2015年12月31日木曜日

年賀状と幸せな人生


先日、TED Talks (@TEDTalks)から、ロバート・ウォールディンガー(Robert Waldinger)氏の「幸せな人生の作り方」についてのスピーチを紹介するツイートが流れてきました。健康で幸せな人生をおくるために、日々をどう過ごせばよいのか、秘訣を教えてくれるというわけです。

ちょっとのぞいてみたところ、これは耳を傾けるに値するものだ、とわかりました。というのも、これはハーバード大学の研究チームによる、ある調査に基づいており、それは、724人の男性をなんと75年の長きに渡って追跡調査したものでした。被験者はハーバード大学の2年生を皮切りにしているグループと、ボストン近郊の低所得者層に属する若者(だった)グループの2つに分かれており、その両方のグループの、健診結果、アンケート、面談、子どもや奥さん等家族との会話を録音したもの、などなどの膨大なデータを長期的に集めて分析したということです。724人の被験者のうち、60名は、90代になってはいますがまだ健在で、研究は今も続いているのだそうです。

そして、調査の結果、わかったことは、以下の通りです;

      幸せは富や名声、仕事に没頭することで得られるものではない。

      Good relationships keep us happier and healthier. Period.
      (良い人間関係があると、我々は、より幸せに、より健康になる。以上。)

さらに、3点。1つ目は、家族、友達、地域の人などと社会的なつながりのある人が幸せだ、ということ。2つ目に、ただつながっているだけでなく、質が大切だということ。つまり、家族がいるかどうか、とか、友達が何人いるか、ということではなく、それが本当に温かい、良い関係であることにこそ意味がある、ということ。そして最後に、そのような存在があると、年をとった時、記憶力に差が出る、ということです。

今年は身内に不幸があったので、年賀状の代わりに喪中のはがきを送りました。毎年年賀状をやりとりする人は、決まっています。これまでの人生で、小学校、中学校、高校、大学・・・と、その時その時に、知り合って同じ時間を共有して別れを惜しんで。今となってはほとんど会うこともなく、年に1度年賀状を送るだけで失礼してしまっている、そんな人たちです。未熟だった(今もですが)私を受け入れて声をかけてくれていた、そうたくさんいるわけでは無い、限られた人数の人たちです。今、顔を合わせている人達も、状況が変われば、また過去の人になって、年賀状をやりとりするだけの関係になるのでしょうか。そう思うと、何だか寂しい気がしてきます。

いずれにせよ、私が人生のうち、出会って温かい良い関係を持つことができるなんて、本当に偶然の、限られた経験なのだということがわかります。忙しい12月に年賀状を準備するのが億劫になって、もう、会うこともなかなかないし、年賀状送らないとダメ?などとしばしば思ってしまっていたのですが、それは間違いだったと反省してしまいました。これまでに、同じ時間を共有し、一緒に何かを食べ、何かについて語り、何かについて笑ったり怒ったりした人々。ロバート・ウォールディンガー氏のトークを信じるなら、人生はこの人たちを大切にするためにある。油断せずにチャンスを捉えて、心を込めて言葉を送りたい。そう思いました。


TED "What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness"  by Robert Waldinger:

2015年11月7日土曜日

「美しさ」をなめてはいけない

 例えば新聞に、美しい女性の写真があれば、なんとなくその記事には目を通してしまいます。そんな時、美人の、といおうか、美しいものの力は強い、と感じ入ってしまいます。自分自身についてはもちろん、自分の身の周りのものから衣食住にいたる、生活のあらゆる場面で、美しさを求めてしまうのは、一体なぜなのでしょうか。
 Theaster Gates(シアスター・ゲイツ)はシカゴ在住の陶芸家なのですが、自分の住む荒れた地域の、住人から見捨てられた廃屋を文化施設に作り替え、そこを拠点として見事地域の活気を取り戻した取組みを、TED で語っています。スピーチももちろんすばらしいのですが、その後の司会者とのやり取りで、大変心に残る言葉を耳にしました。


"June Cohen: That makes so much sense. One more question: You make such a compelling case for beauty and the importance of beauty and the arts. There would be others who would argue that funds would be better spent on basic services for the disadvantaged. How do you combat that viewpoint, or come against it?" 
(ジューン・コーヘン:「それは納得ですね。もう一つ。あなたのなさったことは、美しさとか、美やアートの重要性という点で、非常に説得力がある事例だと思いますが、恵まれない人々には、もっと基本的な社会サービスに資金を使うべきではないかとおっしゃる人もおられることと思います。そのような考え方に対しては、どう反論されますか。」)

15:51"Theaster Gates: I believe that beauty is a basic service. (Applause) Often what I have found is that when there are resources that have not been made available to certain under-resourced cities or neighborhoods or communities, that sometimes culture is the thing that helps to ignite, and that I can't do everything,but I think that there's a way in which if you can start with culture and get people kind of reinvested in their place, other kinds of adjacent amenities start to grow, and then people can make a demand that's a poetic demand, and the political demands that are necessary to wake up our cities, they also become very poetic." 
(シアスター・ゲイツ:「美しさというのは、基本的な社会サービスである。私はそう信じています。私がこれまでに目にしてきたのは、それまで資金不足だった都市や地域が資金に恵まれた時に、文化的なものこそが火付け役になるという例です。私の方で全て何もかもできるわけではない、でも、文化的なことから始めると、それが地域の人々からその場所への再投資を促し、また何か別の関連したものが育つようになる。さらにそこから、ある種の要求が生まれてくるようになるのです。それは詩的な要求です。たとえ、町を蘇らせるのに必要な政治的な要求であったとしても、やはりそれは大変詩的なものになっていくのです。」)
一つ思うのは、「美しさ」とはリスク回避を可能にする手段なのではないか、ということです。明るい顔色、引き締まった体躯。肉体の美しさは健康ということとほとんど同義であって、健康は病気などのリスクを回避している状態に他なりません。所作についても、乱暴だったり、横着だったりするような振る舞いは、往々にしてバランスが悪く、ぶつけたり転んだり、ちょっとした事故につながりやすいものだと思います。美しい所作というのは、安定していて見ている方にも安心感がある。身だしなみが整っていないと、外に出るのも人に会うのも億劫になるし、住環境が乱れているのは、けがをしたり、生活そのものが混乱する原因となりそうです。健康に気を付け、お行儀よく、身なりを美しく整えて、掃除をしてきれいに暮らす。これって、お母さんやおばあさんが、耳にタコができるくらいしつこく家庭で言い聞かせていることではないでしょうか。それが結局、効率よく生活を回していく上で、何よりも必要な基本条件以外の何ものでもない、ということなのでしょう。
 本来私たちの肉体は、とても壊れやすいものだと思います。もしも、この体が、人為的に作られているものだったとしたら、きっとものすごく高価な、取扱い注意の精密機械に違いない。きちんと手入れをして、もっと慎重に、もっと丁寧に、扱ってやらなくてはだめなんだと思います。私たちの住む世界だって、意外に脆弱で、一歩間違えば、すぐに悪循環で回り始めてしまうリスクを抱えているものだと思う。この微妙な仕組みの中で生きていくにあたって、「美しさ」を志向するということが、健全な循環に留まり続けるための、何かの指標になっている。そんな気がします。「美しさ」をなめてはいけない。そして、同時に「過ぎたるはまた、及ばざるがごとし」で、美しさが目的になってしまって、それだけを追求するようになるのも、それはそれで間違ったことだと思います。
The quoted part is from:
TED "How to revive a neighborhood: with imagination, beauty and art" by Theaster Gateshttp://www.ted.com/talks/theaster_gates_how_to_revive_a_neighborhood_with_imagination_beauty_and_art/transcript?language=en#t-877485

2015年10月18日日曜日

文体の翻訳 ―ウンベルト・エーコの言葉から―

文体には文章を書いた人特有のリズムがあって、本を読む楽しさはそのリズムに乗る楽しさだ、ということをこのブログでも何度か取り上げてきました。

 〇私と文章と音楽と
 〇トルーマン・カポーティと文体の話
 〇音楽と文体(2)~村上春樹の言葉から~
 〇音楽と文体(1)~マヤ・アンジェローの言葉から

今回はウンベルト・エーコです。The Paris Reviewのインタビューで、ウンベルト・エーコもやはり、同じように文体はリズムだと言っています。そして、その文体を翻訳するということについて語っています。
   
