2015年7月25日土曜日

客観性と美しい人生

先日誕生日が来て、また1つ歳をとりました。今年も大過なく誕生日を迎えることができ、これほどありがたいことはない、といえばその通りなのですが、人生も折り返し地点を過ぎて、50代はもう目の前。たいした人間でないのは百も承知ですが、それでも、そんな私でも元気に働いていて、まだまだできることはたくさんあります。では、どっちの方向に向かって、一体何に持てる力を注ぎ込むべきなのか。そんなことに、まだ迷っているような気がします。不惑の40代はもうそろそろ終わりそうだというのに。

The Paris Review ‏@parisreviewのツイートである日、流れてきた作家のノーマン・メイラーの言葉は、兼ねてから考えていたことと同じで、このインタビューを読んで思わずひざを打ちました。

INTERVIEWER
"Let’s talk about age, growing old, and let’s be precise. How does the matter of growing old affect your vanity as a writer? There is perhaps nothing more damaging to one’s vanity than the idea that the best years are behind one."
(年齢、年をとることについてお話しましょう。しかもずばりお聞きします。年をとるという問題が、作家としての虚栄心にどのように影響するものでしょうか。自分のピークの年は、もう過ぎ去ったのだ、という考えほど、人の虚栄心を傷つけるものはないかもしれない、と思うのですが。)
 MAILER
"Well, I think if you get old and you’re not full of objectivity you’re in trouble. The thing that makes old age powerful is objectivity. If you say to yourself, My karma is more balanced now that I have fewer things than I’ve ever had in my life, that can give you sustenance. You end up with a keen sense of what you still have as a writer, and also of what you don’t have any longer. As you grow older, there’s no reason why you can’t be wiser as a novelist than you ever were before. You should know more about human nature every year of your life. Do you write about it quite as well or as brilliantly as you once did? No, not quite. You’re down a peg or two there."
(ああ、もし歳を取って、それでも客観性が足りないようでは、痛い目にあうと思うよ。重ねた年齢に力を発揮させることができるのは、客観性だから。これまでの人生よりも持ち物が少なくなっている分、自分のカルマは、よりバランスがとれているんだよ、と、自分に声をかけてやれば、それが生きる力を与えてくれるはず。しまいには、作家として自分がまだ持っているもの、そしてまた、もう持っていないものが何なのか、はっきりわかるようになる。歳を取るにつれて、作家として前よりも賢明にならないわけがない。人生の中で、年々、人間の性質をより深く知るようになる。では、以前書いたのと同じくらいうまく、同じくらい素晴らしく、書けますかだって?いや、それがそうはいかない。そこでは、高かった鼻をへし折られてしまうんだ。 
INTERVIEWER
"Why?"
(どうしてでしょう?) 
MAILER
"I think it’s a simple matter of brain damage and nothing else. The brain deteriorates. Why can’t an old car do certain things a new car can do? You have to take that for granted. You wouldn’t beat on an old car and say, You betrayed me! The good thing is you know every noise in that old car."
(単に脳がダメージを負っているというだけのことだよ。他の何ものでもない。脳が劣化しているんだ。新しい車がやってのけるいろんなことを、どうして古い車はできないんだろう。いや、そんなの当然なんだって思わなけりゃだめだ。古い車に乗ってて、裏切りもの!なんて言ったところで仕方がない。勝てっこないんだよ。いいのはその古い車のノイズなら、どれもみんな自分でわかってるってところだよ。)
子どもと大人の違いは何か、といえば、それは、客観性があるかないか、ではないでしょうか。私たちは皆、自分の意識を通して、物事を見て理解しています。物の見方が自分中心、主観的になってしまっても不思議ではない状況が整っているわけです。一方、大人というのは、色々な経験を積んでいるので、似たような状況の中で、別の立場であった記憶などを持っています。だから、ある立場の人が、今どういう気持ちでいるのか、或は、その立場の人から見たこちらの姿がどんな風であるか、といったことがありありと想像できる。主観的な目で自分を見れば、一つのことに捉われていっぱいいっぱいになってしまうばかりだけれど、そんな自分からいったん離れて、外から客観的に眺めてみると、自分の中に抱えていた問題も相対化されて、冷静にとらえることができるようになるのだと思います。

テレビや映画でお見かけする芸能人の方の外見が、総じて美しいのは、他人に見られる職業だから、という話を耳にすることがありますが、そうではないと思う。私たち一般人も常に他人には見られている。彼らが違うのは、テレビや映画に映る自分の姿を、他人と同じ、客観的な目で見つめることができる機会が常に与えられているから、だと思います。鏡の中に切り取られた正面からの姿だけでなく、後ろ姿でも遠くからのアングルでも、気を抜いて無防備な表情の時でも、そんな自分を全て見ることができて、客観的な視点から自分の外見について考えることができるから。

そう考えると、外見的にも内面的にも、客観的に自分を捉えることの威力は絶大で、常にそのことを頭の片隅に置いておくと、美しい人生が歩めることは間違いないという気がします。今生きているこの人生でも、まあまあそれなりに頑張ってるよ、という気はするものの、キャサリン・アン・ポーターが「私たちは皆、一生をかけて、何者かになるための、何かを成し遂げるための準備をしているのだと思うのです。」と言うように、何かを成し遂げた、と満足できる境地に、この根性なしの私でも達することができるものなのか。いささか自信は無いのですが、でも、あきらめずにそこに向かっていきたい。そして、その歩みがどうか、美しいものでありますように、と祈る今年の誕生日なのでした。

The quoted part is from:
Norman Mailer, The Art of Fiction No. 193 Interviewed by Andrew O'Hagan in The Paris Review http://www.theparisreview.org/interviews/5775/the-art-of-fiction-no-193-norman-mailer