2015年4月23日木曜日

プロセスをこよなく愛せよ -ブラッドリー・ウィットフォードの卒業式の演説から-


私たちは毎日の生活の中で、大まかにいって2つのことをやっているのではないか、と思います。1つは何らかの「パフォーマンス」をすること、もう1つは何らかの「準備」をすること、です。例えば、会議に出席しているのは「パフォーマンス」で、会議のために調べものをしたり、資料を作ったりするのは「準備」だと考える。家でも食事の支度は「準備」で、食事自体は「パフォーマンス」。そして、お風呂に入ったりするのは、明日のための「準備」だと考える、というわけです。「パフォーマンス」の方は、いわば本番の舞台なので、気持ちがこもっていることが多いものですが、「準備」の方は、面倒だからつい後回しにしてしまった、とか、どうやったら効率よく速く終わらせることができるだろう、とか、そんな姿勢で臨みがちです。

Bradley Whitford(ブラッドリー・ウィットフォード)は、TVドラマ『ザ・ホワイトハウス』のジョシュ・ライマン役として知られているアメリカの俳優です。この役で、2001年度エミー賞助演男優賞も受賞しています。そのブラッドリー・ウィットフォードが、 2004年のウィスコンシン大学マディソン校の卒業式の演説で、6つのアドバイスを語っています。そのうちの2つを。



"Number One: Fall in love with the process and the results will follow. You've got to want to act more than you want to be an actor. You've got to want to do whatever you want to do more than you want to be whatever you want to be, want to write more than you want to be a writer, want to heal more than you want to be a doctor, want to teach more than you want to be a teacher, want to serve more than you want to be a politician. Life is too challenging for external rewards to sustain us. The joy is in the journey."
 (その1:プロセスをこよなく愛せよ。そうすれば結果は後からついてくる。俳優になりたい、と望む以上に、演技をしたい、と望むことだ。何になりたいと思うにせよ、なりたいと思う以上に、なんでもやりたいと思ってそれを実行すべきなのだ。作家になりたいと思う以上に、書きたいと思うことだ。医師になりたいと思う以上に人を癒したいと、教師になりたいと思う以上に教えたいと、政治家になりたいと思う以上に、奉仕したいと思うべきなのだ。人生はそれ自体にやりがいがあるもので、別のところからもらうご褒美で、もちこたえるものではない。人生の喜びは、その旅の途中にあるのだ。)
"Number Two: Very obvious: do your work. When faced with the terror of an opening night on Broadway, you can either dissolve in a puddle of fear or you can get yourself ready. Drown out your inevitable self-doubt with the work that needs to be done. Find joy in the process of preparation."
 (その2:当然であるが、自分の仕事をせよ。ブロードウェイがいよいよ開幕する夜のあの恐ろしさに向かう時、不安の沼にはまってしまうか、それとも、万全の準備ができるか、どちらの態度も取れるのである。なかなか自分に自信をもつことはできないものだが、すべき事はすべて済ませておいて、そこから抜け出すのだ。準備を整えるプロセスにこそ喜びを見いだせ。)
 確かに自分の周囲を見渡しても、「パフォーマンス」の素晴らしい人は、「準備」に決して手を抜かない人です。「準備」が充実していれば、「パフォーマンス」が自ずと充実するのは、当然のことのように思います。また、「パフォーマンス」すること自体が、楽しみになることすらある気がします。いずれにせよ、「パフォーマンス」も「準備」もどちらも私たちの人生の一部であり、そのどちらも楽しまないのはもったいない。軽視することなく、また、無駄を恐れず、思う存分「準備」に没頭したいものだと思いました。

引用:The quoted part is from:
Reinventing the Secular Sermon: Remarkable Commencement Addresses by Nora Ephron, David Foster Wallace, Ira Glass, and More
http://www.brainpickings.org/2015/03/25/way-more-than-luck-commencement/?utm_content=bufferacb52&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
in Brainpickings
http://www.brainpickings.org/

2015年3月27日金曜日

沈む夕日と舞い降りる雪の意味-村上春樹の言葉から-


村上春樹さん、ごくたまに、出版社を通じて読者との交流サイトのようなものを立ち上げて、読者とメールのやり取りなんかをしてくださいます。敢えて広く告知などはされず、知る人ぞ知るという感じでされるので、しばしば見落としてしまうのですが。現在も、もう、質問・相談メールの受付は締め切られていますが、読者からのメールとそれに対する村上さんのお返事が、『村上さんのところ』という新潮社主催のサイト(http://www.welluneednt.com/)で、随時公開されています。ツイッターのアカウントもあり、(村上さんのところ@murakamisanno)更新されるたびに知らせてくれます。もちろん、フォロワーになって、更新されるのをいつも楽しみにしています。

