2016年7月4日月曜日

日常の行為の中に込められるもの

 現在、一億総活躍社会では、活躍しようにも保育園に空きがなくて、身動きが取れないのが現状のようですが、たとえうまい具合に保育園を頼ることができたとしても、フルタイムで働きながら、子育てをするというのは、なかなか大変なことです。
 学生の頃から、自分は仕事をして家庭をもって子どもを育てる、そういう生涯を送るのだ、とそう信じていました。だから、フルタイムで働きつづけることも、育児休暇を取ることも、1年ほどで子どもを保育園に預けて仕事に復帰することも、それ以外の選択肢を探そうと思うことはなかったし、迷ったり悩んだりすることもありませんでした。また、当然のようにそうすることができたのは、この上ない幸運だったのは間違いありません。でも、同時にそれは、つらい立場に立つことの連続で、決して気持ちの良い体験でもありませんでした。とにかく、どんなに頑張っても、職場でも家庭でも想定する満足度の6割程度の働きしかできていないのが自分でわかります。どちらでも謝りっぱなし。自分の中では120%の奮闘ぶりなのに。

 アメリカ人のジャーナリスト、クリスタ・ティペット(Krista Tippett)のポッドキャスト、On Being のインタビューで、当時の気持ちをありありと思いだす言葉が流れてきました。シルヴィア・ボーステイン(Sylvia Boorstein)は、ユダヤ系の宗教家ですが、仏教を西洋文化に紹介した功績もある人、のようです。その方の言葉です。


"Spirituality doesn’t look like sitting down and meditating. Spirituality looks like folding the towels in a sweet way and talking kindly to the people in the family even though you’ve had a long day. Or even saying to them, “Listen, I’ve had such a long day, but it would be really wonderful if I could just fold these — I’d really love folding these towels quietly if you all are ready to go to bed without me,” or whatever it is. People often say to me, “I have so many things that take up my day. I don’t have time to take up a spiritual practice.” And the thing is, being a wise parent or a spiritual parent doesn’t take extra time. It’s enfolded into the act of parenting."
(「宗教心というのは、腰を下ろして瞑想する、というようなものではなさそうです。宗教心とは、たとえその日が長い1日だったとしても、丁寧にタオルをたたんだり、家族に優しく声をかける。そういったものだと思います。『ああ、今日は長い1日だった。でも、これだけたためるとうれしいんだけど。みんながお母さんがいなくてもちゃんとベッドに行けるんだったら、静かにタオルをたためるからうれしいな。』とか、そんな風にね。皆さん、私に、「1日にしなくてはならないことがたくさんありすぎて、神様に向き合うような時間をとることができないのです」とおっしゃいます。でも本当のところ、賢明な宗教心のある親になるのに、特別な時間を取る必要はないのです。そういうものは、子育ての行為そのものに含まれているものですから。」)
今ふりかえってみても、とにかく毎日しなくてはいけないことに追われていて、時間をとって子どもに教えなくてはならなかったこと、誰かに向き合わなくてはならなかったこと、などたくさんあったはずですが、何もできなかったという思いしかありません。でも、シルヴィア・ボーステインのこの言葉を聴いて、それでもよかったのかな、とちょっと安心しました。信仰心があるわけではないし、特に何かの思いを込めて何かをやっていたわけではないけれど、それでも、いつも音楽を聴いたりしながら、笑顔でタオルをたたんでいたような気はします。だったらもうそれで、十分だったのかもしれない、とそう思えました。

The quoted part is from:
Spirituality Is Enfolded into the Act of Living — Sylvia Boorstein
BY KRISTA TIPPETT On Being http://www.onbeing.org/blog/krista-tippett-spirituality-is-enfolded-into-the-act-of-living-sylvia-boorstein/8692

2016年5月23日月曜日

インスピレーションとアイディア クリス・アンダーソンのTEDトークから

 昔、昔、まだ、TVや電話が普及してしばらくたった頃、ドラえもんだかオバケのQ太郎だか、そういったマンガの中で、「未来には、テレビはテレビ電話になって、相手の顔を見ながら話ができるようになる」などと語られていたような、微かな記憶があります。そんなすごいことが本当にできるようになるのかな、と半信半疑でしたが、蓋を開けてみると、電話はTV電話に進化するどころか、一人一台の小型コンピュータの形に発展を遂げていました。それは、1本の線上をまっすぐに進んでいくような進化ではなく、複雑につながり合った道筋が、幾重にも重なりながら、世界を塗り替えてしまうような形の進化になっているような気がします。

 Brainpicking の記事で、TEDトークのキュレーター、Chris Anderson(クリス・アンダーソン)が、inspiration(インスピレーション)とidea(アイディア)について語っている内容が取り上げられていました。


"Inspiration can’t be performed. It’s an audience response to authenticity, courage, selfless work, and genuine wisdom."
(「インスピレーションというのは、意図して起こすことができるものではない。それは、「本物」や、勇気や無私無欲な仕事、或は真の知恵、といったものに対する受け手の反応です。」) 
"We’re wired to respond to each other’s vulnerability, honesty, and passion — provided we just get a chance to see it. Today, we have that chance… We are physically connected to each other like never before. Which means that our ability to share our best ideas with each other matters more than it ever has. The single greatest lesson I have learned from listening to TED Talks is this: The future is not yet written. We are all, collectively, in the process of writing it."
(「私たちは、お互いの弱さ、誠実さ、情熱、といったものに反応するようにできているのです。そういったものに出会う機会がある、というのが条件ですが。今日、私たちにはそういう機会があるのです。これまでには無い形で、物理的にお互いにつながっている。つまり、最高のアイディアをみんなで分かち合うことのできる力が、かつてよりも大切になっている、ということなのです。TEDトークを聞くことで、私が得た最も大きな、しかも唯一の学びはこういうことです。『未来はまだ、書き出されていない。私たちがみんなで、集まってそれを書いている最中なのだ』」) 
例えば、自分のことは度外視して、全身全霊を傾けて、夢中で 物事に取り組んでいる人の姿を目にした時、私たちは心を動かされます。或は、器用な人ならすぐに真似できてしまう程度のありきたりなやり方でなく、情報を集めてしっかりと学んだ上で、試行錯誤を重ねて本質を捉えている。そういった仕事に出会うと、この人は本物だ、と全幅の信頼を寄せてしまいます。そういう人やそういう仕事は、決して頻繁にではないけれど、確かに身近に、時々見かけることがあるものです。お料理上手、掃除魔、学校の先生、小児科の医師、パン屋さん、シェフ、 自動車の整備士さん・・・。以前なら、身内、ご近所、ごく親しい間で評判になるくらいのものだったのでしょうが、今は違う。その情報がインターネット上に発信さえされていれば、多くの人に感動を与え、注目を集めるチャンスにいつだって開かれている。名前や顔も出ないまま、しまいには著書まで出来てしまう例を、これまでにいくつも見てきました。
"What is an idea, anyway? You can think of it as a packet of information that helps you understand and navigate the world.
(「では、アイディアとは何なのでしょう?それは、わたしたちが世界を把握したり、進んで行ったりするのに役に立つ、ひとかたまりの情報、だと考えるとよいでしょう。 
[…] 
Your mind is teeming with ideas, and not just randomly — they’re carefully linked together. Collectively, they form an amazingly complex structure that is your personal worldview. It’s your brain’s operating system, it’s how you navigate the world, and it’s built out of millions of individual ideas."
あなたの頭の中は、アイディアにあふれています。しかも、ただでたらめに、ではありません。アイディアは注意深くお互いにつながりあっています。そして全て統合して、驚くほど複雑な構造を形作り、それがあなた個人の世界観でもあるのです。それは、あなたの脳のOSであり、ナビであり、そして、それは、何百万もの自分のアイディアから作られているのです。」)
ビッグネームがその名前の大きさで情報を発信する、というパターンはもちろん大いにありますが、それに加えて、名前の大きさの如何を問わず、アイディアそのものがものをいう時代を迎えているのだと思います。これまでは、マス・メディアがオピニオン・リーダーとしての役割を果たしながら、社会は動いてきたのだと思いますが、今、新聞、TV、雑誌、(付随する広告)、書籍、そういったものの役割や意味や形態が、急速に変わりつつあるのを感じます。少し前は無名の個人の発する情報は、かなり怪しかったり、手に取る価値の無いものも多かったものですが、それも、変わってきていていると思う。情報の発信者が情報の受け手に限りなく近いこと、細分化された物事のある1つのことだけに特化して長期に渡って取り組む、といったことが可能なこと、そのマニアックな内容を好む同志を世界中から探し出して共に語り合うことができること。アイディア本位で進んでいくことで、かつては不可能だった深まりと広がりが生まれていることを感じます。私たちは、こういったことを自然の成り行きとして一つ一つ普通に受け止めていますが、実際には私たちの価値観も、今、徐々に、でも、大きく塗り替えられつつあって、その結果、いずれそう遠くない将来、社会の枠組みみたいなものが根本から変わってしまっている、という事態になっているような気がします。 


The quoted part is from:
The Magic and Logic of Powerful Public Speaking: TED Curator Chris Anderson’s Field Guide to Giving a Great Talk
https://www.brainpickings.org/2016/05/05/ted-talks-book-chris-anderson/

2016年4月18日月曜日

外国語の海を渡る―ジュンパ・ラヒリのインタビュ-から―


ジュンパ・ラヒリが、ニューヨーク公共図書館 NYPLのポッドキャストのインタビューで、外国語について語っているのを耳にしました。Jumpa Lahiri(ジュンパ・ラヒリ)はロンドン生まれ、アメリカ育ち、インド系アメリカ人の作家です。第一作目の短編集"Interpreter of Maladies "(『病気の通訳』、日本語版の本のタイトル『停電の夜に』は、別の短編、A Temporary Matter"から取られたもの)は、日本では新潮クレストブックからだけでなく、新潮文庫からも出版されており、この作品で、ピューリッツァー・フィクション賞を受賞しています。

彼女は40代になって、自分の(特に言語的な)アイデンティティについて疑問をもつようになり、イタリア語を学び、それだけでなく、イタリアに渡ってローマで生活することにしたそうで、このインタビューで、イタリア語を習得することについて述べています。
"In a sense, language is the most intimate relationship of ours lives, at least, I think, for me. That is not to say I don't love deeply people and have profound relationships with them. But I think language is so much more powerful than we are, so to have a relationship with language is a very profound thing. To seek another language is so powerful and so humbling."
(ある意味、言語は、私たちの人生で最も親密な「関わり」だと思います。少なくとも私にとっては。人を深く愛していないとか、彼らと心からの関わりを持っていないとか、言っているわけではありません。でも、私は思うのですが、言語というのは、我々人間よりももっとずっと力強いものなので、言語と関わりを持つのは、ものすごく深いことなのです。二つ目の言語を追うのは、とても影響力が強く、自分に足りないものに気づかされる経験です。)


