2015年9月26日土曜日

音楽の力 -ニーチェの言葉から-

音楽を聞かれますか。私は聞きます。1日のうち、何度も。何かをしながら気分に合ったものを「ながら聞き」することがほとんどですが、ゆっくり腰をおろして集中して聴くこともあります。主に聴くのは英語圏のロックかポップス。ジャズを聴いたりすることもあります。クラシックもほんの少し。

音楽のことを考えると、いつも圧倒されるような気がします。言葉では「音楽を聴く」という表現を遣いますが、実際のところ、音楽は耳だけで聴いていない。皮膚だとか、関節だとか、全身で受け止めているような気がします。そして、音楽を受け止めている私の全身は、音楽を聴いている私よりも、随分賢く有能であるようです。



"God has given us music so that above all it can lead us upwards. Music unites all qualities: it can exalt us, divert us, cheer us up, or break the hardest of hearts with the softest of its melancholy tones. But its principal task is to lead our thoughts to higher things, to elevate, even to make us tremble… The musical art often speaks in sounds more penetrating than the words of poetry, and takes hold of the most hidden crevices of the heart… Song elevates our being and leads us to the good and the true."                
(神は我々に音楽を与えてくださった。何よりもまず、我々を高みに導くために。音楽はすべて合わせ持っている。我々を称えてくれ、慰めてくれ、励ましてくれる。あるいは、頑なになった心を、憂いのある柔らかな音色でほどいてくれる。しかし、最も大切な働きは、我々の思いをより高いものへと導いてくれることだ。気持ちを高め、心を震わせる。音楽は、多く、音をつかって、詩の言葉よりも、心の深くにまっすぐに訴えてくる。そして、心の中の見えない隙間を捕らえてしまう。歌は我々の存在を高め、善きこと、真実のことへと導いてくれる。)
これは、BrainPickingsで紹介されていた、 ニーチェ(Nietzsche) の言葉です。思うに、音楽を聴いている私は、おそらく私の意識なのでしょうが、音楽を受け止めている私の全身は、不随意筋や自律神経や無意識なんかが内在する、私の意識を超えた私自身なのではないでしょうか。だから、分析して理屈をつける前に、この曲を好きだ・嫌いだが、先にすとん、とわかってしまうし、どんなに無名であろうと、ルックスに恵まれてなかろうと、その人の奏でる音楽が本当に何かを伝えるものであれば、それをきちんと受け取ることができてしまう。「私」が疲れていたり、落ち込んでいたりしている時でも、音楽は受け止められ、私は癒されたり励まされたりしてしまう。「私」を超えた私につながるチャネルを持つ音楽が、神から与えられたものだ、とするニーチェの言葉には、なんだか納得がいきます。

ところで、Amy WinehouseのHalf Time という曲。ニーチェの言っていることに、とても似ていると思いませんか?

The quoted parts are from:
Nietzsche on the Power of Music https://www.brainpickings.org/2015/09/18/nietzsche-on-music/?
Half Time エイミー・ワインハウス (Amy Winehouse)http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2015/07/half-time-amy-winehouse.html

2015年8月30日日曜日

規律(discipline) が窮地を救ってくれる-アンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の言葉から-

つらい状況、というのが時として訪れてきますね?例えば、あり得ないミスをしでかしてしまう。人からの信用を無くしそうになる。批判を受ける。よかれと思ってやったことが裏目に出る。自分には無理だと思えることに取り組まなくてはならない。誰からの援助も受けられない。大切な人を失くしてしまう・・・。そんなつらい状況をどうやって乗り切りますか?

