いつも、心に響く文章を紹介してくださるbrainpickings (http://www.brainpickings.org/) のツイートで、superb(素晴らしい)という言葉と共に、以下の文章が紹介されてきました。
"I had fallen in love and I had no language. I was dog-dumb. The usual response of “This painting has nothing to say to me” had become “I have nothing to say to this painting.” And I desperately wanted to speak. Long looking at paintings is equivalent to being dropped into a foreign city, where gradually, out of desire and despair, a few key words, then a little syntax make a clearing in the silence. Art, all art, not just painting, is a foreign city, and we deceive ourselves when we think it familiar. No-one is surprised to find that a foreign city follows its own customs and speaks its own language. Only a boor would ignore both and blame his defaulting on the place. Every day this happens to the artist and the art."
(私は恋に落ちてしまった。でも、何も言葉が出てこないのだ。バカみたいに呆然とするほかなかった。「この絵は何も語りかけてこない」と思うとたいてい、「この絵について、何も語ることはない」という言葉が後に続くものだが、そんなことはない。私はどうしても何か語りたかったのだ。ずっと絵に見入るというのは、異国の街に立つのと同じことだ。どうしても話したくて、やけくそで、キーワードを1つ2つ、さらに単語を並べてみて、少しずつ沈黙を破る。アート、ただ絵画だけでなく、全てのアートは、異国の街だ。どこも似たようなものだと思うと、裏切られる。外国では皆、その街のしきたりに従って、その国の言語を話す。そのことに誰も驚いたりはしない。言語にも慣習にも注意を払わず、自分が相手にされていないと咎めるのは、単なるマナー違反だ。毎日、アートとアーティストには、こういったことが起きているのだ。)
"We have to recognize that the language of art, all art, is not our mother-tongue."この文章は、Jeanette Winterson というイギリスの作家が書かれたということですが、「異国の街」というメタファーが美しく、気が利いていて、本当に superb です。芸術作品というのは、ある人の認知がそのまま色や形で表現されるわけで、共有するものが見つからない、見つかったとしても、それを言い表す言葉がみつからない、というような事態は、起こってもけして不思議ではない。アートを前に、心を動かされたり、衝撃を受けたりするものの、それをどうすることもできず、途方にくれてしまうような、あの気持ち。「あらゆるアートの言語は自分の母語ではない」と考えると、妙に納得です。
(アート、あらゆるアートの言語は、自分の母語ではない。このことに気づかなくてはならないのだ。)
引用:The quoted part is from;
http://www.brainpickings.org/2014/10/27/jeanette-winterson-art-objects/?utm_content=bufferba634&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
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