今回のやり取りでは、外国の方から英語で寄せられる質問も多く、それには、村上さんが英語で答えておられます。英語での答えが、意外に日本語以上に心に響く言葉で書かれていて、妙に納得してしまいます。以下に引用している文章は、「読者に読み取ってほしいメッセージや、読者に自分なりのメッセージを見つけてほしい、 というようなことが、あなたの本にはあるのか」という、アメリカ人(おそらく)の女性の質問に対する答えとして書かれたものです。

"My books are an open text entirely. You can interpret it any way you like, or you can leave it uninterpreted. My book is just like a sunset or snowfall. You don’t have to take away any meaning from a sunset or snowfall, do you? But if you do need some meanings, it’s up to you. In any case, enjoy reading. That is the main thing."
(僕の本は、完全に読む人に開かれている文章です。好きなように解釈してくださればよいし、解釈しないままでいても構いません。僕の本は、ちょうど、沈む夕日や舞い降りてくる雪のようなものです。夕日や雪から、何か意味を取り出さなくてはならないわけではないですよね?でも、もしも、何らかの意味が必要になれば、それもあなた次第です。いずれにせよ、楽しんで読んでください。それが一番ですから。)



人間というものはあらゆるものごとに、意味づけをせずにはいられない動物だとどなたかが書かれているのを目にしたことがあります。世界のあらゆる出来事が、お互いにかみ合わない単なる断片の寄せ集めで、そこに偶然しかなければ、また、ただ理不尽な事実に翻弄されているばかりでは、どうやって生きていけばよいのだろう、という気がするに違いありません。そこになんらかの意味を見出して、なんとか差し出されたものを飲み込むからこそ、人生に折り合って、納得して先に進んでいけるのだと思います。村上春樹の小説も、文体の心地よいリズムに乗って、どんどん読み進めてしまえるのですが、一つ一つのエピソードから、意味を見いだして解釈を加えるのは、必ずしも簡単なことではありません。おそらく、読む人によって様々な解釈が考えられることでしょう。私たちの人生も同じ。出会う人、住んでいる場所、生まれながらの境遇、突然降りかかってくる出来事。心を開いて、発想を柔軟にして、そういった物事に一つ一つ意味を見いだして、自分という存在の意味をしっかりと受け止めてくれる物語を作っていく。そうやって、前に進んでいくしかないのではないか、という気がします。


引用:The quoted part is from:
『村上さんのところ』http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/22/203600

2015年3月8日日曜日

私と文章と音楽とースタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビューからー

このブログでも、繰り返し取り上げてしまうのですが、文章が持つ音楽性に惹かれてやみません。

 音楽と文体(1)~Maya Angelow の言葉から~ 
  音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~
  http://onehundredpercentinspiration.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html)

先日も、フォローしている The Paris Review 誌(The Paris Review@parisreviews) のツイートから、
アメリカの詩人、スタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビュー記事を知りました。

