2015年2月14日土曜日

ハリー・ニルソンの Remember に思う -映画『ユー・ガット・メール』から-


映画『ユー・ガット・メール』 (You've Got Mail)の一場面から、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)のRememberという曲を知るようになりました。ゆっくりとした美しいメロディーで、歌詞がわりにはっきりと発音されるので聴き取りやすく、初めて聴いた時から、すぐに意味に心を捉えられてしまいました。



"...Remember life is just a memory
Remember close your eyes and you can see
Remember, think of all that life can be
Remember

Dream, love is only in a dream
Remember
Remember life is never as it seems
Dream..."
(「思い出してごらん 人生とはただの記憶なのだから
ほら、目を閉じると 見えるだろう
そうだ、人生がどんなふうなものなのか
思い出してごらん

夢みたいなものだよ 愛も夢を見てるようなものだよ
そうだよ
思い出してごらん 人生はそうだと思っているのとは違うかもしれないよ
夢みたいなものだよ・・・」)


人生とはただの記憶だ

そう聞いて、そうかと思い、また、本当にそうだと、何度かこの言葉を思い返してきました。

歴史に名を残す人や出来事というのはありますが、それは特別なケースで、多くの人生は、その時代を形成する一翼を担っているとしても、いずれは消えてなくなっていく、単なる記憶に過ぎないものだと思います。また、それで十分だともと思います。歴史に残る大きな出来事が「善きこと」だとは限らないからです。

自分という1人の人間からみても、晩年になると、或は、最期を迎えると、自分の人生を振り返ることになるでしょうが、その時には、多くの細かい事柄は消え失せて、自分の人生の中で、印象的な出来事や、大切な人のことだけを思うだろうと想像します。今、私の周りを囲んでいる実体のあるものも皆、すべて実体を持たない記憶だけになってしまう。

理解というものはつねに誤解の総体にすぎない

この言葉は、村上春樹の『スプートニクの恋人』という本の中にあった一節ですが、私たちが、自分の人生だと捉えているものは、同じ時間を共有した他の人の認識とは異なる、大いなる誤解の総体だと言えるのかもしれません。そう考えると、自分の持つ記憶も、実際の過去の出来事なのか、夢なのかさえ曖昧になってくるような気がします。

人生が単なる記憶-しかも、自分の誤解の総体による-記憶なのだとすると、やはり、大切なのは他の人がどう思うかということではなく、常に自分がすべてをどう意識するか、ということに尽きると思います。相手がどうあれ、自分が誰かを愛していれば、その意識だけで人生は十分充実する。いずれにせよ、愛は夢を見てるようなもの、なのですし。バレンタインデーにそう思いました。



引用:The quoted part is from the song "Remember" by Harry Nilsson

http://www.songlyrics.com/harry-nilsson/remember-christmas-lyrics/#rEXGSwh3GpfxsJ4C.99

2015年2月5日木曜日

「ときめき」の仕分けから成功は始まるーAlain de Botton(アラン・ド・ボトン)のTED talkからー

「ときめく」ものだけを残して後は処分すべし、ということを訴える整理整頓の本が、ベストセラーになっているようです。私も本を手にしてみました。この、「ときめく」もの、という考え方が実に興味深い。はじめは「ときめく」だなんてわかりづらそう、と思っていたのですが、実際やってみると、「ときめく」ものと、そうでないものは、不思議と区別できる。ハンカチでも、Tシャツでも、一棚分の本でも、iPodの中の音楽でも、分けようと思えば、それは分けられるものだとわかりました。また、「ときめく」ものを察知するアンテナは、かなり不安定なものらしく、ややもすると、すぐに受信障害を起こしてしまう、というのも発見です。例えば、もしかしたら使う時が来るかも、とか、でも、これは高かったから、とか、頂き物だから、とか、別の要素が介入してきて、「ときめき」がわからなくなってしまうのです。
"One of the interesting things about success is that we think we know what it means. A lot of the time our ideas about what it would mean to live successfully are not our own. They’re sucked in from other people. And we also suck in messages from everything from the television to advertising to marketing, etcetera. These are hugely powerful forces that define what we want and how we view ourselves. What I want to argue for is not that we should give up on our ideas of success, but that we should make sure that they are our own. We should focus in on our ideas and make sure that we own them, that we’re truly the authors of our own ambitions. "
(「成功」にはいろいろな面白い面があるのですが、その一つに、私たちが、それが何たるかを知っていると思っている、ということがあります。しかし、多くの場合、私たちが成功した人生とはこういうものだと思っているのは、自分で考えた成功ではない。他の人の考えを取ってきたものだったりします。または、テレビや広告などありとあらゆるものからのメッセージから受け取ったものもある。こういうものは、すさまじい力を持っていて、私たちが何を望めばいいのか、自分をどう評価すればいいのかを、決めつけてしまうのです。私がここで言いたいのは、では、成功について自分で考えるのをあきらめよう、ということではなくて、それが本当に自分にとって成功なのかということを自問しよう、ということです。自分の考えに集中して、それが自分にとっての成功であるのか、本当に自分の望む野心なのか、を自問すべきなのです。)


