2014年8月19日火曜日

音楽と文体(2) ~村上春樹の言葉から~

前回の投稿で、マヤ・アンジェロウのインタビューから、文章と音楽との関係について取り上げました。ちょうど、その後、ツイッターでフォローしている、Open Culture https://twitter.com/openculture からのリツイートで、New York Times紙の記事を知りました。大好きな村上春樹によるエッセイで、ここにも、音楽と文体について書かれてあります。



村上春樹は、幼いころから大変な読書家だったのですが、29歳になるまでは小説を書こうとは少しも思っておらず、大学卒業後は、千駄ヶ谷でPeter Catという小さなジャズクラブを始めました。そして、好きなジャズを朝から晩まで聴いて過ごしていました。そんな毎日を過ごしていたある日、突然、小説を書こう、小説が書ける、という考えが頭に浮かんだのだそうです。それは、こんな風に始まりました。

"...Inside my head, though, I did often feel as though something like my own music was swirling around in a rich, strong surge. I wondered if it might be possible for me to transfer that music into writing. That was how my style got started."        (・・・僕は頭の中で、自分自身の音楽のようなものが、勢いよくあふれるように、ぐるぐる回っているのを感じるようになっていた。この音楽を文章に変えることができるんじゃないか。そんな風にして僕の文体は生まれた。) 

"Whether in music or in fiction, the most basic thing is rhythm. Your style needs to have good, natural, steady rhythm, or people won’t keep reading your work. I learned the importance of rhythm from music — and mainly from jazz. Next comes melody — which, in literature, means the appropriate arrangement of the words to match the rhythm. If the way the words fit the rhythm is smooth and beautiful, you can’t ask for anything more. Next is harmony — the internal mental sounds that support the words. Then comes the part I like best: free improvisation. Through some special channel, the story comes welling out freely from inside. All I have to do is get into the flow. Finally comes what may be the most important thing: that high you experience upon completing a work — upon ending your “performance” and feeling you have succeeded in reaching a place that is new and meaningful. And if all goes well, you get to share that sense of elevation with your readers (your audience). That is a marvelous culmination that can be achieved in no other way."                   (音楽でも小説でも、一番のベースになるのはリズムだ。自分の文体が、気持ちのよい、自然でしっかりしたリズムを持っていなくてはならない。そうでないと、人は作品を読み続けてはくれないだろう。僕はリズムの大切さを音楽から、しかもジャズから学び取った。次にくるのがメロディだ。文学でいうと、リズムに合う言葉の配列ということになるだろうか。言葉がリズムにぴたりと合って、なめらかで美しければ申し分ない。そのあとにハーモニーが来る。それは、心の中に響く、言葉を支える音だ。それから、僕が一番好きなところ、即興演奏。何らかの特別な経路を通じて、物語が内側から縦横無尽に湧き出てくる。僕はその流れに身を任せていればいい。そして、最後に、でもこれがおそらく最も重要だと思われること。作品を完成させる上で、高みを経験することだ。「演奏」を終えるにあたって、これまでにない、意味のあることを成し遂げたのだという感覚があること。このすべてがうまくいけば、自分の読者とある種の昂揚感のようなものを共有することができる。この感覚は、独特のすばらしいもので、他の何をもってしても味わうことはできないものなのだ。) 

学生時代から20年以上に渡って、村上春樹の書くものを読んで来ました。長編も中編も短編も、エッセイもノンフィクションも翻訳も。新刊が出るのを心待ちにして、出ないときは前のを読み返して。なぜそうなってしまうのか。様々な理由が、もちろん考えられるのですが、やはり、一番大きく大切な理由は、彼がここに書いていること、そのままだと思います。毎日の余白で、音楽を楽しむのとまるで同じ感覚で、彼の書くものを楽しんでいるから。彼の本を手に取り、その文体に耳をすませる。そこに、彼の奏でる言葉からのリズムとメロディとハーモニーがあり、それを楽しむのに何にも代えがたい喜びがあるから。そして、特に長編小説には、「これまでにない、意味のあることを成し遂げた」という感覚をまさに彼と共有したという実感があります。確かに、これは「すばらしく、他の何をもってしても味わうことはできない」と思う。理屈よりも先に、音楽的な感覚で捉えるせいか、村上春樹の文章には、大変な中毒性があるような気がします。

引用 The quoted part is from:
Murakami, Haruki. "Jazz Messenger." The New York Times. 2007.