2014年11月1日土曜日

「アートの言語は母語ではない」-ジャネット・ウィンターソンの言葉から-

以前どなたかが、人のツイートやYouTubeのおすすめを見ても、良いと思えなかったり、笑えなかったりすることはよくあり、人と人とは違うものだと痛感する、と言われているのを聞いたことがあります。たとえ、母語が同じ人同士であっても、趣味や興味、専門分野、仕事や生活が違えば、使う言語も違ってくる。言語が違えば、認知の受け皿になるものが変わってくるわけで、そうなると異なる人間同士、共有できないものがあっても、当然といえば当然だといえるでしょう。いや、言語の違いよりも先に、そもそも認知自体が人それぞれに異なっているから、どんな言語をもってしても、お互いを共有できない、ということなのかもしれませんが。


     
いつも、心に響く文章を紹介してくださるbrainpickings (http://www.brainpickings.org/) のツイートで、superb(素晴らしい)という言葉と共に、以下の文章が紹介されてきました。
"I had fallen in love and I had no language. I was dog-dumb. The usual response of “This painting has nothing to say to me” had become “I have nothing to say to this painting.” And I desperately wanted to speak. Long looking at paintings is equivalent to being dropped into a foreign city, where gradually, out of desire and despair, a few key words, then a little syntax make a clearing in the silence. Art, all art, not just painting, is a foreign city, and we deceive ourselves when we think it familiar. No-one is surprised to find that a foreign city follows its own customs and speaks its own language. Only a boor would ignore both and blame his defaulting on the place. Every day this happens to the artist and the art."
(私は恋に落ちてしまった。でも、何も言葉が出てこないのだ。バカみたいに呆然とするほかなかった。「この絵は何も語りかけてこない」と思うとたいてい、「この絵について、何も語ることはない」という言葉が後に続くものだが、そんなことはない。私はどうしても何か語りたかったのだ。ずっと絵に見入るというのは、異国の街に立つのと同じことだ。どうしても話したくて、やけくそで、キーワードを1つ2つ、さらに単語を並べてみて、少しずつ沈黙を破る。アート、ただ絵画だけでなく、全てのアートは、異国の街だ。どこも似たようなものだと思うと、裏切られる。外国では皆、その街のしきたりに従って、その国の言語を話す。そのことに誰も驚いたりはしない。言語にも慣習にも注意を払わず、自分が相手にされていないと咎めるのは、単なるマナー違反だ。毎日、アートとアーティストには、こういったことが起きているのだ。) 
"We have to recognize that the language of art, all art, is not our mother-tongue."
(アート、あらゆるアートの言語は、自分の母語ではない。このことに気づかなくてはならないのだ。)
この文章は、Jeanette Winterson というイギリスの作家が書かれたということですが、「異国の街」というメタファーが美しく、気が利いていて、本当に superb です。芸術作品というのは、ある人の認知がそのまま色や形で表現されるわけで、共有するものが見つからない、見つかったとしても、それを言い表す言葉がみつからない、というような事態は、起こってもけして不思議ではない。アートを前に、心を動かされたり、衝撃を受けたりするものの、それをどうすることもできず、途方にくれてしまうような、あの気持ち。「あらゆるアートの言語は自分の母語ではない」と考えると、妙に納得です。

引用:The quoted part is from;
http://www.brainpickings.org/2014/10/27/jeanette-winterson-art-objects/?utm_content=bufferba634&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年10月16日木曜日

自分自身にとことん向き合う ~スティングの言葉から~

ここで声を拾っているような、作家や画家やミュージシャン、いわゆるアーティストと呼ばれる人々は、常に、新しい作品を生み出して世に問うて、それで生計を立てておられるわけですが、そのような人生はいかに厳しいものであろうかと、いつも思います。私の好きなStingも70年代に音楽活動を始めてから、既に40年にも及ぶキャリアを持っていることになりますが、そんなにも長い間、第一線で活躍し続けるというのは、どれだけ大変なことでしょうか。2014年3月のTED Talkで、長いスランプに陥って曲が書けなくなり、その後見事にミュージカルThe Last Shipで、曲作りを復活させた時の経験を語っていました。そして、先日、その3月のTEDTalkに基づいたインタビューが、NPRのTEDRadioHourで放送されたという、Stingのツイッターが流れてきました。