brainpicking で 哲学者のアラン・ド・ボトン(Alain de Botton)のTED talkが紹介されているのを目にしたとき、まず、連想したのが、前述の「ときめき」による仕分け、でした。哲学者の語る成功が、整理整頓と結びついてしまうのが意外に思えますが、人生は大なり小なり取捨選択の連続なので、いらないものを処分することを避けて通れない整理整頓が、人生の一大事と重なるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

これは私に「ときめき」を与えてくれるものだろうか?と、自分の心の奥の方をのぞきこんで、じっと耳を澄ませてみる。ああ、これを目にすると、手にすると、耳にすると、「私」が悦ぶ。「ときめく」ものでいっぱいの場所は、自分らしくて心から満足できる。そして、それは、まず間違いなく、他の誰かの「ときめく」ものとは違っていて、同じものを選ぶ人は、他に2人といないはずだと確信できます。

自分が「ときめく」ことにこそ、自分の人生にとって意味がある。それなのに、私たちのアンテナは、メディアに取り上げられるもの、他の人からの評価が高いものが、つい、自分の望んでいるものだったかのように思えてしまったりと、ここでもぶれてしまいがちです。『富』『名声』『難関大学』『狭き門』『競争率の高い就職先』『勝ち組』『ステイタス』『ブランド』『人気者』・・・こういった言葉で表される世界は、「一般に」良いとされていて、それを手にすれば幸せになれる、ということが通念となっています。しかし、アラン・ド・ボトンはそこにまず疑念を持つことが、成功への第一歩だと言っているわけです。それは本当にその通りで、例えば、努力の結果、見事この言葉の世界へ足を踏み入れることができたとします。その瞬間は最高の喜びを感じるはずですが、多くの場合、それがゴールというわけではない。私たちは、その後、ずっとその世界を生きていかなくてはならなくなるのです。一瞬のゴールではなくずっと続くものだとすると、また、続けていく努力をしなければならないものだとすると、そこが自分が「ときめく」場所でないと、本当に辛いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

そうやって考えてみれば、整理整頓も侮れない。安定して「ときめき」を受信できるように、怠りなくアンテナの精度を上げておきたいものだと思いました。

2015年1月20日火曜日

仕事が私を見いだしてくれた-エミリー・ブラントの言葉から-

Emily Blunt (エミリー・ブラント)という女優さんをご存じでしょうか。映画『プラダを着た悪魔』で、アン・ハサウェイ扮する主人公のアンドレアの先輩秘書、エミリーを演じていた、あの方です。NPRのブレイク・スルー(突破口)のコーナーに、インタビューが取り上げられたのですが、彼女の経験には、とても考えさせられました。



エミリー・ブラントは幼いころ、吃音に悩まされたのだそうです。それは、7-8歳頃から始まり、12-13歳頃が最もひどかったということでした。特に母音に悩まされ、自分のエミリーという名前も言えず、とてもつらかったそうです。ご両親も随分心配され、リラクゼーションのセラピーをはじめ、思いつく限りの解決方法を試してみたということです。