     
KUNITZ
"The poem in the head is always perfect. Resistance starts when you try to convert it into language. Language itself is a kind of resistance to the pure flow of self. The solution is to become one's language. You cannot write a poem until you hit upon its rhythm. That rhythm not only belongs to the subject matter, it belongs to your interior world, and the moment they hook up there's a quantum leap of energy. You can ride on that rhythm, it will carry you somewhere strange. The next morning you look at the page and wonder how it all happened. You have to triumph over all your diurnal glibness and cheapness and defensiveness."
クニッツ
(詩は頭の中では、必ず完璧なんですよ。それを、言語に変換しようとしたとたん、抵抗に遭うんです。言語それ自体が、純粋な自分という流れに対する、ある種抵抗なんですね。解決方法は、その言語になってしまうことです。その言語のリズムに行きあたるまで、詩を書くことなどできないのです。リズムは、題材にあるだけではなく、自分の内なる世界にもあります。そして、そのリズムがつながった瞬間に、エネルギーが溢れ出してくるのです。自分はただリズムに乗ればよい。そうすると、どこか不思議な場所に連れて行ってくれるから。翌朝、書いていたページを見て、一体これはどうなってたんだ、と思いますよ。ただ、饒舌さとか、安っぽさ、守りの姿勢なんかには、打ち勝つようではないといけません。)
クニッツは、詩にリズムがあるのはもちろんのこと、自分の中にもリズムがあって、その両者がつながることが大切だと言っています。
KUNITZ
"The struggle is between incantation and sense. There's always a song lying under the surface of these poems. It's an incantation that wants to take over—it really doesn't need a language—all it needs is sounds. The sense has to struggle to assert itself, to mount the rhythm and become inseparable from it."
クニッツ
(リズムと意味との格闘です。詩の表面のすぐ下には、いつも歌があるのです。まるでじゅ文のようなリズムがすぐに任せておけ、と控えている。そこには言葉なんて要らない。必要なのは音だけなのです。意味はといえば、存在を主張しよう、リズムに乗ろうと戦って、リズムと分かちがたくなっています。) 
KUNITZ
Rhythm to me, I suppose, is essentially what Hopkins called the taste of self. I taste myself as rhythm.
クニッツ
(リズムは私に言わせれば、詩人のホプキンズが言う、自分の「味」だと思う。私は、自分自身をリズムとして味わっているんです。) 
KUNITZ
The psyche has one central rhythm—capable, of course, of variations, as in music. You must seek your central rhythm in order to find out who you are.
クニッツ
(1人の人間の魂には、一つの中心となるリズムがあるんです。音楽のように、様々なバリエーションも、もちろんありうるけれど。自分がどんな人間かを見つけ出すために、中心となるリズムを探さなければならないのです。)
確かに自分には自分なりのテンポやリズムがあると思います。話すテンポ、歩くテンポ、考えるテンポ 。自分のテンポは人とは違うと思う。また、普段気にかけることはありませんが、私の身体の中では、心臓が鼓動し、それに合わせて血液やリンパ液がごうごうと廻り、吸ったり吐いたりする息が、これも規則的に音をたてている。走ったり、階段を上ったり、びっくりしたり、満足したり、そんなことでリズムが変わったりもする。そんな風に一瞬、一瞬を生きているのだから、例えば、安定したドラムに支えられた音楽を聞いた時に、私の身体が呼応して、リズムを取りたくなるのも、自然なことだと思われます。言語というのも、文字よりも先にまず、音がくるものだとすれば、音は息を操って発するものである以上、呼吸のリズムに深くかかわってくるのも当然といえば当然でしょう。呼吸をする自分のリズム、息を操って発する言語のリズム、リズムが作り出す音楽、この3つは相互に深く関わり合っているような気がします。

私の魂の中心となるリズムは、私の好きな文章や音楽に、やはり、呼応しているものなのでしょうか。人生に、自分の心に響く文章や音楽があるというのは、とても素敵なことだと思います。

引用:The quoted part is from;




2015年2月14日土曜日

ハリー・ニルソンの Remember に思う -映画『ユー・ガット・メール』から-


映画『ユー・ガット・メール』 (You've Got Mail)の一場面から、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)のRememberという曲を知るようになりました。ゆっくりとした美しいメロディーで、歌詞がわりにはっきりと発音されるので聴き取りやすく、初めて聴いた時から、すぐに意味に心を捉えられてしまいました。



"...Remember life is just a memory
Remember close your eyes and you can see
Remember, think of all that life can be
Remember

Dream, love is only in a dream
Remember
Remember life is never as it seems
Dream..."
(「思い出してごらん 人生とはただの記憶なのだから
ほら、目を閉じると 見えるだろう
そうだ、人生がどんなふうなものなのか
思い出してごらん

夢みたいなものだよ 愛も夢を見てるようなものだよ
そうだよ
思い出してごらん 人生はそうだと思っているのとは違うかもしれないよ
夢みたいなものだよ・・・」)


人生とはただの記憶だ

そう聞いて、そうかと思い、また、本当にそうだと、何度かこの言葉を思い返してきました。

歴史に名を残す人や出来事というのはありますが、それは特別なケースで、多くの人生は、その時代を形成する一翼を担っているとしても、いずれは消えてなくなっていく、単なる記憶に過ぎないものだと思います。また、それで十分だともと思います。歴史に残る大きな出来事が「善きこと」だとは限らないからです。