私の場合は、まずはとりあえず、深呼吸です。それから、いつもの動作をあえて丁寧にするようにします。文字を書く、とか、野菜を切る、とか、脱いだ洋服をたたむ、とかそういったことを、いつもよりも丁寧にする。そして、その段階で自分に許されていることをカウントします。あれもできる、これもできる、なんだ普通になんでもできるじゃないか、大丈夫!と自分で確認します。

村上春樹氏は、『村上さんのところ』の中で、読者からの「批判や中傷をどうやり過ごすか」という質問に対して、「・・・規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。」と答えておられます。「・・・好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。(中略)朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。」ということです。

いつもお世話になっているブログ、Brain Pickings の中でも、女優のアンナ・ディーバー・スミス(Anna Deavere Smith)の著書からの言葉が紹介されていました。これは、アーティストとして生きる人へ贈るアドバイスをまとめた本なのだそうです。画家、作家、ミュージシャン、デザイナー、など、アーティストと呼ばれる方々の人生は、常にクリエイティビティを発揮することが求められ、そのことで生計をたてていくという人生は、おそらく大変厳しいものではないか、と想像します。もちろん、作品が完成して不特定多数の人々に受け入れられたときの歓びは、何ものにも代えられないものなのでしょうが。

     

"We are on the fringe, and we don’t get such licenses. There are prizes and rewards, popularity and good or bad press. But you have to be your own judge. That, in and of itself, takes discipline, and clarity, and objectivity. Given the fact that we are not “credentialed” by any institution that even pretends to be objective, it is harder to make our guild. True, some schools and universities give a degree for a course of study. But that’s a business transaction and ultimately not enough to make you an “artist.”"
(アーティストは違います。我々にはそんな免許なんかはない。賞やご褒美を受けたり、人気があったり、評価されたりはします。でも、良いか悪いかの判断は自分でしなくてはなりません。そのためには、本当の意味で、規律がなくてはならないし、明確さと客観性がなくてはなりません。せめてなんとか客観的であると装っている何かの団体があるとして、そういう団体からもお墨付きをもらうことはできません。その事実を考慮すると、組合を組織するということだってなおのこと難しい。確かに、ある種の学校や大学は、学べばそれに対して学位を与えています。でも、それは単なるビジネスの上の話であって、つきつめると、そのくらいのことで、誰かを「アーティスト」とみなすわけにはいきません。) 
"Be more than ready. Be present in your discipline. Remember your gift. Be grateful for your gift and treat it like a gift. Cherish it, take care of it, and pass it on. Use your time to bathe yourself in that gift. Move your hand across the canvas. Go to museums. Make this into an obsession…
What you are will show, ultimately. Start now, every day, becoming, in your actions, your regular actions, what you would like to become in the bigger scheme of things."
(準備を怠らないようにしてください。けじめを持って生きるのです。あなたには神から与えられた才能があることを思い出してください。その才能に感謝して、それを贈り物のように扱ってください。大切に、手をかけて後に伝えていくのです。あなたの人生を、その才能に浸ることに使ってください。キャンバスの上で実際に手を動かして。美術館に足を運んで。それが癖になるように。
最後には、あなたらしさが現れてくるでしょう。今すぐに始めてください。毎日そうするのです。そうして、いつもそうやっていると、より大きなスケールの中で、あなたが目指すものになれるはずです。)
規律(discipline) ということや規則正しい生活を丁寧にこなしていくことが、とにかく大切だという話、とてもよくわかる気がします。 つらい状況で、頭の中がそのことで一杯になって、気持ちが不安定になって、何だか浮き足立ってしまうような時に、淡々と続く毎日の生活のあれこれが、自分という存在を人生そのものにしっかりとつないでくれる碇(いかり)のような機能を果たしてくれるからなのかもしれません。或は、日々の営みは誰にとっても基本であって、それを大切にするということは、自分自身を大切にするということに他ならない、ということなのかもしれません。同じことの繰り返しが退屈な人生の象徴のように語られることもありますが、けしてそうではない。その繰り返しこそが自分を育んでくれる素地となっているに違いない。そう思いました。
村上春樹(2015)『村上さんのところ』新潮社