ブレイク・スルー(突破口)となったのは、小学校の先生の提案でした。なんと、学校の演劇に出演しないか、とエミリー・ブラントを誘ったのです。エミリーは「ノー」の一言さえ言えず、ただ、首を振るばかりでした。しかし、先生は、彼女が友達と物まねなんかをやっているときには、どもることが無いのに気づいていました。結局、エミリーは劇に出演することなるのですが、この試みは大成功で、エミリーは随分久しぶりに、一度もどもることなく話し続け演技を終えることができました。本人はもちろん、お母様の喜びは大変なものだったそうです。そして、この成功が自信となり、吃音を克服でき、また、この時演技をしたことがきっかけで、女優の道に進むことになったのだということです。
"And I think I'd get a little bit overwhelmed if I think about the odds of this not working out. This job found me. I'm someone who never thought I would end up in a career where I had to speak fluently. And here I am."
(そして、もしもうまくいっていなかったらという可能性の方を思うと、ちょっと胸がいっぱいになります。この仕事が私を見い出してくれたのです。まさか、自分が、ものすごくうまく言葉を発しなくてはならない仕事にたどりつくことになるなんて、想像だにできない。私はそういう人間なんです。なのに、私は今、こうしているんです。)
問題の渦中にいる時には、問題にすっかり支配されていて、他のものは目にも耳にも入らずに、自分の不幸を嘆くばかりでいるものです。エミリー・ブラントだってそうだったに違いないはず。周囲の人に嗤われている自分、心配ばかりされてしまう自分、克服しようとするのにどうしてもできない、不甲斐ない自分・・・。 でも、その問題が無ければ、女優という職業にたどり着くことはなかった。つまり、吃音に悩むことこそが、自分の生涯の天職を得るまでに必要なプロセスの一部だったというわけです。そう考えると、一見最悪に見える事態も、将来に向けての重要な第一歩かもしれず、落ち込んでばかりはいられないし、また、最悪な状況かどうかは、後になってみなくてはわからないものだということになる。最悪な状況に重要な意味があるとすれば、人生、恐れるべきものなど何もない。そう思えて元気が出る気がしました。

引用:The quoted part is from: NPR "Desperate To Speak: How Emily Blunt Found Her Voice" DECEMBER 21, 2014 5:04 PM
http://www.npr.org/2014/12/21/372117734/desperate-to-speak-how-emily-blunt-found-her-voice?utm_campaign=storyshare&utm_source=twitter.com&utm_medium=social

2015年1月1日木曜日

アニー・ディラードとスケジュールについて


スケジュール帳を使っています。A6サイズで水色の表紙。月の予定が一覧できるページと、1週間が見開きで、毎日のスケジュールを縦の時間軸で書き込みができるページの両方があります。毎週、毎日のはじめに月の予定のページから、今週の予定を確認して、時間軸の欄に赤字で書き込んでおきます。周りの空欄に、その週にしなくてはならないことを書きだしておきます。(毎日どんどん増えていきます)赤字の予定以外の時間は、自分の自由になる時間なので、その部分に、しなくてはいけないことを優先順位を考えながら、入れていきます。実際に仕事を仕上げるのに、どのくらい時間がかかったかもメモします。(後日同じ仕事をする時に計画が立てやすくなるし、途中で別の作業を始めたりしてしまうことが避けられます)そして、to-do-listの中の終わった仕事は、二重線で消していきます。なるべく短い時間で、最大の効果をあげたいと、いつもスケジュールとにらめっこしていて、この水色のスケジュール帳が無ければ、全く仕事ができないだろう、と思います。