RAZ:
When you think of the word creativity, like, how would you define it?
(クリエイティブな力、ということを考えた時に、たとえば、その言葉をどう定義しますか?)
STING:
(Laughter) How would I define creativity? For me, it's the ability to take a risk. To actually put yourself on the line and risk ridicule, being pilloried, criticized, whatever. But you have an idea that you think you want to put out there. And you must take that risk.
(笑い:クリエイティブな力をどう定義するか、だって?僕に言わせると、それは、リスクを取る能力ということだね。バカにされたり、晒し者になったり、批判を受けたり、そんな感じで、実際に自分自身を危険にさらすことになる。でも、世に送り出したいと思うアイディアがある。で、リスクを取らなければならないってことになる。)
RAZ:
Do you feel pressure to be creative all the time?
(常に、クリエイティブでいなければならないことに、プレッシャーを感じますか?)
STING:
I think you're always under, you know, a little bit of pressure, you know. You're... From vanity maybe, you know? You want to be, you know, still relevant after all of these years and then you look at your peers and they're doing well. And you compare yourself with them so there is a bit of that. But, you know, I try and go into a deeper place inside me that is much calmer and it's irrelevant whether I'm successful or celebrated or not. Where my true happiness lies It's got nothing whatever to do with any of that. It's basically just comfort in being who I am. And it's deeper. It's at a deeper level.
(いつでも、少しプレッシャーを感じているものだと思うよ。たぶん、ちょっと見栄をはるんだろうね。長年やってきてるし、まだ、存在意義を感じていたいんだよ。仲間たちはというと、みんなちゃんとやっているし。で、自分と彼らを比べたりしてね。すると、やはり、プレッシャーはあるものだよ。でも、僕は、自分の中にあるもっと深い場所に行ってみるんだ。ずっと穏やかで、自分が成功しているかどうか、とか、有名かどうかなんて関係ないところ。そこには、自分の思う本当の幸せがあって、成功や名誉なんかとは関係が無い。ただ、もう、僕が僕らしくいられて、安心できる。もっと深くて、意味のあるレベルでね。)

Stingは、やがて、10年にも渡り、何も曲が浮かんでこないという、Writer's Block 、いわゆるスランプに陥ったそうです。

RAZ:
 I mean, so what did you do? I mean, how did you break out of it?
(それで、どうなさったんですか?つまり、そこからどうやって抜け出したのですか)
STING:
 I thought well, you know, maybe my best work wasn't about me (laughter). Maybe my best work was when I started to brighten the voices of other people or put myself in someone else's shoes or saw the world through their eyes. And that kind of empathy is eventually what broke this - writer's block we'll call it. Just by sort of stopping thinking about me, my ego, and who I am, and actually saying let's give my voice to someone else.
(考えてみると、そう、最高の作品というのは、自分のことを描いたものではなかったんじゃないか、と。(笑)おそらく、最高の作品とは、自分以外の人々の声に光を当て始めた時、あるいは、他の人の立場から、その人の視点で世界を見た時に生まれるんじゃないか、ってね。そういう他者への共感が結局、この、いわゆる「スランプ」を抜け出すきっかけになった。自分のこと、自我というか、自分らしさというか、そういうものを考えるのを止めて、他の誰かに声を貸そうとすることで、ね。)

ここで引用しているのは、インタビューの中のほんの一部ではありますが、このStingの言葉から、創作活動というのは、とことん自分と向き合う、つらい作業だということがわかります。クリエイティブであること、というのは、自分自身を危険にさらすこと、であり、クリエイティブでいなくてはならない、というプレッシャーを乗り越えるには、そんな危険の届かないずっとずっと深いところに立つことだと語っています。

社会の中で生きていると、どうしても、トレンドだとか、他人の評価だとか、損得だとか、そういったものに惑わされがちで、「自分が本当に好きなこと」とか「自分が自分らしくあること」が、本当は何だったのかわからなくなってくるような、そんな気がします。でも、カッコよく見せようとか、バカにしやがって、とか、そんなことに気を取られずに、外野の声が届かない奥深くの場所で、自分らしさとか、自分にとっての幸せに没頭する・・・。これは、クリエイターではない、私たちにも大切なことではないでしょうか。

そして、さらに、Stingがスランプから脱出できたのは、他者の視点に立って世界を見た時だったというのは興味深い。自分自身ととことん向き合った最後には、とうとう、自分自身を超えて、他者へと辿り着くのだ、という事実は感動的ですらあります。さすが、Sting!

