2017年8月28日月曜日

インスピレーションにしたがって生きる ーアグネス・マーティンの言葉からー

このブログのタイトルは、エジソンの
"Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration."
(「天才とは、1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力である」)
という言葉から作りました。学生時代から、小説や詩やエッセイのようなものから果ては漫画にいたるまで、文字を読んではその中にある言葉に、そういう考え方があったかと気づかされたり、イメージの美しさに感激したり、ふとした瞬間に思い出して励まされたりしてきました。また、そんな言葉を、何度も読んだりノートに書き留めてみたり、ということを繰り返してきました。このブログも、読んだり書いたりする手段がコンピューターに変わっただけで、相も変わらず、少女時代と同じことをやっているだけのようです。どうあれ、私にとっては、ある種の文章や言葉は、100%インスピレーションを与えてくれる大切なものに他なりません。
 今回は、また、Brainpickingsの中から、アメリカの抽象画家Agnes Martin(アグネス・マーティン)の言葉を見つけました。この文章の中で、アグネス・マーティンはインスピレーションとは何かについて語り、インスピレーションに従って生きることの大切さを述べています。
「agnes martin」の画像検索結果
"The world evolves due to changes that take place in individuals. By individuals I mean all living things. The world evolves due to a growing awareness in the lives of all things and is expressed in their actions. The actions of all things are guided by a growing awareness of life. We call it inspiration. Living by inspiration is living. Living by intellect — by comparisons, calculations, schemes, concepts, ideas — is all a structure of pride in which there is not beauty or happiness — no life." 
(「世界は個々に起こる変化によって進化していきます。ここでいう個々というのは、生きとし生けるもの、すべてのことをいいます。世界はすべてのものの生の中で、意識が高まることで進化していきます。そしてそれは行動に表れるのです。すべてのものの行動は、意識の高まりに導かれるからです。私達はその意識の高まりのことをインスピレーションと呼んでいます。インスピレーションに従って生きることが、本当に生きることなのです。頭で生きること、つまり、比較とか、計算とか、計画とか、概念とか、思想とか、そういったものは、プライドを作り上げるだけで、そこには、美しさや幸せはありません。生がないのです。」)
"Where pride walks nothing of life remains. It is the supreme destroyer of life. Pride leaves nothing in its path. It is death in life."
(「プライドの進む後、人生に何も残るものはない。プライドは、人生を破壊する最たるものです。プライドは、人生に歩みに何も残さないのです。それは、人生における死です。」)

"Hold fast to your life, to beauty and happiness and inspiration, and to obedience to inspiration. Do not imitate others or seek advice anywhere except from your own mind. No-one can help you. No-one knows what your life should be. No-one knows what your life or life itself should be because it is in the process of being created.
Life moves according to a growing consciousness of life and is completely unpredictable. If you live according to human knowledge, according to precept, values and standards, you live in the past. If you live entirely in the past you will not know beauty or happiness and you will not in fact live. You must believe in life. Believe that you can know the truth about life."
(「自分の人生を、美と幸福とインスピレーションをしっかりとつかみなさい。インスピレーションに従うのです。他人の真似をしたり、自分自身以外のどこかからのアドバイスを求めてはいけません。誰もあなたを助けることはできないのです。誰もあなたの人生がどうなるかなんてわからないからです。誰もあなたの人生がどうなるかわからない、なぜなら、それは、創り上げられている過程にあるからです。人生に対する意識の高まりに従って、人生は動いていくし、人生は、完全に予測不可能なのです。人間の知識とか、教えとか価値とか基準なんかに依って生きれば、過去に生きることになります。完全に過去にいきると、美しさも幸せもわからないし、本当に生きたことにはならないでしょう。人生を信じなくてはいけません。自分も人生の真実を知ることができると信じなさい。」)
このアグネス・マーティンの言葉を読むと、なんだか元気が出るような気がします。おそらく、この言葉は真実であるに違いない、という気がするのです。でも、真実に違いないと思う一方、「意識の高まり」とか、「インスピレーション」とか言われても、実際のところ、わかったようなわからないような・・・。比較とか計算とか計画とか、頭で考える方が、むしろ単純で想定しやすいのではないでしょうか。
 昨年の今頃、1週間程、入院手術することがありました。体を動かすと痛いし、特に何をすることもできず、ベッドの上でうとうとしたり、とりとめのないことを考えたりしていました。その時に、ふと、自分が一番力を発揮するのは、「受容する」ということにおいてではないのだろうか、自分はそのために生まれてきたのではないだろうか、という思いにとらわれました。そして、この入院を機に、これからは意識してそうしてみようと思いました。例えば、音楽を聴くとき。まず、心を静かに落ち着けて、バックに流れるベースの音やドラムの音にも注意を払って、じっくりと音楽に耳を傾ける。人の話を聴くとき。その人の声や目の色まで感じながら、まるごと、人の話に全身で対峙する。何かを読むときも、飛ばし読みしたりせずに、一つ一つの言葉を大切に読んでいく。食事をする時だって、慌てて飲み込んだりせずに、どんな味かどんな風味か、よく味わって食べるのです。自分の周りのあらゆるもののメッセージをつかみ、なるべく正確に理解し、それをしっかりと受け止めていくのだと、そういうことを思いました。
 そういう風に生きていれば、インスピレーションだって、捉え損ねることはないのではないでしょうか?或は、その時の「受容する」ために生まれてきたのだ、というその考え自体が、インスピレーションだったのかもしれません。

The quoted part is from;
Beloved Artist Agnes Martin on Our Greatest Obstacle to Happiness and How to Transcend It  in brainpickings

2017年6月3日土曜日

美しい生活 ーザイナブ・サルビのインタビューからー

人の一生には終わりがあって、しかも一度きりである。いつその終わりが来るのか、この先もどうなるのか、何もわからないままに、私たちは生きているし、また生きて行かなくてはいけません。それでも自分の人生に満足できるように、悔いのないように生きていきたい。誰もがそう思うのではないでしょうか。私ももちろんそうです。

生きている間には、たくさんの人に出会い、様々なことに従事することになります。そして、その自分を取り巻く無数の事柄に対して、多様な感じ方、捉え方をすることができる。何を大切にしてどう考えればよいのか。大切なものは人それぞれだし、正しい答えなどというものは期待できないでしょう。その判断はとても難しいものだと思います。

NPRのポッドキャスト、TEDラジオ・アワーで、Endurance(耐えること)というテーマが取り上げられたことがありました。その中で、イラク育ちの女性の権利のための活動家、ザイナブ・サルビのインタビューが取り上げられました。

ザイナブ・サルビはTEDトークの中では、戦争には2つの面があると述べていました。1つは前線にいる兵士や戦闘のこと、もう1つはその背後で、死に物狂いで生活を続けている女性や子供のことです。語られるのはいつも、前線にいる兵士や戦闘のことですが、懸命に日常生活を前に進めようとしている女性や子どもたちのことを忘れてはいけないというのです。

そして、サルビがTEDラジオ・アワーのインタビューで、語っていたことが胸に迫りました。


SALBI: You know, when I first went to war zones, I would, like, you know, wear my jeans and sneakers. And like, OK. I'm a women's right activist and a humanitarian, and I'm here to help people. And honestly, it was from the women that I thought I was helping who taught me how to enjoy beauty and celebrate it. It was women in Bosnia, for example, during the days of Sarajevo. It was longest besieged city. And I went in the besiege. And I went - I was like OK - what do you want me to bring you next time I'm here? And the woman said lipstick. I'm, like, lipstick?
(サルビ:はじめて交戦地帯に入った時、私は、ジーンズとスニーカーを履いて。で、よし、私は女性の権利のための活動家で、人道主義者よ。人々を助けるためにここに来ました、という感じでした。そして、なんたることか、私は自分が助けていると思っていた女性たちから、美しさを楽しんで祝福するというのはどういうことかというのを教わったのでした。例えば、サラエボにいた当時の、ボスニアの女性です。サラエボは最も長い間、包囲されていた街でした。私は包囲区域に入りました。入っていって、さあ、次にここに来るときには、何を持って来てほしい?って。すると、その女性は、口紅、と言ったのです。私は、く、くちべに?ってなもんです。) 
RAZ: (Laughter). 
(ラズ:(笑)) 
SALBI: What are you talking about? Don't you want - I don't know - vitamins? You know, something, I don't know. And they're like lipstick. I was like - why? And they said because it's the smallest thing we put on every day and we feel we are beautiful, and that's how we are resisting. They want us to feel that we are dead. They want us to feel that we are ugly.
(サルビ:何言ってるの?あなたが必要なのはそういうものじゃないんじゃないの?わからないけど、ビタミン剤とか?ね、何か、ほら、わからないけど。でもみんな、口紅、みたいに言うんですよ。私はといえば。どういうこと?って。すると、みんな言うのです。それはほんの小さなものですが、毎日身につけて、私たちは自分は美しいと思う。それが、私たちの闘い方なのです。やつらは私たちが、自分はもうダメだ、とか、自分はみにくい存在なんだ、と感じていればよいと思っているんです。) 
And one woman, she said, I put the lipstick every time I leave because I want that sniper, before he shoots me, to know he is killing a beautiful woman. And I look at her, and I was, like, that's how she's keeping her beauty. Like, who am I to take myself so seriously when they are keeping life going through beauty and through the joy, just as my mother did when I was a child?
(ある女性はこう言いました。出かけるときはいつも口紅をつけます。銃を持つ人が、私を撃つ前に、美しい女性を殺しているのだ、と思ってほしいから、と。私はその人を見ました。そして、そういう風に自分の美というものを大切にしているのだ、とわかったのです。美しさや喜びの中で人生を生きていくとすると、自分自身以外の誰が、ちょうど子供のころに母がしてくれたように、自分のことを真剣に考えてくれるでしょうか?) 
And so that act of resilience - you keep the joy. You keep the laughter. You keep singing the song. You keep the melodies of the song going. That's how women resist and show their resilience in the darkest of circumstances, and that's what war is.
(つまり、抵抗するという行為とは、あなたが喜びを忘れず、あなたが笑うことを忘れず、あなたが歌を歌い続ける、ということです。歌い続ける歌のメロディーを忘れない、ということなのです。女性たちは最悪の状況の中で、このように闘い、このように抵抗を示すのです。戦争とはそういうものです。)
そう、戦争中でも毎日の生活は続いていく。幸運なことに、平和な場所に暮らすことができている私にとっても、結局、毎日の生活が一番大事。そう思います。食べる。着る。休む。清潔に保つ。仕事や他のことにたとえ変化があったとしても、生活の部分はいつも変わらずに自分についてきます。その部分を面倒に思わずに、かといって、過度に振り回されずに、きちんと向き合っていくことこそが人生なのではないでしょうか。その生活の中で、物事の本質を見失わないでいること、倫理観の軸があること、に気を付けていたいと思います。そして、それ以上に、生活に美しさを求めることが本当に大切だと思います。以前の投稿にも書いたのですが、美しさをなめてはいけない。美しさを求めてやまない、自分の気もちにじっと耳を傾けるべきだと思います。

The quoted part is from:
How Do People Live and Cope In The Midst Of Violent Conflict? ZAINAB SALBI
February 11, 20161:45 PM "To Endure"
http://www.npr.org/2016/02/11/466044738/how-do-people-live-and-cope-in-the-midst-of-violent-conflict

2017年4月14日金曜日

「小さな喜び」を大切にできる能力 ーヘルマン・ヘッセの言葉からー

物事を何もかも完璧にすることはできないでしょう。1日は24時間しかないし、そのうち何時間かは必ず眠らなくてはいけません。自分の関わる全てのことを、自分が理想とする形で進めようとすると、どこかで無理が生じてくる。仕方がないから、様々な観点から、この件はこのくらいでおさめるのがベストであろう、と思われる「落としどころ」を見定めて、そこで手を打つことにする。その決定には自分の性質や価値観、それまでの経験などが映し出されていることと思います。

