2015年6月27日土曜日

変わっているを抱きとめる ―エド・シーランのスピーチから―

以前の投稿で、女優のエミリ・ブラントが子供のころ、吃音に悩まされていた話をnprのインタビューで語っていたのを取り上げました。そのエミリ・ブラントがエド・シーランをAmerican Institute for Stuttering(米国吃音協会)に呼んで表彰しています。というのも、エド・シーランも幼いころ、吃音があったということなのです。

エド・シーランは表彰式のスピーチの中で、幼いころは顔にあざがあったり、大きな青い眼鏡をかけなくてはならなかったり、片方の耳の鼓膜がなかったり、ととにかく問題だらけで、吃音なんて、自分の問題の中では、どうってことないほどだった。とにかく変わった子供だったと言っています。
But I got heavily into music at a young age, and got very, very into rap music—Eminem was the first album that my dad bought me. I remember my uncle Jim told my dad that Eminem was the next Bob Dylan when I was—say what you want, it’s pretty similar, but it’s all just story-telling. So my dad bought me the Marshall Mathers LP when I was nine years old, not knowing what was on it. And he let me listen to it, and I learned every word of it back to front by the age I was ten, and he raps very fast and very melodically, and very percussively, and it helped me get rid of the stutter. And then from there, I just carried on and did some music,...
(でも、僕は幼いうちに音楽にものすごくのめりこんだ。特にラップにはすごくすごく夢中になった。エミネムが父親が買ってくれた初めてのアルバムだった。その時、おじのジムが父に言ってたよ。『エミネムっていうのは、次のボブ・ディランらしいぜ』って・・・何でも言ってくれていいよ。かなり似てるけど、これは全部物語を語っているようなものなんだ・・・って。で、父親がエミネムの『マーシャル・メイザース』というLPを買ってくれたってわけだ。僕が9歳の頃のことだ。何なのかもわからなかったはずだけど、僕にそれを聞かせてくれた。僕は10歳になるまでに、アルバムの始めから終わりまで一言一句すべて覚えてしまった。エミネムはものすごい速さで、でもきれいなメロディーにのせて、そして、打楽器でもうつようにラップするけど、おかげで、僕は吃音を無くすことができたんだ。そのあと、そこからそのまま続けて、音楽をするようになった・・・) 
 ...It’s just to stress to kids in general is to just be yourself ‘cause there’s no one in the world that can be a better you than you, and if you try to be the cool kid from class, you’ll end up being very boring,...
(「・・・子どもたちみんなにちゃんと言っておきたいのは、ただ、自分らしく、ということだよ。だって、世界中の、君以外の誰も、もっと良い「君」にはなれないんだから。クラスのかっこいいやつみたいになろうとしたら、将来つまらないやつになって終わり、だよ・・・」)

5月10日に公開された"Photograph"のミュージックビデオを観ると、確かに、青い大きな眼鏡をかけて、音楽に夢中になっている男の子の姿が映し出されていて、このスピーチの中でエドが言っていることは、その通りなのだとわかります。そして、幼いエドを捉えているカメラのアングルから、彼の家族がどれだけ温かく彼を見守っていたかもよくわかる。夢中になって何かやっているエドを邪魔しないように、遠巻きに見つめる視線。どの角度から見た時が、一番可愛いかもよくわかっていて、いつもエドを見つめていたことを思わせます。エドの自分らしさはまず、家族に抱きとめられていたのだと思う。だからこそ、エドは、何があろうと、決してぶれることなく自分でも自分らしさを大切にすることができたのだ、という気がします。さらに、そんな「自分らしさ」を十分に育てて、ミュージックシーンで開花させている現在の姿を見ると、困難はあるものだし、そこで過たず正しい道筋を選んで、その場所で何かを積み上げることこそが何より大切なことで、また、それこそが自分なりの人生なのだ、などと思ってしまいました。・・・それにしても、エミネムのラップで吃音を克服した、というエピソード。いい話ですよね。

The quoted part is from:
Ed Sheeran to Kids Who Stutter: Embrace Your Weirdness in TIME