2015年7月25日土曜日

客観性と美しい人生

先日誕生日が来て、また1つ歳をとりました。今年も大過なく誕生日を迎えることができ、これほどありがたいことはない、といえばその通りなのですが、人生も折り返し地点を過ぎて、50代はもう目の前。たいした人間でないのは百も承知ですが、それでも、そんな私でも元気に働いていて、まだまだできることはたくさんあります。では、どっちの方向に向かって、一体何に持てる力を注ぎ込むべきなのか。そんなことに、まだ迷っているような気がします。不惑の40代はもうそろそろ終わりそうだというのに。

The Paris Review ‏@parisreviewのツイートである日、流れてきた作家のノーマン・メイラーの言葉は、兼ねてから考えていたことと同じで、このインタビューを読んで思わずひざを打ちました。

INTERVIEWER
"Let’s talk about age, growing old, and let’s be precise. How does the matter of growing old affect your vanity as a writer? There is perhaps nothing more damaging to one’s vanity than the idea that the best years are behind one."
(年齢、年をとることについてお話しましょう。しかもずばりお聞きします。年をとるという問題が、作家としての虚栄心にどのように影響するものでしょうか。自分のピークの年は、もう過ぎ去ったのだ、という考えほど、人の虚栄心を傷つけるものはないかもしれない、と思うのですが。)
 MAILER
"Well, I think if you get old and you’re not full of objectivity you’re in trouble. The thing that makes old age powerful is objectivity. If you say to yourself, My karma is more balanced now that I have fewer things than I’ve ever had in my life, that can give you sustenance. You end up with a keen sense of what you still have as a writer, and also of what you don’t have any longer. As you grow older, there’s no reason why you can’t be wiser as a novelist than you ever were before. You should know more about human nature every year of your life. Do you write about it quite as well or as brilliantly as you once did? No, not quite. You’re down a peg or two there."
(ああ、もし歳を取って、それでも客観性が足りないようでは、痛い目にあうと思うよ。重ねた年齢に力を発揮させることができるのは、客観性だから。これまでの人生よりも持ち物が少なくなっている分、自分のカルマは、よりバランスがとれているんだよ、と、自分に声をかけてやれば、それが生きる力を与えてくれるはず。しまいには、作家として自分がまだ持っているもの、そしてまた、もう持っていないものが何なのか、はっきりわかるようになる。歳を取るにつれて、作家として前よりも賢明にならないわけがない。人生の中で、年々、人間の性質をより深く知るようになる。では、以前書いたのと同じくらいうまく、同じくらい素晴らしく、書けますかだって?いや、それがそうはいかない。そこでは、高かった鼻をへし折られてしまうんだ。 
INTERVIEWER
"Why?"
(どうしてでしょう?) 
MAILER
"I think it’s a simple matter of brain damage and nothing else. The brain deteriorates. Why can’t an old car do certain things a new car can do? You have to take that for granted. You wouldn’t beat on an old car and say, You betrayed me! The good thing is you know every noise in that old car."
(単に脳がダメージを負っているというだけのことだよ。他の何ものでもない。脳が劣化しているんだ。新しい車がやってのけるいろんなことを、どうして古い車はできないんだろう。いや、そんなの当然なんだって思わなけりゃだめだ。古い車に乗ってて、裏切りもの!なんて言ったところで仕方がない。勝てっこないんだよ。いいのはその古い車のノイズなら、どれもみんな自分でわかってるってところだよ。)
子どもと大人の違いは何か、といえば、それは、客観性があるかないか、ではないでしょうか。私たちは皆、自分の意識を通して、物事を見て理解しています。物の見方が自分中心、主観的になってしまっても不思議ではない状況が整っているわけです。一方、大人というのは、色々な経験を積んでいるので、似たような状況の中で、別の立場であった記憶などを持っています。だから、ある立場の人が、今どういう気持ちでいるのか、或は、その立場の人から見たこちらの姿がどんな風であるか、といったことがありありと想像できる。主観的な目で自分を見れば、一つのことに捉われていっぱいいっぱいになってしまうばかりだけれど、そんな自分からいったん離れて、外から客観的に眺めてみると、自分の中に抱えていた問題も相対化されて、冷静にとらえることができるようになるのだと思います。

