2015年6月27日土曜日

変わっているを抱きとめる ―エド・シーランのスピーチから―

以前の投稿で、女優のエミリ・ブラントが子供のころ、吃音に悩まされていた話をnprのインタビューで語っていたのを取り上げました。そのエミリ・ブラントがエド・シーランをAmerican Institute for Stuttering(米国吃音協会)に呼んで表彰しています。というのも、エド・シーランも幼いころ、吃音があったということなのです。

エド・シーランは表彰式のスピーチの中で、幼いころは顔にあざがあったり、大きな青い眼鏡をかけなくてはならなかったり、片方の耳の鼓膜がなかったり、ととにかく問題だらけで、吃音なんて、自分の問題の中では、どうってことないほどだった。とにかく変わった子供だったと言っています。
But I got heavily into music at a young age, and got very, very into rap music—Eminem was the first album that my dad bought me. I remember my uncle Jim told my dad that Eminem was the next Bob Dylan when I was—say what you want, it’s pretty similar, but it’s all just story-telling. So my dad bought me the Marshall Mathers LP when I was nine years old, not knowing what was on it. And he let me listen to it, and I learned every word of it back to front by the age I was ten, and he raps very fast and very melodically, and very percussively, and it helped me get rid of the stutter. And then from there, I just carried on and did some music,...
(でも、僕は幼いうちに音楽にものすごくのめりこんだ。特にラップにはすごくすごく夢中になった。エミネムが父親が買ってくれた初めてのアルバムだった。その時、おじのジムが父に言ってたよ。『エミネムっていうのは、次のボブ・ディランらしいぜ』って・・・何でも言ってくれていいよ。かなり似てるけど、これは全部物語を語っているようなものなんだ・・・って。で、父親がエミネムの『マーシャル・メイザース』というLPを買ってくれたってわけだ。僕が9歳の頃のことだ。何なのかもわからなかったはずだけど、僕にそれを聞かせてくれた。僕は10歳になるまでに、アルバムの始めから終わりまで一言一句すべて覚えてしまった。エミネムはものすごい速さで、でもきれいなメロディーにのせて、そして、打楽器でもうつようにラップするけど、おかげで、僕は吃音を無くすことができたんだ。そのあと、そこからそのまま続けて、音楽をするようになった・・・) 
 ...It’s just to stress to kids in general is to just be yourself ‘cause there’s no one in the world that can be a better you than you, and if you try to be the cool kid from class, you’ll end up being very boring,...
(「・・・子どもたちみんなにちゃんと言っておきたいのは、ただ、自分らしく、ということだよ。だって、世界中の、君以外の誰も、もっと良い「君」にはなれないんだから。クラスのかっこいいやつみたいになろうとしたら、将来つまらないやつになって終わり、だよ・・・」)

5月10日に公開された"Photograph"のミュージックビデオを観ると、確かに、青い大きな眼鏡をかけて、音楽に夢中になっている男の子の姿が映し出されていて、このスピーチの中でエドが言っていることは、その通りなのだとわかります。そして、幼いエドを捉えているカメラのアングルから、彼の家族がどれだけ温かく彼を見守っていたかもよくわかる。夢中になって何かやっているエドを邪魔しないように、遠巻きに見つめる視線。どの角度から見た時が、一番可愛いかもよくわかっていて、いつもエドを見つめていたことを思わせます。エドの自分らしさはまず、家族に抱きとめられていたのだと思う。だからこそ、エドは、何があろうと、決してぶれることなく自分でも自分らしさを大切にすることができたのだ、という気がします。さらに、そんな「自分らしさ」を十分に育てて、ミュージックシーンで開花させている現在の姿を見ると、困難はあるものだし、そこで過たず正しい道筋を選んで、その場所で何かを積み上げることこそが何より大切なことで、また、それこそが自分なりの人生なのだ、などと思ってしまいました。・・・それにしても、エミネムのラップで吃音を克服した、というエピソード。いい話ですよね。