"How we spend our days is, of course, how we spend our lives. What we do with this hour, and that one, is what we are doing. A schedule defends from chaos and whim. It is a net for catching days. It is a scaffolding on which a worker can stand and labor with both hands at sections of time. A schedule is a mock-up of reason and order—willed, faked, and so brought into being; it is a peace and a haven set into the wreck of time; it is a lifeboat on which you find yourself, decades later, still living. Each day is the same, so you remember the series afterward as a blurred and powerful pattern."
(毎日をどう過ごすかは、もちろん、人生をどう過ごすかということになります。この時間、次の時間をどうするかが、自分が取り組んでいることなのです。スケジュールを立てると、混乱したり思い付きで行動したりするのを防げます。スケジュールは1日を逃がさないようにする「網」になるというわけです。働いている人にとってはよって立つ足場であり、時間ごとに手いっぱいでこなさなくてはならない仕事でもあります。スケジュールとは、なぜそれをするのか、そして、何を優先するかについての雛形のようなもので、そうしようとする意志はあるのに、その通りにはいかない、また、だからこそ実現を可能にしてくれるのです。混乱してどうにもならなくなった時間に、秩序と安心をもたらしてくれるもの。その救命ボートに乗っていれば、何十年か後に、自分がまだ生きていることに気づくことでしょう。毎日同じように過ごしていても、後になって、ぼんやりした、でも同時に力強いパターンとして、一連の日々を思い出すことになるのです。)
これは、brainpickings(http://www.brainpickings.org)で紹介されていた、アニー・ディラードという女性作家が書かれた文章です。一般ノンフィクション部門で、ピューリッツァー賞も受賞された方だということです。これまで存じ上げず、作品も読んだことはなかったのですが、この方の、スケジュール、ということへの考え方に共感が持てる、と思いました。

一度にたくさんのことをこなさなくてはならなくなった時、自信の持てないことに取り組まなくてはいけなくなった時などに、まず、一度、やるべきことを書き出してみて、優先順位をつけたりして、頭の中を整理することができると、それだけで、心の負担が軽くなるような気がします。また、やらなくてはならないことはもちろん、自分の「やりたいこと」や「将来こうありたい。そのために必要なこと」もリストにして、やらなくてはならないことの中に加えてみます。そうすると、二重線で消していく、その先の未来には、自分の夢見る自分の姿があるようで、なんだか楽しくなるような気がしてきます。

2015年のスケジュール帳はどんなことが書き込まれるのでしょうか。いろんなことを書き込みたくなるような、充実した1年になるといいな、と思っています。

どうぞ、良いお年を。

引用:The quoted part is from:
How We Spend Our Days Is How We Spend Our Lives: Annie Dillard on Presence Over Productivity http://www.brainpickings.org/2013/06/07/annie-dillard-the-writing-life-1/?utm_content=buffer18b9b&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年12月17日水曜日

トルーマン・カポーティと文体の話

学生時代、田辺聖子さんの著書を徹底して読んだ時期があります。1人暮らしをしていた頃で、休日ともなると、目覚めてベッドの中から起きだしもせずに、眼鏡をかけて本の続きを開く。お腹がすいたな、と思ったころに起きだして、適当に何か食べて雑用を済ませた後、近くの本屋に行き、新しい「田辺聖子の本」を仕入れてくる。お風呂に入って夕食を食べたら、早めにベッドに入って、新しい「田辺聖子の本」を読み始め、睡魔に襲われるまで夜更かしをして読む。・・・という調子で、ずーっとエンドレスに読み続けました。当時文庫として書店で手に入るものが、100冊前後あったでしょうか。全て読み尽くしたと思います。何を思ってそんな生活を送っていたのか。ひとえに楽しくてやっていた、としか言いようがありません。子供たちがゲームにはまっている状態と同じだったと思います。人間観察の視線の鋭さなど、内容的にはっと気づかされることも多々ありましたが、それより何より、ドライブのある文章の、文体にのる楽しさ。それだけに突き動かされるようにして、読み続けたと思います。味わうべきは文体にあり。このことを、とことん体験した時期だったと思います。

村上春樹さんはまだ若い高校時代に、トルーマン・カポーティの文章を読んで、世の中にこんなに美しい文章があるのか、と感動したそうです。へえ、と思って私も何冊か、手に取ってみたのですが、そこは哀しい外国語。意味はわかったとしても、田辺聖子の文体に、村上春樹の文体に、夢中になるあの楽しさは、英語の文章ではなかなか味わうことはできませんでした。

フォローしている The Paris Review 誌(The Paris Review@parisreviews) のツイートに、そのトルーマン・カポーティのインタビューの記事が紹介されていました。トルーマン・カポーティは、文体についてこう語っています。


INTERVIEWER:
Can a writer learn style?
(作家は文体を学習することができますか?) 
CAPOTE:
No, I don’t think that style is consciously arrived at, any more than one arrives at the color of one’s eyes. After all, your style is you. At the end the personality of a writer has so much to do with the work. The personality has to be humanly there. Personality is a debased word, I know, but it’s what I mean. The writer’s individual humanity, his word or gesture toward the world, has to appear almost like a character that makes contact with the reader. If the personality is vague or confused or merely literary, ça ne va pas. Faulkner, McCullers—they project their personality at once.
(いや、文体は意図的に努力してそこにたどり着けるものではないと思う。自分の目の色がその色なんだってことと同じだよ。つまるところ、文体っていいうのは、その人そのものだからね。しまいには、作家の人格というのは、作品に大いにかかわることになる。人格というのは、品の無い言葉だね。わかっているよ。でもぼくが言いたいのは、そういうことなんだ。作家個人の人間性とか、世の中に対するその人の言葉や姿勢とかが、ほとんど性格のような感じで出てこないようでは嘘なんだよ。それで、読者と関係を作っていくわけだから。もし、人格がはっきりしなかったり、混乱していたり、単に文学の上のことだったら?ソレハナイ。フォークナーだって、マッカラーズだって。人格が、即、浮かび上がっているじゃないか。) 
INTERVIEWER:
It is interesting that your work has been so widely appreciated in France. Do you think style can be translated?
(カポーティさんの作品が、フランスで多く読まれているというのは、おもしろいですね。文体というのは、翻訳が可能なものだと思われますか?) 
CAPOTE:
Why not? Provided the author and the translator are artistic twins.
(もちろんだよ。作家と翻訳家が文芸の世界で双子だった場合、ということだよ。)
文体がその人そのもの、というのはよくわかる気がします。その人の見たもの、聴いたもの、信じるもの、あらゆる体験の全て。その人の持つテンポやリズム、息の長さ、その全てを投じて、文章というものは書かれ、文体が形づくられる。だからこそ、そこに夢中で飛び込む人を受け止めるほどの、包容力を持つのではないでしょうか。

それにしても、いずれ、英語で書かれた文章でも、その文体を夢中になって楽しむことができるようになる、というのが私の悲願です。そうなった時には、田辺聖子や村上春樹のような、自分にとってかけがえのない文体を持つ著者と運命の出会いを果たし、その翻訳をしてみたい、というのも、私の数年来の夢です。そんな日がいつかやってくるといいな、とわくわく、きょろきょろして、毎日を過ごしています。

引用:The quoted part is from;

Truman Capote, The Art of Fiction No. 17, Interviewed by Pati Hill, in The Paris Review No. 16, Spring-Summer 1957 http://www.theparisreview.org/interviews/4867/the-art-of-fiction-no-17-truman-capote

2014年12月1日月曜日

生き方を伝えるビル・エヴァンズの音楽

ジャズのことを深く理解しているわけではないのですが、それでもジャズの名盤なるものが、いくつも私のiPodに入っていて、時折、そのタイトルをタッチすることになります。ビル・エバンズのピアノはその選択肢のいくつかであって、わりに頻繁に耳にしているように思います。何かをじっと考えているような、少し気難しい、そして丁寧な演奏にじっと耳を傾けると、そうだ、私に足らないのは、こういう風に物事に丁寧に向き合うことなんだよな、と思えてきます。


"Most people just don’t realize the immensity of the problem and, either because they can’t conquer it immediately, think that they haven’t got the ability, or they’re so impatient to conquer it that they never do see it through. If you do understand the problem then you can enjoy your whole trip through."
(ほとんどの人は、問題の大きさに気づかないし、しかも、すぐに問題を克服できないということは、才能が無いからだと思ってしまったり、問題を克服するまでの辛抱ができなくて、途中で断念してしまったり。問題がいかなるものか理解できたら、それを克服する旅も楽しめるのに。) 
"It is true of any subject that the person that succeeds in anything has the realistic viewpoint at the beginning and [knows] that the problem is large and that he has to take it a step at a time and that he has to enjoy the step-by-step learning procedure. They’re trying to do a thing in a way that is so general [that] they can’t possibly build on that. If they build on that, they’re building on top of confusion and vagueness and they can’t possibly progress. If you try to approximate something that is very advanced and don’t know what you’re doing, you can’t advance."
(どんな分野にしろ、何かに成功している人というのは、最初から、現実的なものの見方ができている。そして、問題というのは大きなもので、1度に1歩ずつ進んでいかなければならないし、一歩ずつ進む学びを楽しまなくてはならない、ということを知っている。ごく一般的なやり方で進めようとしても、一般論を足場にするのは無理だ。もしそんなところに立ち位置を定めてしまったら、わけのわからない、曖昧模糊とした状況に立つことになってしまって、進歩することはできないだろう。ものすごく先進的なことに近づこうとするのなら、自分が何をやっているのかがわからなければ、前にすすむことなどできないのだ。)
いつもお世話になっている、Brainpickings (http://www.brainpickings.org/) で紹介されていた、ビル・エヴァンズの文章ですが、なんだかすごくよくわかる気がして不思議でした。私の毎日は、ジャズピアノを聴くことはあっても、演奏することなど全く考えられない、別世界だというのに。「一般論は役に立たない」という彼の説が、みごと一般化しているような。

でも彼の言う通り、問題というのは、確かに、たいてい手におえないほど大きいし、しかも1つ1つが、それぞれ個別の文脈の中で起こるもので、一般的な解決方法など、なかなか役には立たない、というのは本当だと思います。あるべき姿に一足飛びに到達することを夢見て、がむしゃらに突き進んでみても仕方がない。問題を現実的に捉えて、理解可能、かつ、達成可能なサイズに細分化して、それを一つ一つ解決しながら進んで行く。一歩一歩という地道さが大変そうではあるけれど、それを楽しみつつ辛抱強く進むことが大切だ、と。この思慮深さ、この着実さが、ビル・エヴァンズの生きる姿勢であり、音楽には、生き方がそのまま映し出されるものなのかな、と思わされました。

引用:The quoted part is from Brainpickings
Universal Mind of Bill Evans: The Creative Process and Self-Teaching
http://www.brainpickings.org/2014/10/30/the-universal-mind-of-bill-evans/?utm_content=bufferafc6f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

2014年11月15日土曜日

テイラー・スウィフトの変身

テイラー・スウィフトの新しいアルバム『1989』が、アメリカで2014年10月27日(月)に発売されました。なんと、翌日火曜日には、既にミリオンセラーを記録したということなのですが、これ以前に、発売1週間でミリオンセラーを記録したのは、やはりテイラー自身の2012年のアルバムRedだったのだそう。凄まじい人気ぶりです。

そのアルバムからの1枚目のシングル、Shake It Off を聴いてみんな驚きました。これまでのカントリー調を脱ぎ捨てて、よりポップな方向に大変身を遂げています。そんなこともできるのか、とか、カントリーはどうなっちゃうの?とか、様々な声が聞こえてきます。お姫様のようなドレスを着ていたり、あくまで可愛いアイドルだった前作までのイメージをぶち壊して、敢えてへたっぴなダンスを披露して、捨身というよりむしろ、はじけてしまって楽しんでいるような感じ。アメリカでも日本でも、男女を問わず、イメージチェンジといえば、セクシー路線に走るのが定石のようなのに、この変身は新しい。すっかりテイラー・スウィフトを見直してしまいました。アルバムの発売当日に、エド・シーランが、

 ”Go grab yourself @taylorswift13's new album, it just came out and it's stellar -  http://smarturl.it/TS1989(すぐにテイラー・スウィフトの新しいアルバムを買っておいで。今日でたばかり。素晴らしいよ)

