2014年9月17日水曜日

大切なものは行動することによってのみ手に入れることができる~レイ・ブラッドベリの言葉から~

Ray Bradbury(レイ・ブラッドベリ)は主に、SF小説を書いたアメリカの作家です。残念ながら、2012年6月5日にすでにお亡くなりになっていますが、作品がいくつか映画化もされた人気作家でした。私自身は、SFはほとんど読まないので、作品を読んだことはありません。しかし、Brain Pickingsのツイッターで、この彼の書いた一節を目にしました。


この短い文章を読んで、子どもが生まれて赤ん坊の世話に追われていた時に、おばあさんに言われた言葉を思い出しました。「子どもが可愛いというのは、子どもの世話に苦労するから可愛いのだ」と、そのようなことでした。言われてみればその通りで、もしも、子どもを育てるのが何の我慢も時間も労力も必要のない類のことであれば、子どもに対する思いももう少しあっさりしたものになりそうです。実際に自分の手で胸で、子どもを丸ごと抱えるから、目を離すことなく、心を砕くから、膨大な時間をそこに費やすから、自分が子どもの一部になり、子どもが自分の一部になる。そういうことだと思いました。

"The farmer who farms creatively and happily is a man that knows every stalk of wheat or corn that comes up on his land because he has tilled these fields, because he has planted the seed, because he has picked the fruit, because he has painted the barn… So we belong only by doing, and we own only by doing, and we love only by doing and knowing. And if you want an interpretation of life and love, that would be the closest thing I can come to." (新しいものを生み出して、喜々として農業に従事する農家というのは、すなわち、自分の農地に生えている、あらゆる麦の、あるいはトウモロコシの茎一本一本がわかっている人のことだ。なぜなら、自分自身がその土地を耕しているから。自分で種をまき、果実を収穫しているから。納屋にペンキを塗っているから。・・・そう、何か行動しないでは、自分の居場所は見つからない。実際に手を動かすことではじめて自分のものとなる。行動し、理解することでのみ、愛情は生まれるのだ。人生とは、愛とは何か、その答えが知りたいということなら、私がたどりついた答えは、おそらくそういうことになるだろう。)

子どもを育てることなどはその最たるものに違いないと思いますが、その他のことも全てそうなのではないでしょうか。ただ傍観していることでなく、自分が思い入れを持って取り組んでいること。困難にあっても投げ出さず、自らの手で動かしていること。苦労はあってもそれを楽しんでいること。私にもそういうものが、いくつもあります。自分の生活の中のそういったもの。それが、自分にとっての愛情であり、人生そのものなのだ。ブラッドベリの言葉に、そう気づかされました。

引用;The quoted part is from;
"Brain Pickings"

2014年9月3日水曜日

エド・シーランのセカンド・アルバム「X](マルティプライ)に思うこと

かの小林克也氏が、彼の番組の中で、「2枚目のジンクス」と言われるのを、しばしば耳にします。デビューアルバムで大ヒットを果たすものの、そこで力尽きてしまってセカンドアルバムがもうひとつふるわない。そのようなケースはよくあるらしい。しかし、幸いなことにエド・シーランにはそんなジンクスは、何の意味も持たなかったようです。

2011年のデビュー・アルバム「+」(プラス)は、申し分のないアルバムでしたが、2014年6月25日に発売された、エド・シーランの2枚目のアルバム「×」(マルティプライ)は、それを上回る素晴らしい出来栄えになっています。のびがあって透明で、なおかつ表現力のある歌声は相変わらず聴きごたえがあるし、日常の中の、誰も気づかないような小さな事柄を切り取って、心を伝える繊細な詩も感動的。ギターも打ち鳴らせばラップもしてみせる万能ぶり。ファレル・ウィリアムズを迎えたり、新境地を開拓することにも余念がない。17に及ぶ楽曲が収録されているのに、「これは、まあまあ」というようなものはなく、どの曲も充実しています。



エド・シーランのツイートは、彼の飾らない「男の子」っぷりが魅力で、ついフォロワーになってしまいました。食べ物のツイートがあったりします。メロン、とか、すいか、とか、チキン、とか。ただそれだけの短い言葉に、すごくうれしそうな様子がにじみ出ていて、ツイートというのも不思議なものだ、と思います。そして、そういうツイートをずっと追っていると、ここ2年くらい彼がいかに頑張ったかが、わかるような気がします。テイラー・スウィフトのREDツアーにずっと同行していた時期もあったし、なんだか激太りしていた時期や、朝から晩までプロモーションに奔走していることもありました。ここ2年間のエドの格闘が、この2枚目のアルバムに結実したのだ、と、そう思います。

ギター1本で歌う音楽小僧の魂はそのままに、「ものすごく売れてやる」という健全な野心も持ち合わせているようで、臆することなく、ポップな要素を取り入れたり、自分の中の暗い部分を暴露するような曲も作ったりしている。そんな風でいても、彼の核となる部分はいささかも損なわれることは無いようで、相変わらず、肩の力の抜けた人の好さそうな表情を見せている。そんなエドを見ていると、この人はもっと成長する。まだまだ、何かを取り込む土壌を持っている、と思わされます。

“I did everything last year,” he said exhaustedly. “Everything. Everything wrong and everything right. It was a very important year.” At one point, he moved to Los Angeles for a relationship, only to be dumped the day he arrived: “I literally landed from Canada, it ended, then I went to the house and unpacked my stuff.”
(「昨年はとにかく全部やったよ。全部、だよ。間違っていることも全部だし、正しいことも全部。ものすごく大事な1年だった」エドは疲れ切った様子でそう言った。ある時は、恋人のためにロサンゼルスに移動したのに、着いたその日に捨てられた。「大げさに言ってるわけじゃなくて、本当に、カナダから到着して、関係が終わって、家に帰って荷物をほどいた、そんな感じだった。」) 
He continued: “I was in a situation where something was presented to me that I never thought would ever be possible. I felt like I had to do it, I should not let this go, and I know now that things on the surface aren’t always what they are.”      (そして、こう続けた。「そんなことあり得ないだろう、っていうようなことが、目の前に差し出されてる、そんな状況だったんだ。ただもう、やっておかなくちゃ、このままにしておくものか、そう思えたよ。で、今わかるのは、表面に見えているものだけでは、本当のことはわからない、ってことだ。」)
「良いことも悪いことも、目の前に差し出されたものを全て」やり、その経験を活かしきる。エドのように、私の人生にも様々なことが差し出されてきたし、今もこれからもそれは続くはずだと思う。正しいのかも、間違っているのかも、差し出された時点では、その意味はわからない。意味がわからないから、少し怖くもある。でも、振り返ってみると、本当に大切なことには、不思議と何か勇気のようなものがわいてきて、よくわからないままに「えいや」で飛び込んでしまっているような気がします。そして、それが、その後の流れに決定的に結びついているように思います。それは「頑張り」を強いられる困難の始まりであると同時に、飛躍へのチャンスになるということなのでしょうか。エドのセカンド・アルバムから、そんなことを思いました。

引用: The quoted part is from;
Jon Caramanica. "Ed Sheeran, lighter and Wiser, releases 'X'."The New York Times. 2014.
http://www.nytimes.com/2014/06/22/arts/music/ed-sheeran-lighter-and-wiser-releases-x.html?smid=tw-nytimes&_r=0