2015年6月6日土曜日

キャサリン・アン・ポーターの言葉から、就職について考える

                                     
キャサリン・アン・ポーター(Katherine Anne Porter)は、1890年に生まれ、すでに1980年に90歳で亡くなったアメリカのジャーナリストです。ピューリッツァー賞も受賞しています。この人の言葉がThe Paris Review のツイートで、ある日流れてきたのですが、その言葉が、本当にその通りだと思えて、しばし立ち止ってしまいました。

                                     
"All this time I was writing, writing no matter what else I was doing; no matter what I thought I was doing, in fact. I was living almost as instinctively as a little animal, but I realize now that all that time a part of me was getting ready to be an artist. That my mind was working even when I didn’t know it, and didn’t care if it was working or not. It is my firm belief that all our lives we are preparing to be somebody or something, even if we don’t do it consciously. And the time comes one morning when you wake up and find that you have become irrevocably what you were preparing all this time to be. Lord, that could be a sticky moment, if you had been doing the wrong things, something against your grain. And, mind you, I know that can happen. I have no patience with this dreadful idea that whatever you have in you has to come out, that you can’t suppress true talent. People can be destroyed; they can be bent, distorted and completely crippled. To say that you can’t destroy yourself is just as foolish as to say of a young man killed in war at twenty-one or twenty-two that that was his fate, that he wasn’t going to have anything anyhow."
(その間も、私は書いていました。どんなに他のことをやっていたとしても、何を考えていたとしても、やはり書いていました。何かの小動物のようにほとんど本能的に生きていたんですが、今思うと、あの頃、自分の中のどこかでアーティストになるために、着々と準備を整えていたのだと思います。そんなこと知らなかった時でも、私の心は動いていたのです。動いていようがいまいが、気にもしてなかったのに。これは、私の確固たる信念なのですが、私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。たとえ、そう意識していなかったとしても。そして、ある朝その時が来て、目覚めると、自分がずっと準備をしてきたものになっていて、もう後戻りはできないとわかるのです。ああ、もしも間違って、自分の性質に合っていないことをしていたとすると、それは嫌な瞬間になるでしょうね。そして、言っておきますが、そういうことは起こりうるのです。私にはわかる。私はこの恐ろしい考えにがまんできないのです。自分の中にあるものは、それが何であれ、外に出て来なくてはいけないし、その本来の才能を押さえつけたりなんてできないのです。人は、損なわれることがある。捻じ曲げられたり、歪められたり、完全な自由をなくしたりする。自分自身を損なうなんてだめ、などというのは、若い男の子が戦争で21歳とか22歳とかで殺されて、何をどうやっても何も手に入れることはない、それがその子の運命だったのだ、などと言っているのと同じ。馬鹿げた話です。)
"I have a very firm belief that the life of no man can be explained in terms of his experiences, of what has happened to him, because in spite of all the poetry, all the philosophy to the contrary, we are not really masters of our fate. We don’t really direct our lives unaided and unobstructed. Our being is subject to all the chances of life. There are so many things we are capable of, that we could be or do. The potentialities are so great that we never, any of us, are more than one-fourth fulfilled. Except that there may be one powerful motivating force that simply carries you along, and I think that was true of me. . . . When I was a very little girl I wrote a letter to my sister saying I wanted glory. I don’t know quite what I meant by that now, but it was something different from fame or success or wealth. I know that I wanted to be a good writer, a good artist."
(私は、本当に信じているのです。誰の人生も、その人の経験とか、その人に起こったことで説明できるものではないのです。だって、あらゆる詩とか、逆にあらゆる哲学とかとは関係なく、私たちは自分の運命なんて、実際には支配できないのですから。何の助けも無い、あるいは、何の妨げも無い状態で、人生を進めていきはしない。私たちの存在は、人生のあらゆる偶然のなすがままなのです。でも、こうなろう、こうしようと思って、できることはたくさんあります。可能性はとても大きなもので、私たちは、誰一人として、その4分の1ほども達成できはしない。でも、例外的に、ただもうあなたを強引に運んで行ってしまうような、ものすごく強力に働きかけてくる力が、あるかもしれません。私の場合はありましたね。幼い少女だったころ、姉に手紙を書いたことがあるのです。私は栄光が欲しい、って。栄光だなんて、どういう意味か、今でもよくわからないのですが、それは、名声とか、成功とか、富とは違うような気がします。ただ、良いものが書ける良いアーティストになりたかった、そういうことだと思います。)
周りの若者は、皆、口を揃えて「将来の夢なんてない」「どんな仕事に就けばいいのかわからない」とそう言いますが、そりゃそうだよ、と思う。私は私の仕事しかしたことは無いけれど、辺りを見渡して他人の仕事の様子をみても、仕事というのは1つ1つがまるで違うような気がします。同じ職種であっても、従事する人がどんな思いをもって、どう取り組んでいるかによって違うし、共に働く人々がどんな人々かによっても違う。大きな組織か小さな組織か、順調に運んでいるのか、苦戦しているのかによっても全く違う。労働条件や待遇だって、個々人の価値観や人生観で、受け止め方は様々だと思います。仕事そのものに関わる要素と、仕事の環境に関わる要素と、自分自身に関わる要素と。この際、仕事そのものに関わる要素以外は、考えないことにして、といきたいところではありますが、そんなわけにはどうしてもいかない。三者は混然と一体化しており、切り離して考えたところで、そう意味はない。そんなありとあらゆるファクターを抱えた無数の仕事が世の中にはあって、自分の知らない、想像を超えた世界がそこに大きく広がっている。それを知らないままにどれか一つを選び取ろうとしなければならないのだから、そんなのそもそも無理な相談じゃないかという気がします。それでも、一応、職種を想定したり、自分の適性や生き方を考えて、そこに向かって何らかの準備を進めていく。そうしてようやく、ある仕事に辿り着くのです。

さらにいえば、それは、決してゴールなんかではない。仕事の中においても、私たちは、日々難問に直面し、それを解決し成長していきます。失敗に自信を喪失することもあれば、できなかったことができるようになって、新たなやりがいを見いだしたりすることもある。仕事に就いた後も、自分の適性や生きる意味を考えて、自分はここで何を成し遂げることができるだろうか、と自問しながら手探りで前に進んでいくのです。つまり、就職した後でさえも、自分は何かを探しているし、「仕事」は変化し続けていく。外から見れば、単に「営業」だったり、「公務員」だったり、「店員」だったりで、それらの人は、それぞれ皆同じことをやっているように見えるのかもしれないけれど、就職したばかりの時と、何十年か経ったベテランになった時では、自分の中では同じ仕事をやっているとは思えないほど、仕事に対する心構えも、実際の仕事内容も全然違う様相を呈してくるのです。

そう考えると、就職というのは、こういうことなのかな、と思います:

自分の性質にピンとくるような、自分が働いている姿が想像できるような仕事とは何か常にアンテナをはり、得意とするもの、または必要な(と思われる)ことを学んでおくなどの作業をしつつ、就職を斡旋してくれる人、先生や先輩、親戚の人、近所の人、その知り合いの人、などが運んでくる情報(就職口の話だけではありません。知り合いにこんな仕事をやっている人がいる、とか、あの人はこの仕事があの仕事につながって今、こんなことやっている、とかそういう情報も大きいのです)との運命的な出会いを求め、キャサリン・アン・ポーターの言うところの、「一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をする」機会を与えてもらうこと。

どうでしょうか。自分は自分の仕事しかやったことはないので、本当のところ、よくわからないのですが。

The quoted part is from:
Katherine Anne Porter, The Art of Fiction No. 29
Interviewed by Barbara Thompson in The Paris Review Davishttp://www.theparisreview.org/interviews/4569/the-art-of-fiction-no-29-katherine-anne-porter

2015年5月16日土曜日

確かにそこに存在する理由があって皆、生きている

10代の頃は、詩を読むのが好きで、よく詩を拾い集めていました。見たこともないような新鮮なつかわれ方をする言葉、語感のきれいな言葉、字面の美しい言葉。そんな言葉に驚いては、何度も眺めたり、ノートに書き写してみたりしていたように思います。でも、いつの間にか―仕事をするようになってからか、子供を持つようになってからか―詩のことは忘れてしまっていました。


最近になって、主に歌の歌詞を通じて、また、詩を読むようになりました。そして、brainpickingsに紹介してあった、この美しい詩を知りました。ポーランドの詩人、Wislawa Szymborska(ヴィスワヴァ・シンボルスカ)のPossibilities(「可能性」)という詩です。ポーランドの詩人の詩なのだから、おそらく原文はポーランド語なのでしょう。ノーベル文学賞も受賞されている方のようですので、日本語訳もすでに存在しているのではないかと思います。いずれにせよ、私はこの詩を原文で読むことは、残念ながらできません。ここは、偶然出会った英語訳を読んでおくことにしたいと思います。

この詩には、「私はこっちの方が好き」という事柄が31個列挙されています。その中で私が気に入ったものは、以下の通り。

I prefer movies.
(映画の方が好き)
I prefer cats.
(猫の方が好き) 
I prefer exceptions.
(例外の方が好き) 
I prefer talking to doctors about something else.
(お医者さんと関係の無い話をする方が好き) 
I prefer, where love’s concerned, nonspecific anniversaries that can be celebrated every day.
(恋愛に関しては、特別な記念日ではない毎日を祝福していたいと思う) 
I prefer the hell of chaos to the hell of order.
(秩序だった地獄よりも、混沌とした地獄の方がまし) 
I prefer not to ask how much longer and when.
(いつまで、とか、いつ、なんて、あえて聞かない方がいい)

こういうことを考えていると、私だったらこう、って言いたくなります。

I prefer tiny wildflowers.
I prefer the shadow of the moon light.
I prefer pretending not to notice.
I prefer sitting side by side.
I prefer being despised.

まだまだ続けられそう。
でも、最後の1行は、この1行しかありえません。

I prefer keeping in mind even the possibility that existence has its own reason for being.
(確かにそこに存在する理由があって皆、生きている。その可能性だけでも、いつも忘れないようにしていたい)

引用:The quoted part is from:
brainpickings
http://www.brainpickings.org/2015/03/18/amanda-palmer-wislawa-szymborska-possibilities-poem-reading/?utm_content=buffer19bd6&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2015年4月23日木曜日

プロセスをこよなく愛せよ -ブラッドリー・ウィットフォードの卒業式の演説から-


私たちは毎日の生活の中で、大まかにいって2つのことをやっているのではないか、と思います。1つは何らかの「パフォーマンス」をすること、もう1つは何らかの「準備」をすること、です。例えば、会議に出席しているのは「パフォーマンス」で、会議のために調べものをしたり、資料を作ったりするのは「準備」だと考える。家でも食事の支度は「準備」で、食事自体は「パフォーマンス」。そして、お風呂に入ったりするのは、明日のための「準備」だと考える、というわけです。「パフォーマンス」の方は、いわば本番の舞台なので、気持ちがこもっていることが多いものですが、「準備」の方は、面倒だからつい後回しにしてしまった、とか、どうやったら効率よく速く終わらせることができるだろう、とか、そんな姿勢で臨みがちです。

Bradley Whitford(ブラッドリー・ウィットフォード)は、TVドラマ『ザ・ホワイトハウス』のジョシュ・ライマン役として知られているアメリカの俳優です。この役で、2001年度エミー賞助演男優賞も受賞しています。そのブラッドリー・ウィットフォードが、 2004年のウィスコンシン大学マディソン校の卒業式の演説で、6つのアドバイスを語っています。そのうちの2つを。



"Number One: Fall in love with the process and the results will follow. You've got to want to act more than you want to be an actor. You've got to want to do whatever you want to do more than you want to be whatever you want to be, want to write more than you want to be a writer, want to heal more than you want to be a doctor, want to teach more than you want to be a teacher, want to serve more than you want to be a politician. Life is too challenging for external rewards to sustain us. The joy is in the journey."
 (その1:プロセスをこよなく愛せよ。そうすれば結果は後からついてくる。俳優になりたい、と望む以上に、演技をしたい、と望むことだ。何になりたいと思うにせよ、なりたいと思う以上に、なんでもやりたいと思ってそれを実行すべきなのだ。作家になりたいと思う以上に、書きたいと思うことだ。医師になりたいと思う以上に人を癒したいと、教師になりたいと思う以上に教えたいと、政治家になりたいと思う以上に、奉仕したいと思うべきなのだ。人生はそれ自体にやりがいがあるもので、別のところからもらうご褒美で、もちこたえるものではない。人生の喜びは、その旅の途中にあるのだ。)
"Number Two: Very obvious: do your work. When faced with the terror of an opening night on Broadway, you can either dissolve in a puddle of fear or you can get yourself ready. Drown out your inevitable self-doubt with the work that needs to be done. Find joy in the process of preparation."
 (その2:当然であるが、自分の仕事をせよ。ブロードウェイがいよいよ開幕する夜のあの恐ろしさに向かう時、不安の沼にはまってしまうか、それとも、万全の準備ができるか、どちらの態度も取れるのである。なかなか自分に自信をもつことはできないものだが、すべき事はすべて済ませておいて、そこから抜け出すのだ。準備を整えるプロセスにこそ喜びを見いだせ。)
 確かに自分の周囲を見渡しても、「パフォーマンス」の素晴らしい人は、「準備」に決して手を抜かない人です。「準備」が充実していれば、「パフォーマンス」が自ずと充実するのは、当然のことのように思います。また、「パフォーマンス」すること自体が、楽しみになることすらある気がします。いずれにせよ、「パフォーマンス」も「準備」もどちらも私たちの人生の一部であり、そのどちらも楽しまないのはもったいない。軽視することなく、また、無駄を恐れず、思う存分「準備」に没頭したいものだと思いました。

引用:The quoted part is from:
Reinventing the Secular Sermon: Remarkable Commencement Addresses by Nora Ephron, David Foster Wallace, Ira Glass, and More
http://www.brainpickings.org/2015/03/25/way-more-than-luck-commencement/?utm_content=bufferacb52&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
in Brainpickings
http://www.brainpickings.org/

2015年3月27日金曜日

沈む夕日と舞い降りる雪の意味-村上春樹の言葉から-


村上春樹さん、ごくたまに、出版社を通じて読者との交流サイトのようなものを立ち上げて、読者とメールのやり取りなんかをしてくださいます。敢えて広く告知などはされず、知る人ぞ知るという感じでされるので、しばしば見落としてしまうのですが。現在も、もう、質問・相談メールの受付は締め切られていますが、読者からのメールとそれに対する村上さんのお返事が、『村上さんのところ』という新潮社主催のサイト(http://www.welluneednt.com/)で、随時公開されています。ツイッターのアカウントもあり、(村上さんのところ@murakamisanno)更新されるたびに知らせてくれます。もちろん、フォロワーになって、更新されるのをいつも楽しみにしています。

今回のやり取りでは、外国の方から英語で寄せられる質問も多く、それには、村上さんが英語で答えておられます。英語での答えが、意外に日本語以上に心に響く言葉で書かれていて、妙に納得してしまいます。以下に引用している文章は、「読者に読み取ってほしいメッセージや、読者に自分なりのメッセージを見つけてほしい、 というようなことが、あなたの本にはあるのか」という、アメリカ人(おそらく)の女性の質問に対する答えとして書かれたものです。

"My books are an open text entirely. You can interpret it any way you like, or you can leave it uninterpreted. My book is just like a sunset or snowfall. You don’t have to take away any meaning from a sunset or snowfall, do you? But if you do need some meanings, it’s up to you. In any case, enjoy reading. That is the main thing."
(僕の本は、完全に読む人に開かれている文章です。好きなように解釈してくださればよいし、解釈しないままでいても構いません。僕の本は、ちょうど、沈む夕日や舞い降りてくる雪のようなものです。夕日や雪から、何か意味を取り出さなくてはならないわけではないですよね?でも、もしも、何らかの意味が必要になれば、それもあなた次第です。いずれにせよ、楽しんで読んでください。それが一番ですから。)



人間というものはあらゆるものごとに、意味づけをせずにはいられない動物だとどなたかが書かれているのを目にしたことがあります。世界のあらゆる出来事が、お互いにかみ合わない単なる断片の寄せ集めで、そこに偶然しかなければ、また、ただ理不尽な事実に翻弄されているばかりでは、どうやって生きていけばよいのだろう、という気がするに違いありません。そこになんらかの意味を見出して、なんとか差し出されたものを飲み込むからこそ、人生に折り合って、納得して先に進んでいけるのだと思います。村上春樹の小説も、文体の心地よいリズムに乗って、どんどん読み進めてしまえるのですが、一つ一つのエピソードから、意味を見いだして解釈を加えるのは、必ずしも簡単なことではありません。おそらく、読む人によって様々な解釈が考えられることでしょう。私たちの人生も同じ。出会う人、住んでいる場所、生まれながらの境遇、突然降りかかってくる出来事。心を開いて、発想を柔軟にして、そういった物事に一つ一つ意味を見いだして、自分という存在の意味をしっかりと受け止めてくれる物語を作っていく。そうやって、前に進んでいくしかないのではないか、という気がします。


引用:The quoted part is from:
『村上さんのところ』http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/22/203600

2015年3月8日日曜日

私と文章と音楽とースタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビューからー

このブログでも、繰り返し取り上げてしまうのですが、文章が持つ音楽性に惹かれてやみません。

 音楽と文体(1)~Maya Angelow の言葉から~ 
  音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~
  http://onehundredpercentinspiration.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html)

先日も、フォローしている The Paris Review 誌(The Paris Review@parisreviews) のツイートから、
アメリカの詩人、スタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビュー記事を知りました。

     
KUNITZ
"The poem in the head is always perfect. Resistance starts when you try to convert it into language. Language itself is a kind of resistance to the pure flow of self. The solution is to become one's language. You cannot write a poem until you hit upon its rhythm. That rhythm not only belongs to the subject matter, it belongs to your interior world, and the moment they hook up there's a quantum leap of energy. You can ride on that rhythm, it will carry you somewhere strange. The next morning you look at the page and wonder how it all happened. You have to triumph over all your diurnal glibness and cheapness and defensiveness."
クニッツ
(詩は頭の中では、必ず完璧なんですよ。それを、言語に変換しようとしたとたん、抵抗に遭うんです。言語それ自体が、純粋な自分という流れに対する、ある種抵抗なんですね。解決方法は、その言語になってしまうことです。その言語のリズムに行きあたるまで、詩を書くことなどできないのです。リズムは、題材にあるだけではなく、自分の内なる世界にもあります。そして、そのリズムがつながった瞬間に、エネルギーが溢れ出してくるのです。自分はただリズムに乗ればよい。そうすると、どこか不思議な場所に連れて行ってくれるから。翌朝、書いていたページを見て、一体これはどうなってたんだ、と思いますよ。ただ、饒舌さとか、安っぽさ、守りの姿勢なんかには、打ち勝つようではないといけません。)
クニッツは、詩にリズムがあるのはもちろんのこと、自分の中にもリズムがあって、その両者がつながることが大切だと言っています。
KUNITZ
"The struggle is between incantation and sense. There's always a song lying under the surface of these poems. It's an incantation that wants to take over—it really doesn't need a language—all it needs is sounds. The sense has to struggle to assert itself, to mount the rhythm and become inseparable from it."
クニッツ
(リズムと意味との格闘です。詩の表面のすぐ下には、いつも歌があるのです。まるでじゅ文のようなリズムがすぐに任せておけ、と控えている。そこには言葉なんて要らない。必要なのは音だけなのです。意味はといえば、存在を主張しよう、リズムに乗ろうと戦って、リズムと分かちがたくなっています。) 
KUNITZ
Rhythm to me, I suppose, is essentially what Hopkins called the taste of self. I taste myself as rhythm.
クニッツ
(リズムは私に言わせれば、詩人のホプキンズが言う、自分の「味」だと思う。私は、自分自身をリズムとして味わっているんです。) 
KUNITZ
The psyche has one central rhythm—capable, of course, of variations, as in music. You must seek your central rhythm in order to find out who you are.
クニッツ
(1人の人間の魂には、一つの中心となるリズムがあるんです。音楽のように、様々なバリエーションも、もちろんありうるけれど。自分がどんな人間かを見つけ出すために、中心となるリズムを探さなければならないのです。)
確かに自分には自分なりのテンポやリズムがあると思います。話すテンポ、歩くテンポ、考えるテンポ 。自分のテンポは人とは違うと思う。また、普段気にかけることはありませんが、私の身体の中では、心臓が鼓動し、それに合わせて血液やリンパ液がごうごうと廻り、吸ったり吐いたりする息が、これも規則的に音をたてている。走ったり、階段を上ったり、びっくりしたり、満足したり、そんなことでリズムが変わったりもする。そんな風に一瞬、一瞬を生きているのだから、例えば、安定したドラムに支えられた音楽を聞いた時に、私の身体が呼応して、リズムを取りたくなるのも、自然なことだと思われます。言語というのも、文字よりも先にまず、音がくるものだとすれば、音は息を操って発するものである以上、呼吸のリズムに深くかかわってくるのも当然といえば当然でしょう。呼吸をする自分のリズム、息を操って発する言語のリズム、リズムが作り出す音楽、この3つは相互に深く関わり合っているような気がします。