引用:The quoted part is from "How Do You Get Over Writer's Block?" by NPR/TED STAFF
October 03, 2014 8:37 AM ET   http://www.npr.org/2014/10/03/351545257/how-do-you-get-over-writer-s-block

2014年10月1日水曜日

一瞬の歌声に込められた意味 ~ジェフ・バックリーの言葉から~

半年くらい前のことだったでしょうか。毎日、更新を楽しみにしている、洋楽の歌詞を和訳するサイト、『およげ!対訳くん』で、ジェフ・バックリーの歌うHallelujah(ハレルヤ)を初めて聴きました。

   http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2014/03/hallelujah-leonard-cohen-jeff-buckley.html

この曲は、オリジナルはレナード・コーエンによるもので、ジェフ・バックリーはカヴァーをしているということなのですが、丁寧に演奏されるギターの音に導かれた、彼の歌声にひきこまれました。そして、「歌唱力」とはなんだろうということに思いを馳せてしまいました。声が美しい、声量がある、音程が安定している・・・。歌がうまいと感じるときに、いろいろな要素があると思うし、歌がうまいミュージシャンといえば、亡くなった方まで数え上げれば、枚挙にいとまがないものですが、それでも、このジェフ・バックリーのハレルヤは特別です。この圧倒的なヴォーカルの力はどこから生まれてくるのか。なぜ、こうも美しく、しんと胸に響いてくるのか。

先日、Brain Pickingsに、ジェフ・バックリーのインタビューが取り上げられて、この疑問の答えがわかったような気がしました。




"[What I want to communicate] doesn’t have a language with which I can communicate it. The things that I want to communicate are simply self-evident, emotional things. And the gifts of those things are that they bring both intellectual and emotional gifts — understanding. But I don’t really have a major message that I want to bring to the world through my music. The music can tell people everything they need to know about being human beings. It’s not my information, it’s not mine. I didn’t make it. I just discovered it."
(僕が伝えたいことには言葉なんて無い。だから、言葉で伝えることはできない。僕が伝えたいのは、シンプルに、伝えようとしなくても伝わる感情みたいなもの、そういうものだ。そういうものは、ありがたいことに、知性と感情の両方に届いてくれて、「共感」を与えてくれる。でも、僕は、音楽を通じて、世界に何かものすごいメッセージを伝えたい、なんて思ったりはしていない。僕たちに、人として生きていくのに、知らないといけないことを教えてくれるのは、音楽の方なんだ。「僕が伝えたいこと」じゃない。僕からではない。僕が作り出したわけではなくて、僕はただ、探し出しただけなんだ。) 
"It’s just that, when you get to the real meat of life, is that life has its own rhythm and you cannot impose your own structure upon it — you have to listen to what it tells you, and you have to listen to what your path tells you. It’s not earth that you move with a tractor — life is not like that. Life is more like earth that you learn about and plant seeds in… It’s something you have to have a relationship with in order to experience — you can’t mold it — you can’t control it…"
(人生の本質っていうのは、つまり、ただ、こういうことだ。人生は特有のリズムを持っている。そして、誰も自分のやり方を、押し付けるわけにはいかないんだ。人生がこちらに伝えてくるものに耳を澄まさなくてはいけない。自分の進む道がこちらに伝えてくることに、じっと耳を傾けるんだ。トラクターを使って、切り開いて行く大地。人生はそんなものじゃない。そうではなくて、しっかりと確かめながら、種をまいていく。どちらかというとそんな大地だ。関わりを深めながら、経験をつみ重ねていくべきもので、勝手にねつ造したり、コントロールしたりなんかできないんだ。)