そうして、あることだけが極端にならないように、何かに無理が生じないように、かといって、それが怠惰や臆病にすり替わってしまわないように気を付けながら、うまくバランスを取っていく。それが人生というものではないでしょうか。

Brainpickingsの投稿に、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)の文章が取り上げられていました。ヘルマン・ヘッセといえば、『車輪の下』が有名ですが、先に思い出すのは、中学校の教科書で読んだ短編『少年の日の思い出』の方でしょうか。Brainpickingsの記事の中で、ヘッセは物事に適度に取り組んで、毎日の生活に小さな喜びを見つけることの大切さについて語っています。

「Hermann Hesse」の画像検索結果
                            

”The ability to cherish the “little joy” is intimately connected with the habit of moderation. For this ability, originally natural to every man, presupposes certain things which in modern daily life have largely become obscured or lost, mainly a measure of cheerfulness, of love, and of poesy. These little joys … are so inconspicuous and scattered so liberally throughout our daily lives that the dull minds of countless workers hardly notice them. They are not outstanding, they are not advertised, they cost no money!”
「この『小さな喜び』を大切にできる力というのは、ものごとをほどほどにすることと深く関わっています。というのは、元来誰にでも普通に備わっているはずのこの力が前提としているのは、現代の日常生活では、ものすごく見えづらく、それどころか、損なわれてしまったような物事、ちょっとしたほがらかさとか愛情とか詩だからなのです。こういう数々の小さな喜びは、あまり目立たない上に、毎日の生活のあらゆる場面に、大いに散らばっているので、感覚の鈍っている多くの労働者は、ほとんど気づくことがないのです。目立たないし、知らされないし、お金もかからないのだから!」 
”Just try it once — a tree, or at least a considerable section of sky, is to be seen anywhere. It does not even have to be blue sky; in some way or another the light of the sun always makes itself felt. Accustom yourself every morning to look for a moment at the sky and suddenly you will be aware of the air around you, the scent of morning freshness that is bestowed on you between sleep and labor. You will find every day that the gable of every house has its own particular look, its own special lighting. Pay it some heed if you will have for the rest of the day a remnant of satisfaction and a touch of coexistence with nature. Gradually and without effort the eye trains itself to transmit many small delights, to contemplate nature and the city streets, to appreciate the inexhaustible fun of daily life. From there on to the fully trained artistic eye is the smaller half of the journey; the principal thing is the beginning, the opening of the eyes.”
「とにかく一度試してみてください。木とか、大きく広がる空などというものはどこにでも見ることができるものです。青空である必要もない。何らかの方法で、太陽の光はいつも、光そのものを感じさせてくれます。毎朝、少しの間、空を見る習慣をつくってください。すると、自分の周りにある空気に、眠りと仕事の合間に、朝の新鮮な香りが自分に与えられていることに、ふと気づくようになるでしょう。毎日、家という家の屋根がそれぞれに違った形をしていたり、独自の照明があるのに気付くでしょう。ちょっと注意してみてください。その日の残りが、何だか満ち足りていたり、自然と共にあることを感じられたりするのがわかるかもしれません。そのうち少しずつ、一生懸命にならなくても、目が鍛えられて、たくさんの小さな喜びを伝え、自然と街の通りについて考え、毎日の生活に尽きることのない楽しさを感じるようになるでしょう。今いるところから、十分に鍛えられた芸術家の目にたどりつくまでは、そう遠くない道のりです。大切なのは、始めることです。まず、目を開いてみることなのです。」
忙しくしていると、つい後回しにしてしまいがちですが、"Cheerfulness, love and poesy "(ちょっとしたほがらかさとか愛情とか詩) などというものは、本当に毎日の中で大切なものだと思います。現役世代で仕事が忙しい。フルタイムの仕事と育児や介護のかけもちをしている。皆それぞれに、心にも時間にも余裕はないものですが、それでも、人生のどの段階でも、それを手放してはいけないと思う。また、その大切さや意味をきちんと次世代に教えて、子ども達がちゃんと、"the fully trained artistic eye" (十分に鍛えられた芸術家の目)を持つようにしてあげる。そして、その大切さをお互いに保障し合うような社会にしようと努力するのが、大人の義務ではないかと思います。

The quoted part is from

"Hermann Hesse on Little Joys, Breaking the Trance of Busyness, and the Most Important Habit for Living with Presence" from brainpickings.

2017年2月14日火曜日

独りぼっちでつながっている ーアラン・ド・ボトンのインタビューからー

毎週、楽しみに聞いている ポッドキャスト On Being は、このブログでも何度か話題にさせていただいていますが、先日のものは、哲学者のアラン・ド・ボトン(Alain de Botton)へのインタビューでした。アラン・ド・ボトンは以前、「ときめきの仕分けから成功は始まる」という記事で、彼のTED Talkを紹介させていただいています。哲学の話題というと抽象的で、途中で断念してしまうことも多いのですが、アラン・ド・ボトンのお話しは自分の体験や実感ともつながって、その上、いろいろなことを気づかせてもらってありがたい。このポッドキャストのホストのクリスタ・ティペット(Krista Tippett)のインタビューもいつも的を射ていて、聞きごたえがあります。その2人の会話ということで、特に、耳を澄ませて聞きました。そして共感できる言葉をいくつも見つけました。

”MS. TIPPETT: In this “Darkest Truth About Love,” you say the idea of love in fact distracts us from existential loneliness. You are irredeemably alone. You will not be understood. But also, behind that is the — as you say, these are dark truths, but it’s also a relief, as truth always ultimately is, if we can hear it. That again, that is the work of life is to reckon with what goes on inside us.
(ティペット:この「愛についての最も暗い真実」の中で、愛ということを考えると、我々は実際に本来孤独な存在であるのに、それがわからなくなってしまうとおっしゃっていますね。どうしようもないくらい独りぼっちなのに。理解してもらえることなんてないのに。でもその背後に、それは暗い真実であると同時に安らぎでもあると言われています。真実というのはいつも、つきつめて理解するとそうであるように。生きるというのは、心の中で何が起こっているかを考えていくことだということですね。) 
MR. DE BOTTON: Yes. I think one of the greatest sorrows we sometimes have in love is the feeling that our lover doesn’t understand parts of us. And a certain kind of bravery, a certain heroic acceptance of loneliness seems to be one of the key ingredients to being able to form a good relationship.
(ドゥ・ボトン:そうですね。恋人が自分の様々なことを理解してくれないという感覚は、愛し合う中で出会う大きな悲しみの1つだと思います。そしてある種の強さというか、潔く孤独を受け入れることが、良い関係を築くことのできる大切な要素の一つであるような気がします。) 
MS. TIPPETT: Isn’t that interesting? And it sounds paradoxical.
(ティペット:おもしろいですよね?なんだか逆説的というか。) 
MR. DE BOTTON: Of course. If you expect that your lover must understand everything about you, you will be — well, you’ll be furious pretty much all the time. There are islands and moments of beautiful connection, but we have to be modest about how often they’re going to happen. I think if you’re lonely with only — I don’t know — 40 percent of your life, that’s really good going. You may not want to be lonely with over 50 percent, but I think there’s certainly a sizable minority share of your life which you’re going to have to endure without echo from those you love.
(ドゥ・ボトン:その通りです。もしも、恋人は自分のことを全て理解しなくてはならないと期待しているとすると、あなたはきっと、そう、いつも怒ってばかりいることになるでしょうね。結びつきを感じる美しい瞬間というものはあるものですが、どのくらい生じるかとなると、ほどほどに考えておかないといけないでしょう。もしも、だいたい、人生の・・・よくわかりませんが、40%くらいを孤独だと思うとすれば、かなり良い感じだと思います。50%以上寂しいと思いたくはないでしょうから。でも、愛する人が共感してくれないことに耐えなくてはならなくなる状況は、人生のかなりをしめるはずだと思いますよ。) 
MS. TIPPETT: You know, I debated over whether I would discuss this with you, but I think I will. I’m single right now and have been for a few years, and it’s actually been a great joy. Not that I think I will be single forever or want to be single forever. Although, actually, I think I would be alright if I were, which is a real watershed. And also what this part of — this chapter of life has taught me to really enjoy more deeply and take more seriously are all the many forms of love in life aside from just romantic love or being coupled. Do people talk to you about that?
(ティペット:ところで、このことをここでお話しすべきかどうか、迷ったのですが、お話ししたいと思います。今、私、独りなんです。ここ何年かずっとそうです。そして、それがとても楽しいのです。これからもずっと独りでいるつもりだとか、独りでいたいだとか思っているわけではないのですが、そうなってもいいな、とも思うのです。そう思うようになったのは、画期的なことでした。また、この人生のこの部分のおかげで、ただ恋愛だとか恋人になる、結婚する、などとは別のいろいろな形の愛情を、より深くより真剣に楽しめるようになったのです。そんなことをおっしゃる人はいませんでしたか?) 
MR. DE BOTTON: Well, it’s funny because just as you were saying, “I’m single,” I was about to say, “You’re not.” Because we have to look at what this idea of singlehood is. We’ve got this word “single” which captures somebody who’s not got a long-term relationship.
(ドゥ・ボトン:いや、おかしなものです。あなたが「私、独りなんです」とおっしゃった時、「違いますよ」と言いそうになっていたんですよ。この独身とはどういうことかということを考えなくてはならないからです。私たちは、長期間に渡る恋愛関係を持たない人のことを指して言いますね。) 
MS. TIPPETT: But I have so much love in my life.
(ティペット:でも、私の人生は愛情でいっぱいなんです。) 
MR. DE BOTTON: That’s right. And another way of looking at love is connection. We’re all the time, we are hardwired to seek connections with others. And that is, in a sense, at a kind of granular level, what love is. Love is connection. And insofar as one is alive and one is in buoyant, relatively buoyant spirit some of the time, it’s because we are connected. And we can take pride in how flexible our minds ultimately are about where that connection is coming.
(ドゥ・ボトン:そうでしょう。そして、愛を見るもう一つの見方はつながりということです。私たちはいつだって、生まれつき他の誰かとのつながりを求めているのです。つまり、それが、本当に細かいところまでつめた意味で、愛とは何かということなのです。愛とはつながりです。そして、生きていて元気でいる限り、だいたい元気でいられるというのは、誰かとつながっているからなのです。そして自信をもってほしいのですが、私たちはつながることのできる場所を、ものすごく柔軟に受け入れることができるのです。)”
自分はこの人生では、結婚して家族をもって生きていきたいと願いました。そして、その願いはかなえられたので、「独身」ではありません。いわゆる「独身」でいることがどういうことであるのか、もう、おそらくわからなくなっているでしょう。それでも、人はひとりひとりが違う認知をしていて、違う物語の中で生きているということ。そのようなお互いをわかり合うことは大変に難しいことだということは、ひしひしと感じています。私たちは皆、孤独な存在だと言われると、その通りだと思います。その上で、いつもつながりを求めているというのも、やはりその通りだと感じます。夜空を見上げると、真っ暗な天空に星が1つ1つ浮かんでいるように、世界にぽつりと「自分」というひとりぼっちの存在があって、他の存在とつながっている。家族だったり、学生時代の友だちだったり、職場で出会う人だったり、本当に様々な人々とつながっていて、それが愛ということで。そういうことですね?
 人と人との関係も、時間の経過とともに刻々と変化していきます。今や夫は友達のようだし、子供は兄弟のようです。学生時代の友だちや職場の人は家族のようで、何が何だかわからない感じ。でも、いろんな人とつながっていることは、確かに感じられます。孤独な私の魂につながってくれている世界中のすべての人に、ありがとうと伝えたいバレンタイン・デーの夜です。

The quoted part is from;
ALAIN DE BOTTON The True Hard Work of Love and Relationships in On Being.
http://onbeing.org/programs/alain-de-botton-the-true-hard-work-of-love-and-relationships/