自分という1人の人間からみても、晩年になると、或は、最期を迎えると、自分の人生を振り返ることになるでしょうが、その時には、多くの細かい事柄は消え失せて、自分の人生の中で、印象的な出来事や、大切な人のことだけを思うだろうと想像します。今、私の周りを囲んでいる実体のあるものも皆、すべて実体を持たない記憶だけになってしまう。

理解というものはつねに誤解の総体にすぎない

この言葉は、村上春樹の『スプートニクの恋人』という本の中にあった一節ですが、私たちが、自分の人生だと捉えているものは、同じ時間を共有した他の人の認識とは異なる、大いなる誤解の総体だと言えるのかもしれません。そう考えると、自分の持つ記憶も、実際の過去の出来事なのか、夢なのかさえ曖昧になってくるような気がします。

人生が単なる記憶-しかも、自分の誤解の総体による-記憶なのだとすると、やはり、大切なのは他の人がどう思うかということではなく、常に自分がすべてをどう意識するか、ということに尽きると思います。相手がどうあれ、自分が誰かを愛していれば、その意識だけで人生は十分充実する。いずれにせよ、愛は夢を見てるようなもの、なのですし。バレンタインデーにそう思いました。



引用:The quoted part is from the song "Remember" by Harry Nilsson

http://www.songlyrics.com/harry-nilsson/remember-christmas-lyrics/#rEXGSwh3GpfxsJ4C.99

2015年2月5日木曜日

「ときめき」の仕分けから成功は始まるーAlain de Botton(アラン・ド・ボトン)のTED talkからー

「ときめく」ものだけを残して後は処分すべし、ということを訴える整理整頓の本が、ベストセラーになっているようです。私も本を手にしてみました。この、「ときめく」もの、という考え方が実に興味深い。はじめは「ときめく」だなんてわかりづらそう、と思っていたのですが、実際やってみると、「ときめく」ものと、そうでないものは、不思議と区別できる。ハンカチでも、Tシャツでも、一棚分の本でも、iPodの中の音楽でも、分けようと思えば、それは分けられるものだとわかりました。また、「ときめく」ものを察知するアンテナは、かなり不安定なものらしく、ややもすると、すぐに受信障害を起こしてしまう、というのも発見です。例えば、もしかしたら使う時が来るかも、とか、でも、これは高かったから、とか、頂き物だから、とか、別の要素が介入してきて、「ときめき」がわからなくなってしまうのです。
"One of the interesting things about success is that we think we know what it means. A lot of the time our ideas about what it would mean to live successfully are not our own. They’re sucked in from other people. And we also suck in messages from everything from the television to advertising to marketing, etcetera. These are hugely powerful forces that define what we want and how we view ourselves. What I want to argue for is not that we should give up on our ideas of success, but that we should make sure that they are our own. We should focus in on our ideas and make sure that we own them, that we’re truly the authors of our own ambitions. "
(「成功」にはいろいろな面白い面があるのですが、その一つに、私たちが、それが何たるかを知っていると思っている、ということがあります。しかし、多くの場合、私たちが成功した人生とはこういうものだと思っているのは、自分で考えた成功ではない。他の人の考えを取ってきたものだったりします。または、テレビや広告などありとあらゆるものからのメッセージから受け取ったものもある。こういうものは、すさまじい力を持っていて、私たちが何を望めばいいのか、自分をどう評価すればいいのかを、決めつけてしまうのです。私がここで言いたいのは、では、成功について自分で考えるのをあきらめよう、ということではなくて、それが本当に自分にとって成功なのかということを自問しよう、ということです。自分の考えに集中して、それが自分にとっての成功であるのか、本当に自分の望む野心なのか、を自問すべきなのです。)


brainpicking で 哲学者のアラン・ド・ボトン(Alain de Botton)のTED talkが紹介されているのを目にしたとき、まず、連想したのが、前述の「ときめき」による仕分け、でした。哲学者の語る成功が、整理整頓と結びついてしまうのが意外に思えますが、人生は大なり小なり取捨選択の連続なので、いらないものを処分することを避けて通れない整理整頓が、人生の一大事と重なるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

これは私に「ときめき」を与えてくれるものだろうか?と、自分の心の奥の方をのぞきこんで、じっと耳を澄ませてみる。ああ、これを目にすると、手にすると、耳にすると、「私」が悦ぶ。「ときめく」ものでいっぱいの場所は、自分らしくて心から満足できる。そして、それは、まず間違いなく、他の誰かの「ときめく」ものとは違っていて、同じものを選ぶ人は、他に2人といないはずだと確信できます。