私の魂の中心となるリズムは、私の好きな文章や音楽に、やはり、呼応しているものなのでしょうか。人生に、自分の心に響く文章や音楽があるというのは、とても素敵なことだと思います。

引用:The quoted part is from;




2015年2月14日土曜日

ハリー・ニルソンの Remember に思う -映画『ユー・ガット・メール』から-


映画『ユー・ガット・メール』 (You've Got Mail)の一場面から、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)のRememberという曲を知るようになりました。ゆっくりとした美しいメロディーで、歌詞がわりにはっきりと発音されるので聴き取りやすく、初めて聴いた時から、すぐに意味に心を捉えられてしまいました。



"...Remember life is just a memory
Remember close your eyes and you can see
Remember, think of all that life can be
Remember

Dream, love is only in a dream
Remember
Remember life is never as it seems
Dream..."
(「思い出してごらん 人生とはただの記憶なのだから
ほら、目を閉じると 見えるだろう
そうだ、人生がどんなふうなものなのか
思い出してごらん

夢みたいなものだよ 愛も夢を見てるようなものだよ
そうだよ
思い出してごらん 人生はそうだと思っているのとは違うかもしれないよ
夢みたいなものだよ・・・」)


人生とはただの記憶だ

そう聞いて、そうかと思い、また、本当にそうだと、何度かこの言葉を思い返してきました。

歴史に名を残す人や出来事というのはありますが、それは特別なケースで、多くの人生は、その時代を形成する一翼を担っているとしても、いずれは消えてなくなっていく、単なる記憶に過ぎないものだと思います。また、それで十分だともと思います。歴史に残る大きな出来事が「善きこと」だとは限らないからです。

自分という1人の人間からみても、晩年になると、或は、最期を迎えると、自分の人生を振り返ることになるでしょうが、その時には、多くの細かい事柄は消え失せて、自分の人生の中で、印象的な出来事や、大切な人のことだけを思うだろうと想像します。今、私の周りを囲んでいる実体のあるものも皆、すべて実体を持たない記憶だけになってしまう。

理解というものはつねに誤解の総体にすぎない

この言葉は、村上春樹の『スプートニクの恋人』という本の中にあった一節ですが、私たちが、自分の人生だと捉えているものは、同じ時間を共有した他の人の認識とは異なる、大いなる誤解の総体だと言えるのかもしれません。そう考えると、自分の持つ記憶も、実際の過去の出来事なのか、夢なのかさえ曖昧になってくるような気がします。

人生が単なる記憶-しかも、自分の誤解の総体による-記憶なのだとすると、やはり、大切なのは他の人がどう思うかということではなく、常に自分がすべてをどう意識するか、ということに尽きると思います。相手がどうあれ、自分が誰かを愛していれば、その意識だけで人生は十分充実する。いずれにせよ、愛は夢を見てるようなもの、なのですし。バレンタインデーにそう思いました。



引用:The quoted part is from the song "Remember" by Harry Nilsson

http://www.songlyrics.com/harry-nilsson/remember-christmas-lyrics/#rEXGSwh3GpfxsJ4C.99