2015年10月18日日曜日

文体の翻訳 ―ウンベルト・エーコの言葉から―

文体には文章を書いた人特有のリズムがあって、本を読む楽しさはそのリズムに乗る楽しさだ、ということをこのブログでも何度か取り上げてきました。

 〇私と文章と音楽と
 〇トルーマン・カポーティと文体の話
 〇音楽と文体(2)~村上春樹の言葉から~
 〇音楽と文体(1)~マヤ・アンジェローの言葉から

今回はウンベルト・エーコです。The Paris Reviewのインタビューで、ウンベルト・エーコもやはり、同じように文体はリズムだと言っています。そして、その文体を翻訳するということについて語っています。
   
ECO
"I have edited countless translations, translated two works myself, and have had my own novels translated into dozens of languages. And I’ve found that every translation is a case of negotiation. If you sell something to me and I buy it, we negotiate—you’ll lose something, I’ll lose something, but at the end we’re both more or less satisfied. In translation, style is not so much lexicon, which can be translated by the Web site Altavista, but rhythm. Researchers have run tests on the frequency of words in Manzoni’s The Betrothed, the masterpiece of nineteenth-century Italian literature. Manzoni had an absolutely poor vocabulary, devised no innovative metaphors, and used the adjective good a frightening amount of times. But his style is outstanding, pure and simple. To translate it, as with all great translations, you need to bring out the anima of his world, its breath, its precise tempo."
エーコ
(「私はこれまでに数えきれないくらいの翻訳を編集してきたし、自分でも2本作品を翻訳しました。自分の小説は何十もの言語に翻訳されてもいます。それで思うのですが、翻訳というのは、要するに交渉ということですね。もしも、あなたが私に何かを売り、私がそれを買うとすると、私たちは交渉をすることになります。そうすると、あなたは何かを失うでしょう。私だってそうです。何かを失います。でも、最後には、どうあれ、どちらもが満足する。翻訳するにあたっては、文体というのは、語彙ということではない。そんなものだったら、アルタビスタの翻訳サイトでも翻訳できるかもしれない。そうではない、リズムなんです。マンゾーニの『婚約者』という19世紀のイタリア文学の傑作があるのですが、その語彙頻度について、研究者が調べたことがあるのです。マンゾーニの語彙力っていうのは、ものすごくひどかったんですね。新しいメタファーを作り出すこともなかったし、goodなんていう形容詞をおそろしく何度も使ってた。でも彼の文体はずば抜けていました。純粋で素朴で。そういうものの翻訳をするにあたっては、他の優れた翻訳同様に、マンゾーニの魂や、呼吸、その正確なテンポを訳しだす必要があるのです。」)
自分にとって、母語で書かれた文体のリズムに乗るのは、そう難しくなく楽しいものだと思います。ある作家のリズムには心惹かれるけれど、別の作家のリズムはどうもしっくりこない、などと思ったりします。しかし、長じて自分で学んで身につけた外国語で、同じことをするとなるとどうでしょうか。英語なら英語という、その言語特有のリズムはありますが、書き手によって微妙に変わる文体のリズムに耳を澄ませ、その違いを聴き分ける、といった繊細な行為を、外国語でするとなると、かなり高度な外国語能力が必要になってくるのではないでしょうか。さらにそのしらべを別の言語で再現するのは、これは、至難の業だといえると思います。また、翻訳家も人であれば、その人の持つ文体のリズムというのもあるでしょう。翻訳をするにあたっては、その自分のリズムが表にでてこないように、なりをひそめることも必要になりそうです。自分の存在を消すことができるように、自らコントロールするというのも、意外に難しいことのような気がします。そうして考えてみると、優れた翻訳家の言語能力、言葉や音に対するセンス、ってすごい。すごくて素晴らしい。
INTERVIEWER
"Does a good translator ever offer a suggestion that opens up possibilities you hadn’t seen in the original text?"
インタビュアー
(「良い翻訳家というのは、あなたが原文では思っていなかったような可能性の扉を開いてくれるような、そんな示唆をしてくれるのでは?」)
ECO
"Yes, it can happen. Again, the text is more intelligent than its author. Sometimes the text can suggest ideas that the author does not have in mind. The translator, in putting the text in another language, discovers those new ideas and reveals them to you."
エーコ
(「そうですね。ありうる話です。一度言いましたが、文章というのは、著者よりも賢いのです。時々、著者が思ってもみないような考えを提案してくれたりもします。翻訳家は原文を別の言語に変える中で、そういった新しい考えを見つけ出し、著者にそれを教えてくれるのです。」)
翻訳家がエーコが言うような役割を果たすのも、不思議ではないように思いました。
私もいつかその域に達して、自分の感覚にしっくりくる文体に出会って、その文体を翻訳してみたい。そうです。私は果てしなくロマンティストなんです。


The quoted part is from:

The Paris Review
Umberto Eco, The Art of Fiction No. 197 Interviewed by Lila Azam Zanganeh

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