先日、高校生の息子が、英語の宿題の長文読解の問題を解いていま した。それは、著書 、『夜と霧』で、アウシュビッツの強制収容所での体験を描いた、オーストリアの心理学者、ヴィクトール・フ ランクルについて書かれた文章でした。
「寒い冬の日に、 他の囚人たちと歩かされ続けていたヴィクトールは、 気力と体力の限界に、思わずその場に崩れ落ちてしまう。もはや、 これまでか、と思った瞬間、彼の意識は未来へ飛んで、聴衆に『 私は再び立って歩き始めた』と語る自分の姿を思い描いていた。 結局彼は、生き延びて、自分が想像した通り、 何千人もの観衆の前で、 収容所での経験を語る機会に恵まれるのである」、という内容でし た。(前回投稿したブルース・スプリングスティーンのインタビュ ーを思い出します。)
こういうのをシンクロニシティというのでしょうか。 ちょうど同じ頃、ツイッターで、 やはりフランクルの書いたエッセイを紹介する記事が流れてきまし た。あ、フランクル?と目に留まったのは、 言うまでもありません。バレンタインデーではありますし、その記事の中から、フランクルの「愛するということ」の定義を。
こういうのをシンクロニシティというのでしょうか。
"Love is the only way to grasp another human being in the innermost core of his personality. No one can become fully aware of the very essence of another human being unless he loves him. By his love he is enabled to see the essential traits and features in the beloved person; and even more, he sees that which is potential in him, which is not yet actualized but yet ought to be actualized. Furthermore, by his love, the loving person enables the beloved person to actualize these potentialities. By making him aware of what he can be and of what he should become, he makes these potentialities come true."
(人を愛するということは、自分とは別の人間を、その人の人格の最も深い芯のところで理解する、 唯一の方法である。その人を愛さない限り、自分ではない人間の、 まさにその本質を完全に見出すことなど、誰にもできない。 愛するからこそ、その人だけが持つ性質や特徴がわかるようになるのである。そしてさらに、その人の中に眠っている、 まだ実現していないけれど、 いずれは実現する、 そんな可能性までもが見えてくる。しかも、愛することで、相手の可能性が開花するのを援助できる。その人は、自分がどうなるか、どうなるべきかに気づいて、自分の可能性を実現していくの である。)
フランクルの愛の定義を、 いきなり卑近な話にもっていってしまって申し訳ないのですが、 ファンというのはすべからくこういうものかもしれません。 ある対象にひきつけられて、「これはすごい」と思う。 何度も何度もそこに向きあって、どこがどうすごいのか考える。 この素晴らしさを他の人にも知らせたい。 きっともっとたくさんの人が、 このすごさをわかってくれるはずだと思う。 そこで描かれるビジョンに応えるような形で、 才能は大きく開花していく・・・。
そもそも人は、なぜ、愛する人を理解したいと思うのでしょうか。 他の誰よりも、愛する人のことを深く間違いなく理解したい、 という思いをもってしまうのでしょうか。
もしかすると、
"Love goes very far beyond the physical person of the beloved. It finds its deepest meaning in his spiritual being, his inner self. Whether or not he is actually present, whether or not he is still alive at all, ceases somehow to be of importance."
(愛は愛する人の実体をはるかに超える。その人の内側の、「魂」という存在に、愛のもっとも深い意味はある。そう考えると目の前にその人がいるかいないか、まだ生きているかいないか、 というようなことさえ、意味を持たなくなってくるのだ。)
引用 The quoted part and the book above are introduced in: "brainpickings" http://www.brainpickings.org/index.php/2013/03/26/viktor-frankl-mans-search-for-meaning/?utm_content=buffer460e2&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
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