ジェフ・バックリーの言葉に、音楽にすべてをかけて、真剣に向き合った彼の姿がうかがえます。このハレルヤという曲も、詩の内容は、わりに抽象的で、様々な解釈が可能になりそうですが、聞き流したりせずに、心を落ち着けてじっと歌声に耳を澄ましていると、人を愛するということに付随する歓びや哀しみ、諦念が、どうしようもなく歌声ににじんでいるようで、受け入れているのか、抗っているのかわからなくなるような、なんともいえない気持ちになって、心を動かされます。1990年代に、将来を嘱望されていたのに、水泳中に30歳の若さで溺死してしまった(ウィキペディア)ということですが、短い人生の歌声の一瞬一瞬に、音楽に対する、洞察、理解、信頼、畏れなどがこもっていて、それが彼の歌に、他のミュージシャンにはない、圧倒的な深みと陰影を与えることになったのではないか。そんな気がします。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月17日水曜日

大切なものは行動することによってのみ手に入れることができる~レイ・ブラッドベリの言葉から~

Ray Bradbury(レイ・ブラッドベリ)は主に、SF小説を書いたアメリカの作家です。残念ながら、2012年6月5日にすでにお亡くなりになっていますが、作品がいくつか映画化もされた人気作家でした。私自身は、SFはほとんど読まないので、作品を読んだことはありません。しかし、Brain Pickingsのツイッターで、この彼の書いた一節を目にしました。


この短い文章を読んで、子どもが生まれて赤ん坊の世話に追われていた時に、おばあさんに言われた言葉を思い出しました。「子どもが可愛いというのは、子どもの世話に苦労するから可愛いのだ」と、そのようなことでした。言われてみればその通りで、もしも、子どもを育てるのが何の我慢も時間も労力も必要のない類のことであれば、子どもに対する思いももう少しあっさりしたものになりそうです。実際に自分の手で胸で、子どもを丸ごと抱えるから、目を離すことなく、心を砕くから、膨大な時間をそこに費やすから、自分が子どもの一部になり、子どもが自分の一部になる。そういうことだと思いました。

"The farmer who farms creatively and happily is a man that knows every stalk of wheat or corn that comes up on his land because he has tilled these fields, because he has planted the seed, because he has picked the fruit, because he has painted the barn… So we belong only by doing, and we own only by doing, and we love only by doing and knowing. And if you want an interpretation of life and love, that would be the closest thing I can come to." (新しいものを生み出して、喜々として農業に従事する農家というのは、すなわち、自分の農地に生えている、あらゆる麦の、あるいはトウモロコシの茎一本一本がわかっている人のことだ。なぜなら、自分自身がその土地を耕しているから。自分で種をまき、果実を収穫しているから。納屋にペンキを塗っているから。・・・そう、何か行動しないでは、自分の居場所は見つからない。実際に手を動かすことではじめて自分のものとなる。行動し、理解することでのみ、愛情は生まれるのだ。人生とは、愛とは何か、その答えが知りたいということなら、私がたどりついた答えは、おそらくそういうことになるだろう。)

子どもを育てることなどはその最たるものに違いないと思いますが、その他のことも全てそうなのではないでしょうか。ただ傍観していることでなく、自分が思い入れを持って取り組んでいること。困難にあっても投げ出さず、自らの手で動かしていること。苦労はあってもそれを楽しんでいること。私にもそういうものが、いくつもあります。自分の生活の中のそういったもの。それが、自分にとっての愛情であり、人生そのものなのだ。ブラッドベリの言葉に、そう気づかされました。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月3日水曜日

エド・シーランのセカンド・アルバム「X](マルティプライ)に思うこと

かの小林克也氏が、彼の番組の中で、「2枚目のジンクス」と言われるのを、しばしば耳にします。デビューアルバムで大ヒットを果たすものの、そこで力尽きてしまってセカンドアルバムがもうひとつふるわない。そのようなケースはよくあるらしい。しかし、幸いなことにエド・シーランにはそんなジンクスは、何の意味も持たなかったようです。