The quoted part is from:
Ed Sheeran to Kids Who Stutter: Embrace Your Weirdness in TIME

2015年6月6日土曜日

キャサリン・アン・ポーターの言葉から、就職について考える

                                     
キャサリン・アン・ポーター(Katherine Anne Porter)は、1890年に生まれ、すでに1980年に90歳で亡くなったアメリカのジャーナリストです。ピューリッツァー賞も受賞しています。この人の言葉がThe Paris Review のツイートで、ある日流れてきたのですが、その言葉が、本当にその通りだと思えて、しばし立ち止ってしまいました。

                                     
"All this time I was writing, writing no matter what else I was doing; no matter what I thought I was doing, in fact. I was living almost as instinctively as a little animal, but I realize now that all that time a part of me was getting ready to be an artist. That my mind was working even when I didn’t know it, and didn’t care if it was working or not. It is my firm belief that all our lives we are preparing to be somebody or something, even if we don’t do it consciously. And the time comes one morning when you wake up and find that you have become irrevocably what you were preparing all this time to be. Lord, that could be a sticky moment, if you had been doing the wrong things, something against your grain. And, mind you, I know that can happen. I have no patience with this dreadful idea that whatever you have in you has to come out, that you can’t suppress true talent. People can be destroyed; they can be bent, distorted and completely crippled. To say that you can’t destroy yourself is just as foolish as to say of a young man killed in war at twenty-one or twenty-two that that was his fate, that he wasn’t going to have anything anyhow."
(その間も、私は書いていました。どんなに他のことをやっていたとしても、何を考えていたとしても、やはり書いていました。何かの小動物のようにほとんど本能的に生きていたんですが、今思うと、あの頃、自分の中のどこかでアーティストになるために、着々と準備を整えていたのだと思います。そんなこと知らなかった時でも、私の心は動いていたのです。動いていようがいまいが、気にもしてなかったのに。これは、私の確固たる信念なのですが、私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。たとえ、そう意識していなかったとしても。そして、ある朝その時が来て、目覚めると、自分がずっと準備をしてきたものになっていて、もう後戻りはできないとわかるのです。ああ、もしも間違って、自分の性質に合っていないことをしていたとすると、それは嫌な瞬間になるでしょうね。そして、言っておきますが、そういうことは起こりうるのです。私にはわかる。私はこの恐ろしい考えにがまんできないのです。自分の中にあるものは、それが何であれ、外に出て来なくてはいけないし、その本来の才能を押さえつけたりなんてできないのです。人は、損なわれることがある。捻じ曲げられたり、歪められたり、完全な自由をなくしたりする。自分自身を損なうなんてだめ、などというのは、若い男の子が戦争で21歳とか22歳とかで殺されて、何をどうやっても何も手に入れることはない、それがその子の運命だったのだ、などと言っているのと同じ。馬鹿げた話です。)
"I have a very firm belief that the life of no man can be explained in terms of his experiences, of what has happened to him, because in spite of all the poetry, all the philosophy to the contrary, we are not really masters of our fate. We don’t really direct our lives unaided and unobstructed. Our being is subject to all the chances of life. There are so many things we are capable of, that we could be or do. The potentialities are so great that we never, any of us, are more than one-fourth fulfilled. Except that there may be one powerful motivating force that simply carries you along, and I think that was true of me. . . . When I was a very little girl I wrote a letter to my sister saying I wanted glory. I don’t know quite what I meant by that now, but it was something different from fame or success or wealth. I know that I wanted to be a good writer, a good artist."
(私は、本当に信じているのです。誰の人生も、その人の経験とか、その人に起こったことで説明できるものではないのです。だって、あらゆる詩とか、逆にあらゆる哲学とかとは関係なく、私たちは自分の運命なんて、実際には支配できないのですから。何の助けも無い、あるいは、何の妨げも無い状態で、人生を進めていきはしない。私たちの存在は、人生のあらゆる偶然のなすがままなのです。でも、こうなろう、こうしようと思って、できることはたくさんあります。可能性はとても大きなもので、私たちは、誰一人として、その4分の1ほども達成できはしない。でも、例外的に、ただもうあなたを強引に運んで行ってしまうような、ものすごく強力に働きかけてくる力が、あるかもしれません。私の場合はありましたね。幼い少女だったころ、姉に手紙を書いたことがあるのです。私は栄光が欲しい、って。栄光だなんて、どういう意味か、今でもよくわからないのですが、それは、名声とか、成功とか、富とは違うような気がします。ただ、良いものが書ける良いアーティストになりたかった、そういうことだと思います。)
周りの若者は、皆、口を揃えて「将来の夢なんてない」「どんな仕事に就けばいいのかわからない」とそう言いますが、そりゃそうだよ、と思う。私は私の仕事しかしたことは無いけれど、辺りを見渡して他人の仕事の様子をみても、仕事というのは1つ1つがまるで違うような気がします。同じ職種であっても、従事する人がどんな思いをもって、どう取り組んでいるかによって違うし、共に働く人々がどんな人々かによっても違う。大きな組織か小さな組織か、順調に運んでいるのか、苦戦しているのかによっても全く違う。労働条件や待遇だって、個々人の価値観や人生観で、受け止め方は様々だと思います。仕事そのものに関わる要素と、仕事の環境に関わる要素と、自分自身に関わる要素と。この際、仕事そのものに関わる要素以外は、考えないことにして、といきたいところではありますが、そんなわけにはどうしてもいかない。三者は混然と一体化しており、切り離して考えたところで、そう意味はない。そんなありとあらゆるファクターを抱えた無数の仕事が世の中にはあって、自分の知らない、想像を超えた世界がそこに大きく広がっている。それを知らないままにどれか一つを選び取ろうとしなければならないのだから、そんなのそもそも無理な相談じゃないかという気がします。それでも、一応、職種を想定したり、自分の適性や生き方を考えて、そこに向かって何らかの準備を進めていく。そうしてようやく、ある仕事に辿り着くのです。