ローマでのある日、友人の家族と小型船での船旅を楽しむことになった時に、随行してもらった船長さんに、こう言われたのだそうです。
“Well, there’s one thing you have to know which is we don’t belong here, we are human beings and we don’t belong on the water and it’s dangerous and it can kill us and it’s not where we’re supposed to be and you have to know this and you have to respect that and you have to respect the sea, because it’s so much powerful than we are, and it really doesn’t like us, and yet we love it and we’re going to sail and we’re going to have a great week,” and we did. You know, and he said it in a much more profound, beautiful way (laughter) than I am, but I was really struck by what he said because I think it’s true, and I immediately thought of my relationship to Italian and I thought, “That’s Italian for me, I’m sailing through this language and it’s dangerous and I don’t belong in it and yet it’s this sort of sublime experience for me.”
(「さて、1つ知っておいてもらわないといけないことなんですが、それは、ここは本来の居場所ではない、ということです。ここ水の上は、我々人間の生きる場所ではないんですよ。だから、危険だし、死んでしまうことだってある。ここはいるはずのところではない、ってことをよく知っておかなくてはならないし、また、それを重く受け止めておかなくてはならないんです。海に敬意を払わなくては。随分大きく力を持っている相手で、しかも、本当のところ、こっちは疎まれているんだから。でも、こっちは愛してやまないから、出帆するし、間違いなく素晴らしい1週間になるはずですよ。」その通りでした。船長は、私なんかよりももっとずっと深くて、美しい言い方でそう言ったのです。私はもう、その言葉に衝撃を受けてしまって。だって、本当にそうだと思ったんです。そして、すぐに、私とイタリア語のことを思いました。「それって、私にとってのイタリア語だ。私はこの言語の海を渡っているところなんだ。危険だし、そこが自分の居場所ではない。でも、同じように素晴らしい体験なんだ、と。」)
ジュンパ・ラヒリのような母語に対する不安は、いささかも感じたことはありませんが、それでも、私も言語の海を渡る人生を生きている。私の人生もそういう人生であるのだ、と感慨深く思います。もちろん彼女のようなスケールの大きな人生ではなく、私の人生は、地球の片隅で、そっと生きている小さな人生ではありますが、でも、外国語の海が、自分の本来の場所の外側で、命が奪われてもおかしくないような危険な領域であることに、変わりはないはず。そして・・・、「こっちは疎まれて」いたのか、やっぱり。なんだかそれも納得。どうりでなかなか習得できないわけだ。それはそれで仕方がない。でも、この海が、違った視点で見る目を与えてくれ、力強い美しい言葉で鼓舞してくれ、様々な出会いをもたらして、この小さな人生を豊かなものにしてくれているのは間違いない。言葉に関わる人生で本当によかった。これからも、外国語の海の大きさを決して忘れないよう、敬意を払いつつ、しっかりと生きていきたいと思います。

The quoted part is from; The New York Public Library.
Podcast #102: Jhumpa Lahiri on Language and Disorderby Tracy O'Neill, Social Media Curator http://www.nypl.org/blog/2016/03/08/podcast-jhumpa-lahiri

2016年2月14日日曜日

Love Is a Learned, Emotional Reaction.

バレンタインデーが近づくと、「愛」について考えさせるような情報が、やはり巷にも増えてくるせいか、自分としても何となく「愛」について思いをはせてしまいます。そして目に留まったのは、 brainpickings で紹介されていた、心理学者の Barbara Fredrickson (バーバラ・フレデリクソン) のこの言葉です。
"Most of us continue to behave as though love is not learned but lies dormant in each human being and simply awaits some mystical age of awareness to emerge in full bloom. Many wait for this age forever. We seem to refuse to face the obvious fact that most of us spend our lives trying to find love, trying to live in it, and dying without ever truly discovering it."
(私たちのほとんどは、ずっと、愛情というものは、学習されるようなものではなく、一人一人の人間の内に眠っていて、何か神秘的なことが起こってそれが呼び覚まされ、やがて開花する時が来るのを待っているのだ、とそういう態度のままでいます。多くの人は、その時が来るのを永遠に待ち続けている。人生を、愛情を探して、愛情の中で生きようと努力し、とうとう本当に見つけることなく死んでいくのだという、明白な事実を拒んでいるかのようです。)
"Love is a learned, emotional reaction. It is a response to a learned group of stimuli and behaviors. Like all learned behavior, it is [affected] by the interaction of the learner with his environment, the person’s learning ability, and the type and strength of the reinforcers present; that is, which people respond, how they respond and to what degree they respond, to his expressed love."
(愛情というのは、学習することで身につく感情反応です。それは、学習されたひとまとまりの刺激と行動に対する反応です。学習して身につけるあらゆる行動同様に、それは、学習者の環境、能力、どんな繰り返しがどの程度あるか(つまり、自分の表現した愛情に対して、どういう人が、どんな風に、どの程度反応してくれるか)等との相互作用に大いに影響されます。)
え。さて、自分は「愛」を学習したことがあっただろうか。少なくとも、意識的には無いような気がします。百歩譲って無意識に学習をしてきたとして、あなたの学習の到達度はいかほどか、と問われたら、はなはだ自信はありません。
 そしていろいろな疑問も湧いてきます。その「愛」というのは、男女間の?家族とか、友人とか、果ては博愛とか、そういうものも含まれるのか。含まれるとすると、それぞれの「愛」は同じものなのか、違うものなのか。生きていく上で、「愛」は大切なものだということはわかっています。たとえ、「愛」の学習がこれまでに足りなかったとしても、では、「愛」を感じずに生きていけと言われると、それは厳しいことのように思えます。
 もらってばかりでは申し訳ない。自分からも差し出さないと、と思うものの、人に与えることの難しいこと。何をやっても間が悪いような気がするし、いらないかも、邪魔になるかも、かえって迷惑かも、と、用意しているもの(物であれ気持ちであれ)を、しまい込んだままにしてしまいがちです。時に、本当に親しい身内にさえそうしてしまう自分は、「愛」の偏差値は相当低いに違いない。さっと、タイミング良く、相手を幸せな気持ちにしてくれる人がたまにおられますが、一体どのようなしくみになっていて、どんな学習をつまれたのか、見当もつきません。
"To love without knowing how to love wounds the person we love. To know how to love someone, we have to understand them. To understand, we need to listen."
(愛し方を知らずに愛することは、愛する人を傷つける。誰かを愛する方法を知るためには、その人を理解しなくてはならない。理解するためには、耳を傾ける必要がある。)

これは、同じ brainpickings で紹介されていた、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンの言葉です。愛し方、と思うと結局どうすればよいのかよくわからないけれど、よく相手を理解しなさい、ということなら、なんとなく手がかりがつかめるような気がします。
 もう、人生の折り返し地点を曲がってしまっているというのに、誰にも何も満足にしてあげることのできない不甲斐ない自分ですが、こうなったら、もう、ティク・ナット・ハン氏の言葉を全面的に信じて、何はともあれ学習を積んで、相手を理解することにかけては、他の追随を許さない、間違いなしの力をつけ、みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう人に私はなりたい、と思います。

The quoted parts are from:
"The Science of Love: How Positivity Resonance Shapes the Way We Connect " in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2013/01/28/love-2-0-barbara-fredrickson/
"How to Love: Legendary Zen Buddhist Teacher Thich Nhat Hanh on Mastering the Art of “Interbeing”"in Brainpickingshttps://www.brainpickings.org/2015/03/31/how-to-love-thich-nhat-hanh/


2016年1月31日日曜日

不満を抱えて創り出す―マーサ・グレアムの言葉から―

マーサ・グレアム(Martha Graham、1894-1991)はアメリカの舞踏家、振付師です。弟子のアグネス・デ=ミル(Agnes De Mille)が、彼女の著書『マーサ:マーサ・グレアムの人生と作品』(Martha: The Life and the Work of Martha Grahm)の中に、自分では不本意だった仕事が思わぬ大成功をおさめた後、割り切れない気持ちを抱えながらMarthaに会って、交わした言葉を綴っています。

Martha said to me, very quietly: “There is a vitality, a life force, an energy, a quickening that is translated through you into action, and because there is only one of you in all of time, this expression is unique. And if you block it, it will never exist through any other medium and it will be lost. The world will not have it. It is not your business to determine how good it is nor how valuable nor how it compares with other expressions. It is your business to keep it yours clearly and directly, to keep the channel open. You do not even have to believe in yourself or your work. You have to keep yourself open and aware to the urges that motivate you. Keep the channel open. As for you, Agnes, you have so far used about one-third of your talent.”
(マーサは私にこう言いました。とても穏やかな口調で。「活力、生命力、エネルギー、胎動、そういったものがあって、それが、あなたを通じて行動へと姿を変えます。「あなた」というのは、いついかなるときでも、唯一無二の存在なので、その表現も独自のものとなる。そして、もしもあなたがそれを阻めば、その表現が存在しうる手段は無くなり、それは、失われてしまう。世界にそれは存在しない、ということになってしまうのです。それが、どう優れているのか、価値があるのか、他の表現に匹敵するのか、など決めるのは、あなたではないのです。あなたにできるのは、ただ、あなたなりの表現というものを、そのままはっきりと自分のものとして保ち、外とのつながりに心を開いておくこと。自分自身や自分の仕事を信じる必要さえないのです。ただ、自分をオープンにして、あなたに力をくれる衝動に気付けばよい。外とのつながりに心を開いて。アグネス、あなたは、これまで才能の3分の1しか使っていないのです。」) 
“But,” I said, “when I see my work I take for granted what other people value in it. I see only its ineptitude, inorganic flaws, and crudities. I am not pleased or satisfied.”
(「でも、自分の作品を見ると、他の人がどう思うかが当然気になります。私には、愚かで欠点だらけで、粗削りなものにしか見えない。うれしくもないし、満足もしていません」) 
“No artist is pleased.”
(「アーティストは嬉しがったりしません」) 
“But then there is no satisfaction?”
(では、満足感はないのですか?」) 
“No satisfaction whatever at any time,” she cried out passionately. “There is only a queer divine dissatisfaction, a blessed unrest that keeps us marching and makes us more alive than the others.”
(「いつ何どきも満足感なんてありません。」マーサは一生懸命になって言いました。「いつも、奇妙な神様のお与えになる不満と、祝福してくださる不安があって、それが私たちをたえず前進させてくれるし、誰よりも生きていると実感させてくれるのです。」)

先人のおびただしい量の作品を、見て憧れて模倣して、その中から自分の心の琴線に触れるものが見出されていく。自分らしさを映しだすものがだんだん姿を現してくる。現実に私たちの目の前に、具体的な形で作品が差し出される前に、既に、アーティストの心のうちには、これから作り上げるものに対して確固たるイメージがあるし、ある一定の水準のようなものが想定されているのではないでしょうか。概念を具象化させるにあたって、その心の中のイメージに合わないものや、想定された水準に届かないものは、厳しく注意深く排除されていき、やがてそのアーティストだけが創り出すことのできる、作品たちが生まれてくる。

ミュージカル『オクラホマ!』が大きな成功を収めたにも関わらず、アグネスの心は満たされなかった、というエピソードから、アーティストは世間に作品が認められて、名声を得られることを、必ずしも目指しているのではない、ということを改めて思います。アーティスト達が、その筋の第一人者である一方、観衆のほとんどは素人なので、世間が評価するものとアーティストの目指すものが食い違うということは、よくあることだと思います。作り手側にしてみれば、いかに富や名声が得られようとも、自分のイメージに合わないものや、想定した水準以下のものを自分の作品として、世に送り出すわけにはいかない。そういうものなのでしょう。

そんなアグネスにマーサが与えた言葉は、つまるところ、評価というものに気を取られずに、自分の心の中にあるイメージを具現化することだけに集中するように、ということだったと思います。理屈抜きで自分を惹きつける、自分が憧れる自分なりの美しさを、目や耳で受け止められる形で、他者の前に差し出すこと。作品としてそれを創り出すアーティストはもちろんですが、アーティストとは呼ばれない私たちも、日々の生活の中で、有形無形の様々なものを生み出して生きているわけで、そのことを思えば、マーサの言葉は、誰の人生にも必要なことだと、言えるのかもしれません。

The quoted part is from: 
16 Elevating Resolutions for 2016 Inspired by Some of Humanity’s Greatest Minds;

2015年12月31日木曜日

年賀状と幸せな人生


先日、TED Talks (@TEDTalks)から、ロバート・ウォールディンガー(Robert Waldinger)氏の「幸せな人生の作り方」についてのスピーチを紹介するツイートが流れてきました。健康で幸せな人生をおくるために、日々をどう過ごせばよいのか、秘訣を教えてくれるというわけです。

ちょっとのぞいてみたところ、これは耳を傾けるに値するものだ、とわかりました。というのも、これはハーバード大学の研究チームによる、ある調査に基づいており、それは、724人の男性をなんと75年の長きに渡って追跡調査したものでした。被験者はハーバード大学の2年生を皮切りにしているグループと、ボストン近郊の低所得者層に属する若者(だった)グループの2つに分かれており、その両方のグループの、健診結果、アンケート、面談、子どもや奥さん等家族との会話を録音したもの、などなどの膨大なデータを長期的に集めて分析したということです。724人の被験者のうち、60名は、90代になってはいますがまだ健在で、研究は今も続いているのだそうです。

そして、調査の結果、わかったことは、以下の通りです;

      幸せは富や名声、仕事に没頭することで得られるものではない。

      Good relationships keep us happier and healthier. Period.
      (良い人間関係があると、我々は、より幸せに、より健康になる。以上。)

さらに、3点。1つ目は、家族、友達、地域の人などと社会的なつながりのある人が幸せだ、ということ。2つ目に、ただつながっているだけでなく、質が大切だということ。つまり、家族がいるかどうか、とか、友達が何人いるか、ということではなく、それが本当に温かい、良い関係であることにこそ意味がある、ということ。そして最後に、そのような存在があると、年をとった時、記憶力に差が出る、ということです。

今年は身内に不幸があったので、年賀状の代わりに喪中のはがきを送りました。毎年年賀状をやりとりする人は、決まっています。これまでの人生で、小学校、中学校、高校、大学・・・と、その時その時に、知り合って同じ時間を共有して別れを惜しんで。今となってはほとんど会うこともなく、年に1度年賀状を送るだけで失礼してしまっている、そんな人たちです。未熟だった(今もですが)私を受け入れて声をかけてくれていた、そうたくさんいるわけでは無い、限られた人数の人たちです。今、顔を合わせている人達も、状況が変われば、また過去の人になって、年賀状をやりとりするだけの関係になるのでしょうか。そう思うと、何だか寂しい気がしてきます。

いずれにせよ、私が人生のうち、出会って温かい良い関係を持つことができるなんて、本当に偶然の、限られた経験なのだということがわかります。忙しい12月に年賀状を準備するのが億劫になって、もう、会うこともなかなかないし、年賀状送らないとダメ?などとしばしば思ってしまっていたのですが、それは間違いだったと反省してしまいました。これまでに、同じ時間を共有し、一緒に何かを食べ、何かについて語り、何かについて笑ったり怒ったりした人々。ロバート・ウォールディンガー氏のトークを信じるなら、人生はこの人たちを大切にするためにある。油断せずにチャンスを捉えて、心を込めて言葉を送りたい。そう思いました。


TED "What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness"  by Robert Waldinger:

2015年11月7日土曜日

「美しさ」をなめてはいけない

 例えば新聞に、美しい女性の写真があれば、なんとなくその記事には目を通してしまいます。そんな時、美人の、といおうか、美しいものの力は強い、と感じ入ってしまいます。自分自身についてはもちろん、自分の身の周りのものから衣食住にいたる、生活のあらゆる場面で、美しさを求めてしまうのは、一体なぜなのでしょうか。
 Theaster Gates(シアスター・ゲイツ)はシカゴ在住の陶芸家なのですが、自分の住む荒れた地域の、住人から見捨てられた廃屋を文化施設に作り替え、そこを拠点として見事地域の活気を取り戻した取組みを、TED で語っています。スピーチももちろんすばらしいのですが、その後の司会者とのやり取りで、大変心に残る言葉を耳にしました。


"June Cohen: That makes so much sense. One more question: You make such a compelling case for beauty and the importance of beauty and the arts. There would be others who would argue that funds would be better spent on basic services for the disadvantaged. How do you combat that viewpoint, or come against it?" 
(ジューン・コーヘン:「それは納得ですね。もう一つ。あなたのなさったことは、美しさとか、美やアートの重要性という点で、非常に説得力がある事例だと思いますが、恵まれない人々には、もっと基本的な社会サービスに資金を使うべきではないかとおっしゃる人もおられることと思います。そのような考え方に対しては、どう反論されますか。」)

15:51"Theaster Gates: I believe that beauty is a basic service. (Applause) Often what I have found is that when there are resources that have not been made available to certain under-resourced cities or neighborhoods or communities, that sometimes culture is the thing that helps to ignite, and that I can't do everything,but I think that there's a way in which if you can start with culture and get people kind of reinvested in their place, other kinds of adjacent amenities start to grow, and then people can make a demand that's a poetic demand, and the political demands that are necessary to wake up our cities, they also become very poetic." 
(シアスター・ゲイツ:「美しさというのは、基本的な社会サービスである。私はそう信じています。私がこれまでに目にしてきたのは、それまで資金不足だった都市や地域が資金に恵まれた時に、文化的なものこそが火付け役になるという例です。私の方で全て何もかもできるわけではない、でも、文化的なことから始めると、それが地域の人々からその場所への再投資を促し、また何か別の関連したものが育つようになる。さらにそこから、ある種の要求が生まれてくるようになるのです。それは詩的な要求です。たとえ、町を蘇らせるのに必要な政治的な要求であったとしても、やはりそれは大変詩的なものになっていくのです。」)
一つ思うのは、「美しさ」とはリスク回避を可能にする手段なのではないか、ということです。明るい顔色、引き締まった体躯。肉体の美しさは健康ということとほとんど同義であって、健康は病気などのリスクを回避している状態に他なりません。所作についても、乱暴だったり、横着だったりするような振る舞いは、往々にしてバランスが悪く、ぶつけたり転んだり、ちょっとした事故につながりやすいものだと思います。美しい所作というのは、安定していて見ている方にも安心感がある。身だしなみが整っていないと、外に出るのも人に会うのも億劫になるし、住環境が乱れているのは、けがをしたり、生活そのものが混乱する原因となりそうです。健康に気を付け、お行儀よく、身なりを美しく整えて、掃除をしてきれいに暮らす。これって、お母さんやおばあさんが、耳にタコができるくらいしつこく家庭で言い聞かせていることではないでしょうか。それが結局、効率よく生活を回していく上で、何よりも必要な基本条件以外の何ものでもない、ということなのでしょう。
 本来私たちの肉体は、とても壊れやすいものだと思います。もしも、この体が、人為的に作られているものだったとしたら、きっとものすごく高価な、取扱い注意の精密機械に違いない。きちんと手入れをして、もっと慎重に、もっと丁寧に、扱ってやらなくてはだめなんだと思います。私たちの住む世界だって、意外に脆弱で、一歩間違えば、すぐに悪循環で回り始めてしまうリスクを抱えているものだと思う。この微妙な仕組みの中で生きていくにあたって、「美しさ」を志向するということが、健全な循環に留まり続けるための、何かの指標になっている。そんな気がします。「美しさ」をなめてはいけない。そして、同時に「過ぎたるはまた、及ばざるがごとし」で、美しさが目的になってしまって、それだけを追求するようになるのも、それはそれで間違ったことだと思います。
The quoted part is from:
TED "How to revive a neighborhood: with imagination, beauty and art" by Theaster Gateshttp://www.ted.com/talks/theaster_gates_how_to_revive_a_neighborhood_with_imagination_beauty_and_art/transcript?language=en#t-877485