自分が「ときめく」ことにこそ、自分の人生にとって意味がある。それなのに、私たちのアンテナは、メディアに取り上げられるもの、他の人からの評価が高いものが、つい、自分の望んでいるものだったかのように思えてしまったりと、ここでもぶれてしまいがちです。『富』『名声』『難関大学』『狭き門』『競争率の高い就職先』『勝ち組』『ステイタス』『ブランド』『人気者』・・・こういった言葉で表される世界は、「一般に」良いとされていて、それを手にすれば幸せになれる、ということが通念となっています。しかし、アラン・ド・ボトンはそこにまず疑念を持つことが、成功への第一歩だと言っているわけです。それは本当にその通りで、例えば、努力の結果、見事この言葉の世界へ足を踏み入れることができたとします。その瞬間は最高の喜びを感じるはずですが、多くの場合、それがゴールというわけではない。私たちは、その後、ずっとその世界を生きていかなくてはならなくなるのです。一瞬のゴールではなくずっと続くものだとすると、また、続けていく努力をしなければならないものだとすると、そこが自分が「ときめく」場所でないと、本当に辛いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

そうやって考えてみれば、整理整頓も侮れない。安定して「ときめき」を受信できるように、怠りなくアンテナの精度を上げておきたいものだと思いました。

2015年1月20日火曜日

仕事が私を見いだしてくれた-エミリー・ブラントの言葉から-

Emily Blunt (エミリー・ブラント)という女優さんをご存じでしょうか。映画『プラダを着た悪魔』で、アン・ハサウェイ扮する主人公のアンドレアの先輩秘書、エミリーを演じていた、あの方です。NPRのブレイク・スルー(突破口)のコーナーに、インタビューが取り上げられたのですが、彼女の経験には、とても考えさせられました。



エミリー・ブラントは幼いころ、吃音に悩まされたのだそうです。それは、7-8歳頃から始まり、12-13歳頃が最もひどかったということでした。特に母音に悩まされ、自分のエミリーという名前も言えず、とてもつらかったそうです。ご両親も随分心配され、リラクゼーションのセラピーをはじめ、思いつく限りの解決方法を試してみたということです。

ブレイク・スルー(突破口)となったのは、小学校の先生の提案でした。なんと、学校の演劇に出演しないか、とエミリー・ブラントを誘ったのです。エミリーは「ノー」の一言さえ言えず、ただ、首を振るばかりでした。しかし、先生は、彼女が友達と物まねなんかをやっているときには、どもることが無いのに気づいていました。結局、エミリーは劇に出演することなるのですが、この試みは大成功で、エミリーは随分久しぶりに、一度もどもることなく話し続け演技を終えることができました。本人はもちろん、お母様の喜びは大変なものだったそうです。そして、この成功が自信となり、吃音を克服でき、また、この時演技をしたことがきっかけで、女優の道に進むことになったのだということです。
"And I think I'd get a little bit overwhelmed if I think about the odds of this not working out. This job found me. I'm someone who never thought I would end up in a career where I had to speak fluently. And here I am."
(そして、もしもうまくいっていなかったらという可能性の方を思うと、ちょっと胸がいっぱいになります。この仕事が私を見い出してくれたのです。まさか、自分が、ものすごくうまく言葉を発しなくてはならない仕事にたどりつくことになるなんて、想像だにできない。私はそういう人間なんです。なのに、私は今、こうしているんです。)
問題の渦中にいる時には、問題にすっかり支配されていて、他のものは目にも耳にも入らずに、自分の不幸を嘆くばかりでいるものです。エミリー・ブラントだってそうだったに違いないはず。周囲の人に嗤われている自分、心配ばかりされてしまう自分、克服しようとするのにどうしてもできない、不甲斐ない自分・・・。 でも、その問題が無ければ、女優という職業にたどり着くことはなかった。つまり、吃音に悩むことこそが、自分の生涯の天職を得るまでに必要なプロセスの一部だったというわけです。そう考えると、一見最悪に見える事態も、将来に向けての重要な第一歩かもしれず、落ち込んでばかりはいられないし、また、最悪な状況かどうかは、後になってみなくてはわからないものだということになる。最悪な状況に重要な意味があるとすれば、人生、恐れるべきものなど何もない。そう思えて元気が出る気がしました。

