2017年2月14日火曜日

独りぼっちでつながっている ーアラン・ド・ボトンのインタビューからー

毎週、楽しみに聞いている ポッドキャスト On Being は、このブログでも何度か話題にさせていただいていますが、先日のものは、哲学者のアラン・ド・ボトン(Alain de Botton)へのインタビューでした。アラン・ド・ボトンは以前、「ときめきの仕分けから成功は始まる」という記事で、彼のTED Talkを紹介させていただいています。哲学の話題というと抽象的で、途中で断念してしまうことも多いのですが、アラン・ド・ボトンのお話しは自分の体験や実感ともつながって、その上、いろいろなことを気づかせてもらってありがたい。このポッドキャストのホストのクリスタ・ティペット(Krista Tippett)のインタビューもいつも的を射ていて、聞きごたえがあります。その2人の会話ということで、特に、耳を澄ませて聞きました。そして共感できる言葉をいくつも見つけました。

”MS. TIPPETT: In this “Darkest Truth About Love,” you say the idea of love in fact distracts us from existential loneliness. You are irredeemably alone. You will not be understood. But also, behind that is the — as you say, these are dark truths, but it’s also a relief, as truth always ultimately is, if we can hear it. That again, that is the work of life is to reckon with what goes on inside us.
(ティペット:この「愛についての最も暗い真実」の中で、愛ということを考えると、我々は実際に本来孤独な存在であるのに、それがわからなくなってしまうとおっしゃっていますね。どうしようもないくらい独りぼっちなのに。理解してもらえることなんてないのに。でもその背後に、それは暗い真実であると同時に安らぎでもあると言われています。真実というのはいつも、つきつめて理解するとそうであるように。生きるというのは、心の中で何が起こっているかを考えていくことだということですね。) 
MR. DE BOTTON: Yes. I think one of the greatest sorrows we sometimes have in love is the feeling that our lover doesn’t understand parts of us. And a certain kind of bravery, a certain heroic acceptance of loneliness seems to be one of the key ingredients to being able to form a good relationship.
(ドゥ・ボトン:そうですね。恋人が自分の様々なことを理解してくれないという感覚は、愛し合う中で出会う大きな悲しみの1つだと思います。そしてある種の強さというか、潔く孤独を受け入れることが、良い関係を築くことのできる大切な要素の一つであるような気がします。) 
MS. TIPPETT: Isn’t that interesting? And it sounds paradoxical.
(ティペット:おもしろいですよね?なんだか逆説的というか。) 
MR. DE BOTTON: Of course. If you expect that your lover must understand everything about you, you will be — well, you’ll be furious pretty much all the time. There are islands and moments of beautiful connection, but we have to be modest about how often they’re going to happen. I think if you’re lonely with only — I don’t know — 40 percent of your life, that’s really good going. You may not want to be lonely with over 50 percent, but I think there’s certainly a sizable minority share of your life which you’re going to have to endure without echo from those you love.
(ドゥ・ボトン:その通りです。もしも、恋人は自分のことを全て理解しなくてはならないと期待しているとすると、あなたはきっと、そう、いつも怒ってばかりいることになるでしょうね。結びつきを感じる美しい瞬間というものはあるものですが、どのくらい生じるかとなると、ほどほどに考えておかないといけないでしょう。もしも、だいたい、人生の・・・よくわかりませんが、40%くらいを孤独だと思うとすれば、かなり良い感じだと思います。50%以上寂しいと思いたくはないでしょうから。でも、愛する人が共感してくれないことに耐えなくてはならなくなる状況は、人生のかなりをしめるはずだと思いますよ。) 
MS. TIPPETT: You know, I debated over whether I would discuss this with you, but I think I will. I’m single right now and have been for a few years, and it’s actually been a great joy. Not that I think I will be single forever or want to be single forever. Although, actually, I think I would be alright if I were, which is a real watershed. And also what this part of — this chapter of life has taught me to really enjoy more deeply and take more seriously are all the many forms of love in life aside from just romantic love or being coupled. Do people talk to you about that?
(ティペット:ところで、このことをここでお話しすべきかどうか、迷ったのですが、お話ししたいと思います。今、私、独りなんです。ここ何年かずっとそうです。そして、それがとても楽しいのです。これからもずっと独りでいるつもりだとか、独りでいたいだとか思っているわけではないのですが、そうなってもいいな、とも思うのです。そう思うようになったのは、画期的なことでした。また、この人生のこの部分のおかげで、ただ恋愛だとか恋人になる、結婚する、などとは別のいろいろな形の愛情を、より深くより真剣に楽しめるようになったのです。そんなことをおっしゃる人はいませんでしたか?) 
MR. DE BOTTON: Well, it’s funny because just as you were saying, “I’m single,” I was about to say, “You’re not.” Because we have to look at what this idea of singlehood is. We’ve got this word “single” which captures somebody who’s not got a long-term relationship.
(ドゥ・ボトン:いや、おかしなものです。あなたが「私、独りなんです」とおっしゃった時、「違いますよ」と言いそうになっていたんですよ。この独身とはどういうことかということを考えなくてはならないからです。私たちは、長期間に渡る恋愛関係を持たない人のことを指して言いますね。) 
MS. TIPPETT: But I have so much love in my life.
(ティペット:でも、私の人生は愛情でいっぱいなんです。) 
MR. DE BOTTON: That’s right. And another way of looking at love is connection. We’re all the time, we are hardwired to seek connections with others. And that is, in a sense, at a kind of granular level, what love is. Love is connection. And insofar as one is alive and one is in buoyant, relatively buoyant spirit some of the time, it’s because we are connected. And we can take pride in how flexible our minds ultimately are about where that connection is coming.
(ドゥ・ボトン:そうでしょう。そして、愛を見るもう一つの見方はつながりということです。私たちはいつだって、生まれつき他の誰かとのつながりを求めているのです。つまり、それが、本当に細かいところまでつめた意味で、愛とは何かということなのです。愛とはつながりです。そして、生きていて元気でいる限り、だいたい元気でいられるというのは、誰かとつながっているからなのです。そして自信をもってほしいのですが、私たちはつながることのできる場所を、ものすごく柔軟に受け入れることができるのです。)”
自分はこの人生では、結婚して家族をもって生きていきたいと願いました。そして、その願いはかなえられたので、「独身」ではありません。いわゆる「独身」でいることがどういうことであるのか、もう、おそらくわからなくなっているでしょう。それでも、人はひとりひとりが違う認知をしていて、違う物語の中で生きているということ。そのようなお互いをわかり合うことは大変に難しいことだということは、ひしひしと感じています。私たちは皆、孤独な存在だと言われると、その通りだと思います。その上で、いつもつながりを求めているというのも、やはりその通りだと感じます。夜空を見上げると、真っ暗な天空に星が1つ1つ浮かんでいるように、世界にぽつりと「自分」というひとりぼっちの存在があって、他の存在とつながっている。家族だったり、学生時代の友だちだったり、職場で出会う人だったり、本当に様々な人々とつながっていて、それが愛ということで。そういうことですね?
 人と人との関係も、時間の経過とともに刻々と変化していきます。今や夫は友達のようだし、子供は兄弟のようです。学生時代の友だちや職場の人は家族のようで、何が何だかわからない感じ。でも、いろんな人とつながっていることは、確かに感じられます。孤独な私の魂につながってくれている世界中のすべての人に、ありがとうと伝えたいバレンタイン・デーの夜です。

The quoted part is from;
ALAIN DE BOTTON The True Hard Work of Love and Relationships in On Being.
http://onbeing.org/programs/alain-de-botton-the-true-hard-work-of-love-and-relationships/

2017年1月29日日曜日

言葉の力と物語の力 ―オバマ大統領のインタビューから―

先日、アメリカ大統領の就任式が執り行われ、とうとう、オバマ大統領の任期が終わってしまいました。任期の間に、もちろん多くのことを成し遂げられたわけですが、オバマ前大統領といえば、やはり、いろいろな場面での彼のスピーチが一番印象に残ります。さわやかな弁舌。明確で力強い言葉。時には歌を歌ったり、涙ぐんだり。しっかりと「伝わる」言葉の数々が思い出されます。

ニューヨークタイムズの記事で、オバマ前大統領が読書について語っている記事を見つけました。
子どもの頃から読書好きで、大統領の職に就く前に、既に、『マイ・ドリーム: バラク・オバマ自伝』(2007)木内裕也、他(翻訳)という本を書いて出版したことなどについて語っておられました。


That period in New York, where you were intensely reading. 
(その頃、ニューヨークで、読書に没頭されていたのですね。) 
"I was hermetic — it really is true. I had one plate, one towel, and I’d buy clothes from thrift shops. And I was very intense, and sort of humorless. But it reintroduced me to the power of words as a way to figure out who you are and what you think, and what you believe, and what’s important, and to sort through and interpret this swirl of events that is happening around you every minute." 
(1人、世間から隔離されていたような感じでした。本当に。持っていたのはお皿1枚とタオル1枚で、洋服は古着屋で買って。ものすごくぴりぴりしていて、ちょっとおもしろみのない人間でした。でも、読書に没頭する生活が、あらためて言葉の力に気付かせてくれました。自分がどんな人間で、何を考え、何を信じ、何が大切なのかを突きとめる。また、常に次々と休みなく自分の周りで起こる出来事を整理したり、解釈したりする、その手段としての言葉の力にです。)  
"And so even though by the time I graduated I knew I wanted to be involved in public policy, or I had   these vague notions of organizing, the idea of continuing to write and tell stories as part of that was valuable to me. And so I would come home from work, and I would write in my journal or write a story or two."
(そして、私は大学を卒業するころには、自分がやりたいのは公共政策に関わることだ、とわかっていたし、あるいはぼんやりと組織づくりをするようなことも意識していたのですが、書くということを続ける、また、その一つとして、何かを物語ることを続けるという考えは、私にとっては大切なことでした。だから、仕事から戻ると、日記を書いたり、1つ2つ物語を書いたりしていました。)

"The great thing was that it was useful in my organizing work. Because when I got there, the guy who had hired me said that the thing that brings people together to have the courage to take action on behalf of their lives is not just that they care about the same issue, it’s that they have shared stories. And he told me that if you learn how to listen to people’s stories and can find what’s sacred in other people’s stories, then you’ll be able to forge a relationship that lasts.

But my interest in public service and politics then merged with the idea of storytelling." 
(すばらしいのは、私の組織づくりの仕事の中でもそれが役に立ったということでした。その仕事に就いた時、私を雇ってくれた人がこう言 ったのです。人々が結び付き、自分たちの生活のために行動を起こす勇気をもつようになる。人々にそうさせるのは、ただ、同じ問題に関心を寄せている、ということではない。みんなが同じ「物語」を共有しているということなのだ、と。どのように人々の物語に耳を傾けるべきかを学び、その他者の話の中に、何か特別なものを見い出すことができるなら、その時は、長く続く人間関係を作り上げることができるでしょう、と。 
公職とか政治に対する私の興味がまずあって、それが、物語を語るという考えと融合したのです。)

私たちは言語を通して人格をみがき、そして、言語を使って、生きていくための物語を語る。時には誰かの語る物語を信じることもある。誰かと物語を共有することもある。オバマ前大統領は、豊かな読書体験に裏付けられた、はっきりと切れの良いパワフルな言葉で、人々が信じることのできる「物語」を雄弁に語り、多くの人を結び付け巻き込みながら、政治を運んでいた。そのあり方こそ、リーダーのあるべき姿なのではないかと思います。別に私はリーダーでもなんでもありませんが、それでも、言葉を使って生きている一人の人間として、言葉の力、物語の力を十分に心において、決して侮ることのないように、丁寧に言葉に向き合って、生きていきたいものだと思いました。

The quoted part is from:
Transcript: President Obama on What Books Mean to Him
JAN. 16, 2017 The New York Times
https://www.nytimes.com/2017/01/16/books/transcript-president-obama-on-what-books-mean-to-him.html?smid=tw-nytimes&smtyp=cur&_r=0

2016年12月4日日曜日

「すべての物語は真実である」-John Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) の言葉から―

以前、沈む夕日と舞い降りる雪の意味-村上春樹の言葉から- という投稿で、人間はあらゆるもの事に、意味づけをせずにはいられない存在で、「出会う人、住んでいる場所、生まれながらの境遇、突然降りかかってくる出来事。心を開いて、発想を柔軟にして、そういった物事に一つ一つ意味を見いだして、自分という存在の意味をしっかりと受け止めてくれる物語を作っていく。そうやって、前に進んでいくしかないのではないか」と書きました。

そう考えると、私達にとって物語というものがどれだけ大切なものか、と思えてくるのですが、Paris ReviewのJohn Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) のインタビューの記事の中で、こういうフレーズを目にしました。

       "All stories are true."

 実は、John Edgar Wideman(ジョン・エドガー・ワイドマン) という方についてはそれまで存じ上げていませんでした。確認してみると、ジョン・エドガー・ワイドマンはアメリカ人の作家で、ブラウン大学で教鞭も取っておられるようです。1991年にはPhiladelphia Fireでアメリカ図書賞などを受賞されており、他の作品も数々の文学賞の候補になるなどの活躍をされている方だということです。日本では3冊ほどの翻訳書が出版されているようです。



INTERVIEWER(インタビュアー)
"There’s a phrase that comes up in a lot of your books: “All stories are true.” What do you mean by that, and how does it relate to your work?"
(「あなたの本に何度も出てくるフレーズがありますね。「すべての物語は真実である」この言葉にはどういう意味が込められているのでしょう?そして、あなたの作品にどうかかわっているのでしょうか?」) 
WIDEMAN(ワイドマン)
"The source of that phrase is Chinua Achebe, and Achebe’s source is Igbo culture, traditional West African philosophy, religion, et cetera. It’s an Old World idea and it’s very mysterious. Rather than say I understand it, let’s say I’ve been writing under the star or the question mark of that proverb for a long time and I think it’s something that challenges. You peel one skin and there’s another skin underneath it—“all stories are true.” It was a useful means to point out that you don’t have a majority and a minority culture, you don’t have a black and a white culture—with one having some sort of privileged sense of history and the other a latecomer and inarticulate—you have human beings who are all engaged in a kind of never-ending struggle to make sense of their world. “All stories are true” then suggests a kind of ultimate democracy. It also suggests a kind of chaos. If you say, Wideman’s an idiot, and someone else says, No, he’s a genius, and all stories are true, then who is Wideman? It’s a challenge. A paradox. For me it’s the democratic aspect of it that’s so demanding, and it’s been a kind of guide for me in this sense. I know if I can capture certain voices I heard in Homewood—even though those people are not generally remembered, even though they never made a particular mark on the world—at certain times and in certain places and in certain tones those voices could tell us everything we need to know about being a human being."
(「このフレーズは、チヌア・アチェべの言葉から来てます。そして、アチェベはイボ文化、伝統的な西アフリカの哲学、宗教などから影響を受けているのです。それは、旧世界の思想で、とても神秘的なものです。それを理解したから、というよりも、ずっとその星の下で執筆を続けてきたから、とか、長い間このフレーズの謎を考えてきたから、と言いたいところです。それは、何かこちらにはたらきかけてくるような言葉だと思うのです。表面の皮をむいたら、その下にさらに皮があった、というような。 ―「すべての物語は真実である」― 多数派の文化、とか、少数派の文化などというものは無いし、黒人の文化とか、白人の文化などというものもない。 ―歴史の中で、一方が特権的な感覚を持つようになり、遅れてやってきたもう一方が、物を言えなくなっている― 皆、自分の世界に何とか意味を見出そうとして、終わりのない努力を続けている、そんな人間がいるだけなのだ。そういったことを取り上げるのに、そのフレーズは有効だったのです。それから、「すべての物語は真実である」という言葉には、究極の民主主義のようなものが感じられます。また、何か混沌としたものも。たとえば、ワイドマンなんて馬鹿だよ、とあなたが言ったとして、それに、誰かがいや彼は天才だよ、と言ったとする。そしてそのすべての物語が真実だということになれば、では、ワイドマンってどんなやつだ?ということになる。そういうはたらきかけです。逆説的なものです。私には、そういう風に厳しく迫って来ることこそが、この言葉の民主主義的な側面だと思えます。そういう意味で、この言葉は、私をこれまで導いてきてくれたのです。もし私がホームウッドで耳にする様々な声をとらえることができるなら、その声が、ある時、ある場所で、ある言い方で、私たちが1人の人間であるために必要な、あらゆることを教えてくれるとわかるのです。たとえ、その声の持ち主が、たいてい、忘れ去られてしまう人たちで、この世界に何か足跡を残すようなことはないとしても。」)
「すべての物語は真実である」・・・きっとそうなのでしょう。そうだと思わせる重みのあるフレーズだと思います。しかし、本当にこのフレーズは重い。たとえば、ある物語は真実で、ある物語はでたらめ、だとすると、嘘もあるけど真実もある、と信じられます。でも、すべての物語が真実であるとすると、それは同時にすべての物語はでたらめである、という「物語」も真実になってしまいます。まさにパラドックス。そう思うと、今まで真実だと思ってきた私自身の「物語」にも、不信感のようなものが生まれてきます。そして、この限られた人生に、いったいどんな意味を見出して生きていけばよいのか、わからなくなってくるような気がします。

真実かどうかなんて、結局問題ではないということでしょうか。その「物語」が自分の心にすとんと落ちる、とか、他のどの「物語」よりも美しいと思える、とか、そういうことでしか判断できない、ということなのでしょうか。「すべての物語は真実である」・・・・こういうことだ、と言えるようになるまで、随分時間のかかりそうなフレーズに出会ってしまいました。
The quoted part is from;
John Edgar Wideman, The Art of Fiction No. 171 in The Paris Review 

2016年10月30日日曜日

完璧な「集中」の充実感 ―ジェーン・ハーシュフィールドの言葉から―

小学生の頃の話です。2時間目と3時間目の授業の間には、少し長めの20分間の休憩の時間があり、その時間には皆、外に出てひとしきり体を動かして遊ぶことが常でした。入学してすぐの5月頃だったでしょうか。友達3人と外に出て、「渡り棒」か何かの遊具の周りで遊んでいたら、遊びに夢中になってしまって、休み時間が終わったことにまるで気づくことができませんでした。ふと見渡すと、グラウンド中にいた子供たちは一人もおらず、自分たち3人だけが取り残されていました。急いで教室に戻って謝って、先生の顔色を窺うと、先生などは慣れたもので、はいはい、という感じで、特に咎められることもなく、何事もなかったように授業に入っていきました。

その時のことを、折にふれ、思い出します。遊びに夢中になっていた私の意識(他の2人の友達も、おそらく)は、完璧な「集中」を経験していたのだと思うのです。大人になった今だったら、歓声をあげて走り回っていた100人からの子供たちが一斉に周囲から姿を消したことに、気づかないということができないはずです。夢中になって絵を描いたり、本や漫画に没頭したり、一心に蝶々やとんぼを追いかけたり、天井のしみや壁紙のパターンを目で追ったり。子ども時代の自分は、興味を引かれるままに、自分の行動や周囲の世界に、難なく入り込んでしまっていました。



"By concentration, I mean a particular state of awareness: penetrating, unified, and focused, yet also permeable and open. This quality of consciousness, though not easily put into words, is instantly recognizable. Aldous Huxley described it as the moment the doors of perception open; James Joyce called it epiphany. The experience of concentration may be quietly physical — a simple, unexpected sense of deep accord between yourself and everything. It may come as the harvest of long looking and leave us, as it did Wordsworth, a mind thought “too deep for tears.” Within action, it is felt as a grace state: time slows and extends, and a person’s every movement and decision seem to partake of perfection. Concentration can also be placed into things — it radiates undimmed from Vermeer’s paintings, from the small marble figure of a lyre-player from ancient Greece, from a Chinese three-footed bowl — and into musical notes, words, ideas. In the wholeheartedness of concentration, world and self begin to cohere. With that state comes an enlarging: of what may be known, what may be felt, what may be done." 
(私がここで言う「集中」というのは、ある特定の状態の意識のことです。はっきりと鋭く、1つにまとまって一点を見据えている。でも同時に透明で開かれてもいる。このような意識の状態というのは、言葉では説明しづらいものですが、すぐにそれだとわかります。オルダス・ハクスリーは、それを、「認知の扉が開く瞬間」と表し、ジェームズ・ジョイスは、「エピファニー(突然の悟り)」と呼んでいます。「集中」は、静かに起こる、でも、物理的な経験です。自分自身とすべてのものが、ただ思いがけず、深く結びつく感覚です。それは、ずっと長い間見つめてきたことに対する実り、という形でやってきて、そして、詩人のワーズワースの言葉と同じように、私たちに「涙も出ないほど奥深いところで(心が動く)」意識を残していくのかもしれません。行動している時には、それは、優美な状態として感じられます。時がゆったりと流れ、広がっていき、あらゆる動きと判断が完璧であるように思われるのです。「集中」はまた、物の中に起こることもある。フェルメールの絵画や、古代ギリシャの、竪琴を弾いている小さな大理石の人形、中国の3本あしのついた陶器、などからは、はっきりと伝わってくるし、音符や言語や思考に起こることもあります。「集中」して全身全霊をかけると、世界と自分とが一つになり始めます。そのような状態になると、理解されるはずのものも、感じられるはずのものも、なされるはずのものも、広がっていくのです。)
これは、Brainpickingで記事として取り上げられていた、詩人のJane Hirshfield(ジェーン・ハーシュフィールド)が「集中」について語った言葉です。

大人になると、自分の周りの状況に常に気を配るようになります。それができるようになるし、そうすることをまわりに期待されもする。それで、人とコミュニケーションを取ったり、物事を手際良く進めたりするのは、うまくできるようにはなるのですが、時々、あの子供のころの完璧な「集中」に思いを馳せてしまいます。世界と自分が一つになって、「現実」に自分の存在が無くなってしまうかのようなあの感じ・・・。今でもよほど好きなこととか、ものすごく体調が良い時とかには、似たような感じになることもあります。あらためて考えてみたこともありませんでしたが、実は、心の奥に潜んでいる「私」は、その状態を求めてやまず、何か全身全霊を注いでしまうものは無いか、常に探しているような気がします。依存症だとか、自分探しだとか、そういったことは、みな、子どもの頃の完璧な「集中」の充実感を求めてのことなのかもしれません。

The quoted part is from:
The Effortless Effort of Creativity: Jane Hirshfield on Storytelling, the Art of Concentration, and Difficulty as a Consecrating Force of Creative Attention
https://www.brainpickings.org/2016/07/21/jane-hirshfield-concentration/

Wordsworth, "Ode" ("Intimations of Immortality") 1807 ver. (日本語訳) in 冨樫 剛『English Poetry in Japanese』
http://blog.goo.ne.jp/gtgsh/e/eb279c4b2cf701ed4bb95109a5752fba


2016年9月28日水曜日

小さなものたちに感謝

いつもポッドキャストの配信を楽しみにしている On BeingのブログにThree Gratitudesという詩が紹介されていました。キャリー・ニューカマー(Carrie Newcomer) というアーティストの書いた詩だということです。毎日眠る前に、今日感謝したいことを3つ挙げる。そういう詩です。


Every night before I go to sleep
I say out loud
Three things that I'm grateful for,
All the significant, insignificant
Extraordinary, ordinary stuff of my life.
(毎晩眠る前に、
声に出してみる
感謝しているものを3つ
生活の中の、ありとあらゆる、重大なこと、些細なこと、
特別なこと、普通のこと) 
(中略) 
Sunlight, and blueberries,
Good dogs and wool socks,
A fine rain,
A good friend,
Fresh basil and wild phlox,
(明るい陽射し、ブルーベリー
賢い犬、ウールのソックス
小ぬか雨
仲の良い友達
新鮮なバジル、野に咲くフロックス) 
My father's good health,
My daughter's new job,
The song that always makes me cry,
Always at the same part,
No matter how many times I hear it.
Decent coffee at the airport,
And your quiet breathing,
(おとうさんの健康
娘の新しい仕事
何度聞いても、いつも同じところで
涙が出てしまう歌
空港で飲めた、まともなコーヒー
それからあなたの静かな呼吸) 
(中略) 
My library card,
And that my car keeps running
Despite all the miles.
And after three things,
More often than not,
I get on a roll and I just keep on going,
I keep naming and listing,
(私の図書館のカード、
もう長距離を走っているのに、
走り続けてくれる私の車、
そして、3つ言ってしまっても
たいていいきおいづいて、とまらなくなって
まだまだリストは続いていく) 
Until I lie grinning,
Blankets pulled up to my chin,
Awash with wonder
At the sweetness of it all.
(やっとにっこりして横になる
毛布を首までひっぱって
不思議なきもちでいっぱいになる
そのすべてがなんてやさしいんだろうと)          

この詩を読むと、何だかすごくあたたかく、嬉しい気持ちになります。詩の中に挙げられているのは、ごく当り前の日常的なものがほとんどです。でも、どれもこれも、遠く離れた異国で、全く違った職業を持って生きている私の生活の中にもあって、同じように感謝したくなるものばかりだということが、すごく不思議です。世界中のどんな人も、陽射しや雨や犬や友達というようなものに取り囲まれて、1日を過ごしている。そして、そんなありふれた小さなものたちに支えられてこそ、私たちの生活は成り立っているのだということに、あらためて感動してしまいます。

今日という日も、一杯のコーヒーや、雨上がりの雲の切れ間、耳を傾ける音楽や、誰かにかけてもらった「ありがとう」という言葉に彩られた、やさしい1日でした。そういうものに感謝したいと思います。感謝するって、うれしい気持ちにさせてくれるものに対して持つものなんですね。

The quoted part is from
Three Gratitudes BY CARRIE NEWCOMER
http://www.onbeing.org/blog/carrie-newcomer-three-gratitudes/8902


2016年8月16日火曜日

ライフ イズ クリエイティブ

クリエイティブな人生、というと、アーティストだとか作家だとか、プロとして何か作品を産み出して生計を立てている人の人生のような気がしていました。でも、ある時、そうではない、ということに気付きました。ごくありふれた日常の生活の中で、自分はクリエイティビティを大いに発揮しているのだ、と思ったのです。

例えば、家の前にある花壇の世話をする。自分の花の趣味はもちろん、日照量とか手入れにかけられる時間とか、周囲の雰囲気などで、植える花の種類を選ぶ。どのくらいの株を、どの植物の隣にと考えながら、花壇をうめていく。そうすると、植物が想定外の育ち方をしたりして、それにどう対処するかを考えて・・・。家の仕事の一つとして、庭の世話をしているだけのつもりでも、花壇は、自分の知識も教養も、趣味も好みも、面倒くさがりな性分も、全てを映し出す作品になってしまっています。

おそらくは、人生の岐路に立った時に、大きな決断を下すのも、同じことなのでしょう。自分に向いている、自分らしい、興味がある、その方が有利だ、その方がうまくやれそうだ、等々。様々な要因が重なってある一つの選択が下されます。そうやって辿る道筋が、自分の一生という物語を紡いでいくのです。

イギリスの教育思想家のケン・ロビンソン(Ken Robinson)が、TEDトークの中で、人生が開花するための3つの原則がある、と語っています。1つ目は、人間の多様性、2つ目は好奇心、そして、3つ目はクリエイティビティだということです。


... And the third principle is this: that human life is inherently creative. It's why we all have different résumés. We create our lives, and we can recreate them as we go through them. It's the common currency of being a human being. It's why human culture is so interesting and diverse and dynamic. I mean, other animals may well have imaginations and creativity, but it's not so much in evidence, is it, as ours? I mean, you may have a dog. And your dog may get depressed. You know, but it doesn't listen to Radiohead, does it?
(そして、3つ目の原則は、人の人生というのは、本来クリエイティブなものだということです。だから、私たちは1人1人、違った履歴をもつようになるのです。我々は自分の人生を創っています。そして実際に生きることで、その人生を再現していくのです。それは、人間であることの共通の通貨のようなものです。だから、人間の文化は面白く、多様性に富んでいて、生き生きとした活力に満ちているのです。・・・というか、他の動物だって想像力とかクリエイティビティを持っているのかもしれません。でも、我々人間のように証拠がないですよね?犬を飼っておられますか。あなたの犬だって、落ち込むことがあるのかもしれない。でも、落ち込んだからといってレディオヘッドを聴いたりしないから。そうですよね?)
And sit staring out the window with a bottle of Jack Daniels.
(ジャック・ダニエルのボトルを片手に、窓から外を眺めたりとか。)
"Would you like to come for a walk?" "No, I'm fine."
(「散歩に行かないの?」「いや、いいよ」)
"You go. I'll wait. But take pictures."
(「いって来て。ここで待ってるから。後で写真見せてね」とか。)
We all create our own lives through this restless process of imagining alternatives and possibilities, and one of the roles of education is to awaken and develop these powers of creativity. Instead, what we have is a culture of standardization.
(私たちは皆、他の選択肢や可能性を常に想定しながら、人生を創り出して行くのです。教育の役割の一つは、この創造の力を目覚めさせ、開発することなのです。なのに、それをせずに、私たちは(テストなどで)標準化ばかりしているのです。) 
また、人生の岐路に立って下すような大きな選択が、私たちの人生を形作るばかりではなく、もっと些細な、例えば、誰かにメッセージを伝える走り書きに、どんな文字でどんな言葉を書くのか、スーパーでレジに差し出すカゴの中に、何を選んで入れているのか、というような、そんなことも、「私」を作り、私の人生を構築する一つ一つのパーツになっていくのです。そう考えると、毎日絶え間なく繰り返す、いろいろな小さなことが、とても大切なことのように思えてきます。その様々なことにワクワクしたり、うっとりしたり、満足したりできたらいいなあ。どれもがもっと豊かになるように、歳をとっても、まだまだ学んでいけたらいいなあ、と思います。人生に自分らしいクリエイティビティを発揮するほど、楽しいことってないんじゃないでしょうか。

The quoted part is from:
TED talk  How to Escape Education's Deth Valley? by Ken Robinson
https://www.ted.com/talks/ken_robinson_how_to_escape_education_s_death_valley?language=ja

2016年7月4日月曜日

日常の行為の中に込められるもの

 現在、一億総活躍社会では、活躍しようにも保育園に空きがなくて、身動きが取れないのが現状のようですが、たとえうまい具合に保育園を頼ることができたとしても、フルタイムで働きながら、子育てをするというのは、なかなか大変なことです。
 学生の頃から、自分は仕事をして家庭をもって子どもを育てる、そういう生涯を送るのだ、とそう信じていました。だから、フルタイムで働きつづけることも、育児休暇を取ることも、1年ほどで子どもを保育園に預けて仕事に復帰することも、それ以外の選択肢を探そうと思うことはなかったし、迷ったり悩んだりすることもありませんでした。また、当然のようにそうすることができたのは、この上ない幸運だったのは間違いありません。でも、同時にそれは、つらい立場に立つことの連続で、決して気持ちの良い体験でもありませんでした。とにかく、どんなに頑張っても、職場でも家庭でも想定する満足度の6割程度の働きしかできていないのが自分でわかります。どちらでも謝りっぱなし。自分の中では120%の奮闘ぶりなのに。

 アメリカ人のジャーナリスト、クリスタ・ティペット(Krista Tippett)のポッドキャスト、On Being のインタビューで、当時の気持ちをありありと思いだす言葉が流れてきました。シルヴィア・ボーステイン(Sylvia Boorstein)は、ユダヤ系の宗教家ですが、仏教を西洋文化に紹介した功績もある人、のようです。その方の言葉です。


"Spirituality doesn’t look like sitting down and meditating. Spirituality looks like folding the towels in a sweet way and talking kindly to the people in the family even though you’ve had a long day. Or even saying to them, “Listen, I’ve had such a long day, but it would be really wonderful if I could just fold these — I’d really love folding these towels quietly if you all are ready to go to bed without me,” or whatever it is. People often say to me, “I have so many things that take up my day. I don’t have time to take up a spiritual practice.” And the thing is, being a wise parent or a spiritual parent doesn’t take extra time. It’s enfolded into the act of parenting."
(「宗教心というのは、腰を下ろして瞑想する、というようなものではなさそうです。宗教心とは、たとえその日が長い1日だったとしても、丁寧にタオルをたたんだり、家族に優しく声をかける。そういったものだと思います。『ああ、今日は長い1日だった。でも、これだけたためるとうれしいんだけど。みんながお母さんがいなくてもちゃんとベッドに行けるんだったら、静かにタオルをたためるからうれしいな。』とか、そんな風にね。皆さん、私に、「1日にしなくてはならないことがたくさんありすぎて、神様に向き合うような時間をとることができないのです」とおっしゃいます。でも本当のところ、賢明な宗教心のある親になるのに、特別な時間を取る必要はないのです。そういうものは、子育ての行為そのものに含まれているものですから。」)
今ふりかえってみても、とにかく毎日しなくてはいけないことに追われていて、時間をとって子どもに教えなくてはならなかったこと、誰かに向き合わなくてはならなかったこと、などたくさんあったはずですが、何もできなかったという思いしかありません。でも、シルヴィア・ボーステインのこの言葉を聴いて、それでもよかったのかな、とちょっと安心しました。信仰心があるわけではないし、特に何かの思いを込めて何かをやっていたわけではないけれど、それでも、いつも音楽を聴いたりしながら、笑顔でタオルをたたんでいたような気はします。だったらもうそれで、十分だったのかもしれない、とそう思えました。

The quoted part is from:
Spirituality Is Enfolded into the Act of Living — Sylvia Boorstein
BY KRISTA TIPPETT On Being http://www.onbeing.org/blog/krista-tippett-spirituality-is-enfolded-into-the-act-of-living-sylvia-boorstein/8692