2011年のデビュー・アルバム「+」(プラス)は、申し分のないアルバムでしたが、2014年6月25日に発売された、エド・シーランの2枚目のアルバム「×」(マルティプライ)は、それを上回る素晴らしい出来栄えになっています。のびがあって透明で、なおかつ表現力のある歌声は相変わらず聴きごたえがあるし、日常の中の、誰も気づかないような小さな事柄を切り取って、心を伝える繊細な詩も感動的。ギターも打ち鳴らせばラップもしてみせる万能ぶり。ファレル・ウィリアムズを迎えたり、新境地を開拓することにも余念がない。17に及ぶ楽曲が収録されているのに、「これは、まあまあ」というようなものはなく、どの曲も充実しています。



エド・シーランのツイートは、彼の飾らない「男の子」っぷりが魅力で、ついフォロワーになってしまいました。食べ物のツイートがあったりします。メロン、とか、すいか、とか、チキン、とか。ただそれだけの短い言葉に、すごくうれしそうな様子がにじみ出ていて、ツイートというのも不思議なものだ、と思います。そして、そういうツイートをずっと追っていると、ここ2年くらい彼がいかに頑張ったかが、わかるような気がします。テイラー・スウィフトのREDツアーにずっと同行していた時期もあったし、なんだか激太りしていた時期や、朝から晩までプロモーションに奔走していることもありました。ここ2年間のエドの格闘が、この2枚目のアルバムに結実したのだ、と、そう思います。

ギター1本で歌う音楽小僧の魂はそのままに、「ものすごく売れてやる」という健全な野心も持ち合わせているようで、臆することなく、ポップな要素を取り入れたり、自分の中の暗い部分を暴露するような曲も作ったりしている。そんな風でいても、彼の核となる部分はいささかも損なわれることは無いようで、相変わらず、肩の力の抜けた人の好さそうな表情を見せている。そんなエドを見ていると、この人はもっと成長する。まだまだ、何かを取り込む土壌を持っている、と思わされます。

“I did everything last year,” he said exhaustedly. “Everything. Everything wrong and everything right. It was a very important year.” At one point, he moved to Los Angeles for a relationship, only to be dumped the day he arrived: “I literally landed from Canada, it ended, then I went to the house and unpacked my stuff.”
(「昨年はとにかく全部やったよ。全部、だよ。間違っていることも全部だし、正しいことも全部。ものすごく大事な1年だった」エドは疲れ切った様子でそう言った。ある時は、恋人のためにロサンゼルスに移動したのに、着いたその日に捨てられた。「大げさに言ってるわけじゃなくて、本当に、カナダから到着して、関係が終わって、家に帰って荷物をほどいた、そんな感じだった。」) 
He continued: “I was in a situation where something was presented to me that I never thought would ever be possible. I felt like I had to do it, I should not let this go, and I know now that things on the surface aren’t always what they are.”      (そして、こう続けた。「そんなことあり得ないだろう、っていうようなことが、目の前に差し出されてる、そんな状況だったんだ。ただもう、やっておかなくちゃ、このままにしておくものか、そう思えたよ。で、今わかるのは、表面に見えているものだけでは、本当のことはわからない、ってことだ。」)
「良いことも悪いことも、目の前に差し出されたものを全て」やり、その経験を活かしきる。エドのように、私の人生にも様々なことが差し出されてきたし、今もこれからもそれは続くはずだと思う。正しいのかも、間違っているのかも、差し出された時点では、その意味はわからない。意味がわからないから、少し怖くもある。でも、振り返ってみると、本当に大切なことには、不思議と何か勇気のようなものがわいてきて、よくわからないままに「えいや」で飛び込んでしまっているような気がします。そして、それが、その後の流れに決定的に結びついているように思います。それは「頑張り」を強いられる困難の始まりであると同時に、飛躍へのチャンスになるということなのでしょうか。エドのセカンド・アルバムから、そんなことを思いました。

引用: The quoted part is from;
Jon Caramanica. "Ed Sheeran, lighter and Wiser, releases 'X'."The New York Times. 2014.
http://www.nytimes.com/2014/06/22/arts/music/ed-sheeran-lighter-and-wiser-releases-x.html?smid=tw-nytimes&_r=0

2014年8月19日火曜日

音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~

前回の投稿で、マヤ・アンジェロウのインタビューから、文章と音楽との関係について取り上げました。ちょうど、その後、ツイッターでフォローしている、Open Culture https://twitter.com/openculture からのリツイートで、New York Times紙の記事を知りました。大好きな村上春樹によるエッセイで、ここにも、音楽と文体について書かれてあります。



村上春樹は、幼いころから大変な読書家だったのですが、29歳になるまでは小説を書こうとは少しも思っておらず、大学卒業後は、千駄ヶ谷でPeter Catという小さなジャズクラブを始めました。そして、好きなジャズを朝から晩まで聴いて過ごしていました。そんな毎日を過ごしていたある日、突然、小説を書こう、小説が書ける、という考えが頭に浮かんだのだそうです。それは、こんな風に始まりました。

"...Inside my head, though, I did often feel as though something like my own music was swirling around in a rich, strong surge. I wondered if it might be possible for me to transfer that music into writing. That was how my style got started."        (・・・僕は頭の中で、自分自身の音楽のようなものが、勢いよくあふれるように、ぐるぐる回っているのを感じるようになっていた。この音楽を文章に変えることができるんじゃないか。そんな風にして僕の文体は生まれた。) 

"Whether in music or in fiction, the most basic thing is rhythm. Your style needs to have good, natural, steady rhythm, or people won’t keep reading your work. I learned the importance of rhythm from music — and mainly from jazz. Next comes melody — which, in literature, means the appropriate arrangement of the words to match the rhythm. If the way the words fit the rhythm is smooth and beautiful, you can’t ask for anything more. Next is harmony — the internal mental sounds that support the words. Then comes the part I like best: free improvisation. Through some special channel, the story comes welling out freely from inside. All I have to do is get into the flow. Finally comes what may be the most important thing: that high you experience upon completing a work — upon ending your “performance” and feeling you have succeeded in reaching a place that is new and meaningful. And if all goes well, you get to share that sense of elevation with your readers (your audience). That is a marvelous culmination that can be achieved in no other way."                   (音楽でも小説でも、一番のベースになるのはリズムだ。自分の文体が、気持ちのよい、自然でしっかりしたリズムを持っていなくてはならない。そうでないと、人は作品を読み続けてはくれないだろう。僕はリズムの大切さを音楽から、しかもジャズから学び取った。次にくるのがメロディだ。文学でいうと、リズムに合う言葉の配列ということになるだろうか。言葉がリズムにぴたりと合って、なめらかで美しければ申し分ない。そのあとにハーモニーが来る。それは、心の中に響く、言葉を支える音だ。それから、僕が一番好きなところ、即興演奏。何らかの特別な経路を通じて、物語が内側から縦横無尽に湧き出てくる。僕はその流れに身を任せていればいい。そして、最後に、でもこれがおそらく最も重要だと思われること。作品を完成させる上で、高みを経験することだ。「演奏」を終えるにあたって、これまでにない、意味のあることを成し遂げたのだという感覚があること。このすべてがうまくいけば、自分の読者とある種の昂揚感のようなものを共有することができる。この感覚は、独特のすばらしいもので、他の何をもってしても味わうことはできないものなのだ。) 

学生時代から20年以上に渡って、村上春樹の書くものを読んで来ました。長編も中編も短編も、エッセイもノンフィクションも翻訳も。新刊が出るのを心待ちにして、出ないときは前のを読み返して。なぜそうなってしまうのか。様々な理由が、もちろん考えられるのですが、やはり、一番大きく大切な理由は、彼がここに書いていること、そのままだと思います。毎日の余白で、音楽を楽しむのとまるで同じ感覚で、彼の書くものを楽しんでいるから。彼の本を手に取り、その文体に耳をすませる。そこに、彼の奏でる言葉からのリズムとメロディとハーモニーがあり、それを楽しむのに何にも代えがたい喜びがあるから。そして、特に長編小説には、「これまでにない、意味のあることを成し遂げた」という感覚をまさに彼と共有したという実感があります。確かに、これは「すばらしく、他の何をもってしても味わうことはできない」と思う。理屈よりも先に、音楽的な感覚で捉えるせいか、村上春樹の文章には、大変な中毒性があるような気がします。

引用 The quoted part is from:
Murakami, Haruki. "Jazz Messenger." The New York Times. 2007.