2017年1月29日日曜日

言葉の力と物語の力 ―オバマ大統領のインタビューから―

先日、アメリカ大統領の就任式が執り行われ、とうとう、オバマ大統領の任期が終わってしまいました。任期の間に、もちろん多くのことを成し遂げられたわけですが、オバマ前大統領といえば、やはり、いろいろな場面での彼のスピーチが一番印象に残ります。さわやかな弁舌。明確で力強い言葉。時には歌を歌ったり、涙ぐんだり。しっかりと「伝わる」言葉の数々が思い出されます。

ニューヨークタイムズの記事で、オバマ前大統領が読書について語っている記事を見つけました。
子どもの頃から読書好きで、大統領の職に就く前に、既に、『マイ・ドリーム: バラク・オバマ自伝』(2007)木内裕也、他(翻訳)という本を書いて出版したことなどについて語っておられました。


That period in New York, where you were intensely reading. 
(その頃、ニューヨークで、読書に没頭されていたのですね。) 
"I was hermetic — it really is true. I had one plate, one towel, and I’d buy clothes from thrift shops. And I was very intense, and sort of humorless. But it reintroduced me to the power of words as a way to figure out who you are and what you think, and what you believe, and what’s important, and to sort through and interpret this swirl of events that is happening around you every minute." 
(1人、世間から隔離されていたような感じでした。本当に。持っていたのはお皿1枚とタオル1枚で、洋服は古着屋で買って。ものすごくぴりぴりしていて、ちょっとおもしろみのない人間でした。でも、読書に没頭する生活が、あらためて言葉の力に気付かせてくれました。自分がどんな人間で、何を考え、何を信じ、何が大切なのかを突きとめる。また、常に次々と休みなく自分の周りで起こる出来事を整理したり、解釈したりする、その手段としての言葉の力にです。)  
"And so even though by the time I graduated I knew I wanted to be involved in public policy, or I had   these vague notions of organizing, the idea of continuing to write and tell stories as part of that was valuable to me. And so I would come home from work, and I would write in my journal or write a story or two."
(そして、私は大学を卒業するころには、自分がやりたいのは公共政策に関わることだ、とわかっていたし、あるいはぼんやりと組織づくりをするようなことも意識していたのですが、書くということを続ける、また、その一つとして、何かを物語ることを続けるという考えは、私にとっては大切なことでした。だから、仕事から戻ると、日記を書いたり、1つ2つ物語を書いたりしていました。)

"The great thing was that it was useful in my organizing work. Because when I got there, the guy who had hired me said that the thing that brings people together to have the courage to take action on behalf of their lives is not just that they care about the same issue, it’s that they have shared stories. And he told me that if you learn how to listen to people’s stories and can find what’s sacred in other people’s stories, then you’ll be able to forge a relationship that lasts.

But my interest in public service and politics then merged with the idea of storytelling." 
(すばらしいのは、私の組織づくりの仕事の中でもそれが役に立ったということでした。その仕事に就いた時、私を雇ってくれた人がこう言 ったのです。人々が結び付き、自分たちの生活のために行動を起こす勇気をもつようになる。人々にそうさせるのは、ただ、同じ問題に関心を寄せている、ということではない。みんなが同じ「物語」を共有しているということなのだ、と。どのように人々の物語に耳を傾けるべきかを学び、その他者の話の中に、何か特別なものを見い出すことができるなら、その時は、長く続く人間関係を作り上げることができるでしょう、と。 
公職とか政治に対する私の興味がまずあって、それが、物語を語るという考えと融合したのです。)

私たちは言語を通して人格をみがき、そして、言語を使って、生きていくための物語を語る。時には誰かの語る物語を信じることもある。誰かと物語を共有することもある。オバマ前大統領は、豊かな読書体験に裏付けられた、はっきりと切れの良いパワフルな言葉で、人々が信じることのできる「物語」を雄弁に語り、多くの人を結び付け巻き込みながら、政治を運んでいた。そのあり方こそ、リーダーのあるべき姿なのではないかと思います。別に私はリーダーでもなんでもありませんが、それでも、言葉を使って生きている一人の人間として、言葉の力、物語の力を十分に心において、決して侮ることのないように、丁寧に言葉に向き合って、生きていきたいものだと思いました。

The quoted part is from:
Transcript: President Obama on What Books Mean to Him
JAN. 16, 2017 The New York Times
https://www.nytimes.com/2017/01/16/books/transcript-president-obama-on-what-books-mean-to-him.html?smid=tw-nytimes&smtyp=cur&_r=0

2016年12月4日日曜日

「すべての物語は真実である」-John Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) の言葉から―

以前、沈む夕日と舞い降りる雪の意味-村上春樹の言葉から- という投稿で、人間はあらゆるもの事に、意味づけをせずにはいられない存在で、「出会う人、住んでいる場所、生まれながらの境遇、突然降りかかってくる出来事。心を開いて、発想を柔軟にして、そういった物事に一つ一つ意味を見いだして、自分という存在の意味をしっかりと受け止めてくれる物語を作っていく。そうやって、前に進んでいくしかないのではないか」と書きました。

そう考えると、私達にとって物語というものがどれだけ大切なものか、と思えてくるのですが、Paris ReviewのJohn Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) のインタビューの記事の中で、こういうフレーズを目にしました。

       "All stories are true."

 実は、John Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) という方についてはそれまで存じ上げていませんでした。確認してみると、ジョン・エドガー・ワイドマンはアメリカ人の作家で、ブラウン大学で教鞭も取っておられるようです。1991年にはPhiladelphia Fireでアメリカ図書賞などを受賞されており、他の作品も数々の文学賞の候補になるなどの活躍をされている方だということです。日本では3冊ほどの翻訳書が出版されているようです。



INTERVIEWER(インタビュアー)
"There’s a phrase that comes up in a lot of your books: “All stories are true.” What do you mean by that, and how does it relate to your work?"
(「あなたの本に何度も出てくるフレーズがありますね。「すべての物語は真実である」この言葉にはどういう意味が込められているのでしょう?そして、あなたの作品にどうかかわっているのでしょうか?」) 
WIDEMAN(ワイドマン)
"The source of that phrase is Chinua Achebe, and Achebe’s source is Igbo culture, traditional West African philosophy, religion, et cetera. It’s an Old World idea and it’s very mysterious. Rather than say I understand it, let’s say I’ve been writing under the star or the question mark of that proverb for a long time and I think it’s something that challenges. You peel one skin and there’s another skin underneath it—“all stories are true.” It was a useful means to point out that you don’t have a majority and a minority culture, you don’t have a black and a white culture—with one having some sort of privileged sense of history and the other a latecomer and inarticulate—you have human beings who are all engaged in a kind of never-ending struggle to make sense of their world. “All stories are true” then suggests a kind of ultimate democracy. It also suggests a kind of chaos. If you say, Wideman’s an idiot, and someone else says, No, he’s a genius, and all stories are true, then who is Wideman? It’s a challenge. A paradox. For me it’s the democratic aspect of it that’s so demanding, and it’s been a kind of guide for me in this sense. I know if I can capture certain voices I heard in Homewood—even though those people are not generally remembered, even though they never made a particular mark on the world—at certain times and in certain places and in certain tones those voices could tell us everything we need to know about being a human being."
(「このフレーズは、チヌア・アチェべの言葉から来てます。そして、アチェベはイボ文化、伝統的な西アフリカの哲学、宗教などから影響を受けているのです。それは、旧世界の思想で、とても神秘的なものです。それを理解したから、というよりも、ずっとその星の下で執筆を続けてきたから、とか、長い間このフレーズの謎を考えてきたから、と言いたいところです。それは、何かこちらにはたらきかけてくるような言葉だと思うのです。表面の皮をむいたら、その下にさらに皮があった、というような。 ―「すべての物語は真実である」― 多数派の文化、とか、少数派の文化などというものは無いし、黒人の文化とか、白人の文化などというものもない。 ―歴史の中で、一方が特権的な感覚を持つようになり、遅れてやってきたもう一方が、物を言えなくなっている― 皆、自分の世界に何とか意味を見出そうとして、終わりのない努力を続けている、そんな人間がいるだけなのだ。そういったことを取り上げるのに、そのフレーズは有効だったのです。それから、「すべての物語は真実である」という言葉には、究極の民主主義のようなものが感じられます。また、何か混沌としたものも。たとえば、ワイドマンなんて馬鹿だよ、とあなたが言ったとして、それに、誰かがいや彼は天才だよ、と言ったとする。そしてそのすべての物語が真実だということになれば、では、ワイドマンってどんなやつだ?ということになる。そういうはたらきかけです。逆説的なものです。私には、そういう風に厳しく迫って来ることこそが、この言葉の民主主義的な側面だと思えます。そういう意味で、この言葉は、私をこれまで導いてきてくれたのです。もし私がホームウッドで耳にする様々な声をとらえることができるなら、その声が、ある時、ある場所で、ある言い方で、私たちが1人の人間であるために必要な、あらゆることを教えてくれるとわかるのです。たとえ、その声の持ち主が、たいてい、忘れ去られてしまう人たちで、この世界に何か足跡を残すようなことはないとしても。」)
「すべての物語は真実である」・・・きっとそうなのでしょう。そうだと思わせる重みのあるフレーズだと思います。しかし、本当にこのフレーズは重い。たとえば、ある物語は真実で、ある物語はでたらめ、だとすると、嘘もあるけど真実もある、と信じられます。でも、すべての物語が真実であるとすると、それは同時にすべての物語はでたらめである、という「物語」も真実になってしまいます。まさにパラドックス。そう思うと、今まで真実だと思ってきた私自身の「物語」にも、不信感のようなものが生まれてきます。そして、この限られた人生に、いったいどんな意味を見出して生きていけばよいのか、わからなくなってくるような気がします。

真実かどうかなんて、結局問題ではないということでしょうか。その「物語」が自分の心にすとんと落ちる、とか、他のどの「物語」よりも美しいと思える、とか、そういうことでしか判断できない、ということなのでしょうか。「すべての物語は真実である」・・・・こういうことだ、と言えるようになるまで、随分時間のかかりそうなフレーズに出会ってしまいました。
The quoted part is from;
John Edgar Wideman, The Art of Fiction No. 171 in The Paris Review 

2016年10月30日日曜日

完璧な「集中」の充実感 ―ジェーン・ハーシュフィールドの言葉から―

小学生の頃の話です。2時間目と3時間目の授業の間には、少し長めの20分間の休憩の時間があり、その時間には皆、外に出てひとしきり体を動かして遊ぶことが常でした。入学してすぐの5月頃だったでしょうか。友達3人と外に出て、「渡り棒」か何かの遊具の周りで遊んでいたら、遊びに夢中になってしまって、休み時間が終わったことにまるで気づくことができませんでした。ふと見渡すと、グラウンド中にいた子供たちは一人もおらず、自分たち3人だけが取り残されていました。急いで教室に戻って謝って、先生の顔色を窺うと、先生などは慣れたもので、はいはい、という感じで、特に咎められることもなく、何事もなかったように授業に入っていきました。

その時のことを、折にふれ、思い出します。遊びに夢中になっていた私の意識(他の2人の友達も、おそらく)は、完璧な「集中」を経験していたのだと思うのです。大人になった今だったら、歓声をあげて走り回っていた100人からの子供たちが一斉に周囲から姿を消したことに、気づかないということができないはずです。夢中になって絵を描いたり、本や漫画に没頭したり、一心に蝶々やとんぼを追いかけたり、天井のしみや壁紙のパターンを目で追ったり。子ども時代の自分は、興味を引かれるままに、自分の行動や周囲の世界に、難なく入り込んでしまっていました。



