2015年2月14日土曜日

ハリー・ニルソンの Remember に思う -映画『ユー・ガット・メール』から-


映画『ユー・ガット・メール』 (You've Got Mail)の一場面から、ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)のRememberという曲を知るようになりました。ゆっくりとした美しいメロディーで、歌詞がわりにはっきりと発音されるので聴き取りやすく、初めて聴いた時から、すぐに意味に心を捉えられてしまいました。



"...Remember life is just a memory
Remember close your eyes and you can see
Remember, think of all that life can be
Remember

Dream, love is only in a dream
Remember
Remember life is never as it seems
Dream..."
(「思い出してごらん 人生とはただの記憶なのだから
ほら、目を閉じると 見えるだろう
そうだ、人生がどんなふうなものなのか
思い出してごらん

夢みたいなものだよ 愛も夢を見てるようなものだよ
そうだよ
思い出してごらん 人生はそうだと思っているのとは違うかもしれないよ
夢みたいなものだよ・・・」)


人生とはただの記憶だ

そう聞いて、そうかと思い、また、本当にそうだと、何度かこの言葉を思い返してきました。

歴史に名を残す人や出来事というのはありますが、それは特別なケースで、多くの人生は、その時代を形成する一翼を担っているとしても、いずれは消えてなくなっていく、単なる記憶に過ぎないものだと思います。また、それで十分だともと思います。歴史に残る大きな出来事が「善きこと」だとは限らないからです。

自分という1人の人間からみても、晩年になると、或は、最期を迎えると、自分の人生を振り返ることになるでしょうが、その時には、多くの細かい事柄は消え失せて、自分の人生の中で、印象的な出来事や、大切な人のことだけを思うだろうと想像します。今、私の周りを囲んでいる実体のあるものも皆、すべて実体を持たない記憶だけになってしまう。

理解というものはつねに誤解の総体にすぎない

この言葉は、村上春樹の『スプートニクの恋人』という本の中にあった一節ですが、私たちが、自分の人生だと捉えているものは、同じ時間を共有した他の人の認識とは異なる、大いなる誤解の総体だと言えるのかもしれません。そう考えると、自分の持つ記憶も、実際の過去の出来事なのか、夢なのかさえ曖昧になってくるような気がします。

人生が単なる記憶-しかも、自分の誤解の総体による-記憶なのだとすると、やはり、大切なのは他の人がどう思うかということではなく、常に自分がすべてをどう意識するか、ということに尽きると思います。相手がどうあれ、自分が誰かを愛していれば、その意識だけで人生は十分充実する。いずれにせよ、愛は夢を見てるようなもの、なのですし。バレンタインデーにそう思いました。



引用:The quoted part is from the song "Remember" by Harry Nilsson

http://www.songlyrics.com/harry-nilsson/remember-christmas-lyrics/#rEXGSwh3GpfxsJ4C.99

2015年2月5日木曜日

「ときめき」の仕分けから成功は始まるーAlain de Botton(アラン・ド・ボトン)のTED talkからー

「ときめく」ものだけを残して後は処分すべし、ということを訴える整理整頓の本が、ベストセラーになっているようです。私も本を手にしてみました。この、「ときめく」もの、という考え方が実に興味深い。はじめは「ときめく」だなんてわかりづらそう、と思っていたのですが、実際やってみると、「ときめく」ものと、そうでないものは、不思議と区別できる。ハンカチでも、Tシャツでも、一棚分の本でも、iPodの中の音楽でも、分けようと思えば、それは分けられるものだとわかりました。また、「ときめく」ものを察知するアンテナは、かなり不安定なものらしく、ややもすると、すぐに受信障害を起こしてしまう、というのも発見です。例えば、もしかしたら使う時が来るかも、とか、でも、これは高かったから、とか、頂き物だから、とか、別の要素が介入してきて、「ときめき」がわからなくなってしまうのです。
"One of the interesting things about success is that we think we know what it means. A lot of the time our ideas about what it would mean to live successfully are not our own. They’re sucked in from other people. And we also suck in messages from everything from the television to advertising to marketing, etcetera. These are hugely powerful forces that define what we want and how we view ourselves. What I want to argue for is not that we should give up on our ideas of success, but that we should make sure that they are our own. We should focus in on our ideas and make sure that we own them, that we’re truly the authors of our own ambitions. "
(「成功」にはいろいろな面白い面があるのですが、その一つに、私たちが、それが何たるかを知っていると思っている、ということがあります。しかし、多くの場合、私たちが成功した人生とはこういうものだと思っているのは、自分で考えた成功ではない。他の人の考えを取ってきたものだったりします。または、テレビや広告などありとあらゆるものからのメッセージから受け取ったものもある。こういうものは、すさまじい力を持っていて、私たちが何を望めばいいのか、自分をどう評価すればいいのかを、決めつけてしまうのです。私がここで言いたいのは、では、成功について自分で考えるのをあきらめよう、ということではなくて、それが本当に自分にとって成功なのかということを自問しよう、ということです。自分の考えに集中して、それが自分にとっての成功であるのか、本当に自分の望む野心なのか、を自問すべきなのです。)


brainpicking で 哲学者のアラン・ド・ボトン(Alain de Botton)のTED talkが紹介されているのを目にしたとき、まず、連想したのが、前述の「ときめき」による仕分け、でした。哲学者の語る成功が、整理整頓と結びついてしまうのが意外に思えますが、人生は大なり小なり取捨選択の連続なので、いらないものを処分することを避けて通れない整理整頓が、人生の一大事と重なるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

これは私に「ときめき」を与えてくれるものだろうか?と、自分の心の奥の方をのぞきこんで、じっと耳を澄ませてみる。ああ、これを目にすると、手にすると、耳にすると、「私」が悦ぶ。「ときめく」ものでいっぱいの場所は、自分らしくて心から満足できる。そして、それは、まず間違いなく、他の誰かの「ときめく」ものとは違っていて、同じものを選ぶ人は、他に2人といないはずだと確信できます。

自分が「ときめく」ことにこそ、自分の人生にとって意味がある。それなのに、私たちのアンテナは、メディアに取り上げられるもの、他の人からの評価が高いものが、つい、自分の望んでいるものだったかのように思えてしまったりと、ここでもぶれてしまいがちです。『富』『名声』『難関大学』『狭き門』『競争率の高い就職先』『勝ち組』『ステイタス』『ブランド』『人気者』・・・こういった言葉で表される世界は、「一般に」良いとされていて、それを手にすれば幸せになれる、ということが通念となっています。しかし、アラン・ド・ボトンはそこにまず疑念を持つことが、成功への第一歩だと言っているわけです。それは本当にその通りで、例えば、努力の結果、見事この言葉の世界へ足を踏み入れることができたとします。その瞬間は最高の喜びを感じるはずですが、多くの場合、それがゴールというわけではない。私たちは、その後、ずっとその世界を生きていかなくてはならなくなるのです。一瞬のゴールではなくずっと続くものだとすると、また、続けていく努力をしなければならないものだとすると、そこが自分が「ときめく」場所でないと、本当に辛いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

そうやって考えてみれば、整理整頓も侮れない。安定して「ときめき」を受信できるように、怠りなくアンテナの精度を上げておきたいものだと思いました。