さらにいえば、それは、決してゴールなんかではない。仕事の中においても、私たちは、日々難問に直面し、それを解決し成長していきます。失敗に自信を喪失することもあれば、できなかったことができるようになって、新たなやりがいを見いだしたりすることもある。仕事に就いた後も、自分の適性や生きる意味を考えて、自分はここで何を成し遂げることができるだろうか、と自問しながら手探りで前に進んでいくのです。つまり、就職した後でさえも、自分は何かを探しているし、「仕事」は変化し続けていく。外から見れば、単に「営業」だったり、「公務員」だったり、「店員」だったりで、それらの人は、それぞれ皆同じことをやっているように見えるのかもしれないけれど、就職したばかりの時と、何十年か経ったベテランになった時では、自分の中では同じ仕事をやっているとは思えないほど、仕事に対する心構えも、実際の仕事内容も全然違う様相を呈してくるのです。

そう考えると、就職というのは、こういうことなのかな、と思います:

自分の性質にピンとくるような、自分が働いている姿が想像できるような仕事とは何か常にアンテナをはり、得意とするもの、または必要な(と思われる)ことを学んでおくなどの作業をしつつ、就職を斡旋してくれる人、先生や先輩、親戚の人、近所の人、その知り合いの人、などが運んでくる情報(就職口の話だけではありません。知り合いにこんな仕事をやっている人がいる、とか、あの人はこの仕事があの仕事につながって今、こんなことやっている、とかそういう情報も大きいのです)との運命的な出会いを求め、キャサリン・アン・ポーターの言うところの、「一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をする」機会を与えてもらうこと。

どうでしょうか。自分は自分の仕事しかやったことはないので、本当のところ、よくわからないのですが。

The quoted part is from:
Katherine Anne Porter, The Art of Fiction No. 29
Interviewed by Barbara Thompson in The Paris Review Davishttp://www.theparisreview.org/interviews/4569/the-art-of-fiction-no-29-katherine-anne-porter