引用:The quoted part is from: NPR "Desperate To Speak: How Emily Blunt Found Her Voice" DECEMBER 21, 2014 5:04 PM
http://www.npr.org/2014/12/21/372117734/desperate-to-speak-how-emily-blunt-found-her-voice?utm_campaign=storyshare&utm_source=twitter.com&utm_medium=social

2015年1月1日木曜日

アニー・ディラードとスケジュールについて


スケジュール帳を使っています。A6サイズで水色の表紙。月の予定が一覧できるページと、1週間が見開きで、毎日のスケジュールを縦の時間軸で書き込みができるページの両方があります。毎週、毎日のはじめに月の予定のページから、今週の予定を確認して、時間軸の欄に赤字で書き込んでおきます。周りの空欄に、その週にしなくてはならないことを書きだしておきます。(毎日どんどん増えていきます)赤字の予定以外の時間は、自分の自由になる時間なので、その部分に、しなくてはいけないことを優先順位を考えながら、入れていきます。実際に仕事を仕上げるのに、どのくらい時間がかかったかもメモします。(後日同じ仕事をする時に計画が立てやすくなるし、途中で別の作業を始めたりしてしまうことが避けられます)そして、to-do-listの中の終わった仕事は、二重線で消していきます。なるべく短い時間で、最大の効果をあげたいと、いつもスケジュールとにらめっこしていて、この水色のスケジュール帳が無ければ、全く仕事ができないだろう、と思います。


"How we spend our days is, of course, how we spend our lives. What we do with this hour, and that one, is what we are doing. A schedule defends from chaos and whim. It is a net for catching days. It is a scaffolding on which a worker can stand and labor with both hands at sections of time. A schedule is a mock-up of reason and order—willed, faked, and so brought into being; it is a peace and a haven set into the wreck of time; it is a lifeboat on which you find yourself, decades later, still living. Each day is the same, so you remember the series afterward as a blurred and powerful pattern."
(毎日をどう過ごすかは、もちろん、人生をどう過ごすかということになります。この時間、次の時間をどうするかが、自分が取り組んでいることなのです。スケジュールを立てると、混乱したり思い付きで行動したりするのを防げます。スケジュールは1日を逃がさないようにする「網」になるというわけです。働いている人にとってはよって立つ足場であり、時間ごとに手いっぱいでこなさなくてはならない仕事でもあります。スケジュールとは、なぜそれをするのか、そして、何を優先するかについての雛形のようなもので、そうしようとする意志はあるのに、その通りにはいかない、また、だからこそ実現を可能にしてくれるのです。混乱してどうにもならなくなった時間に、秩序と安心をもたらしてくれるもの。その救命ボートに乗っていれば、何十年か後に、自分がまだ生きていることに気づくことでしょう。毎日同じように過ごしていても、後になって、ぼんやりした、でも同時に力強いパターンとして、一連の日々を思い出すことになるのです。)
これは、brainpickings(http://www.brainpickings.org)で紹介されていた、アニー・ディラードという女性作家が書かれた文章です。一般ノンフィクション部門で、ピューリッツァー賞も受賞された方だということです。これまで存じ上げず、作品も読んだことはなかったのですが、この方の、スケジュール、ということへの考え方に共感が持てる、と思いました。

一度にたくさんのことをこなさなくてはならなくなった時、自信の持てないことに取り組まなくてはいけなくなった時などに、まず、一度、やるべきことを書き出してみて、優先順位をつけたりして、頭の中を整理することができると、それだけで、心の負担が軽くなるような気がします。また、やらなくてはならないことはもちろん、自分の「やりたいこと」や「将来こうありたい。そのために必要なこと」もリストにして、やらなくてはならないことの中に加えてみます。そうすると、二重線で消していく、その先の未来には、自分の夢見る自分の姿があるようで、なんだか楽しくなるような気がしてきます。

2015年のスケジュール帳はどんなことが書き込まれるのでしょうか。いろんなことを書き込みたくなるような、充実した1年になるといいな、と思っています。

どうぞ、良いお年を。

引用:The quoted part is from:
How We Spend Our Days Is How We Spend Our Lives: Annie Dillard on Presence Over Productivity http://www.brainpickings.org/2013/06/07/annie-dillard-the-writing-life-1/?utm_content=buffer18b9b&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer