2015年3月27日金曜日

沈む夕日と舞い降りる雪の意味-村上春樹の言葉から-


村上春樹さん、ごくたまに、出版社を通じて読者との交流サイトのようなものを立ち上げて、読者とメールのやり取りなんかをしてくださいます。敢えて広く告知などはされず、知る人ぞ知るという感じでされるので、しばしば見落としてしまうのですが。現在も、もう、質問・相談メールの受付は締め切られていますが、読者からのメールとそれに対する村上さんのお返事が、『村上さんのところ』という新潮社主催のサイト(http://www.welluneednt.com/)で、随時公開されています。ツイッターのアカウントもあり、(村上さんのところ@murakamisanno)更新されるたびに知らせてくれます。もちろん、フォロワーになって、更新されるのをいつも楽しみにしています。

今回のやり取りでは、外国の方から英語で寄せられる質問も多く、それには、村上さんが英語で答えておられます。英語での答えが、意外に日本語以上に心に響く言葉で書かれていて、妙に納得してしまいます。以下に引用している文章は、「読者に読み取ってほしいメッセージや、読者に自分なりのメッセージを見つけてほしい、 というようなことが、あなたの本にはあるのか」という、アメリカ人(おそらく)の女性の質問に対する答えとして書かれたものです。

"My books are an open text entirely. You can interpret it any way you like, or you can leave it uninterpreted. My book is just like a sunset or snowfall. You don’t have to take away any meaning from a sunset or snowfall, do you? But if you do need some meanings, it’s up to you. In any case, enjoy reading. That is the main thing."
(僕の本は、完全に読む人に開かれている文章です。好きなように解釈してくださればよいし、解釈しないままでいても構いません。僕の本は、ちょうど、沈む夕日や舞い降りてくる雪のようなものです。夕日や雪から、何か意味を取り出さなくてはならないわけではないですよね?でも、もしも、何らかの意味が必要になれば、それもあなた次第です。いずれにせよ、楽しんで読んでください。それが一番ですから。)



人間というものはあらゆるものごとに、意味づけをせずにはいられない動物だとどなたかが書かれているのを目にしたことがあります。世界のあらゆる出来事が、お互いにかみ合わない単なる断片の寄せ集めで、そこに偶然しかなければ、また、ただ理不尽な事実に翻弄されているばかりでは、どうやって生きていけばよいのだろう、という気がするに違いありません。そこになんらかの意味を見出して、なんとか差し出されたものを飲み込むからこそ、人生に折り合って、納得して先に進んでいけるのだと思います。村上春樹の小説も、文体の心地よいリズムに乗って、どんどん読み進めてしまえるのですが、一つ一つのエピソードから、意味を見いだして解釈を加えるのは、必ずしも簡単なことではありません。おそらく、読む人によって様々な解釈が考えられることでしょう。私たちの人生も同じ。出会う人、住んでいる場所、生まれながらの境遇、突然降りかかってくる出来事。心を開いて、発想を柔軟にして、そういった物事に一つ一つ意味を見いだして、自分という存在の意味をしっかりと受け止めてくれる物語を作っていく。そうやって、前に進んでいくしかないのではないか、という気がします。


引用:The quoted part is from:
『村上さんのところ』http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/22/203600

2015年3月8日日曜日

私と文章と音楽とースタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビューからー

このブログでも、繰り返し取り上げてしまうのですが、文章が持つ音楽性に惹かれてやみません。

 音楽と文体(1)~Maya Angelow の言葉から~ 
  音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~
  http://onehundredpercentinspiration.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html)

先日も、フォローしている The Paris Review 誌(The Paris Review@parisreviews) のツイートから、
アメリカの詩人、スタンリー・クニッツ(Stanley Kunitz)のインタビュー記事を知りました。

     
KUNITZ
"The poem in the head is always perfect. Resistance starts when you try to convert it into language. Language itself is a kind of resistance to the pure flow of self. The solution is to become one's language. You cannot write a poem until you hit upon its rhythm. That rhythm not only belongs to the subject matter, it belongs to your interior world, and the moment they hook up there's a quantum leap of energy. You can ride on that rhythm, it will carry you somewhere strange. The next morning you look at the page and wonder how it all happened. You have to triumph over all your diurnal glibness and cheapness and defensiveness."
クニッツ
(詩は頭の中では、必ず完璧なんですよ。それを、言語に変換しようとしたとたん、抵抗に遭うんです。言語それ自体が、純粋な自分という流れに対する、ある種抵抗なんですね。解決方法は、その言語になってしまうことです。その言語のリズムに行きあたるまで、詩を書くことなどできないのです。リズムは、題材にあるだけではなく、自分の内なる世界にもあります。そして、そのリズムがつながった瞬間に、エネルギーが溢れ出してくるのです。自分はただリズムに乗ればよい。そうすると、どこか不思議な場所に連れて行ってくれるから。翌朝、書いていたページを見て、一体これはどうなってたんだ、と思いますよ。ただ、饒舌さとか、安っぽさ、守りの姿勢なんかには、打ち勝つようではないといけません。)
クニッツは、詩にリズムがあるのはもちろんのこと、自分の中にもリズムがあって、その両者がつながることが大切だと言っています。
KUNITZ
"The struggle is between incantation and sense. There's always a song lying under the surface of these poems. It's an incantation that wants to take over—it really doesn't need a language—all it needs is sounds. The sense has to struggle to assert itself, to mount the rhythm and become inseparable from it."
クニッツ
(リズムと意味との格闘です。詩の表面のすぐ下には、いつも歌があるのです。まるでじゅ文のようなリズムがすぐに任せておけ、と控えている。そこには言葉なんて要らない。必要なのは音だけなのです。意味はといえば、存在を主張しよう、リズムに乗ろうと戦って、リズムと分かちがたくなっています。) 
KUNITZ
Rhythm to me, I suppose, is essentially what Hopkins called the taste of self. I taste myself as rhythm.
クニッツ
(リズムは私に言わせれば、詩人のホプキンズが言う、自分の「味」だと思う。私は、自分自身をリズムとして味わっているんです。) 
KUNITZ
The psyche has one central rhythm—capable, of course, of variations, as in music. You must seek your central rhythm in order to find out who you are.
クニッツ
(1人の人間の魂には、一つの中心となるリズムがあるんです。音楽のように、様々なバリエーションも、もちろんありうるけれど。自分がどんな人間かを見つけ出すために、中心となるリズムを探さなければならないのです。)
確かに自分には自分なりのテンポやリズムがあると思います。話すテンポ、歩くテンポ、考えるテンポ 。自分のテンポは人とは違うと思う。また、普段気にかけることはありませんが、私の身体の中では、心臓が鼓動し、それに合わせて血液やリンパ液がごうごうと廻り、吸ったり吐いたりする息が、これも規則的に音をたてている。走ったり、階段を上ったり、びっくりしたり、満足したり、そんなことでリズムが変わったりもする。そんな風に一瞬、一瞬を生きているのだから、例えば、安定したドラムに支えられた音楽を聞いた時に、私の身体が呼応して、リズムを取りたくなるのも、自然なことだと思われます。言語というのも、文字よりも先にまず、音がくるものだとすれば、音は息を操って発するものである以上、呼吸のリズムに深くかかわってくるのも当然といえば当然でしょう。呼吸をする自分のリズム、息を操って発する言語のリズム、リズムが作り出す音楽、この3つは相互に深く関わり合っているような気がします。

私の魂の中心となるリズムは、私の好きな文章や音楽に、やはり、呼応しているものなのでしょうか。人生に、自分の心に響く文章や音楽があるというのは、とても素敵なことだと思います。

引用:The quoted part is from;