ECO
"I have edited countless translations, translated two works myself, and have had my own novels translated into dozens of languages. And I’ve found that every translation is a case of negotiation. If you sell something to me and I buy it, we negotiate—you’ll lose something, I’ll lose something, but at the end we’re both more or less satisfied. In translation, style is not so much lexicon, which can be translated by the Web site Altavista, but rhythm. Researchers have run tests on the frequency of words in Manzoni’s The Betrothed, the masterpiece of nineteenth-century Italian literature. Manzoni had an absolutely poor vocabulary, devised no innovative metaphors, and used the adjective good a frightening amount of times. But his style is outstanding, pure and simple. To translate it, as with all great translations, you need to bring out the anima of his world, its breath, its precise tempo."
エーコ
(「私はこれまでに数えきれないくらいの翻訳を編集してきたし、自分でも2本作品を翻訳しました。自分の小説は何十もの言語に翻訳されてもいます。それで思うのですが、翻訳というのは、要するに交渉ということですね。もしも、あなたが私に何かを売り、私がそれを買うとすると、私たちは交渉をすることになります。そうすると、あなたは何かを失うでしょう。私だってそうです。何かを失います。でも、最後には、どうあれ、どちらもが満足する。翻訳するにあたっては、文体というのは、語彙ということではない。そんなものだったら、アルタビスタの翻訳サイトでも翻訳できるかもしれない。そうではない、リズムなんです。マンゾーニの『婚約者』という19世紀のイタリア文学の傑作があるのですが、その語彙頻度について、研究者が調べたことがあるのです。マンゾーニの語彙力っていうのは、ものすごくひどかったんですね。新しいメタファーを作り出すこともなかったし、goodなんていう形容詞をおそろしく何度も使ってた。でも彼の文体はずば抜けていました。純粋で素朴で。そういうものの翻訳をするにあたっては、他の優れた翻訳同様に、マンゾーニの魂や、呼吸、その正確なテンポを訳しだす必要があるのです。」)
自分にとって、母語で書かれた文体のリズムに乗るのは、そう難しくなく楽しいものだと思います。ある作家のリズムには心惹かれるけれど、別の作家のリズムはどうもしっくりこない、などと思ったりします。しかし、長じて自分で学んで身につけた外国語で、同じことをするとなるとどうでしょうか。英語なら英語という、その言語特有のリズムはありますが、書き手によって微妙に変わる文体のリズムに耳を澄ませ、その違いを聴き分ける、といった繊細な行為を、外国語でするとなると、かなり高度な外国語能力が必要になってくるのではないでしょうか。さらにそのしらべを別の言語で再現するのは、これは、至難の業だといえると思います。また、翻訳家も人であれば、その人の持つ文体のリズムというのもあるでしょう。翻訳をするにあたっては、その自分のリズムが表にでてこないように、なりをひそめることも必要になりそうです。自分の存在を消すことができるように、自らコントロールするというのも、意外に難しいことのような気がします。そうして考えてみると、優れた翻訳家の言語能力、言葉や音に対するセンス、ってすごい。すごくて素晴らしい。
INTERVIEWER
"Does a good translator ever offer a suggestion that opens up possibilities you hadn’t seen in the original text?"
インタビュアー
(「良い翻訳家というのは、あなたが原文では思っていなかったような可能性の扉を開いてくれるような、そんな示唆をしてくれるのでは?」)
ECO
"Yes, it can happen. Again, the text is more intelligent than its author. Sometimes the text can suggest ideas that the author does not have in mind. The translator, in putting the text in another language, discovers those new ideas and reveals them to you."
エーコ
(「そうですね。ありうる話です。一度言いましたが、文章というのは、著者よりも賢いのです。時々、著者が思ってもみないような考えを提案してくれたりもします。翻訳家は原文を別の言語に変える中で、そういった新しい考えを見つけ出し、著者にそれを教えてくれるのです。」)
翻訳家がエーコが言うような役割を果たすのも、不思議ではないように思いました。
私もいつかその域に達して、自分の感覚にしっくりくる文体に出会って、その文体を翻訳してみたい。そうです。私は果てしなくロマンティストなんです。


The quoted part is from:

The Paris Review
Umberto Eco, The Art of Fiction No. 197 Interviewed by Lila Azam Zanganeh

2015年9月26日土曜日

音楽の力 -ニーチェの言葉から-

音楽を聞かれますか。私は聞きます。1日のうち、何度も。何かをしながら気分に合ったものを「ながら聞き」することがほとんどですが、ゆっくり腰をおろして集中して聴くこともあります。主に聴くのは英語圏のロックかポップス。ジャズを聴いたりすることもあります。クラシックもほんの少し。

音楽のことを考えると、いつも圧倒されるような気がします。言葉では「音楽を聴く」という表現を遣いますが、実際のところ、音楽は耳だけで聴いていない。皮膚だとか、関節だとか、全身で受け止めているような気がします。そして、音楽を受け止めている私の全身は、音楽を聴いている私よりも、随分賢く有能であるようです。



"God has given us music so that above all it can lead us upwards. Music unites all qualities: it can exalt us, divert us, cheer us up, or break the hardest of hearts with the softest of its melancholy tones. But its principal task is to lead our thoughts to higher things, to elevate, even to make us tremble… The musical art often speaks in sounds more penetrating than the words of poetry, and takes hold of the most hidden crevices of the heart… Song elevates our being and leads us to the good and the true."                
(神は我々に音楽を与えてくださった。何よりもまず、我々を高みに導くために。音楽はすべて合わせ持っている。我々を称えてくれ、慰めてくれ、励ましてくれる。あるいは、頑なになった心を、憂いのある柔らかな音色でほどいてくれる。しかし、最も大切な働きは、我々の思いをより高いものへと導いてくれることだ。気持ちを高め、心を震わせる。音楽は、多く、音をつかって、詩の言葉よりも、心の深くにまっすぐに訴えてくる。そして、心の中の見えない隙間を捕らえてしまう。歌は我々の存在を高め、善きこと、真実のことへと導いてくれる。)
これは、BrainPickingsで紹介されていた、 ニーチェ(Nietzsche) の言葉です。思うに、音楽を聴いている私は、おそらく私の意識なのでしょうが、音楽を受け止めている私の全身は、不随意筋や自律神経や無意識なんかが内在する、私の意識を超えた私自身なのではないでしょうか。だから、分析して理屈をつける前に、この曲を好きだ・嫌いだが、先にすとん、とわかってしまうし、どんなに無名であろうと、ルックスに恵まれてなかろうと、その人の奏でる音楽が本当に何かを伝えるものであれば、それをきちんと受け取ることができてしまう。「私」が疲れていたり、落ち込んでいたりしている時でも、音楽は受け止められ、私は癒されたり励まされたりしてしまう。「私」を超えた私につながるチャネルを持つ音楽が、神から与えられたものだ、とするニーチェの言葉には、なんだか納得がいきます。

ところで、Amy WinehouseのHalf Time という曲。ニーチェの言っていることに、とても似ていると思いませんか?

The quoted parts are from:
Nietzsche on the Power of Music https://www.brainpickings.org/2015/09/18/nietzsche-on-music/?
Half Time エイミー・ワインハウス (Amy Winehouse)http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2015/07/half-time-amy-winehouse.html

2015年8月30日日曜日

規律(discipline) が窮地を救ってくれる-アンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の言葉から-

つらい状況、というのが時として訪れてきますね?例えば、あり得ないミスをしでかしてしまう。人からの信用を無くしそうになる。批判を受ける。よかれと思ってやったことが裏目に出る。自分には無理だと思えることに取り組まなくてはならない。誰からの援助も受けられない。大切な人を失くしてしまう・・・。そんなつらい状況をどうやって乗り切りますか?

私の場合は、まずはとりあえず、深呼吸です。それから、いつもの動作をあえて丁寧にするようにします。文字を書く、とか、野菜を切る、とか、脱いだ洋服をたたむ、とかそういったことを、いつもよりも丁寧にする。そして、その段階で自分に許されていることをカウントします。あれもできる、これもできる、なんだ普通になんでもできるじゃないか、大丈夫!と自分で確認します。

村上春樹氏は、『村上さんのところ』の中で、読者からの「批判や中傷をどうやり過ごすか」という質問に対して、「・・・規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。」と答えておられます。「・・・好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。(中略)朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。」ということです。

いつもお世話になっているブログ、Brain Pickings の中でも、女優のアンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の著書からの言葉が紹介されていました。これは、アーティストとして生きる人へ贈るアドバイスをまとめた本なのだそうです。画家、作家、ミュージシャン、デザイナー、など、アーティストと呼ばれる方々の人生は、常にクリエイティビティを発揮することが求められ、そのことで生計をたてていくという人生は、おそらく大変厳しいものではないか、と想像します。もちろん、作品が完成して不特定多数の人々に受け入れられたときの歓びは、何ものにも代えられないものなのでしょうが。

     

"We are on the fringe, and we don’t get such licenses. There are prizes and rewards, popularity and good or bad press. But you have to be your own judge. That, in and of itself, takes discipline, and clarity, and objectivity. Given the fact that we are not “credentialed” by any institution that even pretends to be objective, it is harder to make our guild. True, some schools and universities give a degree for a course of study. But that’s a business transaction and ultimately not enough to make you an “artist.”"
(アーティストは違います。我々にはそんな免許なんかはない。賞やご褒美を受けたり、人気があったり、評価されたりはします。でも、良いか悪いかの判断は自分でしなくてはなりません。そのためには、本当の意味で、規律がなくてはならないし、明確さと客観性がなくてはなりません。せめてなんとか客観的であると装っている何かの団体があるとして、そういう団体からもお墨付きをもらうことはできません。その事実を考慮すると、組合を組織するということだってなおのこと難しい。確かに、ある種の学校や大学は、学べばそれに対して学位を与えています。でも、それは単なるビジネスの上の話であって、つきつめると、そのくらいのことで、誰かを「アーティスト」とみなすわけにはいきません。) 
"Be more than ready. Be present in your discipline. Remember your gift. Be grateful for your gift and treat it like a gift. Cherish it, take care of it, and pass it on. Use your time to bathe yourself in that gift. Move your hand across the canvas. Go to museums. Make this into an obsession…
What you are will show, ultimately. Start now, every day, becoming, in your actions, your regular actions, what you would like to become in the bigger scheme of things."
(準備を怠らないようにしてください。けじめを持って生きるのです。あなたには神から与えられた才能があることを思い出してください。その才能に感謝して、それを贈り物のように扱ってください。大切に、手をかけて後に伝えていくのです。あなたの人生を、その才能に浸ることに使ってください。キャンバスの上で実際に手を動かして。美術館に足を運んで。それが癖になるように。
最後には、あなたらしさが現れてくるでしょう。今すぐに始めてください。毎日そうするのです。そうして、いつもそうやっていると、より大きなスケールの中で、あなたが目指すものになれるはずです。)
規律(discipline) ということや規則正しい生活を丁寧にこなしていくことが、とにかく大切だという話、とてもよくわかる気がします。 つらい状況で、頭の中がそのことで一杯になって、気持ちが不安定になって、何だか浮き足立ってしまうような時に、淡々と続く毎日の生活のあれこれが、自分という存在を人生そのものにしっかりとつないでくれる碇(いかり)のような機能を果たしてくれるからなのかもしれません。或は、日々の営みは誰にとっても基本であって、それを大切にするということは、自分自身を大切にするということに他ならない、ということなのかもしれません。同じことの繰り返しが退屈な人生の象徴のように語られることもありますが、けしてそうではない。その繰り返しこそが自分を育んでくれる素地となっているに違いない。そう思いました。
村上春樹(2015)『村上さんのところ』新潮社

2015年7月25日土曜日

客観性と美しい人生

先日誕生日が来て、また1つ歳をとりました。今年も大過なく誕生日を迎えることができ、これほどありがたいことはない、といえばその通りなのですが、人生も折り返し地点を過ぎて、50代はもう目の前。たいした人間でないのは百も承知ですが、それでも、そんな私でも元気に働いていて、まだまだできることはたくさんあります。では、どっちの方向に向かって、一体何に持てる力を注ぎ込むべきなのか。そんなことに、まだ迷っているような気がします。不惑の40代はもうそろそろ終わりそうだというのに。

The Paris Review ‏@parisreviewのツイートである日、流れてきた作家のノーマン・メイラーの言葉は、兼ねてから考えていたことと同じで、このインタビューを読んで思わずひざを打ちました。

INTERVIEWER
"Let’s talk about age, growing old, and let’s be precise. How does the matter of growing old affect your vanity as a writer? There is perhaps nothing more damaging to one’s vanity than the idea that the best years are behind one."
(年齢、年をとることについてお話しましょう。しかもずばりお聞きします。年をとるという問題が、作家としての虚栄心にどのように影響するものでしょうか。自分のピークの年は、もう過ぎ去ったのだ、という考えほど、人の虚栄心を傷つけるものはないかもしれない、と思うのですが。)
 MAILER
"Well, I think if you get old and you’re not full of objectivity you’re in trouble. The thing that makes old age powerful is objectivity. If you say to yourself, My karma is more balanced now that I have fewer things than I’ve ever had in my life, that can give you sustenance. You end up with a keen sense of what you still have as a writer, and also of what you don’t have any longer. As you grow older, there’s no reason why you can’t be wiser as a novelist than you ever were before. You should know more about human nature every year of your life. Do you write about it quite as well or as brilliantly as you once did? No, not quite. You’re down a peg or two there."
(ああ、もし歳を取って、それでも客観性が足りないようでは、痛い目にあうと思うよ。重ねた年齢に力を発揮させることができるのは、客観性だから。これまでの人生よりも持ち物が少なくなっている分、自分のカルマは、よりバランスがとれているんだよ、と、自分に声をかけてやれば、それが生きる力を与えてくれるはず。しまいには、作家として自分がまだ持っているもの、そしてまた、もう持っていないものが何なのか、はっきりわかるようになる。歳を取るにつれて、作家として前よりも賢明にならないわけがない。人生の中で、年々、人間の性質をより深く知るようになる。では、以前書いたのと同じくらいうまく、同じくらい素晴らしく、書けますかだって?いや、それがそうはいかない。そこでは、高かった鼻をへし折られてしまうんだ。 
INTERVIEWER
"Why?"
(どうしてでしょう?) 
MAILER
"I think it’s a simple matter of brain damage and nothing else. The brain deteriorates. Why can’t an old car do certain things a new car can do? You have to take that for granted. You wouldn’t beat on an old car and say, You betrayed me! The good thing is you know every noise in that old car."
(単に脳がダメージを負っているというだけのことだよ。他の何ものでもない。脳が劣化しているんだ。新しい車がやってのけるいろんなことを、どうして古い車はできないんだろう。いや、そんなの当然なんだって思わなけりゃだめだ。古い車に乗ってて、裏切りもの!なんて言ったところで仕方がない。勝てっこないんだよ。いいのはその古い車のノイズなら、どれもみんな自分でわかってるってところだよ。)
子どもと大人の違いは何か、といえば、それは、客観性があるかないか、ではないでしょうか。私たちは皆、自分の意識を通して、物事を見て理解しています。物の見方が自分中心、主観的になってしまっても不思議ではない状況が整っているわけです。一方、大人というのは、色々な経験を積んでいるので、似たような状況の中で、別の立場であった記憶などを持っています。だから、ある立場の人が、今どういう気持ちでいるのか、或は、その立場の人から見たこちらの姿がどんな風であるか、といったことがありありと想像できる。主観的な目で自分を見れば、一つのことに捉われていっぱいいっぱいになってしまうばかりだけれど、そんな自分からいったん離れて、外から客観的に眺めてみると、自分の中に抱えていた問題も相対化されて、冷静にとらえることができるようになるのだと思います。

テレビや映画でお見かけする芸能人の方の外見が、総じて美しいのは、他人に見られる職業だから、という話を耳にすることがありますが、そうではないと思う。私たち一般人も常に他人には見られている。彼らが違うのは、テレビや映画に映る自分の姿を、他人と同じ、客観的な目で見つめることができる機会が常に与えられているから、だと思います。鏡の中に切り取られた正面からの姿だけでなく、後ろ姿でも遠くからのアングルでも、気を抜いて無防備な表情の時でも、そんな自分を全て見ることができて、客観的な視点から自分の外見について考えることができるから。

そう考えると、外見的にも内面的にも、客観的に自分を捉えることの威力は絶大で、常にそのことを頭の片隅に置いておくと、美しい人生が歩めることは間違いないという気がします。今生きているこの人生でも、まあまあそれなりに頑張ってるよ、という気はするものの、キャサリン・アン・ポーターが「私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。」と言うように、何かを成し遂げた、と満足できる境地に、この根性なしの私でも達することができるものなのか。いささか自信は無いのですが、でも、あきらめずにそこに向かっていきたい。そして、その歩みがどうか、美しいものでありますように、と祈る今年の誕生日なのでした。

The quoted part is from:
Norman Mailer, The Art of Fiction No. 193 Interviewed by Andrew O'Hagan in The Paris Review http://www.theparisreview.org/interviews/5775/the-art-of-fiction-no-193-norman-mailer

2015年6月27日土曜日

変わっているを抱きとめる ―エド・シーランのスピーチから―

以前の投稿で、女優のエミリ・ブラントが子供のころ、吃音に悩まされていた話をnprのインタビューで語っていたのを取り上げました。そのエミリ・ブラントがエド・シーランをAmerican Institute for Stuttering(米国吃音協会)に呼んで表彰しています。というのも、エド・シーランも幼いころ、吃音があったということなのです。

エド・シーランは表彰式のスピーチの中で、幼いころは顔にあざがあったり、大きな青い眼鏡をかけなくてはならなかったり、片方の耳の鼓膜がなかったり、ととにかく問題だらけで、吃音なんて、自分の問題の中では、どうってことないほどだった。とにかく変わった子供だったと言っています。
But I got heavily into music at a young age, and got very, very into rap music—Eminem was the first album that my dad bought me. I remember my uncle Jim told my dad that Eminem was the next Bob Dylan when I was—say what you want, it’s pretty similar, but it’s all just story-telling. So my dad bought me the Marshall Mathers LP when I was nine years old, not knowing what was on it. And he let me listen to it, and I learned every word of it back to front by the age I was ten, and he raps very fast and very melodically, and very percussively, and it helped me get rid of the stutter. And then from there, I just carried on and did some music,...
(でも、僕は幼いうちに音楽にものすごくのめりこんだ。特にラップにはすごくすごく夢中になった。エミネムが父親が買ってくれた初めてのアルバムだった。その時、おじのジムが父に言ってたよ。『エミネムっていうのは、次のボブ・ディランらしいぜ』って・・・何でも言ってくれていいよ。かなり似てるけど、これは全部物語を語っているようなものなんだ・・・って。で、父親がエミネムの『マーシャル・メイザース』というLPを買ってくれたってわけだ。僕が9歳の頃のことだ。何なのかもわからなかったはずだけど、僕にそれを聞かせてくれた。僕は10歳になるまでに、アルバムの始めから終わりまで一言一句すべて覚えてしまった。エミネムはものすごい速さで、でもきれいなメロディーにのせて、そして、打楽器でもうつようにラップするけど、おかげで、僕は吃音を無くすことができたんだ。そのあと、そこからそのまま続けて、音楽をするようになった・・・) 
 ...It’s just to stress to kids in general is to just be yourself ‘cause there’s no one in the world that can be a better you than you, and if you try to be the cool kid from class, you’ll end up being very boring,...
(「・・・子どもたちみんなにちゃんと言っておきたいのは、ただ、自分らしく、ということだよ。だって、世界中の、君以外の誰も、もっと良い「君」にはなれないんだから。クラスのかっこいいやつみたいになろうとしたら、将来つまらないやつになって終わり、だよ・・・」)

5月10日に公開された"Photograph"のミュージックビデオを観ると、確かに、青い大きな眼鏡をかけて、音楽に夢中になっている男の子の姿が映し出されていて、このスピーチの中でエドが言っていることは、その通りなのだとわかります。そして、幼いエドを捉えているカメラのアングルから、彼の家族がどれだけ温かく彼を見守っていたかもよくわかる。夢中になって何かやっているエドを邪魔しないように、遠巻きに見つめる視線。どの角度から見た時が、一番可愛いかもよくわかっていて、いつもエドを見つめていたことを思わせます。エドの自分らしさはまず、家族に抱きとめられていたのだと思う。だからこそ、エドは、何があろうと、決してぶれることなく自分でも自分らしさを大切にすることができたのだ、という気がします。さらに、そんな「自分らしさ」を十分に育てて、ミュージックシーンで開花させている現在の姿を見ると、困難はあるものだし、そこで過たず正しい道筋を選んで、その場所で何かを積み上げることこそが何より大切なことで、また、それこそが自分なりの人生なのだ、などと思ってしまいました。・・・それにしても、エミネムのラップで吃音を克服した、というエピソード。いい話ですよね。

The quoted part is from:
Ed Sheeran to Kids Who Stutter: Embrace Your Weirdness in TIME