2014年6月29日日曜日

音楽と文体(1)~Maya Angelow の言葉から~

読書を娯楽として考えたときに、私たちが楽しんでいるのは、意味以上に「音」なのではないか?文体の奏でるリズムやテンポ、時には疾走感なんかを、音楽を聴くように味わうことこそが、文章を読むことの醍醐味なのではないか、とそう思っています。

Maya Angelou という方をご存知でしょうか?残念ながら今年の5月28日に鬼籍に入られたようなのですが、恥ずかしながら、実はそれまで、この方のことは知りませんでした。5月28日のツイッターに、彼女を悼む言葉がひっきりなしにツイートされ、それで初めて知るようになりました。ウィキペディアによると、「アメリカ合衆国の活動家、詩人、歌手、女優」であり、「マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと共に公民権運動に参加。1993年、ビル・クリントンのアメリカ合衆国大統領就任式にて自作の詩を朗読」などされたようです。ツイッターの様子から、この女性がアメリカの方々に敬愛されていたであろうことが、大変感じられました。

                  

この時に紹介されていた、The Paris Review 1990年秋号のインタビューの中で、Maya Angelouが文章の「音」について言及しています。ちょっと、「我が意を得たり」とうれしくなってしまったので、ここで取り上げることにしました。


INTERVIEWER
"You once told me that you write lying on a made-up bed with a bottle of sherry, a dictionary, Roget’s Thesaurus, yellow pads, an ashtray, and a Bible. What’s the function of the Bible?"
(前に一度、きちんと整えられたベッドに、シェリー酒のボトル、辞書、ロジェのシソーラス、黄色のノートパッド、灰皿、それから聖書をもって、寝転んでお書きになるとおっしゃっていましたね。聖書は何に使われるのでしょう?)

MAYA ANGELOU
"The language of all the interpretations, the translations, of the Judaic Bible and the Christian Bible, is musical, just wonderful. I read the Bible to myself; I’ll take any translation, any edition, and read it aloud, just to hear the language, hear the rhythm, and remind myself how beautiful English is. Though I do manage to mumble around in about seven or eight languages, English remains the most beautiful of languages. It will do anything."
(ユダヤ教の聖典やキリスト教の聖書の、あらゆるすべての通訳というか翻訳の言語は、音楽的で、ただただ素晴らしい。自分に聖書を読んでやるんです。どの翻訳でも、何版でもいいから手に取って、声に出して読んでみる。その言語を聞いて、リズムに耳を傾けて、そして、改めて思うの。英語はなんて美しいんだろうって。私はやろうと思えば、大体7か国語か8か国語でなんとか読み上げたりできるのですが、やはり英語が一番美しいと思います。英語でなんでもできます。)
INTERVIEWER
"Do you transfer that melody to your own prose? Do you think your prose has that particular ring that one associates with the King James version?"
(そのメロディーをあなたの詩に生かすのですか?あなたの詩に、欽定訳聖書の影響が感じられるような特別な印象があると思われますか?)

ANGELOU
"I want to hear how English sounds; how Edna St. Vincent Millay heard English. I want to hear it, so I read it aloud. It is not so that I can then imitate it. It is to remind me what a glorious language it is. Then, I try to be particular and even original. It’s a little like reading Gerard Manley Hopkins or Paul Laurence Dunbar or James Weldon Johnson. "
(英語がどんな音を奏でているか聞きたいんです。エドナ・ミレーの耳にはどんな風に英語は聞こえていたんだろうって。実際に自分の耳で聴きたくて、声に出して読んでみるのよ。それを真似ようというようなことではないの。ただ、この言葉がどんなに輝いている言葉だったかを確認したいだけ。そうすると、自分が特別になれるような気がするし、他の人には無い、私にしか無いものになれそうな気がします。ジェラード・マンリー・ホプキンズとか、ボール・ローレンス・ダンバーとか、ジェイムズ・ウェルダン・ジョンソンの詩を読むのにちょっと似ているかな。)

引用:The quoted part is from:
Angelou, Maya. "The Art of Fiction No. 119." the Paris Review 1990. 

http://www.theparisreview.org/interviews/2279/the-art-of-fiction-no-119-maya-angelou