"By concentration, I mean a particular state of awareness: penetrating, unified, and focused, yet also permeable and open. This quality of consciousness, though not easily put into words, is instantly recognizable. Aldous Huxley described it as the moment the doors of perception open; James Joyce called it epiphany. The experience of concentration may be quietly physical — a simple, unexpected sense of deep accord between yourself and everything. It may come as the harvest of long looking and leave us, as it did Wordsworth, a mind thought “too deep for tears.” Within action, it is felt as a grace state: time slows and extends, and a person’s every movement and decision seem to partake of perfection. Concentration can also be placed into things — it radiates undimmed from Vermeer’s paintings, from the small marble figure of a lyre-player from ancient Greece, from a Chinese three-footed bowl — and into musical notes, words, ideas. In the wholeheartedness of concentration, world and self begin to cohere. With that state comes an enlarging: of what may be known, what may be felt, what may be done." 
(私がここで言う「集中」というのは、ある特定の状態の意識のことです。はっきりと鋭く、1つにまとまって一点を見据えている。でも同時に透明で開かれてもいる。このような意識の状態というのは、言葉では説明しづらいものですが、すぐにそれだとわかります。オルダス・ハクスリーは、それを、「認知の扉が開く瞬間」と表し、ジェームズ・ジョイスは、「エピファニー(突然の悟り)」と呼んでいます。「集中」は、静かに起こる、でも、物理的な経験です。自分自身とすべてのものが、ただ思いがけず、深く結びつく感覚です。それは、ずっと長い間見つめてきたことに対する実り、という形でやってきて、そして、詩人のワーズワースの言葉と同じように、私たちに「涙も出ないほど奥深いところで(心が動く)」意識を残していくのかもしれません。行動している時には、それは、優美な状態として感じられます。時がゆったりと流れ、広がっていき、あらゆる動きと判断が完璧であるように思われるのです。「集中」はまた、物の中に起こることもある。フェルメールの絵画や、古代ギリシャの、竪琴を弾いている小さな大理石の人形、中国の3本あしのついた陶器、などからは、はっきりと伝わってくるし、音符や言語や思考に起こることもあります。「集中」して全身全霊をかけると、世界と自分とが一つになり始めます。そのような状態になると、理解されるはずのものも、感じられるはずのものも、なされるはずのものも、広がっていくのです。)
これは、Brainpickingで記事として取り上げられていた、詩人のJane Hirshfield(ジェーン・ハーシュフィールド)が「集中」について語った言葉です。

大人になると、自分の周りの状況に常に気を配るようになります。それができるようになるし、そうすることをまわりに期待されもする。それで、人とコミュニケーションを取ったり、物事を手際良く進めたりするのは、うまくできるようにはなるのですが、時々、あの子供のころの完璧な「集中」に思いを馳せてしまいます。世界と自分が一つになって、「現実」に自分の存在が無くなってしまうかのようなあの感じ・・・。今でもよほど好きなこととか、ものすごく体調が良い時とかには、似たような感じになることもあります。あらためて考えてみたこともありませんでしたが、実は、心の奥に潜んでいる「私」は、その状態を求めてやまず、何か全身全霊を注いでしまうものは無いか、常に探しているような気がします。依存症だとか、自分探しだとか、そういったことは、みな、子どもの頃の完璧な「集中」の充実感を求めてのことなのかもしれません。

The quoted part is from:
The Effortless Effort of Creativity: Jane Hirshfield on Storytelling, the Art of Concentration, and Difficulty as a Consecrating Force of Creative Attention
https://www.brainpickings.org/2016/07/21/jane-hirshfield-concentration/

Wordsworth, "Ode" ("Intimations of Immortality") 1807 ver. (日本語訳) in 冨樫 剛『English Poetry in Japanese』
http://blog.goo.ne.jp/gtgsh/e/eb279c4b2cf701ed4bb95109a5752fba


2016年9月28日水曜日

小さなものたちに感謝

いつもポッドキャストの配信を楽しみにしている On BeingのブログにThree Gratitudesという詩が紹介されていました。キャリー・ニューカマー(Carrie Newcomer) というアーティストの書いた詩だということです。毎日眠る前に、今日感謝したいことを3つ挙げる。そういう詩です。


Every night before I go to sleep
I say out loud
Three things that I'm grateful for,
All the significant, insignificant
Extraordinary, ordinary stuff of my life.
(毎晩眠る前に、
声に出してみる
感謝しているものを3つ
生活の中の、ありとあらゆる、重大なこと、些細なこと、
特別なこと、普通のこと) 
(中略) 
Sunlight, and blueberries,
Good dogs and wool socks,
A fine rain,
A good friend,
Fresh basil and wild phlox,
(明るい陽射し、ブルーベリー
賢い犬、ウールのソックス
小ぬか雨
仲の良い友達
新鮮なバジル、野に咲くフロックス) 
My father's good health,
My daughter's new job,
The song that always makes me cry,
Always at the same part,
No matter how many times I hear it.
Decent coffee at the airport,
And your quiet breathing,
(おとうさんの健康
娘の新しい仕事
何度聞いても、いつも同じところで
涙が出てしまう歌
空港で飲めた、まともなコーヒー
それからあなたの静かな呼吸) 
(中略) 
My library card,
And that my car keeps running
Despite all the miles.
And after three things,
More often than not,
I get on a roll and I just keep on going,
I keep naming and listing,
(私の図書館のカード、
もう長距離を走っているのに、
走り続けてくれる私の車、
そして、3つ言ってしまっても
たいていいきおいづいて、とまらなくなって
まだまだリストは続いていく) 
Until I lie grinning,
Blankets pulled up to my chin,
Awash with wonder
At the sweetness of it all.
(やっとにっこりして横になる
毛布を首までひっぱって
不思議なきもちでいっぱいになる
そのすべてがなんてやさしいんだろうと)          

この詩を読むと、何だかすごくあたたかく、嬉しい気持ちになります。詩の中に挙げられているのは、ごく当り前の日常的なものがほとんどです。でも、どれもこれも、遠く離れた異国で、全く違った職業を持って生きている私の生活の中にもあって、同じように感謝したくなるものばかりだということが、すごく不思議です。世界中のどんな人も、陽射しや雨や犬や友達というようなものに取り囲まれて、1日を過ごしている。そして、そんなありふれた小さなものたちに支えられてこそ、私たちの生活は成り立っているのだということに、あらためて感動してしまいます。

今日という日も、一杯のコーヒーや、雨上がりの雲の切れ間、耳を傾ける音楽や、誰かにかけてもらった「ありがとう」という言葉に彩られた、やさしい1日でした。そういうものに感謝したいと思います。感謝するって、うれしい気持ちにさせてくれるものに対して持つものなんですね。

The quoted part is from
Three Gratitudes BY CARRIE NEWCOMER
http://www.onbeing.org/blog/carrie-newcomer-three-gratitudes/8902


2016年8月16日火曜日

ライフ イズ クリエイティブ

クリエイティブな人生、というと、アーティストだとか作家だとか、プロとして何か作品を産み出して生計を立てている人の人生のような気がしていました。でも、ある時、そうではない、ということに気付きました。ごくありふれた日常の生活の中で、自分はクリエイティビティを大いに発揮しているのだ、と思ったのです。

例えば、家の前にある花壇の世話をする。自分の花の趣味はもちろん、日照量とか手入れにかけられる時間とか、周囲の雰囲気などで、植える花の種類を選ぶ。どのくらいの株を、どの植物の隣にと考えながら、花壇をうめていく。そうすると、植物が想定外の育ち方をしたりして、それにどう対処するかを考えて・・・。家の仕事の一つとして、庭の世話をしているだけのつもりでも、花壇は、自分の知識も教養も、趣味も好みも、面倒くさがりな性分も、全てを映し出す作品になってしまっています。

おそらくは、人生の岐路に立った時に、大きな決断を下すのも、同じことなのでしょう。自分に向いている、自分らしい、興味がある、その方が有利だ、その方がうまくやれそうだ、等々。様々な要因が重なってある一つの選択が下されます。そうやって辿る道筋が、自分の一生という物語を紡いでいくのです。

イギリスの教育思想家のケン・ロビンソン(Ken Robinson)が、TEDトークの中で、人生が開花するための3つの原則がある、と語っています。1つ目は、人間の多様性、2つ目は好奇心、そして、3つ目はクリエイティビティだということです。


... And the third principle is this: that human life is inherently creative. It's why we all have different résumés. We create our lives, and we can recreate them as we go through them. It's the common currency of being a human being. It's why human culture is so interesting and diverse and dynamic. I mean, other animals may well have imaginations and creativity, but it's not so much in evidence, is it, as ours? I mean, you may have a dog. And your dog may get depressed. You know, but it doesn't listen to Radiohead, does it?
(そして、3つ目の原則は、人の人生というのは、本来クリエイティブなものだということです。だから、私たちは1人1人、違った履歴をもつようになるのです。我々は自分の人生を創っています。そして実際に生きることで、その人生を再現していくのです。それは、人間であることの共通の通貨のようなものです。だから、人間の文化は面白く、多様性に富んでいて、生き生きとした活力に満ちているのです。・・・というか、他の動物だって想像力とかクリエイティビティを持っているのかもしれません。でも、我々人間のように証拠がないですよね?犬を飼っておられますか。あなたの犬だって、落ち込むことがあるのかもしれない。でも、落ち込んだからといってレディオヘッドを聴いたりしないから。そうですよね?)
And sit staring out the window with a bottle of Jack Daniels.
(ジャック・ダニエルのボトルを片手に、窓から外を眺めたりとか。)
"Would you like to come for a walk?" "No, I'm fine."
(「散歩に行かないの?」「いや、いいよ」)
"You go. I'll wait. But take pictures."
(「いって来て。ここで待ってるから。後で写真見せてね」とか。)
We all create our own lives through this restless process of imagining alternatives and possibilities, and one of the roles of education is to awaken and develop these powers of creativity. Instead, what we have is a culture of standardization.
(私たちは皆、他の選択肢や可能性を常に想定しながら、人生を創り出して行くのです。教育の役割の一つは、この創造の力を目覚めさせ、開発することなのです。なのに、それをせずに、私たちは(テストなどで)標準化ばかりしているのです。) 
また、人生の岐路に立って下すような大きな選択が、私たちの人生を形作るばかりではなく、もっと些細な、例えば、誰かにメッセージを伝える走り書きに、どんな文字でどんな言葉を書くのか、スーパーでレジに差し出すカゴの中に、何を選んで入れているのか、というような、そんなことも、「私」を作り、私の人生を構築する一つ一つのパーツになっていくのです。そう考えると、毎日絶え間なく繰り返す、いろいろな小さなことが、とても大切なことのように思えてきます。その様々なことにワクワクしたり、うっとりしたり、満足したりできたらいいなあ。どれもがもっと豊かになるように、歳をとっても、まだまだ学んでいけたらいいなあ、と思います。人生に自分らしいクリエイティビティを発揮するほど、楽しいことってないんじゃないでしょうか。

The quoted part is from:
TED talk  How to Escape Education's Deth Valley? by Ken Robinson
https://www.ted.com/talks/ken_robinson_how_to_escape_education_s_death_valley?language=ja

2016年7月4日月曜日

日常の行為の中に込められるもの

 現在、一億総活躍社会では、活躍しようにも保育園に空きがなくて、身動きが取れないのが現状のようですが、たとえうまい具合に保育園を頼ることができたとしても、フルタイムで働きながら、子育てをするというのは、なかなか大変なことです。
 学生の頃から、自分は仕事をして家庭をもって子どもを育てる、そういう生涯を送るのだ、とそう信じていました。だから、フルタイムで働きつづけることも、育児休暇を取ることも、1年ほどで子どもを保育園に預けて仕事に復帰することも、それ以外の選択肢を探そうと思うことはなかったし、迷ったり悩んだりすることもありませんでした。また、当然のようにそうすることができたのは、この上ない幸運だったのは間違いありません。でも、同時にそれは、つらい立場に立つことの連続で、決して気持ちの良い体験でもありませんでした。とにかく、どんなに頑張っても、職場でも家庭でも想定する満足度の6割程度の働きしかできていないのが自分でわかります。どちらでも謝りっぱなし。自分の中では120%の奮闘ぶりなのに。

 アメリカ人のジャーナリスト、クリスタ・ティペット(Krista Tippett)のポッドキャスト、On Being のインタビューで、当時の気持ちをありありと思いだす言葉が流れてきました。シルヴィア・ボーステイン(Sylvia Boorstein)は、ユダヤ系の宗教家ですが、仏教を西洋文化に紹介した功績もある人、のようです。その方の言葉です。


"Spirituality doesn’t look like sitting down and meditating. Spirituality looks like folding the towels in a sweet way and talking kindly to the people in the family even though you’ve had a long day. Or even saying to them, “Listen, I’ve had such a long day, but it would be really wonderful if I could just fold these — I’d really love folding these towels quietly if you all are ready to go to bed without me,” or whatever it is. People often say to me, “I have so many things that take up my day. I don’t have time to take up a spiritual practice.” And the thing is, being a wise parent or a spiritual parent doesn’t take extra time. It’s enfolded into the act of parenting."
(「宗教心というのは、腰を下ろして瞑想する、というようなものではなさそうです。宗教心とは、たとえその日が長い1日だったとしても、丁寧にタオルをたたんだり、家族に優しく声をかける。そういったものだと思います。『ああ、今日は長い1日だった。でも、これだけたためるとうれしいんだけど。みんながお母さんがいなくてもちゃんとベッドに行けるんだったら、静かにタオルをたためるからうれしいな。』とか、そんな風にね。皆さん、私に、「1日にしなくてはならないことがたくさんありすぎて、神様に向き合うような時間をとることができないのです」とおっしゃいます。でも本当のところ、賢明な宗教心のある親になるのに、特別な時間を取る必要はないのです。そういうものは、子育ての行為そのものに含まれているものですから。」)
今ふりかえってみても、とにかく毎日しなくてはいけないことに追われていて、時間をとって子どもに教えなくてはならなかったこと、誰かに向き合わなくてはならなかったこと、などたくさんあったはずですが、何もできなかったという思いしかありません。でも、シルヴィア・ボーステインのこの言葉を聴いて、それでもよかったのかな、とちょっと安心しました。信仰心があるわけではないし、特に何かの思いを込めて何かをやっていたわけではないけれど、それでも、いつも音楽を聴いたりしながら、笑顔でタオルをたたんでいたような気はします。だったらもうそれで、十分だったのかもしれない、とそう思えました。

The quoted part is from:
Spirituality Is Enfolded into the Act of Living — Sylvia Boorstein
BY KRISTA TIPPETT On Being http://www.onbeing.org/blog/krista-tippett-spirituality-is-enfolded-into-the-act-of-living-sylvia-boorstein/8692

2016年5月23日月曜日

インスピレーションとアイディア クリス・アンダーソンのTEDトークから

 昔、昔、まだ、TVや電話が普及してしばらくたった頃、ドラえもんだかオバケのQ太郎だか、そういったマンガの中で、「未来には、テレビはテレビ電話になって、相手の顔を見ながら話ができるようになる」などと語られていたような、微かな記憶があります。そんなすごいことが本当にできるようになるのかな、と半信半疑でしたが、蓋を開けてみると、電話はTV電話に進化するどころか、一人一台の小型コンピュータの形に発展を遂げていました。それは、1本の線上をまっすぐに進んでいくような進化ではなく、複雑につながり合った道筋が、幾重にも重なりながら、世界を塗り替えてしまうような形の進化になっているような気がします。

 Brainpicking の記事で、TEDトークのキュレーター、Chris Anderson(クリス・アンダーソン)が、inspiration(インスピレーション)とidea(アイディア)について語っている内容が取り上げられていました。


"Inspiration can’t be performed. It’s an audience response to authenticity, courage, selfless work, and genuine wisdom."
(「インスピレーションというのは、意図して起こすことができるものではない。それは、「本物」や、勇気や無私無欲な仕事、或は真の知恵、といったものに対する受け手の反応です。」) 
"We’re wired to respond to each other’s vulnerability, honesty, and passion — provided we just get a chance to see it. Today, we have that chance… We are physically connected to each other like never before. Which means that our ability to share our best ideas with each other matters more than it ever has. The single greatest lesson I have learned from listening to TED Talks is this: The future is not yet written. We are all, collectively, in the process of writing it."
(「私たちは、お互いの弱さ、誠実さ、情熱、といったものに反応するようにできているのです。そういったものに出会う機会がある、というのが条件ですが。今日、私たちにはそういう機会があるのです。これまでには無い形で、物理的にお互いにつながっている。つまり、最高のアイディアをみんなで分かち合うことのできる力が、かつてよりも大切になっている、ということなのです。TEDトークを聞くことで、私が得た最も大きな、しかも唯一の学びはこういうことです。『未来はまだ、書き出されていない。私たちがみんなで、集まってそれを書いている最中なのだ』」) 
例えば、自分のことは度外視して、全身全霊を傾けて、夢中で 物事に取り組んでいる人の姿を目にした時、私たちは心を動かされます。或は、器用な人ならすぐに真似できてしまう程度のありきたりなやり方でなく、情報を集めてしっかりと学んだ上で、試行錯誤を重ねて本質を捉えている。そういった仕事に出会うと、この人は本物だ、と全幅の信頼を寄せてしまいます。そういう人やそういう仕事は、決して頻繁にではないけれど、確かに身近に、時々見かけることがあるものです。お料理上手、掃除魔、学校の先生、小児科の医師、パン屋さん、シェフ、 自動車の整備士さん・・・。以前なら、身内、ご近所、ごく親しい間で評判になるくらいのものだったのでしょうが、今は違う。その情報がインターネット上に発信さえされていれば、多くの人に感動を与え、注目を集めるチャンスにいつだって開かれている。名前や顔も出ないまま、しまいには著書まで出来てしまう例を、これまでにいくつも見てきました。
"What is an idea, anyway? You can think of it as a packet of information that helps you understand and navigate the world.
(「では、アイディアとは何なのでしょう?それは、わたしたちが世界を把握したり、進んで行ったりするのに役に立つ、ひとかたまりの情報、だと考えるとよいでしょう。 
[…] 
Your mind is teeming with ideas, and not just randomly — they’re carefully linked together. Collectively, they form an amazingly complex structure that is your personal worldview. It’s your brain’s operating system, it’s how you navigate the world, and it’s built out of millions of individual ideas."
あなたの頭の中は、アイディアにあふれています。しかも、ただでたらめに、ではありません。アイディアは注意深くお互いにつながりあっています。そして全て統合して、驚くほど複雑な構造を形作り、それがあなた個人の世界観でもあるのです。それは、あなたの脳のOSであり、ナビであり、そして、それは、何百万もの自分のアイディアから作られているのです。」)
ビッグネームがその名前の大きさで情報を発信する、というパターンはもちろん大いにありますが、それに加えて、名前の大きさの如何を問わず、アイディアそのものがものをいう時代を迎えているのだと思います。これまでは、マス・メディアがオピニオン・リーダーとしての役割を果たしながら、社会は動いてきたのだと思いますが、今、新聞、TV、雑誌、(付随する広告)、書籍、そういったものの役割や意味や形態が、急速に変わりつつあるのを感じます。少し前は無名の個人の発する情報は、かなり怪しかったり、手に取る価値の無いものも多かったものですが、それも、変わってきていていると思う。情報の発信者が情報の受け手に限りなく近いこと、細分化された物事のある1つのことだけに特化して長期に渡って取り組む、といったことが可能なこと、そのマニアックな内容を好む同志を世界中から探し出して共に語り合うことができること。アイディア本位で進んでいくことで、かつては不可能だった深まりと広がりが生まれていることを感じます。私たちは、こういったことを自然の成り行きとして一つ一つ普通に受け止めていますが、実際には私たちの価値観も、今、徐々に、でも、大きく塗り替えられつつあって、その結果、いずれそう遠くない将来、社会の枠組みみたいなものが根本から変わってしまっている、という事態になっているような気がします。 


The quoted part is from:
The Magic and Logic of Powerful Public Speaking: TED Curator Chris Anderson’s Field Guide to Giving a Great Talk
https://www.brainpickings.org/2016/05/05/ted-talks-book-chris-anderson/

2016年4月18日月曜日

外国語の海を渡る―ジュンパ・ラヒリのインタビュ-から―


ジュンパ・ラヒリが、ニューヨーク公共図書館 NYPLのポッドキャストのインタビューで、外国語について語っているのを耳にしました。Jumpa Lahiri(ジュンパ・ラヒリ)はロンドン生まれ、アメリカ育ち、インド系アメリカ人の作家です。第一作目の短編集"Interpreter of Maladies "(『病気の通訳』、日本語版の本のタイトル『停電の夜に』は、別の短編、A Temporary Matter"から取られたもの)は、日本では新潮クレストブックからだけでなく、新潮文庫からも出版されており、この作品で、ピューリッツァー・フィクション賞を受賞しています。

彼女は40代になって、自分の(特に言語的な)アイデンティティについて疑問をもつようになり、イタリア語を学び、それだけでなく、イタリアに渡ってローマで生活することにしたそうで、このインタビューで、イタリア語を習得することについて述べています。
"In a sense, language is the most intimate relationship of ours lives, at least, I think, for me. That is not to say I don't love deeply people and have profound relationships with them. But I think language is so much more powerful than we are, so to have a relationship with language is a very profound thing. To seek another language is so powerful and so humbling."
(ある意味、言語は、私たちの人生で最も親密な「関わり」だと思います。少なくとも私にとっては。人を深く愛していないとか、彼らと心からの関わりを持っていないとか、言っているわけではありません。でも、私は思うのですが、言語というのは、我々人間よりももっとずっと力強いものなので、言語と関わりを持つのは、ものすごく深いことなのです。二つ目の言語を追うのは、とても影響力が強く、自分に足りないものに気づかされる経験です。)


ローマでのある日、友人の家族と小型船での船旅を楽しむことになった時に、随行してもらった船長さんに、こう言われたのだそうです。
“Well, there’s one thing you have to know which is we don’t belong here, we are human beings and we don’t belong on the water and it’s dangerous and it can kill us and it’s not where we’re supposed to be and you have to know this and you have to respect that and you have to respect the sea, because it’s so much powerful than we are, and it really doesn’t like us, and yet we love it and we’re going to sail and we’re going to have a great week,” and we did. You know, and he said it in a much more profound, beautiful way (laughter) than I am, but I was really struck by what he said because I think it’s true, and I immediately thought of my relationship to Italian and I thought, “That’s Italian for me, I’m sailing through this language and it’s dangerous and I don’t belong in it and yet it’s this sort of sublime experience for me.”
(「さて、1つ知っておいてもらわないといけないことなんですが、それは、ここは本来の居場所ではない、ということです。ここ水の上は、我々人間の生きる場所ではないんですよ。だから、危険だし、死んでしまうことだってある。ここはいるはずのところではない、ってことをよく知っておかなくてはならないし、また、それを重く受け止めておかなくてはならないんです。海に敬意を払わなくては。随分大きく力を持っている相手で、しかも、本当のところ、こっちは疎まれているんだから。でも、こっちは愛してやまないから、出帆するし、間違いなく素晴らしい1週間になるはずですよ。」その通りでした。船長は、私なんかよりももっとずっと深くて、美しい言い方でそう言ったのです。私はもう、その言葉に衝撃を受けてしまって。だって、本当にそうだと思ったんです。そして、すぐに、私とイタリア語のことを思いました。「それって、私にとってのイタリア語だ。私はこの言語の海を渡っているところなんだ。危険だし、そこが自分の居場所ではない。でも、同じように素晴らしい体験なんだ、と。」)
ジュンパ・ラヒリのような母語に対する不安は、いささかも感じたことはありませんが、それでも、私も言語の海を渡る人生を生きている。私の人生もそういう人生であるのだ、と感慨深く思います。もちろん彼女のようなスケールの大きな人生ではなく、私の人生は、地球の片隅で、そっと生きている小さな人生ではありますが、でも、外国語の海が、自分の本来の場所の外側で、命が奪われてもおかしくないような危険な領域であることに、変わりはないはず。そして・・・、「こっちは疎まれて」いたのか、やっぱり。なんだかそれも納得。どうりでなかなか習得できないわけだ。それはそれで仕方がない。でも、この海が、違った視点で見る目を与えてくれ、力強い美しい言葉で鼓舞してくれ、様々な出会いをもたらして、この小さな人生を豊かなものにしてくれているのは間違いない。言葉に関わる人生で本当によかった。これからも、外国語の海の大きさを決して忘れないよう、敬意を払いつつ、しっかりと生きていきたいと思います。

The quoted part is from; The New York Public Library.
Podcast #102: Jhumpa Lahiri on Language and Disorderby Tracy O'Neill, Social Media Curator http://www.nypl.org/blog/2016/03/08/podcast-jhumpa-lahiri

2016年2月14日日曜日

Love Is a Learned, Emotional Reaction.

バレンタインデーが近づくと、「愛」について考えさせるような情報が、やはり巷にも増えてくるせいか、自分としても何となく「愛」について思いをはせてしまいます。そして目に留まったのは、 brainpickings で紹介されていた、心理学者の Barbara Fredrickson (バーバラ・フレデリクソン) のこの言葉です。
"Most of us continue to behave as though love is not learned but lies dormant in each human being and simply awaits some mystical age of awareness to emerge in full bloom. Many wait for this age forever. We seem to refuse to face the obvious fact that most of us spend our lives trying to find love, trying to live in it, and dying without ever truly discovering it."
(私たちのほとんどは、ずっと、愛情というものは、学習されるようなものではなく、一人一人の人間の内に眠っていて、何か神秘的なことが起こってそれが呼び覚まされ、やがて開花する時が来るのを待っているのだ、とそういう態度のままでいます。多くの人は、その時が来るのを永遠に待ち続けている。人生を、愛情を探して、愛情の中で生きようと努力し、とうとう本当に見つけることなく死んでいくのだという、明白な事実を拒んでいるかのようです。)
"Love is a learned, emotional reaction. It is a response to a learned group of stimuli and behaviors. Like all learned behavior, it is [affected] by the interaction of the learner with his environment, the person’s learning ability, and the type and strength of the reinforcers present; that is, which people respond, how they respond and to what degree they respond, to his expressed love."
(愛情というのは、学習することで身につく感情反応です。それは、学習されたひとまとまりの刺激と行動に対する反応です。学習して身につけるあらゆる行動同様に、それは、学習者の環境、能力、どんな繰り返しがどの程度あるか(つまり、自分の表現した愛情に対して、どういう人が、どんな風に、どの程度反応してくれるか)等との相互作用に大いに影響されます。)
え。さて、自分は「愛」を学習したことがあっただろうか。少なくとも、意識的には無いような気がします。百歩譲って無意識に学習をしてきたとして、あなたの学習の到達度はいかほどか、と問われたら、はなはだ自信はありません。
 そしていろいろな疑問も湧いてきます。その「愛」というのは、男女間の?家族とか、友人とか、果ては博愛とか、そういうものも含まれるのか。含まれるとすると、それぞれの「愛」は同じものなのか、違うものなのか。生きていく上で、「愛」は大切なものだということはわかっています。たとえ、「愛」の学習がこれまでに足りなかったとしても、では、「愛」を感じずに生きていけと言われると、それは厳しいことのように思えます。
 もらってばかりでは申し訳ない。自分からも差し出さないと、と思うものの、人に与えることの難しいこと。何をやっても間が悪いような気がするし、いらないかも、邪魔になるかも、かえって迷惑かも、と、用意しているもの(物であれ気持ちであれ)を、しまい込んだままにしてしまいがちです。時に、本当に親しい身内にさえそうしてしまう自分は、「愛」の偏差値は相当低いに違いない。さっと、タイミング良く、相手を幸せな気持ちにしてくれる人がたまにおられますが、一体どのようなしくみになっていて、どんな学習をつまれたのか、見当もつきません。
"To love without knowing how to love wounds the person we love. To know how to love someone, we have to understand them. To understand, we need to listen."
(愛し方を知らずに愛することは、愛する人を傷つける。誰かを愛する方法を知るためには、その人を理解しなくてはならない。理解するためには、耳を傾ける必要がある。)

これは、同じ brainpickings で紹介されていた、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンの言葉です。愛し方、と思うと結局どうすればよいのかよくわからないけれど、よく相手を理解しなさい、ということなら、なんとなく手がかりがつかめるような気がします。
 もう、人生の折り返し地点を曲がってしまっているというのに、誰にも何も満足にしてあげることのできない不甲斐ない自分ですが、こうなったら、もう、ティク・ナット・ハン氏の言葉を全面的に信じて、何はともあれ学習を積んで、相手を理解することにかけては、他の追随を許さない、間違いなしの力をつけ、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう人に私はなりたい、と思います。

The quoted parts are from:
"The Science of Love: How Positivity Resonance Shapes the Way We Connect " in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2013/01/28/love-2-0-barbara-fredrickson/
"How to Love: Legendary Zen Buddhist Teacher Thich Nhat Hanh on Mastering the Art of “Interbeing”"in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2015/03/31/how-to-love-thich-nhat-hanh/


2016年1月31日日曜日

不満を抱えて創り出す―マーサ・グレアムの言葉から―

マーサ・グレアム(Martha Graham、1894-1991)はアメリカの舞踏家、振付師です。弟子のアグネス・デ=ミル(Agnes De Mille)が、彼女の著書『マーサ:マーサ・グレアムの人生と作品』(Martha: The Life and the Work of Martha Grahm)の中に、自分では不本意だった仕事が思わぬ大成功をおさめた後、割り切れない気持ちを抱えながらMarthaに会って、交わした言葉を綴っています。

Martha said to me, very quietly: “There is a vitality, a life force, an energy, a quickening that is translated through you into action, and because there is only one of you in all of time, this expression is unique. And if you block it, it will never exist through any other medium and it will be lost. The world will not have it. It is not your business to determine how good it is nor how valuable nor how it compares with other expressions. It is your business to keep it yours clearly and directly, to keep the channel open. You do not even have to believe in yourself or your work. You have to keep yourself open and aware to the urges that motivate you. Keep the channel open. As for you, Agnes, you have so far used about one-third of your talent.”
(マーサは私にこう言いました。とても穏やかな口調で。「活力、生命力、エネルギー、胎動、そういったものがあって、それが、あなたを通じて行動へと姿を変えます。「あなた」というのは、いついかなるときでも、唯一無二の存在なので、その表現も独自のものとなる。そして、もしもあなたがそれを阻めば、その表現が存在しうる手段は無くなり、それは、失われてしまう。世界にそれは存在しない、ということになってしまうのです。それが、どう優れているのか、価値があるのか、他の表現に匹敵するのか、など決めるのは、あなたではないのです。あなたにできるのは、ただ、あなたなりの表現というものを、そのままはっきりと自分のものとして保ち、外とのつながりに心を開いておくこと。自分自身や自分の仕事を信じる必要さえないのです。ただ、自分をオープンにして、あなたに力をくれる衝動に気付けばよい。外とのつながりに心を開いて。アグネス、あなたは、これまで才能の3分の1しか使っていないのです。」) 
“But,” I said, “when I see my work I take for granted what other people value in it. I see only its ineptitude, inorganic flaws, and crudities. I am not pleased or satisfied.”
(「でも、自分の作品を見ると、他の人がどう思うかが当然気になります。私には、愚かで欠点だらけで、粗削りなものにしか見えない。うれしくもないし、満足もしていません」) 
“No artist is pleased.”
(「アーティストは嬉しがったりしません」) 
“But then there is no satisfaction?”
(では、満足感はないのですか?」) 
“No satisfaction whatever at any time,” she cried out passionately. “There is only a queer divine dissatisfaction, a blessed unrest that keeps us marching and makes us more alive than the others.”
(「いつ何どきも満足感なんてありません。」マーサは一生懸命になって言いました。「いつも、奇妙な神様のお与えになる不満と、祝福してくださる不安があって、それが私たちをたえず前進させてくれるし、誰よりも生きていると実感させてくれるのです。」)

先人のおびただしい量の作品を、見て憧れて模倣して、その中から自分の心の琴線に触れるものが見出されていく。自分らしさを映しだすものがだんだん姿を現してくる。現実に私たちの目の前に、具体的な形で作品が差し出される前に、既に、アーティストの心のうちには、これから作り上げるものに対して確固たるイメージがあるし、ある一定の水準のようなものが想定されているのではないでしょうか。概念を具象化させるにあたって、その心の中のイメージに合わないものや、想定された水準に届かないものは、厳しく注意深く排除されていき、やがてそのアーティストだけが創り出すことのできる、作品たちが生まれてくる。

ミュージカル『オクラホマ!』が大きな成功を収めたにも関わらず、アグネスの心は満たされなかった、というエピソードから、アーティストは世間に作品が認められて、名声を得られることを、必ずしも目指しているのではない、ということを改めて思います。アーティスト達が、その筋の第一人者である一方、観衆のほとんどは素人なので、世間が評価するものとアーティストの目指すものが食い違うということは、よくあることだと思います。作り手側にしてみれば、いかに富や名声が得られようとも、自分のイメージに合わないものや、想定した水準以下のものを自分の作品として、世に送り出すわけにはいかない。そういうものなのでしょう。

そんなアグネスにマーサが与えた言葉は、つまるところ、評価というものに気を取られずに、自分の心の中にあるイメージを具現化することだけに集中するように、ということだったと思います。理屈抜きで自分を惹きつける、自分が憧れる自分なりの美しさを、目や耳で受け止められる形で、他者の前に差し出すこと。作品としてそれを創り出すアーティストはもちろんですが、アーティストとは呼ばれない私たちも、日々の生活の中で、有形無形の様々なものを生み出して生きているわけで、そのことを思えば、マーサの言葉は、誰の人生にも必要なことだと、言えるのかもしれません。

The quoted part is from: 
16 Elevating Resolutions for 2016 Inspired by Some of Humanity’s Greatest Minds;

2015年12月31日木曜日

年賀状と幸せな人生


先日、TED Talks (@TEDTalks)から、ロバート・ウォールディンガー(Robert Waldinger)氏の「幸せな人生の作り方」についてのスピーチを紹介するツイートが流れてきました。健康で幸せな人生をおくるために、日々をどう過ごせばよいのか、秘訣を教えてくれるというわけです。

ちょっとのぞいてみたところ、これは耳を傾けるに値するものだ、とわかりました。というのも、これはハーバード大学の研究チームによる、ある調査に基づいており、それは、724人の男性をなんと75年の長きに渡って追跡調査したものでした。被験者はハーバード大学の2年生を皮切りにしているグループと、ボストン近郊の低所得者層に属する若者(だった)グループの2つに分かれており、その両方のグループの、健診結果、アンケート、面談、子どもや奥さん等家族との会話を録音したもの、などなどの膨大なデータを長期的に集めて分析したということです。724人の被験者のうち、60名は、90代になってはいますがまだ健在で、研究は今も続いているのだそうです。

そして、調査の結果、わかったことは、以下の通りです;

      幸せは富や名声、仕事に没頭することで得られるものではない。

      Good relationships keep us happier and healthier. Period.
      (良い人間関係があると、我々は、より幸せに、より健康になる。以上。)

さらに、3点。1つ目は、家族、友達、地域の人などと社会的なつながりのある人が幸せだ、ということ。2つ目に、ただつながっているだけでなく、質が大切だということ。つまり、家族がいるかどうか、とか、友達が何人いるか、ということではなく、それが本当に温かい、良い関係であることにこそ意味がある、ということ。そして最後に、そのような存在があると、年をとった時、記憶力に差が出る、ということです。

今年は身内に不幸があったので、年賀状の代わりに喪中のはがきを送りました。毎年年賀状をやりとりする人は、決まっています。これまでの人生で、小学校、中学校、高校、大学・・・と、その時その時に、知り合って同じ時間を共有して別れを惜しんで。今となってはほとんど会うこともなく、年に1度年賀状を送るだけで失礼してしまっている、そんな人たちです。未熟だった(今もですが)私を受け入れて声をかけてくれていた、そうたくさんいるわけでは無い、限られた人数の人たちです。今、顔を合わせている人達も、状況が変われば、また過去の人になって、年賀状をやりとりするだけの関係になるのでしょうか。そう思うと、何だか寂しい気がしてきます。

いずれにせよ、私が人生のうち、出会って温かい良い関係を持つことができるなんて、本当に偶然の、限られた経験なのだということがわかります。忙しい12月に年賀状を準備するのが億劫になって、もう、会うこともなかなかないし、年賀状送らないとダメ?などとしばしば思ってしまっていたのですが、それは間違いだったと反省してしまいました。これまでに、同じ時間を共有し、一緒に何かを食べ、何かについて語り、何かについて笑ったり怒ったりした人々。ロバート・ウォールディンガー氏のトークを信じるなら、人生はこの人たちを大切にするためにある。油断せずにチャンスを捉えて、心を込めて言葉を送りたい。そう思いました。


TED "What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness"  by Robert Waldinger:

2015年11月7日土曜日

「美しさ」をなめてはいけない

 例えば新聞に、美しい女性の写真があれば、なんとなくその記事には目を通してしまいます。そんな時、美人の、といおうか、美しいものの力は強い、と感じ入ってしまいます。自分自身についてはもちろん、自分の身の周りのものから衣食住にいたる、生活のあらゆる場面で、美しさを求めてしまうのは、一体なぜなのでしょうか。
 Theaster Gates(シアスター・ゲイツ)はシカゴ在住の陶芸家なのですが、自分の住む荒れた地域の、住人から見捨てられた廃屋を文化施設に作り替え、そこを拠点として見事地域の活気を取り戻した取組みを、TED で語っています。スピーチももちろんすばらしいのですが、その後の司会者とのやり取りで、大変心に残る言葉を耳にしました。


"June Cohen: That makes so much sense. One more question: You make such a compelling case for beauty and the importance of beauty and the arts. There would be others who would argue that funds would be better spent on basic services for the disadvantaged. How do you combat that viewpoint, or come against it?" 
(ジューン・コーヘン:「それは納得ですね。もう一つ。あなたのなさったことは、美しさとか、美やアートの重要性という点で、非常に説得力がある事例だと思いますが、恵まれない人々には、もっと基本的な社会サービスに資金を使うべきではないかとおっしゃる人もおられることと思います。そのような考え方に対しては、どう反論されますか。」)

15:51"Theaster Gates: I believe that beauty is a basic service. (Applause) Often what I have found is that when there are resources that have not been made available to certain under-resourced cities or neighborhoods or communities, that sometimes culture is the thing that helps to ignite, and that I can't do everything,but I think that there's a way in which if you can start with culture and get people kind of reinvested in their place, other kinds of adjacent amenities start to grow, and then people can make a demand that's a poetic demand, and the political demands that are necessary to wake up our cities, they also become very poetic." 
(シアスター・ゲイツ:「美しさというのは、基本的な社会サービスである。私はそう信じています。私がこれまでに目にしてきたのは、それまで資金不足だった都市や地域が資金に恵まれた時に、文化的なものこそが火付け役になるという例です。私の方で全て何もかもできるわけではない、でも、文化的なことから始めると、それが地域の人々からその場所への再投資を促し、また何か別の関連したものが育つようになる。さらにそこから、ある種の要求が生まれてくるようになるのです。それは詩的な要求です。たとえ、町を蘇らせるのに必要な政治的な要求であったとしても、やはりそれは大変詩的なものになっていくのです。」)
一つ思うのは、「美しさ」とはリスク回避を可能にする手段なのではないか、ということです。明るい顔色、引き締まった体躯。肉体の美しさは健康ということとほとんど同義であって、健康は病気などのリスクを回避している状態に他なりません。所作についても、乱暴だったり、横着だったりするような振る舞いは、往々にしてバランスが悪く、ぶつけたり転んだり、ちょっとした事故につながりやすいものだと思います。美しい所作というのは、安定していて見ている方にも安心感がある。身だしなみが整っていないと、外に出るのも人に会うのも億劫になるし、住環境が乱れているのは、けがをしたり、生活そのものが混乱する原因となりそうです。健康に気を付け、お行儀よく、身なりを美しく整えて、掃除をしてきれいに暮らす。これって、お母さんやおばあさんが、耳にタコができるくらいしつこく家庭で言い聞かせていることではないでしょうか。それが結局、効率よく生活を回していく上で、何よりも必要な基本条件以外の何ものでもない、ということなのでしょう。
 本来私たちの肉体は、とても壊れやすいものだと思います。もしも、この体が、人為的に作られているものだったとしたら、きっとものすごく高価な、取扱い注意の精密機械に違いない。きちんと手入れをして、もっと慎重に、もっと丁寧に、扱ってやらなくてはだめなんだと思います。私たちの住む世界だって、意外に脆弱で、一歩間違えば、すぐに悪循環で回り始めてしまうリスクを抱えているものだと思う。この微妙な仕組みの中で生きていくにあたって、「美しさ」を志向するということが、健全な循環に留まり続けるための、何かの指標になっている。そんな気がします。「美しさ」をなめてはいけない。そして、同時に「過ぎたるはまた、及ばざるがごとし」で、美しさが目的になってしまって、それだけを追求するようになるのも、それはそれで間違ったことだと思います。
The quoted part is from:
TED "How to revive a neighborhood: with imagination, beauty and art" by Theaster Gateshttp://www.ted.com/talks/theaster_gates_how_to_revive_a_neighborhood_with_imagination_beauty_and_art/transcript?language=en#t-877485

2015年10月18日日曜日

文体の翻訳 ―ウンベルト・エーコの言葉から―

文体には文章を書いた人特有のリズムがあって、本を読む楽しさはそのリズムに乗る楽しさだ、ということをこのブログでも何度か取り上げてきました。

 〇私と文章と音楽と
 〇トルーマン・カポーティと文体の話
 〇音楽と文体(2)~村上春樹の言葉から~
 〇音楽と文体(1)~マヤ・アンジェローの言葉から

今回はウンベルト・エーコです。The Paris Reviewのインタビューで、ウンベルト・エーコもやはり、同じように文体はリズムだと言っています。そして、その文体を翻訳するということについて語っています。
   
ECO
"I have edited countless translations, translated two works myself, and have had my own novels translated into dozens of languages. And I’ve found that every translation is a case of negotiation. If you sell something to me and I buy it, we negotiate—you’ll lose something, I’ll lose something, but at the end we’re both more or less satisfied. In translation, style is not so much lexicon, which can be translated by the Web site Altavista, but rhythm. Researchers have run tests on the frequency of words in Manzoni’s The Betrothed, the masterpiece of nineteenth-century Italian literature. Manzoni had an absolutely poor vocabulary, devised no innovative metaphors, and used the adjective good a frightening amount of times. But his style is outstanding, pure and simple. To translate it, as with all great translations, you need to bring out the anima of his world, its breath, its precise tempo."
エーコ
(「私はこれまでに数えきれないくらいの翻訳を編集してきたし、自分でも2本作品を翻訳しました。自分の小説は何十もの言語に翻訳されてもいます。それで思うのですが、翻訳というのは、要するに交渉ということですね。もしも、あなたが私に何かを売り、私がそれを買うとすると、私たちは交渉をすることになります。そうすると、あなたは何かを失うでしょう。私だってそうです。何かを失います。でも、最後には、どうあれ、どちらもが満足する。翻訳するにあたっては、文体というのは、語彙ということではない。そんなものだったら、アルタビスタの翻訳サイトでも翻訳できるかもしれない。そうではない、リズムなんです。マンゾーニの『婚約者』という19世紀のイタリア文学の傑作があるのですが、その語彙頻度について、研究者が調べたことがあるのです。マンゾーニの語彙力っていうのは、ものすごくひどかったんですね。新しいメタファーを作り出すこともなかったし、goodなんていう形容詞をおそろしく何度も使ってた。でも彼の文体はずば抜けていました。純粋で素朴で。そういうものの翻訳をするにあたっては、他の優れた翻訳同様に、マンゾーニの魂や、呼吸、その正確なテンポを訳しだす必要があるのです。」)
自分にとって、母語で書かれた文体のリズムに乗るのは、そう難しくなく楽しいものだと思います。ある作家のリズムには心惹かれるけれど、別の作家のリズムはどうもしっくりこない、などと思ったりします。しかし、長じて自分で学んで身につけた外国語で、同じことをするとなるとどうでしょうか。英語なら英語という、その言語特有のリズムはありますが、書き手によって微妙に変わる文体のリズムに耳を澄ませ、その違いを聴き分ける、といった繊細な行為を、外国語でするとなると、かなり高度な外国語能力が必要になってくるのではないでしょうか。さらにそのしらべを別の言語で再現するのは、これは、至難の業だといえると思います。また、翻訳家も人であれば、その人の持つ文体のリズムというのもあるでしょう。翻訳をするにあたっては、その自分のリズムが表にでてこないように、なりをひそめることも必要になりそうです。自分の存在を消すことができるように、自らコントロールするというのも、意外に難しいことのような気がします。そうして考えてみると、優れた翻訳家の言語能力、言葉や音に対するセンス、ってすごい。すごくて素晴らしい。
INTERVIEWER
"Does a good translator ever offer a suggestion that opens up possibilities you hadn’t seen in the original text?"
インタビュアー
(「良い翻訳家というのは、あなたが原文では思っていなかったような可能性の扉を開いてくれるような、そんな示唆をしてくれるのでは?」)
ECO
"Yes, it can happen. Again, the text is more intelligent than its author. Sometimes the text can suggest ideas that the author does not have in mind. The translator, in putting the text in another language, discovers those new ideas and reveals them to you."
エーコ
(「そうですね。ありうる話です。一度言いましたが、文章というのは、著者よりも賢いのです。時々、著者が思ってもみないような考えを提案してくれたりもします。翻訳家は原文を別の言語に変える中で、そういった新しい考えを見つけ出し、著者にそれを教えてくれるのです。」)
翻訳家がエーコが言うような役割を果たすのも、不思議ではないように思いました。
私もいつかその域に達して、自分の感覚にしっくりくる文体に出会って、その文体を翻訳してみたい。そうです。私は果てしなくロマンティストなんです。


The quoted part is from:

The Paris Review
Umberto Eco, The Art of Fiction No. 197 Interviewed by Lila Azam Zanganeh

2015年9月26日土曜日

音楽の力 -ニーチェの言葉から-

音楽を聞かれますか。私は聞きます。1日のうち、何度も。何かをしながら気分に合ったものを「ながら聞き」することがほとんどですが、ゆっくり腰をおろして集中して聴くこともあります。主に聴くのは英語圏のロックかポップス。ジャズを聴いたりすることもあります。クラシックもほんの少し。

音楽のことを考えると、いつも圧倒されるような気がします。言葉では「音楽を聴く」という表現を遣いますが、実際のところ、音楽は耳だけで聴いていない。皮膚だとか、関節だとか、全身で受け止めているような気がします。そして、音楽を受け止めている私の全身は、音楽を聴いている私よりも、随分賢く有能であるようです。



"God has given us music so that above all it can lead us upwards. Music unites all qualities: it can exalt us, divert us, cheer us up, or break the hardest of hearts with the softest of its melancholy tones. But its principal task is to lead our thoughts to higher things, to elevate, even to make us tremble… The musical art often speaks in sounds more penetrating than the words of poetry, and takes hold of the most hidden crevices of the heart… Song elevates our being and leads us to the good and the true."                
(神は我々に音楽を与えてくださった。何よりもまず、我々を高みに導くために。音楽はすべて合わせ持っている。我々を称えてくれ、慰めてくれ、励ましてくれる。あるいは、頑なになった心を、憂いのある柔らかな音色でほどいてくれる。しかし、最も大切な働きは、我々の思いをより高いものへと導いてくれることだ。気持ちを高め、心を震わせる。音楽は、多く、音をつかって、詩の言葉よりも、心の深くにまっすぐに訴えてくる。そして、心の中の見えない隙間を捕らえてしまう。歌は我々の存在を高め、善きこと、真実のことへと導いてくれる。)
これは、BrainPickingsで紹介されていた、 ニーチェ(Nietzsche) の言葉です。思うに、音楽を聴いている私は、おそらく私の意識なのでしょうが、音楽を受け止めている私の全身は、不随意筋や自律神経や無意識なんかが内在する、私の意識を超えた私自身なのではないでしょうか。だから、分析して理屈をつける前に、この曲を好きだ・嫌いだが、先にすとん、とわかってしまうし、どんなに無名であろうと、ルックスに恵まれてなかろうと、その人の奏でる音楽が本当に何かを伝えるものであれば、それをきちんと受け取ることができてしまう。「私」が疲れていたり、落ち込んでいたりしている時でも、音楽は受け止められ、私は癒されたり励まされたりしてしまう。「私」を超えた私につながるチャネルを持つ音楽が、神から与えられたものだ、とするニーチェの言葉には、なんだか納得がいきます。

ところで、Amy WinehouseのHalf Time という曲。ニーチェの言っていることに、とても似ていると思いませんか?

The quoted parts are from:
Nietzsche on the Power of Music https://www.brainpickings.org/2015/09/18/nietzsche-on-music/?
Half Time エイミー・ワインハウス (Amy Winehouse)http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2015/07/half-time-amy-winehouse.html

2015年8月30日日曜日

規律(discipline) が窮地を救ってくれる-アンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の言葉から-

つらい状況、というのが時として訪れてきますね?例えば、あり得ないミスをしでかしてしまう。人からの信用を無くしそうになる。批判を受ける。よかれと思ってやったことが裏目に出る。自分には無理だと思えることに取り組まなくてはならない。誰からの援助も受けられない。大切な人を失くしてしまう・・・。そんなつらい状況をどうやって乗り切りますか?

私の場合は、まずはとりあえず、深呼吸です。それから、いつもの動作をあえて丁寧にするようにします。文字を書く、とか、野菜を切る、とか、脱いだ洋服をたたむ、とかそういったことを、いつもよりも丁寧にする。そして、その段階で自分に許されていることをカウントします。あれもできる、これもできる、なんだ普通になんでもできるじゃないか、大丈夫!と自分で確認します。

村上春樹氏は、『村上さんのところ』の中で、読者からの「批判や中傷をどうやり過ごすか」という質問に対して、「・・・規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。」と答えておられます。「・・・好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。(中略)朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。」ということです。

いつもお世話になっているブログ、Brain Pickings の中でも、女優のアンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の著書からの言葉が紹介されていました。これは、アーティストとして生きる人へ贈るアドバイスをまとめた本なのだそうです。画家、作家、ミュージシャン、デザイナー、など、アーティストと呼ばれる方々の人生は、常にクリエイティビティを発揮することが求められ、そのことで生計をたてていくという人生は、おそらく大変厳しいものではないか、と想像します。もちろん、作品が完成して不特定多数の人々に受け入れられたときの歓びは、何ものにも代えられないものなのでしょうが。

     

"We are on the fringe, and we don’t get such licenses. There are prizes and rewards, popularity and good or bad press. But you have to be your own judge. That, in and of itself, takes discipline, and clarity, and objectivity. Given the fact that we are not “credentialed” by any institution that even pretends to be objective, it is harder to make our guild. True, some schools and universities give a degree for a course of study. But that’s a business transaction and ultimately not enough to make you an “artist.”"
(アーティストは違います。我々にはそんな免許なんかはない。賞やご褒美を受けたり、人気があったり、評価されたりはします。でも、良いか悪いかの判断は自分でしなくてはなりません。そのためには、本当の意味で、規律がなくてはならないし、明確さと客観性がなくてはなりません。せめてなんとか客観的であると装っている何かの団体があるとして、そういう団体からもお墨付きをもらうことはできません。その事実を考慮すると、組合を組織するということだってなおのこと難しい。確かに、ある種の学校や大学は、学べばそれに対して学位を与えています。でも、それは単なるビジネスの上の話であって、つきつめると、そのくらいのことで、誰かを「アーティスト」とみなすわけにはいきません。) 
"Be more than ready. Be present in your discipline. Remember your gift. Be grateful for your gift and treat it like a gift. Cherish it, take care of it, and pass it on. Use your time to bathe yourself in that gift. Move your hand across the canvas. Go to museums. Make this into an obsession…
What you are will show, ultimately. Start now, every day, becoming, in your actions, your regular actions, what you would like to become in the bigger scheme of things."
(準備を怠らないようにしてください。けじめを持って生きるのです。あなたには神から与えられた才能があることを思い出してください。その才能に感謝して、それを贈り物のように扱ってください。大切に、手をかけて後に伝えていくのです。あなたの人生を、その才能に浸ることに使ってください。キャンバスの上で実際に手を動かして。美術館に足を運んで。それが癖になるように。
最後には、あなたらしさが現れてくるでしょう。今すぐに始めてください。毎日そうするのです。そうして、いつもそうやっていると、より大きなスケールの中で、あなたが目指すものになれるはずです。)
規律(discipline) ということや規則正しい生活を丁寧にこなしていくことが、とにかく大切だという話、とてもよくわかる気がします。 つらい状況で、頭の中がそのことで一杯になって、気持ちが不安定になって、何だか浮き足立ってしまうような時に、淡々と続く毎日の生活のあれこれが、自分という存在を人生そのものにしっかりとつないでくれる碇(いかり)のような機能を果たしてくれるからなのかもしれません。或は、日々の営みは誰にとっても基本であって、それを大切にするということは、自分自身を大切にするということに他ならない、ということなのかもしれません。同じことの繰り返しが退屈な人生の象徴のように語られることもありますが、けしてそうではない。その繰り返しこそが自分を育んでくれる素地となっているに違いない。そう思いました。
村上春樹(2015)『村上さんのところ』新潮社

2015年7月25日土曜日

客観性と美しい人生

先日誕生日が来て、また1つ歳をとりました。今年も大過なく誕生日を迎えることができ、これほどありがたいことはない、といえばその通りなのですが、人生も折り返し地点を過ぎて、50代はもう目の前。たいした人間でないのは百も承知ですが、それでも、そんな私でも元気に働いていて、まだまだできることはたくさんあります。では、どっちの方向に向かって、一体何に持てる力を注ぎ込むべきなのか。そんなことに、まだ迷っているような気がします。不惑の40代はもうそろそろ終わりそうだというのに。

The Paris Review ‏@parisreviewのツイートである日、流れてきた作家のノーマン・メイラーの言葉は、兼ねてから考えていたことと同じで、このインタビューを読んで思わずひざを打ちました。

INTERVIEWER
"Let’s talk about age, growing old, and let’s be precise. How does the matter of growing old affect your vanity as a writer? There is perhaps nothing more damaging to one’s vanity than the idea that the best years are behind one."
(年齢、年をとることについてお話しましょう。しかもずばりお聞きします。年をとるという問題が、作家としての虚栄心にどのように影響するものでしょうか。自分のピークの年は、もう過ぎ去ったのだ、という考えほど、人の虚栄心を傷つけるものはないかもしれない、と思うのですが。)
 MAILER
"Well, I think if you get old and you’re not full of objectivity you’re in trouble. The thing that makes old age powerful is objectivity. If you say to yourself, My karma is more balanced now that I have fewer things than I’ve ever had in my life, that can give you sustenance. You end up with a keen sense of what you still have as a writer, and also of what you don’t have any longer. As you grow older, there’s no reason why you can’t be wiser as a novelist than you ever were before. You should know more about human nature every year of your life. Do you write about it quite as well or as brilliantly as you once did? No, not quite. You’re down a peg or two there."
(ああ、もし歳を取って、それでも客観性が足りないようでは、痛い目にあうと思うよ。重ねた年齢に力を発揮させることができるのは、客観性だから。これまでの人生よりも持ち物が少なくなっている分、自分のカルマは、よりバランスがとれているんだよ、と、自分に声をかけてやれば、それが生きる力を与えてくれるはず。しまいには、作家として自分がまだ持っているもの、そしてまた、もう持っていないものが何なのか、はっきりわかるようになる。歳を取るにつれて、作家として前よりも賢明にならないわけがない。人生の中で、年々、人間の性質をより深く知るようになる。では、以前書いたのと同じくらいうまく、同じくらい素晴らしく、書けますかだって?いや、それがそうはいかない。そこでは、高かった鼻をへし折られてしまうんだ。 
INTERVIEWER
"Why?"
(どうしてでしょう?) 
MAILER
"I think it’s a simple matter of brain damage and nothing else. The brain deteriorates. Why can’t an old car do certain things a new car can do? You have to take that for granted. You wouldn’t beat on an old car and say, You betrayed me! The good thing is you know every noise in that old car."
(単に脳がダメージを負っているというだけのことだよ。他の何ものでもない。脳が劣化しているんだ。新しい車がやってのけるいろんなことを、どうして古い車はできないんだろう。いや、そんなの当然なんだって思わなけりゃだめだ。古い車に乗ってて、裏切りもの!なんて言ったところで仕方がない。勝てっこないんだよ。いいのはその古い車のノイズなら、どれもみんな自分でわかってるってところだよ。)
子どもと大人の違いは何か、といえば、それは、客観性があるかないか、ではないでしょうか。私たちは皆、自分の意識を通して、物事を見て理解しています。物の見方が自分中心、主観的になってしまっても不思議ではない状況が整っているわけです。一方、大人というのは、色々な経験を積んでいるので、似たような状況の中で、別の立場であった記憶などを持っています。だから、ある立場の人が、今どういう気持ちでいるのか、或は、その立場の人から見たこちらの姿がどんな風であるか、といったことがありありと想像できる。主観的な目で自分を見れば、一つのことに捉われていっぱいいっぱいになってしまうばかりだけれど、そんな自分からいったん離れて、外から客観的に眺めてみると、自分の中に抱えていた問題も相対化されて、冷静にとらえることができるようになるのだと思います。

テレビや映画でお見かけする芸能人の方の外見が、総じて美しいのは、他人に見られる職業だから、という話を耳にすることがありますが、そうではないと思う。私たち一般人も常に他人には見られている。彼らが違うのは、テレビや映画に映る自分の姿を、他人と同じ、客観的な目で見つめることができる機会が常に与えられているから、だと思います。鏡の中に切り取られた正面からの姿だけでなく、後ろ姿でも遠くからのアングルでも、気を抜いて無防備な表情の時でも、そんな自分を全て見ることができて、客観的な視点から自分の外見について考えることができるから。

そう考えると、外見的にも内面的にも、客観的に自分を捉えることの威力は絶大で、常にそのことを頭の片隅に置いておくと、美しい人生が歩めることは間違いないという気がします。今生きているこの人生でも、まあまあそれなりに頑張ってるよ、という気はするものの、キャサリン・アン・ポーターが「私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。」と言うように、何かを成し遂げた、と満足できる境地に、この根性なしの私でも達することができるものなのか。いささか自信は無いのですが、でも、あきらめずにそこに向かっていきたい。そして、その歩みがどうか、美しいものでありますように、と祈る今年の誕生日なのでした。

The quoted part is from:
Norman Mailer, The Art of Fiction No. 193 Interviewed by Andrew O'Hagan in The Paris Review http://www.theparisreview.org/interviews/5775/the-art-of-fiction-no-193-norman-mailer