テレビや映画でお見かけする芸能人の方の外見が、総じて美しいのは、他人に見られる職業だから、という話を耳にすることがありますが、そうではないと思う。私たち一般人も常に他人には見られている。彼らが違うのは、テレビや映画に映る自分の姿を、他人と同じ、客観的な目で見つめることができる機会が常に与えられているから、だと思います。鏡の中に切り取られた正面からの姿だけでなく、後ろ姿でも遠くからのアングルでも、気を抜いて無防備な表情の時でも、そんな自分を全て見ることができて、客観的な視点から自分の外見について考えることができるから。

そう考えると、外見的にも内面的にも、客観的に自分を捉えることの威力は絶大で、常にそのことを頭の片隅に置いておくと、美しい人生が歩めることは間違いないという気がします。今生きているこの人生でも、まあまあそれなりに頑張ってるよ、という気はするものの、キャサリン・アン・ポーターが「私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。」と言うように、何かを成し遂げた、と満足できる境地に、この根性なしの私でも達することができるものなのか。いささか自信は無いのですが、でも、あきらめずにそこに向かっていきたい。そして、その歩みがどうか、美しいものでありますように、と祈る今年の誕生日なのでした。

The quoted part is from:
Norman Mailer, The Art of Fiction No. 193 Interviewed by Andrew O'Hagan in The Paris Review http://www.theparisreview.org/interviews/5775/the-art-of-fiction-no-193-norman-mailer

2015年6月27日土曜日

変わっているを抱きとめる ―エド・シーランのスピーチから―

以前の投稿で、女優のエミリ・ブラントが子供のころ、吃音に悩まされていた話をnprのインタビューで語っていたのを取り上げました。そのエミリ・ブラントがエド・シーランをAmerican Institute for Stuttering(米国吃音協会)に呼んで表彰しています。というのも、エド・シーランも幼いころ、吃音があったということなのです。

エド・シーランは表彰式のスピーチの中で、幼いころは顔にあざがあったり、大きな青い眼鏡をかけなくてはならなかったり、片方の耳の鼓膜がなかったり、ととにかく問題だらけで、吃音なんて、自分の問題の中では、どうってことないほどだった。とにかく変わった子供だったと言っています。
But I got heavily into music at a young age, and got very, very into rap music—Eminem was the first album that my dad bought me. I remember my uncle Jim told my dad that Eminem was the next Bob Dylan when I was—say what you want, it’s pretty similar, but it’s all just story-telling. So my dad bought me the Marshall Mathers LP when I was nine years old, not knowing what was on it. And he let me listen to it, and I learned every word of it back to front by the age I was ten, and he raps very fast and very melodically, and very percussively, and it helped me get rid of the stutter. And then from there, I just carried on and did some music,...
(でも、僕は幼いうちに音楽にものすごくのめりこんだ。特にラップにはすごくすごく夢中になった。エミネムが父親が買ってくれた初めてのアルバムだった。その時、おじのジムが父に言ってたよ。『エミネムっていうのは、次のボブ・ディランらしいぜ』って・・・何でも言ってくれていいよ。かなり似てるけど、これは全部物語を語っているようなものなんだ・・・って。で、父親がエミネムの『マーシャル・メイザース』というLPを買ってくれたってわけだ。僕が9歳の頃のことだ。何なのかもわからなかったはずだけど、僕にそれを聞かせてくれた。僕は10歳になるまでに、アルバムの始めから終わりまで一言一句すべて覚えてしまった。エミネムはものすごい速さで、でもきれいなメロディーにのせて、そして、打楽器でもうつようにラップするけど、おかげで、僕は吃音を無くすことができたんだ。そのあと、そこからそのまま続けて、音楽をするようになった・・・) 
 ...It’s just to stress to kids in general is to just be yourself ‘cause there’s no one in the world that can be a better you than you, and if you try to be the cool kid from class, you’ll end up being very boring,...
(「・・・子どもたちみんなにちゃんと言っておきたいのは、ただ、自分らしく、ということだよ。だって、世界中の、君以外の誰も、もっと良い「君」にはなれないんだから。クラスのかっこいいやつみたいになろうとしたら、将来つまらないやつになって終わり、だよ・・・」)