とツイートしていました。エドが知らせなくてもみんな知ってるよ、
一緒にツアーを回ったからかな、律儀な人だな、と思っていたのですが、それだけじゃない。きっと、本当に素晴らしいと彼も思ったに違いないという気がします。

アメリカの公共ラジオ"NPR"からも、テイラー・スウィフトの、新しいアルバムについてのインタビューを知らせるツイートが流れてきました。

”We are dealing with a huge self-esteem crisis. These girls are able to scroll pictures of the highlight reels of other people's lives, and they're stuck with the behind-the-scenes of their own lives. They wake up and they look at their reflection in the mirror, and they compare it to some filtered, beautiful photo of some girl who's really popular and seems like she has it all together. This is not what you and I had to deal with when we were 12. It's so easy and readily available to compare yourself to others and to feel like you lose.”
(女の子たちみんなの自尊心は、今、危機的な状況にあっていると思うんです。こういう女の子たちって、画面をスクロールして他の人の生活のハイライトシーンばかり見る、そういうことが可能です。そして、自分自身の生活では、「撮影裏話」みたいなところにいて、行き詰っている。朝起きて、鏡の中に写っている自分を見て、その姿を、誰か他の女の子の、選び抜かれた美しい写真と比べるのです。その女の子はすごく人気があって、何もかもすべて手にしているように見える。こういうのって、私たちが12歳の頃には考えなくてよかったことです。他の人と比べて、ものすごく簡単に、安易に、負けたような気分になってしまう。) 
”I'm 24. I still don't feel like it's a priority for me to be cool, edgy, or sexy. When girls feel like they don't fit into those three themes, which are so obnoxiously thrust upon them through the media, I think the best thing I can do for those girls is let them know that this is what my life looks like. I love my life. I've never ever felt edgy, cool, or sexy. Not one time. And that it's not important for them to be those things. It's important for them to be imaginative, intelligent, hardworking, strong, smart, quick-witted, charming. All these things that I think have gone to the bottom of the list of priorities. I think that there are bigger themes I can be explaining to them, and I think I'm trying as hard as I possibly can to do that.”
(私は24歳です。でもいまだに、カッコイイ、今っぽい、セクシーとかいうのは、私が優先したいことではありません。女の子たちが、自分がこの3つのどれにも当てはまらないような気がしていても、メディアが鬱陶しいほど押し付けてくるのです。私がこういう子たちにしてあげられることは、「私の生活はこうなんだよ」って知らせてあげること。私は自分の生活が大好き。でも、自分が今っぽいとか、カッコイイとか、セクシーだとか思ったことはありません。一度もです。そんなの全然大切なことじゃないし。想像力がある、知的、頑張り屋、強い、賢い、機転が利く、魅力的。そういうことの方が大切です。こういうことって、これまで、優先順位の下の方になってしまっていたんじゃないかと思う。もっと大きなテーマがあって、そっちを女の子たちに伝えてあげることができるんじゃないかと思います。精一杯がんばって、そうしてるつもりなんです。)
彼女の曲を聴いて、歌詞を読んでいつも思うのは、この人はなんと真面目な人だろうか、ということです。不器用なほど生真面目だと思います。うっかりすると見逃してしまうような、小さな足跡、何かの兆しみたいなものを、怠ることなくいつもいくつも拾い集めていて、それを紡いで詩を編んでいく。隠したり、ごまかしたり、偽ったりするのは、どうしてもどうしても、許せない。だから、おそらく、過去の自分の恋愛に真正面から向き合って、ごまかしたり、偽ったりした相手を責めて・・・。そんな風にして曲を作っているのではないでしょうか。

彼女が中・高生だった頃、カントリーが好きなことでいじめにあったこともある、という話を聞いたことがありますが、たとえ、ダサかろうがからかわれようが、自分の好きな音楽を偽ったりごまかしたりなんて、彼女にできるはずはない。誰が何と言おうと、やっぱり彼女はカントリーが大好きで、自分がカントリー歌手であることに誇りと喜びを感じている。マスに流されることなく自分の考えで進んでいく、そのまっすぐな姿勢が、結局彼女の一番の魅力なのではないか。そう思いました。

引用:The quoted part is from: