本がわかっている人のことだ。なぜなら、自分自身がその土地を耕しているから。自分で種をまき、果実を収穫しているから。納屋にペンキを塗っているから。・・・そう、何か行動しないでは、自分の居場所は見つからない。実際に手を動かすことではじめて自分のものとなる。行動し、理解することでのみ、愛情は生まれるのだ。人生とは、愛とは何か、その答えが知りたいということなら、私がたどりついた答えは、おそらくそういうことになるだろう。)

子どもを育てることなどはその最たるものに違いないと思いますが、その他のことも全てそうなのではないでしょうか。ただ傍観していることでなく、自分が思い入れを持って取り組んでいること。困難にあっても投げ出さず、自らの手で動かしていること。苦労はあってもそれを楽しんでいること。私にもそういうものが、いくつもあります。自分の生活の中のそういったもの。それが、自分にとっての愛情であり、人生そのものなのだ。ブラッドベリの言葉に、そう気づかされました。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月3日水曜日

エド・シーランのセカンド・アルバム「X](マルティプライ)に思うこと

かの小林克也氏が、彼の番組の中で、「2枚目のジンクス」と言われるのを、しばしば耳にします。デビューアルバムで大ヒットを果たすものの、そこで力尽きてしまってセカンドアルバムがもうひとつふるわない。そのようなケースはよくあるらしい。しかし、幸いなことにエド・シーランにはそんなジンクスは、何の意味も持たなかったようです。

2011年のデビュー・アルバム「+」(プラス)は、申し分のないアルバムでしたが、2014年6月25日に発売された、エド・シーランの2枚目のアルバム「×」(マルティプライ)は、それを上回る素晴らしい出来栄えになっています。のびがあって透明で、なおかつ表現力のある歌声は相変わらず聴きごたえがあるし、日常の中の、誰も気づかないような小さな事柄を切り取って、心を伝える繊細な詩も感動的。ギターも打ち鳴らせばラップもしてみせる万能ぶり。ファレル・ウィリアムズを迎えたり、新境地を開拓することにも余念がない。17に及ぶ楽曲が収録されているのに、「これは、まあまあ」というようなものはなく、どの曲も充実しています。



エド・シーランのツイートは、彼の飾らない「男の子」っぷりが魅力で、ついフォロワーになってしまいました。食べ物のツイートがあったりします。メロン、とか、すいか、とか、チキン、とか。ただそれだけの短い言葉に、すごくうれしそうな様子がにじみ出ていて、ツイートというのも不思議なものだ、と思います。そして、そういうツイートをずっと追っていると、ここ2年くらい彼がいかに頑張ったかが、わかるような気がします。テイラー・スウィフトのREDツアーにずっと同行していた時期もあったし、なんだか激太りしていた時期や、朝から晩までプロモーションに奔走していることもありました。ここ2年間のエドの格闘が、この2枚目のアルバムに結実したのだ、と、そう思います。

ギター1本で歌う音楽小僧の魂はそのままに、「ものすごく売れてやる」という健全な野心も持ち合わせているようで、臆することなく、ポップな要素を取り入れたり、自分の中の暗い部分を暴露するような曲も作ったりしている。そんな風でいても、彼の核となる部分はいささかも損なわれることは無いようで、相変わらず、肩の力の抜けた人の好さそうな表情を見せている。そんなエドを見ていると、この人はもっと成長する。まだまだ、何かを取り込む土壌を持っている、と思わされます。

“I did everything last year,” he said exhaustedly. “Everything. Everything wrong and everything right. It was a very important year.” At one point, he moved to Los Angeles for a relationship, only to be dumped the day he arrived: “I literally landed from Canada, it ended, then I went to the house and unpacked my stuff.”
(「昨年はとにかく全部やったよ。全部、だよ。間違っていることも全部だし、正しいことも全部。ものすごく大事な1年だった」エドは疲れ切った様子でそう言った。ある時は、恋人のためにロサンゼルスに移動したのに、着いたその日に捨てられた。「大げさに言ってるわけじゃなくて、本当に、カナダから到着して、関係が終わって、家に帰って荷物をほどいた、そんな感じだった。」) 
He continued: “I was in a situation where something was presented to me that I never thought would ever be possible. I felt like I had to do it, I should not let this go, and I know now that things on the surface aren’t always what they are.”      (そして、こう続けた。「そんなことあり得ないだろう、っていうようなことが、目の前に差し出されてる、そんな状況だったんだ。ただもう、やっておかなくちゃ、このままにしておくものか、そう思えたよ。で、今わかるのは、表面に見えているものだけでは、本当のことはわからない、ってことだ。」)
「良いことも悪いことも、目の前に差し出されたものを全て」やり、その経験を活かしきる。エドのように、私の人生にも様々なことが差し出されてきたし、今もこれからもそれは続くはずだと思う。正しいのかも、間違っているのかも、差し出された時点では、その意味はわからない。意味がわからないから、少し怖くもある。でも、振り返ってみると、本当に大切なことには、不思議と何か勇気のようなものがわいてきて、よくわからないままに「えいや」で飛び込んでしまっているような気がします。そして、それが、その後の流れに決定的に結びついているように思います。それは「頑張り」を強いられる困難の始まりであると同時に、飛躍へのチャンスになるということなのでしょうか。エドのセカンド・アルバムから、そんなことを思いました。

引用: The quoted part is from;
Jon Caramanica. "Ed Sheeran, lighter and Wiser, releases 'X'."The New York Times. 2014.
http://www.nytimes.com/2014/06/22/arts/music/ed-sheeran-lighter-and-wiser-releases-x.html?smid=tw-nytimes&_r=0

2014年8月19日火曜日

音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~

前回の投稿で、マヤ・アンジェロウのインタビューから、文章と音楽との関係について取り上げました。ちょうど、その後、ツイッターでフォローしている、Open Culture https://twitter.com/openculture からのリツイートで、New York Times紙の記事を知りました。大好きな村上春樹によるエッセイで、ここにも、音楽と文体について書かれてあります。



村上春樹は、幼いころから大変な読書家だったのですが、29歳になるまでは小説を書こうとは少しも思っておらず、大学卒業後は、千駄ヶ谷でPeter Catという小さなジャズクラブを始めました。そして、好きなジャズを朝から晩まで聴いて過ごしていました。そんな毎日を過ごしていたある日、突然、小説を書こう、小説が書ける、という考えが頭に浮かんだのだそうです。それは、こんな風に始まりました。

"...Inside my head, though, I did often feel as though something like my own music was swirling around in a rich, strong surge. I wondered if it might be possible for me to transfer that music into writing. That was how my style got started."        (・・・僕は頭の中で、自分自身の音楽のようなものが、勢いよくあふれるように、ぐるぐる回っているのを感じるようになっていた。この音楽を文章に変えることができるんじゃないか。そんな風にして僕の文体は生まれた。) 

"Whether in music or in fiction, the most basic thing is rhythm. Your style needs to have good, natural, steady rhythm, or people won’t keep reading your work. I learned the importance of rhythm from music — and mainly from jazz. Next comes melody — which, in literature, means the appropriate arrangement of the words to match the rhythm. If the way the words fit the rhythm is smooth and beautiful, you can’t ask for anything more. Next is harmony — the internal mental sounds that support the words. Then comes the part I like best: free improvisation. Through some special channel, the story comes welling out freely from inside. All I have to do is get into the flow. Finally comes what may be the most important thing: that high you experience upon completing a work — upon ending your “performance” and feeling you have succeeded in reaching a place that is new and meaningful. And if all goes well, you get to share that sense of elevation with your readers (your audience). That is a marvelous culmination that can be achieved in no other way."                   (音楽でも小説でも、一番のベースになるのはリズムだ。自分の文体が、気持ちのよい、自然でしっかりしたリズムを持っていなくてはならない。そうでないと、人は作品を読み続けてはくれないだろう。僕はリズムの大切さを音楽から、しかもジャズから学び取った。次にくるのがメロディだ。文学でいうと、リズムに合う言葉の配列ということになるだろうか。言葉がリズムにぴたりと合って、なめらかで美しければ申し分ない。そのあとにハーモニーが来る。それは、心の中に響く、言葉を支える音だ。それから、僕が一番好きなところ、即興演奏。何らかの特別な経路を通じて、物語が内側から縦横無尽に湧き出てくる。僕はその流れに身を任せていればいい。そして、最後に、でもこれがおそらく最も重要だと思われること。作品を完成させる上で、高みを経験することだ。「演奏」を終えるにあたって、これまでにない、意味のあることを成し遂げたのだという感覚があること。このすべてがうまくいけば、自分の読者とある種の昂揚感のようなものを共有することができる。この感覚は、独特のすばらしいもので、他の何をもってしても味わうことはできないものなのだ。) 

学生時代から20年以上に渡って、村上春樹の書くものを読んで来ました。長編も中編も短編も、エッセイもノンフィクションも翻訳も。新刊が出るのを心待ちにして、出ないときは前のを読み返して。なぜそうなってしまうのか。様々な理由が、もちろん考えられるのですが、やはり、一番大きく大切な理由は、彼がここに書いていること、そのままだと思います。毎日の余白で、音楽を楽しむのとまるで同じ感覚で、彼の書くものを楽しんでいるから。彼の本を手に取り、その文体に耳をすませる。そこに、彼の奏でる言葉からのリズムとメロディとハーモニーがあり、それを楽しむのに何にも代えがたい喜びがあるから。そして、特に長編小説には、「これまでにない、意味のあることを成し遂げた」という感覚をまさに彼と共有したという実感があります。確かに、これは「すばらしく、他の何をもってしても味わうことはできない」と思う。理屈よりも先に、音楽的な感覚で捉えるせいか、村上春樹の文章には、大変な中毒性があるような気がします。

引用 The quoted part is from:
Murakami, Haruki. "Jazz Messenger." The New York Times. 2007.

2014年6月29日日曜日

音楽と文体(1)~Maya Angelow の言葉から~

読書を娯楽として考えたときに、私たちが楽しんでいるのは、意味以上に「音」なのではないか?文体の奏でるリズムやテンポ、時には疾走感なんかを、音楽を聴くように味わうことこそが、文章を読むことの醍醐味なのではないか、とそう思っています。

Maya Angelou という方をご存知でしょうか?残念ながら今年の5月28日に鬼籍に入られたようなのですが、恥ずかしながら、実はそれまで、この方のことは知りませんでした。5月28日のツイッターに、彼女を悼む言葉がひっきりなしにツイートされ、それで初めて知るようになりました。ウィキペディアによると、「アメリカ合衆国の活動家、詩人、歌手、女優」であり、「マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと共に公民権運動に参加。1993年、ビル・クリントンのアメリカ合衆国大統領就任式にて自作の詩を朗読」などされたようです。ツイッターの様子から、この女性がアメリカの方々に敬愛されていたであろうことが、大変感じられました。

                  

この時に紹介されていた、The Paris Review 1990年秋号のインタビューの中で、Maya Angelouが文章の「音」について言及しています。ちょっと、「我が意を得たり」とうれしくなってしまったので、ここで取り上げることにしました。


INTERVIEWER
"You once told me that you write lying on a made-up bed with a bottle of sherry, a dictionary, Roget’s Thesaurus, yellow pads, an ashtray, and a Bible. What’s the function of the Bible?"
(前に一度、きちんと整えられたベッドに、シェリー酒のボトル、辞書、ロジェのシソーラス、黄色のノートパッド、灰皿、それから聖書をもって、寝転んでお書きになるとおっしゃっていましたね。聖書は何に使われるのでしょう?)

MAYA ANGELOU
"The language of all the interpretations, the translations, of the Judaic Bible and the Christian Bible, is musical, just wonderful. I read the Bible to myself; I’ll take any translation, any edition, and read it aloud, just to hear the language, hear the rhythm, and remind myself how beautiful English is. Though I do manage to mumble around in about seven or eight languages, English remains the most beautiful of languages. It will do anything."
(ユダヤ教の聖典やキリスト教の聖書の、あらゆるすべての通訳というか翻訳の言語は、音楽的で、ただただ素晴らしい。自分に聖書を読んでやるんです。どの翻訳でも、何版でもいいから手に取って、声に出して読んでみる。その言語を聞いて、リズムに耳を傾けて、そして、改めて思うの。英語はなんて美しいんだろうって。私はやろうと思えば、大体7か国語か8か国語でなんとか読み上げたりできるのですが、やはり英語が一番美しいと思います。英語でなんでもできます。)
INTERVIEWER
"Do you transfer that melody to your own prose? Do you think your prose has that particular ring that one associates with the King James version?"
(そのメロディーをあなたの詩に生かすのですか?あなたの詩に、欽定訳聖書の影響が感じられるような特別な印象があると思われますか?)

ANGELOU
"I want to hear how English sounds; how Edna St. Vincent Millay heard English. I want to hear it, so I read it aloud. It is not so that I can then imitate it. It is to remind me what a glorious language it is. Then, I try to be particular and even original. It’s a little like reading Gerard Manley Hopkins or Paul Laurence Dunbar or James Weldon Johnson. "
(英語がどんな音を奏でているか聞きたいんです。エドナ・ミレーの耳にはどんな風に英語は聞こえていたんだろうって。実際に自分の耳で聴きたくて、声に出して読んでみるのよ。それを真似ようというようなことではないの。ただ、この言葉がどんなに輝いている言葉だったかを確認したいだけ。そうすると、自分が特別になれるような気がするし、他の人には無い、私にしか無いものになれそうな気がします。ジェラード・マンリー・ホプキンズとか、ボール・ローレンス・ダンバーとか、ジェイムズ・ウェルダン・ジョンソンの詩を読むのにちょっと似ているかな。)

引用:The quoted part is from:
Angelou, Maya. "The Art of Fiction No. 119." the Paris Review 1990. 

http://www.theparisreview.org/interviews/2279/the-art-of-fiction-no-119-maya-angelou 

2014年5月6日火曜日

ジャスティン・ティンバーレイクが語るファレル・ウィリアムス

タイム誌が選ぶ恒例の、『世界に最も影響力のある100人』2014年版の中に、ファレル・ウィリアムズ の名前が挙がっていました。確かに最近の彼の活躍ぶりを思うと、100人の中に入らないはずがない。Get Lucky, Blurred Lines, Happyなど、彼が関わった音楽は、ぴちぴちとはねていた魚が、水を得て勢いよく泳ぎだすように、「今」という時間の中で、生き生きとした輝きを放つような気がします。


そのファレルについての文章を、ジャスティン・ティンバーレイクが寄せているのですが、この文章がまた素晴らしい。ファレル・ウィリアムズとの初めての出会った時の自分自身の気持ちが的確に描写されています。しかも、その描写からファレル・ウィリアムズの人となりも同時にはっきりと浮かび上がってくるのです。

"When I decided to work on my first solo album in 2002, Pharrell was the first musician I spoke to. I was 21 and ready to say something to the world. But I needed someone to help me translate exactly what that something was. I knew from our first conversation that he was that person." 
(2002年に初めてソロアルバムに取り掛かることを決めたとき、僕が最初に相談をもちかけたのがファレルだった。僕は21歳で、世界に「何か」を問う覚悟はもうできていた。でも、その「何か」とはいったい何なのかを正確に翻訳するために、誰かに手伝ってもらう必要があった。そして、その誰かとはこの人のことだ、と最初の相談の時からすぐに僕にはわかった。)
"I will never forget how free and fun those sessions were. There were no rules, loads of laughs and music being created that made you feel like you could levitate. The collaboration I have with him is like no other. He made me fearless, and I’ve carried that with me the rest of my life."
(あの時のセッションがどんなに自由だったか、そして、どんなに楽しかったか、けして忘れることはないだろう。面倒な決まりなんてなくて、笑いにあふれていて、音楽がどんどん生まれて軽々と宙を舞っているような感じがした。ファレルと一緒にやるのは、他の誰とやるのとも違う。ファレルと一緒だとこわいものなんかなくなった。そして、それは、今でも僕の財産となっている。) 
"That’s what Pharrell does. He injects that vibrant energy into the music in a way that you can feel. Whether it’s the chord changes that remind you of another time or the melody that instantly grabs you, you are transported to another place. You smile, you dance, you clap along. His music actually does make you happy."
(ファレルがするのはつまりそういうことだ。いきいきとしたエネルギーを音楽に注ぎ込む。しかも、みんなが感じとることのできるやり方を使って。それは、昔を思い出すようなコード展開かもしれないし、すぐに心をつかむようなメロディかもしれない。いずれにしても、みんな、別のどこかにもっていかれてしまうのだ。思わず笑顔になって、体が動いて、手をたたき出してしまう。ファレルの音楽は、その通り、みんなをハッピーにしてしまうのだ。)


才能あるアーティスト同士、こうして一緒に関わり合いながら、そこからお互いに何かを見出し、何かを得てそれをさらなる力に変えてますます大きくなっていくのに違いない、そう思えた文章でした。

引用 The quoted passages are from

2014年4月21日月曜日

映画『グッドウィルハンティング』のセリフから

翻訳をするのは、俳優が演技をするのに似ているんじゃないか、と思うことがあります。目の前にあるスクリプト(=原文)の語りにじっと耳を澄ませて、それを自分の声で語り直す。俳優さんは音でそれを語り直すのでしょうが、翻訳は別の言語でそれを語り直します。

映画『グッドウィルハンティング』は私の大好きな映画の1つですが、ロビン・ウィリアムス扮するショーンがマット・デイモン扮するウィルに語りかける印象的なシーンがあります。長いセリフですが長さを感じさせず、大変な説得力を持って心に届いてくる。このロビン・ウィリアムスの名演に触発されて、是非、この言葉を語り直してみたい、という衝動にかられました。もう20年近く前の映画で、DVDの吹き替えはもちろん、日本語版のスクリプト等、ありとあらゆる(すばらしい)翻訳をどこででも目にすることができるような現在、無謀な挑戦なのは百も承知なのですが。
           
        
"So, if I asked you about art, you'd probably give me the skinny on every art book ever written. Michelangelo. You know a lot about him. Life's work, political aspirations, him and the pope, sexual orientation, the whole works, right? But I bet you can't tell me what it smells like in the Sistine Chapel. You've never actually stood there and looked up at that beautiful ceiling. Seen that....If I ask you about women, you'd probably give me a syllabus of your personal favorites. You may have even been laid a fewtimes. But you can't tell me what it feels like to wake up next to a woman and feel truly happy. You're a tough kid. I ask you about war, you'd probably uh...throw Shakespeare at me, right? "Once more intothe breach, dear friends." But you've never been near one. You've never held your best friend's head in yourlap, and watched him gasp his last breath looking to you for help. I ask you about love, y'probably quote me a sonnet. But you've never looked at a woman and been totally vulnerable...known someone that could level you with her eyes. Feeling like God put an angel on Earth just for you..who could rescue you from the depths of Hell. And you wouldn't know what it's like to be her angel, n to have that love for her be there forever. Through anything. Through cancer. And you wouldn't know about sleepin' sittin' up in a hospital room for two months, holding her hand because the doctors could see in your eyes that the terms visiting hours don't apply to you. You don't know about real loss, because that only occurs when you love something more than you love yourself. I doubt you've ever dared to love anybody that much. I look at you: I don't see an intelligent, confident man. I see a cocky, scared shitless kid.... "

(アートのことを尋ねたら、君はこれまでに書かれたあらゆる本にあったポイントを教えてくれるだろう。例えば、ミケランジェロ。君はいろんなことを知っている。代表作、政治的野心、ローマ法王との関係、性的嗜好、全作品・・・、そうだろう?でも、システィーナ礼拝堂がどんな匂いがするのかなんて、君はきっと知らないだろう。実際にそこに立って、あの美しい天井を見上げたことはないから。もし女性のことを尋ねたら、好みのタイプを一覧にして教えてくれるかもしれないね。そういう子と何度か寝たことだってあるかもしれない。でも、一人の女性の隣で目を覚まして心から幸せを感じる。それがどういうことかは、わからないだろう。君は強い。戦争のことでも聞いてみよう。するとシェイクスピアの1節でも飛んでくるかもしれないね。「もう一度あの突破口へ突撃だ、諸君」って。でも、君は戦地に近寄ったこともない。一番大切な友の頭をひざに抱いて、君を見つめて助けを求める友が、息を引き取るのを看取ったことなどない。愛について君に尋ねたとしたら、ソネットでも引用してくるかもしれないね。でも、ある一人の女性に対して、自分の何もかもをさらけだしたことがあるだろうか。その目を見ただけでどうしようもなくなる誰かと知り合ったことは。神様が天使を地上に遣わして下さったような気がするんだ。地獄の底から自分を救ってくれるために。そして、わからないだろう。自分が逆にその人の天使になる、ということがどういうことか。その人を思う気持ちをそこに永遠に持ち続けるんだよ。何があっても。がんになっても。2か月もの間、病室で寝起きする。彼女の手を取って。面会時間なんか関係ないと思っているのは、君の眼を見れば、お医者さんもわかってくれる。君には本当の喪失感なんて、わからないはずだ。だって、それは、自分自身を愛するよりももっと、他のものを愛するからこそわかることだからね。誰かをそこまで愛する勇気なんてないだろう。君を見てると、賢いどっしりと自信を備えた大人には見えない。ただ、うぬぼれて気の毒なほど怯えている子どもにしか思えないよ。・・・)
何でも知っていて、頭の切れる天才ウィルは、この映画できら星のごとく登場したハーバード大のマット・デイモンの姿と重なります。彼は弱冠20代にしてこのセリフを書いているわけで、経験はまだ積み重ならない年齢なのに、経験の持つ重みをもうしっかりと理解していて、それをロビン・ウィリアムズと対比してみせるなんてすごい。やっぱりこの方も天才なのでしょう。そして、ロビン・ウィリアムス。このセリフの語りぶりで、彼が役柄だけでなく実際に経験の器を備えた、大きな俳優に他ならないことがわかります。知らない間にどんどん年齢は積みあがっていくようですが、何とか、年齢に応じたしっかりとした経験を、同時に積み重ねていきたいものだと思います。

"Good Will Hunging" (1997, Miramax Films)

2014年3月31日月曜日

リルケからの励ましの言葉

生きていると、これは謎だと思う瞬間はなかなか多くあるもので、困ったものです。わりに頻繁にあるので、もはや、あまり気にならなくなっているほど。私の場合はそうです。ちょっとしたコミュニケーションの齟齬で、「こういう場合はどうするのが正しいのか」と思うようなものから、根本的に生きる姿勢というか態度というか、そういうものが問われるような大きな問題に至るまで、様々あります。その時々で、今後はああしよう、こうしよう、それは、そういうことか、などと思ったりもしますが、それが本当に正しいものかどうか。よくわかりません。

       
"I beg you, to have patience with everything unresolved in your heart and to try to love the questions themselves as if they were locked rooms or books written in a very foreign language. Don’t search for the answers, which could not be given to you now, because you would not be able to live them. And the point is to live everything. Live the questions now. Perhaps then, someday far in the future, you will gradually, without even noticing it, live your way into the answer."                                 (お願いがあります。じっと我慢して、答えがわからないまま、全てを胸にしまっておいてください。そして、わからないことそれ自体を大切にするように心がけてください。まるで鍵がかかって開かない部屋だとか、全く理解できない外国語で書かれた本を持っているんだと思って。答えを見つけようとしなくてもよいのです。どうせすぐには答えを与えてはもらえないはずです。なぜなら、すぐにはその問題を生きることはできないものだから。そう、全てを生きるということが大事なのです。わからない問題を、今、生きてください。たぶんそうしているうちに、ずっと先になっていつか、気づかないままだんだんと、その答えに向かって進んでいることになるでしょう。) 
                                  Rainer Maria Rilke (1903) Letters to a Young Poet(public library

この一節を見つけた時には、何だか嬉しかったし、励まされました。わからないものはわからないままにして、無理に答えを出して筋を通そう、などと思わなくてよいと思うと、ちょっとほっとします。誠実に生きていればそれがいずれ、答えになる・・・。そんなものなのでしょうか。そうだといいな、と思いました。

引用 The quoted part and the book are found in:
Brain Pickings http://www.brainpickings.org/index.php/2012/06/01/rilke-on-questions/

2014年3月17日月曜日

普通の人々

自分の生活が、一遍の映画だったらどうだろう?よくそんなことを考えます。自分の生活なので、主人公はもちろん自分です。通勤のシーンにはどの音楽が一番合うだろうか。春はこの公園の桜並木を散歩するシーンが欲しい。何か大変な問題でも浮上すれば、今、映画はヤマ場に差し掛かっている、と思います。たまに、意地悪なことを考えたり、失言してしまった時には、あーあ、こんなこと言う人は、本当の映画だったら脇役にしかいないな。自分の映画なのに脇役になっちゃったよ、などと思ったりしてしまいます。

実際の映画を考えてみると、出演するのは、全く「普通」ではない、美しく魅力的な俳優の方々なのに、彼らが演じている役割は、多くの場合、私たち「普通の人々」だったりします
。それも、なんだかおかしな気がしますが、結局、普通の人の普通の生活にこそ、大いなるドラマがあるということなのでしょうか。

先日、ツイッターで流れてきた、この写真。NPRのAll Things Considered というニュース番組のディレクターの方だということで、マスコミのお仕事とはいえ裏方の「普通の人」なのですが、この方の様子を見ると、まさに映画のワンシーンを観ているようです。

     Hi everybody, my name is Monika Evstatieva and I am the director of All Things Considered. That simply means I get to conduct the live broadcast from the control room and also pick all the music you hear on the program during All Things Considered.
I select roughly 30 music pieces every day that we call collectively bumper music. Every day I try to match the mood of the stories, making the music a seamless part of the program. It is a tricky business, because I don’t want to make you overly sad, even when our reports are a bit gloomy. Most of the time, I try to make you smile, play a little joke or make you groove.
"The Director’s Cut" is a playlist of songs I am particularly fond of…and I want you to have a chance to hear them for more than 10 seconds at a time. So…Enjoy.
You can listen to “The Director’s Cut” via Spotify and Rdio. 
"I select roughly 30 music pieces every day that we call collectively bumper music. Every day I try to match the mood of the stories, making the music a seamless part of the program. It is a tricky business, because I don’t want to make you overly sad, even when our reports are a bit gloomy. Most of the time, I try to make you smile, play a little joke or make you groove."
 「bumper music(番組の間に流すテーマ曲)とまとめて呼ぶ音楽を、毎日、ざっと30曲ほど選びます。音楽が番組の中の話題をうまくつないで、しかも、取り上げる話題の雰囲気に合うように、毎日、気を配ります。一筋縄でいかない仕事です。ちょっと気が滅入るようなレポートだったとしても、あまりに悲しくならないようにしたいから。ほとんどの場合、聴いている方ににっこりしてもらいたい。ちょっと冗談を言うような感じで、楽しい気持ちになっていただきたいと思いながら選んでいます。」

このディレクターの方のように、誠実で真摯な姿勢で、仕事だけでなく、人生全般のことに、思う存分向き合いたい。引きのアングルで捉えて美しい映像になるように、背筋を伸ばして、自分の映画の主役をはりたい。そう思います。

引用 The quoted part is found in:



2014年3月2日日曜日

アダム・レヴィ―ンのツイートから

アダム・レヴィーン Adam Levine は、アメリカのバンド、マルーン5 Maroon 5 のヴォーカリストで、ウィキペディアによると、「業界随一の色男としても知られており、大勢のハリウッドセレブとの浮名を流している。」だということです。


ツイッターで彼のアカウントをフォローするようになったのは、マルーン5の音楽が好きだから、というのは、もちろんですが、2012年11月の大統領選の頃、彼が明確にオバマ支持を表明していたのが、興味深く思われたから。以来、ずっと彼のフォロワーのままでいます。時々入ってくるツイート、これがなかなかおもしろい。彼が「業界随一の色男」というのも、なんだかわかる気がします。アダム・レヴィ―ンのツイートから、彼の魅力について考えてみることにします。

1:堂々としていて押し出しがいい
6 Dec  "I will never apologize for having opinions." 
「意見があるってことで、謝ったりはしない」 
3 Jan "When someone tells me "grow up" I always answer with, 'why?' "  
「誰かに『大人になれよ』って言われたら、いつもこう答えることにしている。 『どうして?』」
3 Jan  "New Years resolution: be more awesome."      
「新年の抱負:今よりもっとスゴイやつになること」

2:なかなか鋭い洞察力
13 Dec   "The only thing cooler than not liking 'cool music' is not even knowing what 'cool music' is." 
「『カッコイイ音楽』は好きじゃない、というのよりもカッコイイ場合が1つだけあって、それは、どういうのが『カッコイイ音楽』かなんてわからない、っていう時」 
15 Jan   "BE an artist. Don't claim to be one. It just never sounds good. 'I'm an artist.' "  
「アーティストには『なる』ものだ。自分はそうだ、と『言う』ものじゃない。『オレはアーティストだ』と自分で言って、いい感じに聞こえたためしはない」 
31 Jan   "Optimism and delusion are two TOTALLY different things."  
楽観と幻想の2つは、まったく別物だ」
15 Feb   "It seems like life's most poetic moments never occur when you want them to. I guess that's part of what makes them poetic."  
「人生で最高に詩的な瞬間というのは、起こって欲しいと思っても起きるものじゃないみたいだ。そういうところがあるからこそ、詩的なんだろうな」

3:小さな男の子みたいにかわいい
29 Nov "I want a baby tiger."  
「トラの赤ちゃんが欲しい」
26 Feb "I want blueberry pancakes with tons of butter and maple syrup. And I want them NOW."  
「バターとメープルシロップがたっぷりかかった、ブルーペリーパンケーキが食べたい。しかも、今すぐに」

4:謙虚に自分を客観視して、たまに自己嫌悪に陥ったりしている姿が共感を呼ぶ

13 Mar "Why do we idolize celebrities? If you guys knew how lame most of them were you'd be amazed. Myself included. So lame."  
「何で、有名人を崇拝するんだろう?もし、そのほとんどが、どれだけつまらないかわかったら、きっと驚くぜ。自分もその一人だけど。ものすごい退屈なやつだよ。」 
24 Sep "by the way,  im NOT an artist. i sing in a band and i make music with my friends."    
「ところで、オレはアーティストなんかじゃない。バンドで歌って、友達と音楽作ってるだけだ」
27 Sep "The thing about idiots is that they don't know they're idiots. Which is why it's so easy for me to sleep at night."  
「バカについて言えるのは、バカには自分がバカだってことがわからないってことだ。だから、オレは夜、すぐ眠れるんだ」

先日、久しぶりにツイートが入ってきたな、と思ったら、連続ツイートで、しかもなんだか元気が無いご様子。
Feb. 26, 2014   "So crazy. Every time I hear @blakeshelton talk on the show, I'm just amazed by his wisdom. I would choose him as my coach." "These sneak peaks*really show off how ridiculous I am as a person…" "Every time I lose an artist to another coach on The Voice, I pick up People Magazine to remind myself I'm sexier than they are." "I actually have the audio recording of the Voice audience yelling "ADAM" and it plays on loop in my house 24/7"  "Did ya'll see me roll on the floor after I won that?!?!?! I'm so crazy… but seriously, I'm crazy." 
(「ああ、ダメだ。ブレイク・シェルトンがこの番組で話すのを聞くと、いつも、ブレイクの賢さにびっくりするんだ。オレだったら、コーチにブレイクを選ぶ」「こういう本音って、自分が人間として、どれだけバカかってことを、さらしてしまう・・・」「『ヴォイス』で別のコーチに負けるといつも、雑誌『ピープル』を手に取って、やつらよりもオレの方がセクシーだっただろ、って自分に言い聞かせるんだ」「『ヴォイス』のお客さんたちが『アダム!』ってかけ声をかけてくれてる録音テープだって持ってる。家では、それを年中無休でエンドレスで、かけてるよ」「勝った時は、床を転げまわってしまうのは、みんな見て知ってるだろ?おかしいよな。・・・いや、マジで、オレはおかしい」
ブレイク・シェルトンを尊敬して、自分はダメだと落ち込んで、そして、気を取り直すために、「もっともセクシーな男性」に選ばれた『ピープル』を手に取って・・・。スケールの差こそあれ、自信(の無さ)、自負と自己嫌悪の渦巻く、あの複雑な嫌な気持ち、誰しも経験があるところではないでしょうか。しかし、何もそこまで、正直に自己開示しなくてもよさそうなものなのに、そのままツイートしてしまうあたり、なんともアダムらしい。あるがままの自分を、まずは、自分で受け止める。その上で、まるごと等身大で体当たりしてくる。そんな彼の在り方が、アダム・レヴィ―ンの一番の魅力なのかもしれません。

引用 Adam Levine's twitter account: 

2014年2月14日金曜日

フランクルの「愛するということ」の定義

先日、高校生の息子が、英語の宿題の長文読解の問題を解いていました。それは、著書、『夜と霧』で、アウシュビッツの強制収容所での体験を描いた、オーストリアの心理学者、ヴィクトール・ランクルについて書かれた文章でした。

「寒い冬の日に、他の囚人たちと歩かされ続けていたヴィクトールは、気力と体力の限界に、思わずその場に崩れ落ちてしまう。もはや、これまでか、と思った瞬間、彼の意識は未来へ飛んで、聴衆に『私は再び立って歩き始めた』と語る自分の姿を思い描いていた。結局彼は、生き延びて、自分が想像した通り、何千人もの観衆の前で、収容所での経験を語る機会に恵まれるのである」、という内容でした。(前回投稿したブルース・スプリングスティーンのインタビューを思い出します。)



こういうのをシンクロニシティというのでしょうか。ちょうど同じ頃、ツイッターで、やはりフランクルの書いたエッセイを紹介する記事が流れてきました。あ、フランクル?と目に留まったのは、言うまでもありません。バレンタインデーではありますし、その記事の中から、フランクルの「愛するということ」の定義を。

"Love is the only way to grasp another human being in the innermost core of his personality.  No one can become fully aware of the very essence of another human being unless he loves him.  By his love he is enabled to see the essential traits and features in the beloved person; and even more, he sees that which is potential in him, which is not yet actualized but yet ought to be actualized.  Furthermore, by his love, the loving person enables the beloved person to actualize these potentialities.  By making him aware of what he can be and of what he should become, he makes these potentialities come true."                                   
(人を愛するということは、自分とは別の人間を、その人の人格の最も深い芯のところで理解する、 唯一の方法である。その人を愛さない限り、自分ではない人間の、まさにその本質を完全に見出すことなど、誰にもできない。愛するからこそ、その人だけが持つ性質や特徴がわかるようになるのである。そしてさらに、その人の中に眠っている、まだ実現していないけれど、 いずれは実現する、そんな可能性までもが見えてくる。しかも、愛することで、相手の可能性が開花するのを援助できる。その人は、自分がどうなるか、どうなるべきかに気づいて、自分の可能性を実現していくのである。)

フランクルの愛の定義を、いきなり卑近な話にもっていってしまって申し訳ないのですが、ファンというのはすべからくこういうものかもしれません。ある対象にひきつけられて、「これはすごい」と思う。何度も何度もそこに向きあって、どこがどうすごいのか考える。この素晴らしさを他の人にも知らせたい。きっともっとたくさんの人が、このすごさをわかってくれるはずだと思う。そこで描かれるビジョンに応えるような形で、才能は大きく開花していく・・・。

そもそも人は、なぜ、愛する人を理解したいと思うのでしょうか。他の誰よりも、愛する人のことを深く間違いなく理解したい、という思いをもってしまうのでしょうか。

もしかすると、誰かを愛してその人を理解しようと試行錯誤するプロセスは、自分を理解して、自分がこの人生で何をすべきかを考えるために、必要なことなのかもしれない、と思ったりします。私たちは自分以外なら、誰もの姿をこの目で見ることができるのに、自分の姿だけは、鏡がないと見ることができないように宿命づけられています。それと同じように、相応の誰かの力を借りて映し出さなくては、自分の内面をのぞきこむことはできないのかもしれません。そう考えると、愛する人を理解しようとすることは、そのまま、自分にとっても、内面の死活問題であるのは間違いなく、愛する人を理解したいと切望して、右往左往している時のあの切迫した気持ちにも、合点がいくように思います。

"Love goes very far beyond the physical person of the beloved.  It finds its deepest meaning in his spiritual being, his inner self.  Whether or not he is actually present, whether or not he is still alive at all, ceases somehow  to be of importance."                                                                            
(愛は愛する人の実体をはるかに超える。その人の内側の、「魂」という存在に、愛のもっとも深い意味はある。そう考えると目の前にその人がいるかいないか、まだ生きているかいないか、というようなことさえ、意味を持たなくなってくるのだ。) 

2014年2月1日土曜日

ブルース・スプリングスティーンのインタビューから

先日、ツイッター上に流れてきた言葉に、ふと目がとまりました。
興味を引かれるままにリンクを辿っていくと、それは、米国の公共ラジオNPRで1月15日付
取り上げられていた、ブルース・スプリングスティーンのインタビューからの言葉でした。 



Ann Powers: 
I love the dream aspect of what you do. And I'm wondering if you can talk about the role of what dream and fantasy play in what you do. 
(されているお仕事に、「夢」のような側面があるのが好きです。作品の中で夢や想像がどんな役割を果たしているか、教えていただけませんか。)  
Bruce Springsteen: 
It's everything, of course.  I mean, that's all we're doing, really, we're living in the world but it's all sort of dreams and it's all illusion. It's theater; it's not real. We're making up stories, you know, and people tend to run into you and believe you are your characters.  And I suppose the funny thing is the longer you go, you do become sort of some version of them.  You both diverge from them, you know, you live, but you also permanently inhabit that geography and that mental space and so you do morph a little bit. We do become what we imagine. 
(それが全てなんだよ。当然だよ。というか、僕たちがやってることはそれだけだよ、本当に。僕たちはこの世界に生きているんだけど、この世界はすべて夢みたいなもので、すべては幻想なんだ。ドラマであって、現実ではない。僕たちは物語を作っているだろう?そして、みんなはその中にこちらの姿をみてしまう。そして、僕たちのことを、こちらが設定した登場人物そのものだと信じてしまうんだ。そして、おもしろいと思うのは、ずっと、そんなことを続けていると、なんとなく、その中の誰かに本当になってしまうってことだよ。本当の自分も虚構の自分も、どちらもそこから派生したものになるんだ。自分の人生を生きている。その一方で、別の地平、しかもそれは(実体のない)精神的なもの、そういう空間に、永遠に存在することになってしまって、さらにそのことが、自分自身を少し変えてしまう。僕たちは、自分が想像するものになるんだ。)
作家や漫画家、作詞家など、創作に携わる方々が、「作品の登場人物はフィクションであって、
自分の人格とは違うのだ」と弁明されるのを、これまでに、幾度となく目に(耳に)したことが
あります。しかし、このブルース・スプリングスティーンの「自分の作りあげたフィクションの世界に、
やがて自分が影響を受けてしまう」という見方。これはなかなかおもしろい。創作が産み落と
された時には、単に虚構であったものが、時の洗礼を受けることで、図らずも自分自身の実在に
働きかけるようになる。

最近、巷でサッカーの本田圭佑選手の、小学校時代の卒業文集が話題になっていると
聞きました。「世界一のサッカー選手になる。」「セリエAに入団します。レギュラーになって、
10番で活躍します」と書いていたそうで、前人未踏の、おとぎ話のような少年の夢が、15年
という時を経て、まさに実現してしまう。この驚愕の事実を思うと、"We do become what we
imagine."(「僕たちは自分が想像するものになるんだ。」)と語ったブルース・スプリングスティーン
の言葉が、にわかに現実味を帯びてくるように思いました。