5月10日に公開された"Photograph"のミュージックビデオを観ると、確かに、青い大きな眼鏡をかけて、音楽に夢中になっている男の子の姿が映し出されていて、このスピーチの中でエドが言っていることは、その通りなのだとわかります。そして、幼いエドを捉えているカメラのアングルから、彼の家族がどれだけ温かく彼を見守っていたかもよくわかる。夢中になって何かやっているエドを邪魔しないように、遠巻きに見つめる視線。どの角度から見た時が、一番可愛いかもよくわかっていて、いつもエドを見つめていたことを思わせます。エドの自分らしさはまず、家族に抱きとめられていたのだと思う。だからこそ、エドは、何があろうと、決してぶれることなく自分でも自分らしさを大切にすることができたのだ、という気がします。さらに、そんな「自分らしさ」を十分に育てて、ミュージックシーンで開花させている現在の姿を見ると、困難はあるものだし、そこで過たず正しい道筋を選んで、その場所で何かを積み上げることこそが何より大切なことで、また、それこそが自分なりの人生なのだ、などと思ってしまいました。・・・それにしても、エミネムのラップで吃音を克服した、というエピソード。いい話ですよね。

The quoted part is from:
Ed Sheeran to Kids Who Stutter: Embrace Your Weirdness in TIME

2015年6月6日土曜日

キャサリン・アン・ポーターの言葉から、就職について考える

                                     
キャサリン・アン・ポーター(Katherine Anne Porter)は、1890年に生まれ、すでに1980年に90歳で亡くなったアメリカのジャーナリストです。ピューリッツァー賞も受賞しています。この人の言葉がThe Paris Review のツイートで、ある日流れてきたのですが、その言葉が、本当にその通りだと思えて、しばし立ち止ってしまいました。

                                     
"All this time I was writing, writing no matter what else I was doing; no matter what I thought I was doing, in fact. I was living almost as instinctively as a little animal, but I realize now that all that time a part of me was getting ready to be an artist. That my mind was working even when I didn’t know it, and didn’t care if it was working or not. It is my firm belief that all our lives we are preparing to be somebody or something, even if we don’t do it consciously. And the time comes one morning when you wake up and find that you have become irrevocably what you were preparing all this time to be. Lord, that could be a sticky moment, if you had been doing the wrong things, something against your grain. And, mind you, I know that can happen. I have no patience with this dreadful idea that whatever you have in you has to come out, that you can’t suppress true talent. People can be destroyed; they can be bent, distorted and completely crippled. To say that you can’t destroy yourself is just as foolish as to say of a young man killed in war at twenty-one or twenty-two that that was his fate, that he wasn’t going to have anything anyhow."
(その間も、私は書いていました。どんなに他のことをやっていたとしても、何を考えていたとしても、やはり書いていました。何かの小動物のようにほとんど本能的に生きていたんですが、今思うと、あの頃、自分の中のどこかでアーティストになるために、着々と準備を整えていたのだと思います。そんなこと知らなかった時でも、私の心は動いていたのです。動いていようがいまいが、気にもしてなかったのに。これは、私の確固たる信念なのですが、私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。たとえ、そう意識していなかったとしても。そして、ある朝その時が来て、目覚めると、自分がずっと準備をしてきたものになっていて、もう後戻りはできないとわかるのです。ああ、もしも間違って、自分の性質に合っていないことをしていたとすると、それは嫌な瞬間になるでしょうね。そして、言っておきますが、そういうことは起こりうるのです。私にはわかる。私はこの恐ろしい考えにがまんできないのです。自分の中にあるものは、それが何であれ、外に出て来なくてはいけないし、その本来の才能を押さえつけたりなんてできないのです。人は、損なわれることがある。捻じ曲げられたり、歪められたり、完全な自由をなくしたりする。自分自身を損なうなんてだめ、などというのは、若い男の子が戦争で21歳とか22歳とかで殺されて、何をどうやっても何も手に入れることはない、それがその子の運命だったのだ、などと言っているのと同じ。馬鹿げた話です。)
"I have a very firm belief that the life of no man can be explained in terms of his experiences, of what has happened to him, because in spite of all the poetry, all the philosophy to the contrary, we are not really masters of our fate. We don’t really direct our lives unaided and unobstructed. Our being is subject to all the chances of life. There are so many things we are capable of, that we could be or do. The potentialities are so great that we never, any of us, are more than one-fourth fulfilled. Except that there may be one powerful motivating force that simply carries you along, and I think that was true of me. . . . When I was a very little girl I wrote a letter to my sister saying I wanted glory. I don’t know quite what I meant by that now, but it was something different from fame or success or wealth. I know that I wanted to be a good writer, a good artist."
(私は、本当に信じているのです。誰の人生も、その人の経験とか、その人に起こったことで説明できるものではないのです。だって、あらゆる詩とか、逆にあらゆる哲学とかとは関係なく、私たちは自分の運命なんて、実際には支配できないのですから。何の助けも無い、あるいは、何の妨げも無い状態で、人生を進めていきはしない。私たちの存在は、人生のあらゆる偶然のなすがままなのです。でも、こうなろう、こうしようと思って、できることはたくさんあります。可能性はとても大きなもので、私たちは、誰一人として、その4分の1ほども達成できはしない。でも、例外的に、ただもうあなたを強引に運んで行ってしまうような、ものすごく強力に働きかけてくる力が、あるかもしれません。私の場合はありましたね。幼い少女だったころ、姉に手紙を書いたことがあるのです。私は栄光が欲しい、って。栄光だなんて、どういう意味か、今でもよくわからないのですが、それは、名声とか、成功とか、富とは違うような気がします。ただ、良いものが書ける良いアーティストになりたかった、そういうことだと思います。)
周りの若者は、皆、口を揃えて「将来の夢なんてない」「どんな仕事に就けばいいのかわからない」とそう言いますが、そりゃそうだよ、と思う。私は私の仕事しかしたことは無いけれど、辺りを見渡して他人の仕事の様子をみても、仕事というのは1つ1つがまるで違うような気がします。同じ職種であっても、従事する人がどんな思いをもって、どう取り組んでいるかによって違うし、共に働く人々がどんな人々かによっても違う。大きな組織か小さな組織か、順調に運んでいるのか、苦戦しているのかによっても全く違う。労働条件や待遇だって、個々人の価値観や人生観で、受け止め方は様々だと思います。仕事そのものに関わる要素と、仕事の環境に関わる要素と、自分自身に関わる要素と。この際、仕事そのものに関わる要素以外は、考えないことにして、といきたいところではありますが、そんなわけにはどうしてもいかない。三者は混然と一体化しており、切り離して考えたところで、そう意味はない。そんなありとあらゆるファクターを抱えた無数の仕事が世の中にはあって、自分の知らない、想像を超えた世界がそこに大きく広がっている。それを知らないままにどれか一つを選び取ろうとしなければならないのだから、そんなのそもそも無理な相談じゃないかという気がします。それでも、一応、職種を想定したり、自分の適性や生き方を考えて、そこに向かって何らかの準備を進めていく。そうしてようやく、ある仕事に辿り着くのです。

さらにいえば、それは、決してゴールなんかではない。仕事の中においても、私たちは、日々難問に直面し、それを解決し成長していきます。失敗に自信を喪失することもあれば、できなかったことができるようになって、新たなやりがいを見いだしたりすることもある。仕事に就いた後も、自分の適性や生きる意味を考えて、自分はここで何を成し遂げることができるだろうか、と自問しながら手探りで前に進んでいくのです。つまり、就職した後でさえも、自分は何かを探しているし、「仕事」は変化し続けていく。外から見れば、単に「営業」だったり、「公務員」だったり、「店員」だったりで、それらの人は、それぞれ皆同じことをやっているように見えるのかもしれないけれど、就職したばかりの時と、何十年か経ったベテランになった時では、自分の中では同じ仕事をやっているとは思えないほど、仕事に対する心構えも、実際の仕事内容も全然違う様相を呈してくるのです。

そう考えると、就職というのは、こういうことなのかな、と思います:

自分の性質にピンとくるような、自分が働いている姿が想像できるような仕事とは何か常にアンテナをはり、得意とするもの、または必要な(と思われる)ことを学んでおくなどの作業をしつつ、就職を斡旋してくれる人、先生や先輩、親戚の人、近所の人、その知り合いの人、などが運んでくる情報(就職口の話だけではありません。知り合いにこんな仕事をやっている人がいる、とか、あの人はこの仕事があの仕事につながって今、こんなことやっている、とかそういう情報も大きいのです)との運命的な出会いを求め、キャサリン・アン・ポーターの言うところの、「一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をする」機会を与えてもらうこと。

どうでしょうか。自分は自分の仕事しかやったことはないので、本当のところ、よくわからないのですが。

The quoted part is from:
Katherine Anne Porter, The Art of Fiction No. 29
Interviewed by Barbara Thompson in The Paris Review Davishttp://www.theparisreview.org/interviews/4569/the-art-of-fiction-no-29-katherine-anne-porter

2015年5月16日土曜日

確かにそこに存在する理由があって皆、生きている

10代の頃は、詩を読むのが好きで、よく詩を拾い集めていました。見たこともないような新鮮なつかわれ方をする言葉、語感のきれいな言葉、字面の美しい言葉。そんな言葉に驚いては、何度も眺めたり、ノートに書き写してみたりしていたように思います。でも、いつの間にか―仕事をするようになってからか、子供を持つようになってからか―詩のことは忘れてしまっていました。


最近になって、主に歌の歌詞を通じて、また、詩を読むようになりました。そして、brainpickingsに紹介してあった、この美しい詩を知りました。ポーランドの詩人、Wislawa Szymborska(ヴィスワヴァ・シンボルスカ)のPossibilities(「可能性」)という詩です。ポーランドの詩人の詩なのだから、おそらく原文はポーランド語なのでしょう。ノーベル文学賞も受賞されている方のようですので、日本語訳もすでに存在しているのではないかと思います。いずれにせよ、私はこの詩を原文で読むことは、残念ながらできません。ここは、偶然出会った英語訳を読んでおくことにしたいと思います。

この詩には、「私はこっちの方が好き」という事柄が31個列挙されています。その中で私が気に入ったものは、以下の通り。

I prefer movies.
(映画の方が好き)
I prefer cats.
(猫の方が好き) 
I prefer exceptions.
(例外の方が好き) 
I prefer talking to doctors about something else.
(お医者さんと関係の無い話をする方が好き) 
I prefer, where love’s concerned, nonspecific anniversaries that can be celebrated every day.
(恋愛に関しては、特別な記念日ではない毎日を祝福していたいと思う) 
I prefer the hell of chaos to the hell of order.
(秩序だった地獄よりも、混沌とした地獄の方がまし) 
I prefer not to ask how much longer and when.
(いつまで、とか、いつ、なんて、あえて聞かない方がいい)

こういうことを考えていると、私だったらこう、って言いたくなります。

I prefer tiny wildflowers.
I prefer the shadow of the moon light.
I prefer pretending not to notice.
I prefer sitting side by side.
I prefer being despised.

まだまだ続けられそう。
でも、最後の1行は、この1行しかありえません。

I prefer keeping in mind even the possibility that existence has its own reason for being.
(確かにそこに存在する理由があって皆、生きている。その可能性だけでも、いつも忘れないようにしていたい)

引用:The quoted part is from:
brainpickings
http://www.brainpickings.org/2015/03/18/amanda-palmer-wislawa-szymborska-possibilities-poem-reading/?utm_content=buffer19bd6&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2015年4月23日木曜日

プロセスをこよなく愛せよ -ブラッドリー・ウィットフォードの卒業式の演説から-


私たちは毎日の生活の中で、大まかにいって2つのことをやっているのではないか、と思います。1つは何らかの「パフォーマンス」をすること、もう1つは何らかの「準備」をすること、です。例えば、会議に出席しているのは「パフォーマンス」で、会議のために調べものをしたり、資料を作ったりするのは「準備」だと考える。家でも食事の支度は「準備」で、食事自体は「パフォーマンス」。そして、お風呂に入ったりするのは、明日のための「準備」だと考える、というわけです。「パフォーマンス」の方は、いわば本番の舞台なので、気持ちがこもっていることが多いものですが、「準備」の方は、面倒だからつい後回しにしてしまった、とか、どうやったら効率よく速く終わらせることができるだろう、とか、そんな姿勢で臨みがちです。

Bradley Whitford(ブラッドリー・ウィットフォード)は、TVドラマ『ザ・ホワイトハウス』のジョシュ・ライマン役として知られているアメリカの俳優です。この役で、2001年度エミー賞助演男優賞も受賞しています。そのブラッドリー・ウィットフォードが、 2004年のウィスコンシン大学マディソン校の卒業式の演説で、6つのアドバイスを語っています。そのうちの2つを。



"Number One: Fall in love with the process and the results will follow. You've got to want to act more than you want to be an actor. You've got to want to do whatever you want to do more than you want to be whatever you want to be, want to write more than you want to be a writer, want to heal more than you want to be a doctor, want to teach more than you want to be a teacher, want to serve more than you want to be a politician. Life is too challenging for external rewards to sustain us. The joy is in the journey."
 (その1:プロセスをこよなく愛せよ。そうすれば結果は後からついてくる。俳優になりたい、と望む以上に、演技をしたい、と望むことだ。何になりたいと思うにせよ、なりたいと思う以上に、なんでもやりたいと思ってそれを実行すべきなのだ。作家になりたいと思う以上に、書きたいと思うことだ。医師になりたいと思う以上に人を癒したいと、教師になりたいと思う以上に教えたいと、政治家になりたいと思う以上に、奉仕したいと思うべきなのだ。人生はそれ自体にやりがいがあるもので、別のところからもらうご褒美で、もちこたえるものではない。人生の喜びは、その旅の途中にあるのだ。)
"Number Two: Very obvious: do your work. When faced with the terror of an opening night on Broadway, you can either dissolve in a puddle of fear or you can get yourself ready. Drown out your inevitable self-doubt with the work that needs to be done. Find joy in the process of preparation."
 (その2:当然であるが、自分の仕事をせよ。ブロードウェイがいよいよ開幕する夜のあの恐ろしさに向かう時、不安の沼にはまってしまうか、それとも、万全の準備ができるか、どちらの態度も取れるのである。なかなか自分に自信をもつことはできないものだが、すべき事はすべて済ませておいて、そこから抜け出すのだ。準備を整えるプロセスにこそ喜びを見いだせ。)
 確かに自分の周囲を見渡しても、「パフォーマンス」の素晴らしい人は、「準備」に決して手を抜かない人です。「準備」が充実していれば、「パフォーマンス」が自ずと充実するのは、当然のことのように思います。また、「パフォーマンス」すること自体が、楽しみになることすらある気がします。いずれにせよ、「パフォーマンス」も「準備」もどちらも私たちの人生の一部であり、そのどちらも楽しまないのはもったいない。軽視することなく、また、無駄を恐れず、思う存分「準備」に没頭したいものだと思いました。

引用:The quoted part is from:
Reinventing the Secular Sermon: Remarkable Commencement Addresses by Nora Ephron, David Foster Wallace, Ira Glass, and More
http://www.brainpickings.org/2015/03/25/way-more-than-luck-commencement/?utm_content=bufferacb52&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
in Brainpickings
http://www.brainpickings.org/